表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
18/26

18 豊原家からの手紙と歩み出し

 結婚式や紫紺の仕事など、都での用事が一段落ついた頃、二人は村へと帰ってきた。 

 

 志乃の指には結婚指輪なる装飾品が輝いている。この夫婦揃いの指輪を見ていると、改めて、気持ちが奮い立つ感じがした。

「自分は竜胆(りんどう)家当主の妻になったのだ。これから先、頑張っていかねば」と。


 まず一番になさねばならない事は、跡継ぎをもうけること。……今、志乃の頭を最も悩ませている事柄だ。

 それというのも、紫紺と寝室を共にしているというのに、今の今まで何もない、という状況なのである。

 

 最初のうちは、気を遣われているのだろう、と思っていたのだが、紫紺の生い立ちを知るうちに、そうではないのだと気が付いた。恐らく、人間とはほど遠い木神に育てられたことで、そういう事柄に淡泊になってしまったのだろうと思う。


(……と、いうことは。わたしの方から行動しないと、床入りもままならないってことでは?)


 志乃は庭の掃除をしながら、一筋の冷や汗を流した。


 客取りの遊女ではないのだから、さすがに直接的な誘いは(はばか)られる。しなだれかかるとか、色っぽい身のこなしでその気にさせるとか……そもそも、そういう技術は持ち合わせていない。


 落ち葉を掃きながら、どうしたものかと考えているところに、ちょうど紫紺が通りがかった。


(……紫紺様、この辺りの床入り問答はご存じかしら)


 床入り問答とは、夫婦が円滑に初夜を迎えられるように用意されている、形式的な会話文である。

 大雑把に言うと、夫が「木の実をもぎ取ってもよいか」と問いかけ、妻が「どうぞ」と答える――という会話を合図にして、夫婦は営みへと移るのだが……紫紺は知っているだろうか。


 この辺りの農村では梅の木が多く植わっていることから、「梅の実をもいでもいいか」という定型文が使われている。


 志乃は意を決して、遠回しに探りを入れてみることにした。


「あの~紫紺様、お庭に立派な梅の木がありますよね」

「はい、ありますね」

「実の収穫のご予定は」

「もう秋も深まっていますから、実はすべて落ちているのでは? 来年の夏には、また実るでしょうけれど。梅の実をお食べになりたいのですか? 梅干しなら土間の壺に――」

「いえ、ええと、そういう意味で伺ったのではなく……」

「では、どういう意味でしょう?」


 墓穴を掘ってしまったかもしれない……。志乃は口ごもって頭を抱えた。


 ひとまず誤魔化して掃除に戻ろう、と箒を握り直したのだが、距離を詰めてきた紫紺に前を塞がれてしまった。


 じっと見据えられた志乃は根負けして、意図を白状してしまった。


「すみません……。紫紺様が『梅の実問答』をご存じか確かめたくてお聞きしたのです」

「何でしょう、それは」

「……この辺りの村々の床入り作法です……『実をもいでもいいか?』と問いかけて合図するという……」

「あぁ、それなら知っています。以前、狐葉が話していました。私は『柿の実』と教わりましたが」

「ここらでは梅なんです…………」


 志乃は真っ赤な顔を両手で隠しながら、どうにか返事をひねり出した。恥をほじくられている気分だ……。


 けれど、これでよくわかった。紫紺は都の暮らしには通じているようだが、逆に、ここらの村の風習には明るくないみたいだ。竜胆家は近隣の村々から孤立していて、今まで交流もなかったからだろう。


(跡継ぎのことも大事だけど、孤立問題もどうにかしていった方がいいかも……)


 竜胆家はこれから先も村と都の二拠点を往復し、屋敷を運用していくそう。それならば、村の風習を知っておいても損はない。村人との不要な紛争を避けられるし、災害時など、助け合いが必要な場面でも利点がある。


 農村生まれ、農村育ち、生粋の地元民である志乃ならば、狐葉が見逃していた小さな物事でも教えられそうだ。


「梅の実……の、他にも色々と習わしがありますから、少しずつお教えしますね」


 未だに顔を赤くしている志乃のことを、紫紺はじっと見つめていた。


 居たたまれなくて顔を背けた時、ちょうど視線の先に式神の女中が立っていた。彼女は封書を手渡してきた。


「さっき平馬と名乗る男が訪ねてきまして、志乃様に文を届けてほしいと」

「平馬様が?」


 手紙を受け取ろうとしたが、紫紺の手に奪われる方が早かった。


「誰ですか、その男は」


 紫紺は切れ長の目を鋭く細めて、封書に書かれた送り主の名を見ていた。


「平馬様は豊原家の入り婿です。わたしの従姉妹、トキ子の婚約者で……」


 元々は自分の縁談相手だった人です、という紹介は呑み込んだ。紫紺の面持ちが冷たく見えて、少し怖かったので、余計なことは言わずにおいた。


「覚えていませんか? 豊原家を出る時に玄関先にいた、ハイカラなコートを着た方です」

「あぁ、あの時の」

「手紙を読んでもいいですか? きっと豊原家の用事だと思うのですが」

「……」


 紫紺は封書を手渡してきたが、視線を動かそうとしない。内容を気にかけているみたいなので、志乃はその場で読むことにした。


 手紙は季節の挨拶から始まり、豊原家の近況が簡潔に綴られていた。

 その内容に、志乃は驚きを隠せなかった。


(弥次郎叔父さんが倒れた……!? なんとまぁ……あんなに傍若無人で元気な人が)


 近況の出だしから衝撃的なことが書かれていたが、具体的な病状については「直接会って話したい」と、伏せられている。


 そういう不幸があったので、せめて明るい祝い事で家に活気付けをしたいとのことで、近々祝言を挙げる予定だとか。この手紙は招待状だそう。

 

 さらには、「家の蔵を整理したいので、その相談にも乗ってほしい」と書き添えてあった。

 婿入りして最初にすることが蔵の整理とは。もしかして、金目の物を売り飛ばそうとしているのだろうか。悪いことは考えたくないが、豊原家の財政事情を想像してしまう。


 手紙の最後は、「トキ子も僕も、志乃さんに会いたいと思っている。必ず列席してほしい」と締めくくられていた。

 

 手紙を読み終えて、志乃は頭を悩ませた。


「蔵には両親の形見が残っているかも……。でも、豊原家に上がるのは……」


 今回の祝言は、トキ子が婿を迎え入れるということで、豊原家で執り行われる家婚式になる。あの家にもう一度上がるのか、と考えると気が重い。豊原家とはもう、身も心も決別したので、深く関わりたくないのが本音である。


 けれど、蔵の事は気になる。家を出る時、蔵の奥までは荷分けをしなかったので、探せば父母の形見が残されている可能性が高い。


 考え込んでいると、紫紺が声をかけてきた。


「少しの時間だけ参列するというのはいかがです。私の父がそうしたように」

「そう、ですね。それがいいかもしれません。二日目の宴席にだけ顔を出してみようかしら……」


 この辺りの村々では、祝言は二日間に渡って執り行われる。初日は親族や村のお偉方のみで儀式を行い、そのまま夜通しで宴席が開かれる。翌日は近隣の人々も広く迎え入れる祝宴が催されるので、二日目に少し顔を出すという程度なら、深入りを避けられて良いかもしれない。


 近しい親族としてではなく、あくまで距離のある間柄として振舞おう――。そう決めると、少し気持ちが軽くなった。


 勢いづいた志乃はふと思い付き、紫紺に笑いかけた。


「もしよければ、夫婦で顔を出してみませんか」

「……私が、宴席に?」

「はい。この機会に、近隣の皆さんとのわだかまりをなくすのも良いかなと。結婚したことも広くお知らせできますし。新しい竜胆家の第一歩として、どうでしょう」


 紫紺は無表情ながらも迷っているみたいだった。

 しばらく口を閉ざしていたが、やがてぽつりぽつりと、気持ちを言葉にし始めた。


「私は人の輪に入ることが得意ではないし、竜胆家に悪評が立っていることも知っている。嫌われ者が参列すれば、祝いの場を壊すことになるだろう、から……何と言いますか……不安です」


 不安だ、と彼は感情を口にした。

 表情と声音は伴っていないが、こうも明確に気持ちを伝えてきたのは初めてだ。


 そのことが志乃にはとても喜ばしく感じられて、つい大きな声で返事をしてしまった。


「大丈夫です、わたしが何とかします! 皆さんとの交流はわたしが上手くやりますから、紫紺様は隣で微笑んでいてくださいませ」

「しかし……」

「竜胆家の噂についても、お茶を濁す良い案を考えておきますので。狐葉様にも知恵をお借りして」

「任せてもよいのか?」

「はい! 紫紺様は笑顔の練習だけ、お願いいたしますね」


 明快に言い切ると、紫紺は「ふっ」と小さく息を漏らして微笑んだ。


「頼もしいな」


(笑った……!)


 志乃は驚きのあまり目を見開いた。思わず紫紺の胸元を支えにして、つま先立ちで顔を覗き込んだ。


「紫紺様、今のお顔……! 今のお顔をしていれば、きっと皆の心を掴めるはずです!」

「今の顔? 私は今どんな顔をしていましたか?」


 今の微笑みは無意識だったらしく、彼は不思議そうに自分の頬に触れている。


「とても柔らかく笑っておられましたよ」

「そうすれば人の心が掴めると?」

「はい、間違いなく。笑顔は皆に好かれるための第一歩です」


 美麗な天人の微笑みを見て、魅了されない人はいないだろう。そう思って力強く頷くと、紫紺は何を思ったのか、志乃の頬を両手で包み込んで、真正面から顔を近づけてきた。


 そうして彼はもう一度、優しく微笑んで見せたのだった。


「志乃様は?」

「へ……?」

「志乃様はこの顔の私を好いてくださいますか?」


 微笑を浮かべて小首をかしげる紫紺はあまりに魅惑的で、目の毒に思えた。さながら、見てはいけない神のようだ。


 声を詰まらせながら、どうにか返事をした。


「……いえ、わたしは……別に、笑顔に限らずとも、無表情の紫紺様でも…………お慕いしております」


 言葉尻が小さくなってしまったが、彼の耳には届いたようだ。

 

「そうですか」と、一言返ってきただけで会話は終わってしまったが、紫紺はまだ志乃を見つめて微笑んでいた。



 この笑顔を狐葉にも見せてやらねば、と思っていたのだけれど。「頬が疲れた」と言って、すぐに真顔に戻ってしまったのが悔やまれる。

 祝宴までにしっかりと練習を重ねる必要がありそうだ。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ