14 移り変わっていく街と時代と竜胆家
その後すぐに、狐葉も邸宅に到着した。彼女は「一晩、野山を駆けて参りました」と笑っていたが、冗談なのか本当なのか、志乃には判別できなかった。
都に滞在している間、紫紺には仕事があるようだが、今日は一日空いているとのこと。狐葉にぐいぐいと背中を押される形で、志乃と紫紺は二人で街に出ることになった。
そうして紫紺に連れられて来た場所は、外国人居留地の近くの大通り。
志乃が「洋館に感動した」という話をしたからか、洋風の建築物が多く、一番賑わっている場所を選んでくれたみたいだ。
開けた道に沿って洋館が並び立ち、等間隔に街路樹が植えられている。
通りを歩く人々の中には洋装をしている人もちらほらと見て取れた。主に男性であったが、女性も洋装こそしていないものの、髪型はとても洒落ている。
この街はまさに文化の最先端にあるのだ。しみじみと感じ入りながら、志乃は街並みを眺めて歩いていく。
けれど、周囲を見回しているうちに、人の目がやたらとこちらに集まっていることに気が付いた。
「なんだか視線を感じる気がする」とは思っていたのだが、どうやら人々の目は紫紺に注がれているみたいだ。
すれ違いざまに、女性二人組が黄色い声を上げているのを耳にしてしまった。「わぁ、素敵な殿方!」と。
(確かに、紫紺様は目立つかも……)
天人みたいな容姿の人が歩いていたら、そりゃあ目を引く。
段々と人の視線が気になってきてしまい、志乃は声をひそめて問いかけた。
「紫紺様、今更ではありますが……竜胆家ご当主がこんな人の多い街中をお歩きになっていいのですか?」
竜胆家は世を忍んでいるのではなかったか。表立って歩いていていいのだろうか。
「かまいません。別段、不都合もありませんし」
彼は不都合がないと言い切ったが、志乃は少しだけ胸の奥に重さを感じた。すれ違う度に、女性たちが紫紺を振り返ってうっとりした顔になるのが……なんとなく落ち着かない。
(村とは違って都は人が多いし……女の人も星の数ほどいる。紫紺様に相応しいお相手だって、きっと探せばごまんといるに違いないわ)
以前、「竜胆家は縁組の相手を見つけるのが難しい」と言っていたが、本当だろうか。農村では選択肢が少ない、というだけであって、人の多い都で相手を募れば、良い候補がたくさん見つかるのでは……。ふと、そんなことに思い至ってしまった。
京紫は「嫌になったら相手を挿げ替えてもいい」と冗談を言っていたが、むしろ挿げ替えられる可能性があるのは、自分の方ではないか。
この結婚は互いに利益を求め合う契約結婚だ。どちらかに利益がなくなれば、そこで関係は終了する。
(もし、わたしが跡継ぎを産めなかったら……紫紺様は次の相手をお探しになるのかしら)
赤子を抱いて通りを歩く女性を見て、思わずうつむいてしまった。
「どうしました? 疲れましたか?」
「あ……すみません」
「少し足を休めましょうか。あの店へ寄りましょう」
気落ちした志乃は、疲れていると判断されたようで、通り沿いの店に案内された。
「外国の珈琲なる飲み物を提供する店で、喫茶店と言うそうです」
「まぁ、ハイカラな。紫紺様はよくこちらのお店に?」
「仕事先の官僚に連れられて、たまに」
少し緊張しながら洋館の中に入ると、嗅いだことのない香ばしい匂いに包まれた。
足の長い机と椅子が置かれていて、奥の方では洋装の紳士たちが集まって、何か難しい議論をしている。
人のいない窓際の席について、紫紺が給仕に注文をした。
少ししてから運ばれてきたものは、持ち手つきの湯飲みに注がれた、見たことのない黒い飲み物。紫紺はそのまま飲むそうだが、志乃はこれに牛の乳と砂糖の塊を入れることを勧められた。
牛の乳は、前回都を訪れた時に一度飲んだことがある。都の医者に「滋養に良いから」と、父と共に勧められたのだが、濃厚で不思議な味だった記憶がある。
早速、言われるがまま、黒い飲み物に乳と砂糖を加えて飲んでみた。
「……! 不思議な味ですけど美味しいです。これが珈琲、ですか」
途端に口の中に香ばしさと甘味が広がる。お茶の味を想像していたのだが、まったく異なる味わいだ。初めての風味に舌鼓を打つことになった。
珍味を堪能して一息つくと、紫紺が問いかけてきた。
「お疲れなら、屋敷に戻りましょうか」
「いえ、まだ歩けます。さっきは少し考え事をしていて、ぼうっとしてしまっただけなのです」
「考え事?」
「結婚のことで、少し……」
そう言うと、紫紺は深い色の瞳でじっと見据えてきた。
「お伺いしても?」
どことなく圧を感じて、志乃は観念して打ち明けることにした。
「紫紺様は、本当にわたしがお相手で良いのかと心配になりまして……。都中を探せば、もっと良いお相手が見つかるのでは、と。たとえば神通力の強い人とか。本当はそういう方と、跡取りをもうけた方が良いのではないですか?」
由緒ある名家であれば、より良い血を残したいと思うのは当然のこと。生まれつき強い霊力を持っている人を家に迎え入れた方が、竜胆家の利益になるのではないか。都中を探せば、きっとそういう女性がいるのではないか――。
そんなことを、先ほどからぼんやりと考えてしまっていた。
自分で言っておいて、もし、「それもそうですね、やはり考え直します」などと返されたらどうしよう、と不安が込み上げてきた。そうなったら腹をくくるしかない……。
志乃は湯呑を握る両手に力を込めた。
紫紺は淡々とした声で、斜め上の答えを返した。
「父は竜胆家を頼む、と言っていましたが、私は竜胆家などなくなってもよいと思っています」
「え……?」
「いずれ神通力などいらなくなる世が来る。そんな気がしているのです」
彼は今、進行形で考えをまとめている最中なのか、度々口ごもりながら話し始めた。
「この先、街も、人々の意識も移り変わっていく。古い呪術に縋って生きている我ら呪法家は、いずれ世の中に必要とされなくなる」
「そんなこと……」
「鬼神の供物だって、今はまだそこらで亡骸が手に入りますが、そのうち葬儀も厳格になり、亡骸を頂戴することが難しくなるでしょう。現に都では火葬の整備が進んでいます。供物がなければ、鬼神はこの手を離れていく。そうやって少しずつ色々な神を失い、我ら一族は無力になり、役目を終える」
暗い深淵の目で遠くを見て、彼は竜胆家の終焉を語った。どう言葉を返していいのかわからずに、志乃は口を閉ざす。
けれど、重い空気を打ち壊したのは、紫紺自身だった。
「でも、たとえ力を失ったとしても、細々とでも暮らしていけるようにしたい。もし長生きができるなら、その道を探りたい気持ちがあります。あなたと一緒なら、色々なことを考えていけそうな気がするんです」
未来を語る彼の瞳には、ほのかに光が宿っていた。
消え去る宿命を受け入れて、その先の事を決して口にすることがなかった紫紺が、初めて未来のことを語った――。
(紫紺様……!)
志乃は驚きに目を見開いた。
「紫紺様がそういう想いをお持ちだとは、知りませんでした」
「私もこれまで、先のことなど考えたことがなかったのですが、あなたと出会って初めて思いを馳せるようになりました」
相変わらずの真顔ではあるが、声の調子は心なしか弾んでいる――ような、気がするけれど、どうだろう。傍から聞いたら、平坦な声かもしれない。
でも、志乃には確かに、紫紺の変化が感じ取れた。感動の余り、先ほどまでの悩み事は吹き飛んで、前のめりになってしまった。
「わたしがお力になれるのであれば、尽力いたします」
「父も言っていましたが、愛想が尽きたら離縁していただいてもかまいませんよ」
「軽々しく離縁と口にしないでくださいませ……悲しくなります。紫紺様が思うよりずっと、わたしはあなたをお慕いしているのですよ。さっきだって……通りで女の人があなたに色目を使っていて……わたしは……少し嫉妬しました。少しだけ」
通りを歩いている間、やけに胸が重い気持ちがしたのだが、今この瞬間、口にしてみて、ようやく自分で理解した。「あぁ、自分は嫉妬していたのか」と。
恥ずかしくて、ごにょごにょとした小声になってしまったが、彼は一言「そうですか」と返してきた。
紫紺は顔を背けて、窓越しに外を見た。なんとなく、志乃と目を合わせていられなかったので。
(……また胸の奥がこそばゆい)
鬼神に牙をむかれても見据えることができるのに、志乃のつぶらな目でじっと見入られるのには、どうにも耐えられなかった。
それから志乃は雑多な話題を持ち出して、紫紺が粛々と答えるという会話を繰り返し、店を出た。
「通りの先が賑わってますね。何があるんでしょう?」
「商店のレンガ街です」
往来の賑わいにつられるようにして、二人はそちらの方へ足を向けた。
異国情緒あふれる商店の外観に夢中になっていると、ふいに肩を抱き寄せられた。走ってきた人とぶつかりそうになって、紫紺が庇ってくれたのだ。
「すみません……よそ見を」
「いえ。ここは人が多いので、私の腕に手を絡めておきなさい」
「え? こう、でしょうか?」
言われた通り、紫紺の腕に手をまわしてみた。抱きつく、とまではいかないが、近い形になって、どうにも照れる体勢だ。
頬を赤くする志乃をよそに、紫紺は涼しい声音で言う。
「外国では男女はこうして歩くのだそうですよ」
「本当ですか?」
「さぁ。見たことはないので、知りませんが」
(知らないくせに、堂々と……)
言い返してやりたかったが、そんな余裕はなかった。顔が火照ってしまって仕方ない……。
「……外国の文化は慣れませんね」
「外国で思い出しましたが、『祝言を洋式にすることもできる』と、狐葉が言っていました。どうしますか?」
「洋式の祝言? って、どんな感じなんでしょう?」
普通、祝言では、屋敷に人を招いて、その人々の前で挨拶をして酒を飲み交わすことで婚姻の契りを結ぶのだが、洋式ではまた違うことをするのだろうか。
「都の富裕層の一部で流行っているそうです」
「そうなのですか。それは経験してみたいような、気もします。人生の思い出として」
洋式で祝言を挙げるなど、今生で二度とない機会だ。好奇心に背中を押されて返事をすると、紫紺は頷いた。
「では、そのように。印象深い式にしましょう。人生の思い出として」
志乃の言葉を繰り返した紫紺は、どことなくしみじみとした、柔らかな表情をしているように見えた。




