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20 トキ子と平馬の祝言(後)


 新郎新婦に挨拶を済ませると、紫紺と志乃は座敷の端へと身を引いた。


(トキ子も平馬様も、ずいぶんと痩せてしまって……)


 久しぶりに見た二人の姿は変わりきっていて驚いた。


 以前のトキ子は子供っぽさがあり、年齢より若々しい印象の娘だったのに、今では頬がこけて、志乃よりも歳が高く見える容姿をしていた。

 洒落者を気取って調子づいていた平馬も、どこか自信なげに肩を垂らしている。

 

 弥次郎が倒れたという知らせは、ついこの間知ったばかりだが、恐らく相当な苦労があったのだろう。

 志乃も父親の世話を一人で担ってきたから、大変さはよくわかる。同情もする。


 けれど、そこに(ほだ)されることはない。豊原家とはもう、袂を分かつと決めたのだから。


(豊原家の問題は、豊原家が解決すべきこと。わたしは竜胆(りんどう)家に身を尽くしましょう。今日はそのために来たのだから)


 傍らに目を向けると、紫紺は未だ美しい微笑を保っていた。


 この日のために練習を重ねてきた成果が出ている。志乃から見たら、少々ぎこちない作り笑いなのだが……宴席の人々は上手く魅了されてくれたみたいだ。ひとまず、掴みは上々といった様子。


(紫紺様、その調子です。ここからはわたしが)


 志乃は近くに座っている人たちと、改めて挨拶を交わした。


「皆様、ご無沙汰しておりました。色々と都合がつかず、この場でのご報告となってしまい恐れ入りますが、実はわたしも結婚いたしまして」

「驚いたよ! まさか竜胆家に嫁いでたなんて」

「父が他界してすぐでしたので、報告を控えていたのです」


 本当は色々な事情――弥次郎の暴行や、霊力の目覚め、豊原家との絶縁など――が重なって、村への報告の段取りが滅茶苦茶になってしまっただけなのだけれど。会話を穏便に進めるために、喪中を言い訳にしておいた。


 けれど、割って入ってきた大声によって、志乃の思惑は台無しにされた。


「嘘つき。報告を控えていた、ですって? 皆に報告できない、卑しい家に嫁がされたから黙ってただけでしょう?」


 良く通る高い声が座敷に響いた。

 トキ子は空気を壊すことも(いと)わずに、ついに悪評を話題に上らせた。


「まぁ、無理もないわね。竜胆家は亡骸を集める鬼屋敷だって噂ですものね。表立って祝言を挙げられるはずもないわ。お可哀想に。代わりに、此度のわたしの祝言を楽しんでいってくださいね」


 トキ子の言葉を聞いて、皆は思い出したように気まずそうな顔をした。


 場の空気が変わったことで、紫紺も笑みを消しかけた――が、志乃は紫紺の膝を突いて、「大丈夫です」と、視線で伝えた。


 深呼吸をして気持ちを落ち着けてから、志乃はあえて、なんてことない風に会話を繋げた。


「お気遣いありがとうございます。ですが、実は祝言は都の方で挙げたのです。竜胆家のご親類がそちらにおりましたので」

「……は? 都で?」

「はい。家婚ではなく、洋館をお借りして執り行う形で」

「洋、館……」


 想定していなかった答えが返ってきたからか、トキ子は口を開けたまま固まった。


 座敷の人々は好奇心に負けたようで、顔色をうかがいながらも会話に加わってきた。


「洋館って、どういう建物なんだい? 想像もできねぇや」

「都で祝言なんてハイカラですねぇ」

「やっぱり、村の祝言とはやり方が違うの?」


 鬼屋敷当主の雰囲気が、想像と違って柔らかく好印象だったことが、人々の警戒心を解いたらしい。口々に話題を投げかけられた。


 近頃は都の文化が農村部にも流れてくるようになり、日々、村人たちは興味を引かれている。「何かハイカラな面白い話が聞けそうだ」と踏んだのか、皆は鬼屋敷への忌避を脇に置き、話に興じることを選んだようだ。


 事前に打ち合わせていた通り、紫紺には上品な微笑を浮かべておいてもらって、志乃が話に応じた。


「洋館は石造りで、床には絨毯という敷物が敷き詰められていました。窓にはガラス板がはめられているので、とても明るい建物でしたよ。祝言ではお色直しにドレスなる洋装を体験させていただいて――」

「ドレス!? 雑誌で見たことがあるわ」

「すごいな……竜胆家は資産家だって噂を聞いてはいたが、本当なのかい?」


 女たちはドレスに盛り上がり、男たちは噂の真相を明かそうと探りを入れてきた。

 そんな中、一人、ひねくれた態度をむき出しにしているトキ子も詰め寄ってきた。


「ふーん……。都では派手なことをしているのに、どうして村ではこそこそしているのよ。実は全部嘘なんじゃないの? まぁ、たとえ裕福なお家であったとしても、陰で(しかばね)を集める趣味があるのはねぇ……? 気持ち悪いわ……。皆さんもそう思いませんか?」


 トキ子がわざとらしく怖がりながら周囲を見回すと、「それは、まぁそうだが……」と、どよめきが起こった。


 けれど、それを制したのは紫紺の一声だった。


「屍集めは仕事の一環です。竜胆家は医術に関わる家なので、研究のために遺体が必要でして」


 紫紺は素知らぬ顔をして、大嘘を言ってのけた。


 これも事前に打ち合わせていたことだ。亡骸の件を問われたら、医家だと言い張って切り抜けよう、と。狐葉も交えて考えた、悪評払拭のための苦肉の策である。

 

(……嘘も方便と言いますし)


 背中に冷や汗を流しながらも、志乃は作り笑いを続けた。


「竜胆家が鬼屋敷と呼ばれるのも無理はないですよね。わたしも嫁ぐまでは恐ろしく思っていましたし」

「長きにわたって、近隣の皆様を怖がらせてしまったことをお詫び申し上げます。遺体は丁重に神の元へ送っておりますので、ご安心ください」


 紫紺は「神の元へ送っている」と言ったが、この部分だけは真実である。


 皆は曖昧な反応ながらも、大方納得した様子だった。「医家だから金持ちなのか」とか、「都の医学者だから、忙しくて村の寄合にも顔を出せなかったのか」とか、独自に解釈し始めている。


 さらにもう一押し、持参品をお披露目して、お茶を濁しておく。


「これまでのお詫びと、今日のお祝いとして、都の品をいくつか持参いたしました」


 二人は手荷物の風呂敷包みを解いて、畳の上に広げた。輸入品のハンカチーフ、外国の香料を混ぜた練香油、などなど。

 品々をこの場にいる皆に配り、新郎新婦にも贈り物を渡した。


 物珍しい土産品に、皆は大盛り上がりだ。そんな中、トキ子とシズ、そして平馬だけが、複雑な面持ちをしていた。


「……こんな……こんな素敵な品……」


 都の品々とやらは、どれも文句のつけようがないほど素敵で、トキ子は心が折れる心地がした。「嘘だ、全部嘘なのだ」と、言い聞かせようにも、事情を説明されて、現物をこれほど見せつけられてしまったら、もう認めざるを得ないじゃないか……。


――志乃は良い家に嫁いで、幸せに暮らしているのだ、と――……。


 卑しい鬼屋敷、という悪名に縋りたかったのに……。財のある医家で、当主は優しい笑顔の美丈夫で。妻は幸せそうで――。

 もはや竜胆夫婦には、一分の隙もない。なんのケチもつけられない。誰か、自分より下の奴を貶していないと心を保てないのに、矛先を失ってしまった……。


 ショールなる羽織物を受け取り、トキ子は手のひらで撫ぜた。とても柔らかくて、滑らかで……触れているうちに、なぜだか涙が溢れてきた。


(なんで……どうしてよ……。志乃ちゃんばかり……素敵な暮らしをして……っ。わたしはこんなに惨めな毎日を送っているのに……っ!)


 悔しさと、虚しさと、羨ましさと、妬ましさが入り混じった、滅茶苦茶な感情の涙だ。

 

 その涙に目を向ける人は、誰もいない。

 シズと平馬は高価な土産物を前にして唖然としているし、竜胆夫婦は帰り支度を始めていた。トキ子は一人、自分の胸の奥が潰れていく心地を感じていた……。



 土産物を配り終えた志乃は、紫紺の顔色をうかがって苦笑を浮かべる。


(紫紺様、お顔が引きつってきているわ)


 頑張って作り笑いを続けてくれていたが、そろそろ限界のようだ。冷ややかな真顔――普段の顔を晒す前に、お暇した方がいい。そう判断して、帰り支度を急いだ。


「それでは皆様、早いのですが、わたしたちは失礼いたします。この後用事がありますので、すみません」


 そそくさと挨拶をして、紫紺と共に立ち上がった。


 そのまま踵を返してしまえばよかったのだが……思いがけず、トキ子がこちらに向かって歩いてきたので、足を止めてしまった。


「ねぇ……志乃ちゃん」


 トキ子はふらふらとした覚束ない足取りで近づいてくる。顔には涙が伝っていて、目元の化粧と白粉(おしろい)が酷く崩れていた。

 志乃にしがみつこうとしているのか、両手を前に突き出して歩いてくる。崩れた化粧も相まって、その姿はまるで妖怪だ。


 呆然自失の面持ちで、トキ子はぶつぶつと詰め寄ってきた。


「交換、してよ……もう一度。本当は……平馬さんとは、志乃ちゃんが結婚するはずだったじゃない……。交換して……。豊原家も、返してあげるから……ねぇ……お願いよ……っ」

「トキ子!?」


 しがみつかれる前に紫紺が割って入り、志乃を背に庇った。トキ子は紫紺に掴みかかる形になったが、その瞬間に足をもつれさせて倒れてしまった。

 

 咄嗟に紫紺が抱えたことで事なきを得たが、花嫁が倒れる事態に場は騒然とした。シズが悲鳴を上げて駆け寄ってきた。


「トキ子!? どうしたの!? と、とりあえず、奥の部屋へ!」

「お運びします。志乃様、少しお待ちください」

「はい」


 トキ子を抱えたまま立ち上がり、紫紺はシズに引っ張られて奥の座敷へと歩いていった。


 後ろの方では平馬が立ち尽くしている。彼も動揺を隠せていない様子だ。

 花嫁が他の男に抱えられていってしまい、花婿の立場がないのでは……と心配したが、彼は別の事情で焦っていたようだ。


 目が合うや否や、平馬は志乃に駆け寄り、強引に手を引っ張って座敷を出た。


「ちょっと……! 何ですか!?」

「悪い。話すなら今しかないと思って」


 人のいない廊下の奥まで連れてこられて、平馬が前に立ちふさがった。彼は押し殺したような、苦し気な声音で話し始めた。


「志乃さん、豊原家に戻ってこないか」

「は……? 急に何ですか?」

「さっきのトキ子ちゃんの様子を見ただろう? あの()はもう駄目だ。豊原家にはもっとしっかりした女が必要なんだ。君みたいな」

「何を言ってるんです……?」


 平馬は鬼気迫る顔をしているが、志乃はただただ困惑した。


「独り身ならともかく、わたしは既婚者ですよ。何をおかしなことを……」

「意固地になるなよ。これは君の事を思っての提案でもあるんだ。君は僕に振られたから、やけを起こして適当に輿入れしたんだろう? 本当は生まれ育った豊原の家で暮らしたいんじゃないのかい? 僕と婚約していた頃は、あれだけ家に固執してたじゃないか」


 確かに、以前は豊原家が大切だった。この家を、自分が守っていくのだと心に決めていた。けれど、すべてを奪ったのはあなたたちではないか。


 喉元まで出かかった言葉を呑み込んだ。今の平馬はどう見ても平常心を失っている。変に言い返して刺激してしまうのが怖かった。


 志乃が押し黙ったのを良いことに、平馬の物言いは勢いを増した。


「資産家だかなんだか知らないけど、君は贅沢暮らしなんて、柄じゃないだろ。離縁してうちに戻ってきなさい。弥次郎さんがああなった今、入り婿の僕が豊原家の主だ。君を迎え入れるから、真剣に考えてくれ」

「……弥次郎叔父さんの病状はそれほど悪いのですか? トキ子も平馬さんも、ご乱心してしまうほどに」

「弥次郎さんはもう寝たきりで、話もできない状態だ。だから、君にもお世話を任せたいんだよ。トキ子ちゃんもシズさんも、もう限界なんだ。本音を言うと、こんな状態の家を僕が一人で背負うのは厳しい……。家の金だって、もう……」


 平馬は深くため息をつくと、志乃に向かって手を伸ばした。


「わかっただろう? 豊原家には……僕には、君の力が必要なんだ。うちに戻ってこい。僕はもう君に対して怒っていないから。全部水に流してやるからさ」


 志乃は自分の体が戦慄くのを感じた。ふつふつと込み上げてきた怒りは、もう呑み込むことができなかった。


「どれだけ……どれだけ勝手なことを言えば気が済むのですか。わたしを切り捨てて、結婚相手を挿げ替えておいて。わたしの大切なものを、全部奪っておいて……っ。今更、弱音を吐くなど……!」

「相手を変えたのは悪かったとは思ってる……! でも、そもそものきっかけは君だろ! ちょっと抱きしめたくらいで馬鹿みたいに暴れて」

「ちょっとなものですか! 手籠(てご)めにしようとしたくせに……!」

「別に減るものじゃないだろ! あぁ、もう! 君があの時拒みさえしなければ、今頃こうはなっていなかったのにな……! 何もかも、君が発端じゃないか! 責任取れよっ!!」


 頭に血をのぼらせた平馬は、声を荒らげて恫喝してきた。力任せに腕を掴まれた志乃は悲鳴を上げた。


「痛い……っ! やめてください! 誰か……っ」


 喉が震えて大きな声は出なかった。


 ――が、その直後。

 突然、平馬の体が真横に吹っ飛んだ。


 紫紺が駆けつけて、平馬を引き剥がしてくれたようだ。彼は平馬の頭を鷲掴みにし、横の壁に思い切り叩きつけていた。


 よろめいた平馬の首を片手で締め上げて、紫紺は恐ろしいまでに冷たい目で見据えた。


「私の妻に何をしたって? 手籠めに、と、聞こえましたが。もう一度、お聞かせいただけますか」

「……ぐ……っ」


 空気を求めて口をはくはくさせる平馬は、次第に泡を吹いて白目をむき始めた。絞め上げる力を弛めることなく、紫紺はその様をただただ、冷ややかに見下ろしている。


 志乃の目には、紫紺の体からどろりとした黒い霊気が放たれているのが見えた。鳥肌が立つような、冷酷な神通力。その力をもって、紫紺は平馬の首を絞めている。


(いけない、殺してしまう……!)


 志乃は慌てふためいて、彼の着物に縋りついて止めた。


「紫紺様、おやめください! 死んでしまいます……!」

「かまいません」

「っ……! 竜胆家はもう人を殺めないのでしょう? 約束したではありませんか!」

「……」


 紫紺は霊力をみなぎらせた手を弛めた。

 ずるり、と壁伝いに平馬が崩れ落ちて廊下に転がったが、かろうじて息はあるみたいだ。


 床に這いつくばって、苦しそうに呼吸する平馬を一瞥(いちべつ)し、紫紺は踵を返した。志乃も紫紺を追って歩き出す。


 去り際に平馬に伝えておいた。


「わたしはもう竜胆家の人間です。わたしは、わたしの主人に従います。他人でしかないあなたの命令ではなく。……最後に蔵にだけ、寄らせていただきますね」


 返事はなかったが、父母の形見は持ち帰らせてもらう。





 玄関を出て蔵の方へと向かう最中、紫紺は志乃の方を見ようとしなかった。

 

 いつもの無表情ではあるが、志乃には明確に、怒りの感情が読み取れた。彼が怒りを露わにするのは初めてだ。


 蔵の前に来た時、ようやく視線が交わった。

 いつもより低い声で、紫紺が問いかけてきた。


「志乃様と平馬様はどういうご関係なのですか。彼はトキ子様のお相手ではないのか」

「彼は……実は、元々わたしの縁談相手だったのです。婚約をしていたのですが、破談となり……」

「先ほどの口論の内容が、そのきっかけであると?」

「……はい。(やしろ)の裏で肌を暴かれそうになって、わたしが平馬様を突き飛ばしたのです」


 細められた紫紺の目は、刃物みたいに鋭くて恐ろしい。視線から逃げるように、志乃は深く(こうべ)を垂れた。


「事には至らずに済みましたが、手籠めにされかけたことは事実です。こんな傷物の女を掴まされて、紫紺様がお怒りになるのもわかります……。これまで黙っていて、大変申し訳ございませんでした」


 見知らぬ男の手垢がついた女だったと知って、呆れられたに違いない……。

 そう思って謝罪したのだが、紫紺に両肩を掴まれて、上を向かされた。


「違います。そういうことを問い詰めているわけではない。……私も、どうしてこんなに胸がざわついているのかわからない……この気持ちは何なのでしょう。志乃様ではなく……とにかくあの男に腹が立って仕方ないのです。殺してやりたいくらいに」


 紫紺はおもむろに両腕を広げて、志乃を腕の中に閉じ込めた。身動きもできないほどに抱きすくめて、志乃の耳元でぼそりと呟く。


「本当に腹が立つ。……志乃様は私の妻なのに。あんな小男などに……。……どうしてこんな心地になるのでしょう」

「も……もしかして、嫉妬? でしょうか……?」

「そうか。これが嫉妬というものか。実に嫌な心地だ」


 そう言いながら、紫紺は抱きすくめる腕にさらに力を込めた。


「こうしていると少し気持ちが和らぎます。しばらくこのままでいてよいか」

「……はい……」


 もはや少しの身じろぎも許されず、されるがまま、胸元にへばりついて潰されるしかない。


 今、自分の顔はきっと、紫蘇漬け梅干しみたいに真っ赤に染まっているのだろうな、なんて、変なことを考えてしまった。

  


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