19 トキ子と平馬の祝言(前)
秋も深まり、山々が紅葉の盛りを越えようかという頃。豊原家はトキ子と平馬の祝言の日を迎えた。
朝一番から慌ただしく準備が始まり、使用人たちは既に疲労を露わにしている。ひと際、疲れた面持ちをしているのは、トキ子の身支度の手伝いをしている女中たちだった。
「下手くそ! 何なの、この野暮ったい化粧は!」
「申し訳ございません……」
「もうわたしが自分でやった方がいいわ! どいて!」
トキ子の化粧を仕上げようとしていた女中たちは座敷を追い出されて、廊下でひそひそと陰口を吐いた。
「まったく、好き放題言ってくれちゃって」
「あんなやつれきった顔、化粧じゃどうにもならないわよね」
女中たちは唇を尖らせて奥へと下がっていく。
トキ子は自ら鏡に向き合って、白粉を塗り始めた。
「こんなことならちゃんと髪結いを雇えばよかったわ! 今日のわたしは一番綺麗でないといけないのに……!」
白粉を何重にも塗り重ねて、ようやく目元のクマが消えた。こけた頬を誤魔化すために頬紅をこれでもかと叩き、ひび割れた唇は紅を濃く引くことで隠す。
やつれた素顔は、まるで面をつけたかのように化粧で覆われた。トキ子は満足して、部屋の端で着物の準備をしている女中たちに笑顔を向けた。
「どうかしら?」
「ええと、先ほどより派手……華やかで、際立つお顔になられましたね。薄暗闇の宴席でも目立つかと……」
「ふふ、ありがとう」
女中たちは皆、「割れてしまいそうな厚化粧だわ」と感じていたが、直接的に伝えることはしなかった。言葉に込められた遠回しの皮肉は、トキ子には伝わっていない。
化粧を終えたトキ子は、続けて着物の支度へと移る。
白無垢に袖を通し、帯を固く締めあげて羽織を身にまとった。
着付けを終えて姿見の前に立ち、自分の姿を確認する。
「まぁ、なんて素敵な花嫁姿。きっと村一番だわ」
豪華絢爛な花嫁姿に、自分でうっとりとしてしまった。
あつらえた上等な白無垢は、地主家の娘という、自分の身分に相応しい高貴な輝きを放っている。
高く結い上げた髷には金や珊瑚の髪飾りをこれでもかとつけて、綿帽子を被ってもしっかりと見えるようにしてある。
(平馬さんもきっと見惚れてくださるわ。あと、おいでになった皆さんも)
あぁ、皆の前に出るのが楽しみだ――。
そんなことを考えながら、色々と慌ただしくしているうちに、気が付けば儀式の幕開けの時間を迎えていた。
日が傾き始めた夕方、身支度を整えた平馬が豊原家に来た。いよいよの婿入りである。
山畠家の親族と、仲人の義三も連れている。祝い事だというのに、皆、どことなく控えめな面持ちをしていた。
弥次郎があんなことになってからの祝言だからと、気を遣っているのだろう。トキ子はそう判断した。「相手を挿げ替えた結婚だから、いまいち祝い切れない」という山畠家親類側の心情など、頭には上らなかった。
平馬は身内の空気感に萎縮しながらも玄関に上がり、トキ子が出迎えた。
「平馬さん、ようこそいらっしゃいました」
「あぁ。これから、どうぞよろしくお願いします」
形式的な挨拶は軽く済まされ、平馬はトキ子の姿を上から下まで見回した。
「打ち合わせより、ずいぶんと派手な気がするけど……衣装にいくら注ぎ込んだんだい」
「さぁ? 覚えてないわ。勘定はお母さんに任せてたから。まぁ、人生に一度きりのお祝い事なんだから、いいでしょう?」
「あ、あぁ……」
トキ子が微笑むと、白粉で固められた目元にヒビが入った。平馬はそれ以上の言葉を吞み込んで、トキ子と並んで歩きだす。
新郎新婦を先頭にして、シズと平馬の親族が後に続き、皆でぞろぞろと座敷へ移動した。
もちろん、弥次郎は列に加わっていない。あれからずっと身じろぎも取れないまま、ただただ布団に横たわっている。今日が祝言だということも、わかっているのか、いないのか、定かではない病状である。
夫婦固めの儀式を執り行う座敷に入り、二人は正面奥――床の間の前に並べられた座布団席へと向かう。
列席者は中央を向く形で一列に座していて、トキ子は一人一人の顔を確認しながら、ゆっくりと歩んでいった。
豊原家は親類が少ないのだが、わずかにいる母方の縁者が、近隣の村々から来てくれたみたいだ。
あとはほとんど山畠家の縁者が席を埋めている。その他に、村のお偉方も数人。
「……志乃お姉ちゃんがいないじゃない」
列席者の確認をし終わって、トキ子は眉をひそめた。
「え? おかしいな。列席するって、確かに返事をもらったのに。もしかして明日来るつもりなんじゃないか?」
「明日……? 何よそれ。初日をすっぽかすなんて、ありえないわ……!」
共に暮らしていた従姉妹、という近い間柄の癖に、初日の儀式を欠席して、明日の宴席にだけ顔を出すというのか。あまりにも非常識だ。
「都合が合わなくなったのかもな。まぁ、明日来てくれればいいじゃないか」
「そういう問題じゃないのよ……っ」
小声で平馬に苛立ちをぶつけても、彼は用意された盃をぼんやりと見つめているだけだった。
やり場のない腹立たしさに、トキ子は奥歯を噛んだ。
(興覚めだわ……)
自分のこの花嫁姿を、幸せな姿を、一番見せつけてやりたかった相手が来ないなんて。
胸中をもやもやさせている間にも、儀式は進んでいく。
トキ子は平馬に続いて、御神酒が注がれた盃に口をつけた。
三々九度の夫婦固めを終えると、祝言は宴へと移っていく。
近親者での祝宴は夜通し行われ、翌朝を迎えた――。
初日の厳かな儀式を終えて、二日目の今日。朝から催されている宴席には近隣の人々も入り混じり、大変賑やかな雰囲気だ。
トキ子は白無垢から、鮮やかな色打掛へと着替え、主役の席に座している。
代わる代わる挨拶に訪れる人々の対応をしながらも、志乃が来るのを今か今かと待ちわびていた。
隣に座る平馬も、先ほどからチラチラと襖に目を向けている。トキ子以上に、志乃の来訪を気にしているように見えることが、トキ子の胸中をかき乱している。
(もう、早く来なさいよ。奥の部屋で、お母さんと一緒に説教してやるんだから)
昨日今日の苛立ちを……いや、ここ最近の苛立ちのすべてを、気兼ねなくぶつけてやろう。豊原家から逃げ、初日の儀式まですっぽかした非常識な志乃が悪いのだから、きつく当たったってこちらに非はない。
どう言い詰めてやろうか、と考えていると、ふいに座敷の端から変な声が上がった。「え……」とか、「あら……」という、息を呑む声が合わさって、騒然としだした。
「何だ?」
「……っ!」
平馬とトキ子も人々と同じ方を向き、同じように息を呑んだ。
開けられた襖から姿を現したのは、待ちわびていた相手。志乃と、そして、あろうことか、彼女の夫――竜胆家当主まで、並んで立っているではないか。
村々では馴染みのない男、それもひときわ目を引く大柄の美丈夫が現れたことで、人々は思わず感嘆の声を漏らしたようだ。
「どちら様だい?」
「村の外の人だろう」
「あれ? 隣にいるのは志乃ちゃんじゃない? ずいぶん雰囲気が変わったけど」
「えっ、結婚してたの!? 村の外に奉公に出たかと思ってたわ」
口々に囁かれる中、竜胆家当主は座敷の皆に向かって一礼をした。
「お初にお目にかかります。二つ隣の村端に屋敷を構えております、竜胆家が当主、紫紺と申します」
「妻の志乃でございます」
竜胆家と聞いて、座敷はざわめきに満たされた。
――悪名高い、あの竜胆家の人間が顔を出しただと――!?
と、部屋の中は驚愕の空気で満たされた。
が、紫紺がお辞儀から顔を上げた途端に、驚愕とは別の雰囲気の、感嘆の声が上がった。
紫紺は、言葉に尽くしがたい美麗な微笑みを浮かべていて、人々の目を釘付けにしたのだった。
柔らかく、慈愛に満ちた優しい微笑。――こんな顔で、妻まで連れて突然現れたものだから、皆、呆気に取られている。
人々は竜胆家の悪評を話題に上らせることすらも、すっかり忘れてしまった様子で、ぽかんとしていた。
加えて、二人の装いが少し風変わりだったことも、人々の意識を搔っ攫う要因になった。
紫紺は紋付袴、志乃は竜胆家の紋が入った黒留袖――と、着物は普通ではあるが、耳には二人で揃いの装飾品を着けている。房飾りが特徴的な耳飾りで、繊細な意匠が美しくて目を引く。
さらには二人とも、鮮やかな青い化粧を目元にほどこしていて、どこか神秘的な雰囲気を漂わせていた。
涼やかで、凛としていて、それでいて柔らかな笑みをたたえていて。天人の夫婦だと言われても納得できるような姿だ。
人々が見惚れて放心している間に、二人は正面奥の平馬とトキ子の前へと進む。
膝をついて、改めて挨拶をした。
「平馬様、トキ子様、この度はご結婚誠におめでとうございます」
「お二人の門出を心よりお祝い申し上げます」
お辞儀をする二人の所作も大変上品で、どこにも隙が見当たらない。「昨日来なかった嫌味の一つくらい、言ってやろうか」と考えていた平馬も、気圧されて言葉を呑んだ。
「ええと、ご列席いただきましてありがとうございます。……ほら、トキ子ちゃんも」
「……」
トキ子は二人を前にすると、身じろぎも忘れて呆然としてしまった。
(え……なんで……? なんで幸せそうに笑ってるの……? 忌まわしい鬼屋敷の夫婦なんて……不幸に決まってるのに……。なんで……わたしより…………)
以前に見た紫紺はこんな顔をしていなかった。整った顔立ちではあったが、感情が抜け落ちた人形みたいで、不気味な男だったじゃないか。それが、こんなに魅惑的な笑顔を見せるなんて……。
そんな美丈夫の隣で、幸せそうに微笑んでいる志乃……。
洒落た耳飾りをつけて、左手の指には、一際珍しい装飾品をつけている。金の輪に、白銀の光を放つ石がついている。これは指輪と呼ばれる海外の宝飾品だ。
雑誌の絵でしか見たことがない、これは――……。
「指のそれは……もしかして、金剛石……?」
トキ子は挨拶も忘れて、志乃の左手の指に輝く宝石に釘付けになった。
「えぇ。夫婦の契りのお品です」
言いよどむこともなく、志乃は平然と認めた。
金剛石なんて、民草にはお目にかかれない超高級品だ。それをこの女は事も無げに身に着けている……。
(きっと……きっと紛い物に違いない……きっとそう……偽物……)
トキ子の手が震えてきた。
嘘、嘘、全部嘘に決まっている。高級な指輪も、夫の笑顔も、志乃の幸せそうな雰囲気も。全部嘘だろう。きっと取り繕っているだけだ。
――そう自分に言い聞かせるも、胃がギュウと痛みだして堪らなかった。




