21 乱心と魔の囁き
豊原家の祝言は散々な幕引きとなった。
花嫁は感情を高ぶらせ、目を回して倒れてしまうし、花婿はなぜか廊下で虫の息になっているし。
宴席に顔を出した人々は口々に、「変な祝言だったなぁ」とぼやいていた。
「でも、都の品のお裾分けにありつけたのは良かった」という文言も、最後に言い添えられて、人伝いに話が広められていた。
祝言を挙げた当人としては、実に気分が悪い風評だ。
(無理を押して執り行ったのが間違いだった)
あの日以来、平馬は苦い思いを抱えながら日々を過ごしている。重い気分をどうにかしたくて、毎日気晴らしに外出しているが、心が晴れる兆しはない。
今日も出掛けようとしたのだが、運悪くトキ子に見つかってしまった。
「平馬さん、お出かけになるのですか?」
「……あぁ」
「ではこの羽織をお召しになってください」
トキ子が持ち出したのは、ハイカラな柄の青い羽織だ。いつぞやの竜胆紫紺が身にまとっていた青い着物と、ハイカラな羽織を彷彿とさせる。
「あと、耳飾りも忘れないで。この前差し上げたでしょう? あと、青いお化粧も」
「僕は耳飾りなどしないし、化粧だってしない……」
「どうして? 綺麗でいいじゃないですか。あぁ、そうだ。これも差し上げます。匂い袋です。甘い香りが素敵でしょう?」
「……っ」
トキ子が差し出した匂い袋からは、うんざりするくらい甘い香りが漂っている。これも竜胆紫紺を思わせる香りだ。祝言の日に、奴がまとっていた香りと似ていて吐き気がしてきた。
「もういい加減にしてくれよ! 君は誰を見ているんだ! 僕の嫁のくせに……!」
辛抱ならずに、つい声を荒らげてしまった。
あれから少し経ったが、トキ子はいよいよ心の安定を失ってしまったみたいだ。平馬を紫紺に寄せようとしたり、もらった都の品をぼうっと見つめて一日を終えたりしている。
怒鳴りつけると、トキ子は廊下の床に這いつくばって泣きはじめた。
「だって……だって……っ。紫紺様だけは、わたしに優しくしてくれたんだもの! 倒れたわたしを優しく抱きかかえてくださった……! どうしてあの人が志乃ちゃんの旦那さんなの!? どうしてあの女はあんなに良い家に……! わたしはこんな家で、こんな目に遭ってるのに……! どうしてよ……交換してよ……平馬さんが紫紺様になってよ……っ」
「何度馬鹿なことを言えば気が済むんだ! まったく、どいつもこいつも……!」
足元に縋りついて泣き喚くトキ子を振り払い、そのままドカドカと玄関を出た。
隣村――実家のある町場まで歩いていき、店で酒を引っかけた。
最近、いつもこういう一日を送っている。家を抜け出して、酒と私娼に慰めをもらって、町場をぶらぶらと歩いて夜まで時間を潰すのだ。
親や兄たちは、宴席での竜胆夫妻の雰囲気に感化されたようで、明け透けに比較してきて耐えがたい。「破談にしたのはお前の方だが、志乃さんもお前を見限っていたんじゃないか?」と皮肉を言われる始末。
実家にも居場所がなくなり、豊原の家にも帰りたくない……。完全に手詰まりの状態だ。
今日はどこで時間を潰そうか、と考えて、何の気なしに社へと足を向けていた。
集落の外れにある、林の中の小さな社。ここで志乃と揉めたことで、すべてを滅茶苦茶にされたのだ。
「あいつのせいで、僕の人生が手詰まりになったんだ。……神様、あの女を手酷く罰してください」
鈴を鳴らして手を叩き、愚痴めいた願いを口にした。
志乃はもう竜胆家の人間で、自分にはどうにもできないことを、あの祝言の日に突き付けられた。自分で手出しできないならば、もはや神頼みするしかない。
そんな思いで、今までにないほど熱心に願っていると、ふいに社の脇の方から声がかかった。
「神に呪いを乞うとは、罰当たりだねぇ。気に入ったよ」
目を向けると、社の濡れ縁に一人の老婆が座っていた。
修験者を思わせる身なりをしているが、首からは不気味な面をいくつも吊り下げていて、異様な雰囲気だ。ヒヒッという笑い声も、妖怪みたいで気味が悪い。
(変な婆さんだな……)
無視して去ろうかと思ったのだが、思いがけず、興味を引かれる話題を投げかけられて、立ち止まってしまった。
「この社の神は女好きだから、男の願いは叶えちゃくれないよ。代わりにあたしが、あんたの願いの手伝いをしてやろう。あたしは少しばかり呪術に詳しくてね。人を呪すのは得意だよ」
「ほう、呪術師か。胡散臭いが、良い方法があれば聞いておこう」
「先に金を寄越しな」
金を取るのか、と言い返しそうになったが、呑み込んだ。
別に呪術など信じていないが、時間つぶしに話を聞くにはちょうどいい。村外からの流れ者の話は、存外おもしろいのだ。
いくらか金を渡すと、呪術師は語り始めた。
「藁で人型を作って、胴の中に呪いたい相手が身に着けている物を入れるんだ。それを道に埋めて、往来の人々に踏ませるといい。踏まれれば踏まれるほど、藁人形は呪いを蓄えて、そのうち相手を取り殺すだろうさ」
思っていたより手軽な呪術で、拍子抜けしてしまった。もっと難しい呪文やら、血肉やらを使うまじないを想像していたのに。
「意外と簡単そうだな」
「ヒヒッ、そうだろう。けれど、呪術を返されないように用心しな。呪いが成就すれば相手が死ぬが、失敗すれば術者の方が死ぬからね」
「ふーん、博打みたいだな」
上手くいけば憎い相手を殺せて、失敗すれば自分が死ぬ。究極の博打というわけだ。
面白いまじないだな、と思って感心はしたけれど、平馬はまったく信じてはいない。こんな単純な呪術で、人の生死が左右されるわけがないのだから。
続く呪術師の説明は、話半分に聞いていた。
「無事に成就したならば、褒美として酒をかけてやること。その後、燃やしておしまいだ」
「なるほどな。まぁ、気が向いたらやってみるよ」
「ご武運を」
平馬はさっさと老婆との会話を切り上げて、踵を返した。
(信じちゃいないが、憂さ晴らしにはちょうどいいかもな)
林の道をたどりながら、呪術の方法を思い返す。
こういうものは結局、自己満足の憂さ晴らしでしかない、ということは百も承知。けれど、たとえ気休めであったとしても、気分が軽くなるのならば有益なまじないだとも思う。
毎日、志乃を妬んで感情を滅茶苦茶にしているトキ子にも、ちょうどいいのではないか――。
そう考えた平馬は、いつもより早い時間だが、豊原家に戻ることにした。
家に帰ると、トキ子は弥次郎の側についていた。枕元に座って、ぼんやりと放心している。
「……ただいま。さっきは怒鳴って悪かった」
声をかけると、トキ子はハッと我に返った。
「平馬さん……わたしこそ、ごめんなさい。いつもあなたの前で取り乱してしまって」
「仕方ないよ、こんな状況だし」
「それもこれも、志乃ちゃんのせいだわ……あの女のせいで、わたしたちは……っ」
またトキ子は感情を荒らげそうになったが、その前に話題をすり替えた。
「そのことなんだけど、さっきちょっと面白い話を聞いたんだ」
「……面白い話?」
「あぁ。流れ者に呪術を教えてもらったんだけど、簡単そうだから二人でやってみないかい? 薄情者の志乃を呪ってやろうじゃないか。なんてね」
ここ最近、笑った記憶がなかったが、自然と悪戯めいた笑顔がでてきた。つられてトキ子も苦笑をこぼす。
「ふふ、平馬さんったら、そんな子供みたいな顔をして。どんなおまじないなの?」
「藁人形を埋めるといいらしくて――」
説明しているうちに、平馬もトキ子も調子づいてきた。久しぶりに二人で気安い会話をした気がする。
「――それで、志乃さんの身に着けてた物が必要なんだけど」
「それなら簪があるわ。あの人が忘れていったのが一つ。待ってて」
「僕は藁を持ってくるよ」
トキ子は簪を探しに行き、平馬は外から稲藁を取ってきた。
手のひらより少し大きいくらいの藁人形を作り、志乃の簪を胴体部分に入れ込んだ。
「後は埋めるだけだな。どこにする?」
「町場通りはどうかしら。一番賑わってる場所がいいんじゃない? たくさんの人が踏みつけるように」
「じゃあ夜中に埋めてくるよ」
「わたしも一緒に行くわ」
夜が深まるのを待って、二人は密やかに呪物を埋めに出掛けた。
丑三つ時。人通りも明かりもない畑道を二人で歩き、隣村の町場へ向かう。
月明かりだけを頼りにして、一番人通りが多い往来までやってきた。
「このあたりがいいんじゃないか? ここ、ちょうど土が凹んでるし、掘りやすそうだ」
大通りの道の真ん中に凹んだ部分を見つけた。平馬は持ってきた鋤を使い、凹みを広げる形で穴を掘りだした。
が、深いところに何かが埋まっていることに気が付き、手を止めた。
「何だこれ?」
「え? やだ……藁人形じゃない?」
「よくもまぁ、こんなに大きい物を。僕らの三倍くらいありそうだな」
道の下に埋まっていたのは、自分たちが作った物と同じような藁人形だった。朽ちてはいるが、かなり大きくてしっかりと作り込まれている。これを仕込んだ人は、何か相当な恨みを抱えていたに違いない。
「一緒に埋めてしまおうか。先人の呪いにあやかれるかも」
別の場所を掘り直すのも面倒なので、自分たちの呪物も一緒に埋めてしまうことにした。呪物と呪物が合わされば、より強い呪いになるんじゃないか、という期待も込めて。
「おまじないが効きますように」
ひそめた声で祈りながら、土を戻して二人で踏み固めた。
「さぁ、帰ろうか」
「えぇ」
こうして夜中にひっそりと悪戯をするのは、なんだか妙に気分が高揚する。ちょっとした悪事を二人だけで共有している、という緊張感も、刺激的で楽しく感じた。
最近はぶつかってばかりでちぐはぐな二人だったが、気持ちを一つにする良い機会になった。思っていた以上に、有益な気晴らしになったと思う。
(良いまじないだったな。金を払った価値があった)
この夜、平馬とトキ子は久しぶりに手を繋いで帰った。
安易に呪術に手を染めたことを後悔することになるとは、思いもせずに。実にのん気に帰途に就いたのだった。




