16 結婚式
都に到着した当日は、丸一日、二人でゆったりと過ごすことができた。
翌日以降、紫紺は仕事や用事に忙しくて屋敷を空けがちだったため、志乃は狐葉と共に過ごしていた。
狐葉に教えを乞うて、低級霊の祓い方の基本などを教わり、有意義な時間を過ごすことができた。
他にも、紙を切り抜いて、式神の依り代用の人型作りを手伝ったり。簡単な呪符の描き方を教わったり。
あとは式神たちと一緒に家事に勤しんだりしていた。
そうして、目まぐるしくも充実した日々を送り、あっという間に二ヶ月ほどが経った頃。いよいよ祝言の日を迎えた。
本日の儀式は、竜胆家の伝手で借りたという、都の端の小さな迎賓館で執り行われる。
毛足の長い敷物――絨毯と呼ばれる物が敷かれた洋館の中を、白無垢姿の花嫁と、袴姿の花婿が歩いていく。
和の衣装と洋風の内装。和洋が入り混じっているけれど、不思議と調和している。
煌びやかな婚礼衣装を身にまとった二人を出迎えて、狐葉が早くも感涙していた。
「あぁ、紫紺様、ご立派になられて……! 志乃様も、なんとお美しいお姿……!」
紫紺は竜胆家の家紋が入った黒の羽織と、白から黒へと色が移り変わっていく美しい袴を身に着けている。一族の当主として相応しい、威厳ある紋付袴姿だ。
隣に寄り添う志乃は、白く輝く無垢仕立ての着物と、結い上げた髷に白い角隠しを着けている。角隠しからはべっ甲の簪が覗いていて、控えめながらも洗練された姿に仕上がっていた。
「さぁ、さぁ! お二人とも、こちらへ」
黒留袖の狐葉に促されて大広間へと移動する。神官と巫女――彼らも正体は妖狐だそう――の後に紫紺と志乃が続き、その後に親族として京紫と狐葉が続く。
京紫は屋敷の結界を出ると危うい状況なのだが、少しの時間だけ、という制限の中で無理を押して来てくれた。
皆でぞろぞろと列を作り、豪奢な扉をくぐり抜けて広間の中に入った。
すると、多くの列席者が歓声と共に迎えてくれた。
客はほとんどが狐葉の友人たちだそう。志乃はもちろんのこと、竜胆家も呼べるような客は少ないとのことで、狐葉が取り計らってくれたのだった。
神、妖怪、精霊、なんでもござれの異形たちだそうだが、皆、見た目は人間の形を取っているので、一見すると普通の客である。
広間の中央奥には祭壇があり、祭壇前の通路を挟んで向かい合わせになる形で、招待客が一列に座している。
彼らの前を歩いていき、志乃と紫紺はそれぞれ左右に分かれ、祭壇に一番近い椅子に座った。
志乃の隣に座った狐葉が耳元で囁く。
「神前式と人前式、それから洋風の結婚式も取り入れてみました。お楽しみくださいませね」
「ふふっ、贅沢をしてしまいますね。ありがとうございます」
式の段取りは狐葉に任せていたのだが、彼女は今時の流行などをすべて取り入れてくれたらしい。村での祝言となると、親族知人を集めて行う人前式一択なので、こうして色々な形式を一度に体験できるのは楽しみだ。
(紫紺様も楽しみに思われているかしら?)
何か、良い感情が湧き起こっていたらいいな、と思いながら彼を見た。
紫紺は祭壇前の通路を挟んで、ちょうど志乃の向かい側に座っている。今何を思っているのだろう、と視線を送ってみたが、相変わらずの無表情で感情は読み取れなかった。
紫紺の隣には京紫が座っている。他の親族はもう消えた……とのことで、彼だけが親族の席にいる。
「あら? 京紫様のお隣の席はどなたのお席でしょう。何か置いてありますけど」
ふと、京紫の隣の席が空いていることに気が付いた。一つ、小箱だけがぽつんと置かれている。
「あちらは紫紺様の一人目の乳母様です」
「えっ……! まさか箱の中に?」
「はい。紫紺様を乳飲み子の頃から、十五の歳くらいまでお育てになられた御方です。訳あって封じられておりますが」
椅子に置かれた小箱をよく見ると、カタカタと揺れている。「出せ、出せ……」という声こそ聞こえなかったが、なんだか怖くなり、志乃は目を逸らした。
ちょうど式の進行役の男が出てきて、朗らかな声を響かせた。
「皆様、本日は竜胆家がご当主紫紺様、志乃様の結婚式にお越しくださいまして、誠にありがとうございます――」
この進行役も正体は狐だそうだが、流暢に人の言葉を操って式を進めていく。
神官が新郎新婦、列席者たちの御祓いを済ませて、祝詞を奏上した。
「――では、新郎新婦はこちらへ」
案内に従って、志乃と紫紺は祭壇の前に進んだ。
三つの盃に注がれた酒を二人で交互に飲み交わす、誓杯の儀を行う。
巫女が御神酒を注ぎ、紫紺が飲み、続いて志乃が飲む。順番を入れ替えて三度繰り返し、最後に祭壇に礼をして儀式を終えた。
ここまでの流れは、志乃も見聞きしたことがあるので、緊張はあるけれど戸惑いはなく進められた。
問題はその次――。
「それでは、新郎紫紺様から新婦志乃様へ、指輪をお贈りいただきましょう」
指輪交換――。これは志乃が知らなかった異国の文化だ。初めての儀式に、初めて触れる装飾品。「上手くやらないと……!」と、緊張感が高まっていく。
司会役の案内と共に指輪の小箱が届けられた。紫紺が指輪を取り出して、志乃の左手の薬指にそっとはめた。
(これが指輪……なんと綺麗な。こんな装飾品、雑誌でも見たことがなかったわ)
志乃はまじまじと見入り、感心してしまった。
こういう、指にはめる装飾品は、村の方ではまだ出回っていない。流行に敏感な平馬やトキ子なら知っているかもしれないが、志乃は今回初めて、指輪なる物を知ったのだった。
事前に指の太さを測定してあったため、ぴったりとはまった。「当日、もし入らなかったらどうしよう」と心配していたので、ひとまずほっとした。
金の輪に一粒の石があしらわれている。複雑な加工で光を反射しているこの石は、きっと宝石だ。
「これは宝石……? ですよね?」
「輸入の金剛石です。向こうの言葉では、ダイヤモンド、と」
「光が閉じ込められているみたいです。本当に綺麗……生涯、大切にします」
続いて志乃も小箱から指輪を取り出し、紫紺の薬指にはめた。お揃いの指輪だ。
手元から視線を移し、二人は正面から見つめ合った。
「共に、新しい竜胆家を作っていきましょう」
「はい、旦那様」
言葉を交わした後、二人は祭壇へと向き直り、誓いの言葉を奏上した。
形式的な儀式は無事に終了し、その後は歓談の時間となった。
志乃はまず、京紫へとお礼を伝えた。
「本日は列席していただき、心から感謝申し上げます。ご体調はいかがでしょうか」
「問題ない。右手まで透けてきてしまったが、まぁ、大丈夫だろう」
「大丈夫じゃないのでは……!?」
京紫は体の左半分が既に消えかけているのだが、右手の指先まで透明になってきていた。屋敷の結界から出た影響だろう。
彼は挨拶を終えると、お付きの式神たちと一緒に帰っていった。ハラハラしながらの見送りになってしまった。
志乃は次に挨拶をする相手を探して、首を回した。
(京紫様のお次は――……)
列席者皆に、順番に挨拶にまわっていこうと考えていたのだが、京紫の隣の席に置かれた小箱を見て、冷や汗が流れた。次は、この方だ……。
「これは私の乳母ですが、こういう状態なのでお気になさらず」
「いえ、でも、一応ご挨拶を……。は、初めまして」
小箱に向かって声をかけると、紫紺がおもむろに蓋を開けて寄越した。
中には手のひら大の木片が収められていた。呪符が張られていて、ガタガタと不穏な動きをしている。志乃がギョッとしてのけぞると、狐葉が抱き留めてくれた。
「こちらが……乳母様? ……ですか?」
「それはそれは霊格のお高い木神様でございます。今はこのように、欠片だけ竜胆家に御身を置かれています。この小ささでも霊障が起きて面倒臭……支障があるので、封印させていただいておりますのよ」
おっほっほ、と狐葉は上品に笑いながらも、鋭い目で木神の欠片を見下ろす。
「この乳母様の子育て方針により、紫紺様は人らしさを失いました。どれだけ霊格が高かろうと、所詮は木。人とはほど遠い木神には、人の子を育てるのは難しかったようで。わたくしが引き継いでよかったですわ」
狐葉の言葉に反応するかのように、木神の欠片はガタガタガタッと音を立てて動いた。狐葉曰く、「淡々とした木神に淡々と育てられた紫紺は、淡々とした木精みたいな人になってしまった」とのこと。
傍らに棒立ちしている真顔の長身を見上げて、志乃は「なるほど……」と、納得してしまった。
気を取り直して、次の列席者の元へと向かい、しばらくの間、挨拶まわりに勤しんだ。
そうして皆に挨拶と感謝を伝えてまわっているうちに、歓談の時間は過ぎ去り、狐葉に声をかけられた。
「そろそろお色直しの中座のお時間です」
「あ、はい!」
「では志乃様、また後ほど」
呼ばれた志乃と紫紺は広間を後にして、別々の支度部屋へと向かった。
指輪交換に続いて、色直しも外国式を予定しているので、志乃はドキドキと胸を鳴らしている。普通は白無垢から色打掛へ衣装を変えるのだが、なんと今回は洋装を体験させてもらえることになったのだ。
またとない機会なので、思い切ってドレスなる衣装に挑戦する。
女狐の着付け師たちに囲まれて、あれよあれよと着物を解かれ、洋装の下着を着けてもらった。白無垢の帯の締め付けもなかなかの苦しさだったが、ドレスの下着――固い胴当ての締め付けもかなりのものだ。
「うっ……」と呻き声を上げながらもどうにか装着し、ドレスを着せてもらう。髪も、髷を解いて降ろし、洋風の髪型に整えられた。
姿見の前に立つと、女狐たちが目を細めて微笑んだ。
「いかがでしょう?」
「……! 自分ではないみたいです……! 大丈夫かしら? わたし、変ではありませんか……?」
「とてもよくお似合いですよ」
異国の知らない女性が鏡の中にいるみたいだ。
淡い紫色のドレスは裾がふわりと膨れていて、『竜胆の花』の形によく似ている。このドレスは狐葉が借りてくれた物だが、彼女の審美眼は確かだった。とても洗練されていて、美しい。
「でも、肌が出るのは少し恥ずかしいですね」
ドレスは首元が大きく開いていて、肩から二の腕あたりまで肌が出る形になっている。
仮にも志乃は地主家の娘という良い身分で育ってきたので、着物をゆるく着たことがない。それゆえ、人前で肌を見せるのは慣れなくて、落ち着かない。
(でも、前に雑誌で見た舞踏会の絵では、皆こういう格好をしていたわね。これが普通。うん、大丈夫、大丈夫)
自分に暗示をかけて、堂々とした立ち居振る舞いを意識する。
裾が長くて歩きづらいが、どうにか控室へと移動した。
「花嫁様のお支度が整いました」
案内されて室内に入ると、先に着替えを済ませていた紫紺が待っていた。
紫紺も洋装である。雰囲気が一変していて、志乃は驚きの声を上げた。
「わぁ! 格好良い、です! とっても!」
彼は煌びやかな飾りのついた上着に、ズボンを身にまとっている。長い髪は高い位置で一つに括られて、腰には剣を下げていた。
お付きの狐の説明によると、都の官僚たちが着る大礼服とのこと。
すらりとした立ち姿は凛々しくて、思わず「格好良い」と、率直な感想が口から出た。
「よく似合っていらして、異国の方みたいです」
「志乃様も。雰囲気がずいぶんとお変わりになられて。……」
紫紺は志乃の姿を上から下まで見まわし、じっと肩のあたりを見据えて口を閉ざした。
「え……っと、何か変、ですか? わたし」
彼は無表情ではあるが、視線からはなんとなく恐ろし気な圧を感じる……。
心配になり、慌てて問いかけると、紫紺はふいっと横を向いて、お付きの女狐を指差した。
「そこの白狐」
「はい、何か?」
「毛皮を借りる」
彼は寄ってきた狐に向かって、すっと指先を振り下ろした。すると狐は「あ~れ~」と気の抜けた声を上げて、白いショールへと姿を変えた。――いや、強制的に変えられてしまったみたいだ。
「もう、ご乱暴を」と、狐は拗ねていた。ショールに化けさせられたが、無事のようだ。
紫紺はショールを志乃の肩にかけた。
「これでいい。肌が見えるのが気になったのです」
「あぁ……すみません、お見苦しいものを」
「そうではなく。なんとなく、他人に見せるのがもったいないように感じたのです」
「え? っと……」
意味を咀嚼する前に、腕を引かれてしまった。
「行きましょうか」
「え、は、はいっ」
「手を私の腕に」
「はいっ」
あたふたしながら彼の腕に手を絡ませ、控室を出て移動する。
広間へと向かう廊下で、紫紺はまた、じっと志乃を見ていた。
「……あの、まだ何か?」
「いえ」
少し考えるように間を空けた後、紫紺はいつもの静かな声で、淡々と告げた。
「ドレス姿、お綺麗です。いつものお姿も愛らしいですが」
「えっ!?」
突然褒められたことに驚愕して、危うく転びそうになった。
紫紺はそれきり口を引き結び、もう正面を向いている。こちらを見ることもなく、粛々と歩いている。
志乃は返事の機会を逃してしまい、火照って熱くなった頬を持て余したまま、彼の横顔を仰ぎ見ることしかできなかった。
大広間に再入場した二人は、再び拍手と歓声に出迎えられた。
新郎新婦で歩幅をそろえて、ゆっくりと前へ歩いていく。
志乃は心の中で、父と母に感謝と旅立ちの挨拶を送った。
――お父さん、お母さん。
少し変わってはいるけれど、優しくて素敵な人と祝言を挙げることができました。
わたしを産み、育ててくれてありがとうございました。
これから、わたしは竜胆志乃として、生きて参ります――。
祭壇の榊の葉が、風もないのに柔らかく揺れていた。




