13 竜胆家前当主
空の旅を終えて、志乃と紫紺は都の端へと降り立った。
ここからは人力車に乗り、竜胆家の邸宅へと移動する。
土と緑ばかりの農村の風景とは違い、日差しに照らされた都の街並みは、とても洗練されていて美しい。
この東の都は、帝が政を移してから目覚ましい発展を遂げている。
海外との関わりが活発化していく中で、洋館やレンガ造の建物、時計台なんかが積極的に作られていて、まさに文明が一新されようとしている最中のよう。
車上からの景色を堪能して、志乃は感動しきりだった。
今回二度目の都旅となるが、実質、初めて来たようなものだ。前回は誠一郎の病の治療のために訪れたので、景色を眺めている余裕などなかった。
都でなら海外式の進んだ医術を受けられると聞いて、それに縋るしかないと、誠一郎と一緒に訪れたのだった。そして壊死した足の切断手術を受けたのだが、残念なことに病の進行は止められなかった。
そういう苦い思い出のある都ではあるが、重い気持ちは、もう置いていこう。
志乃は純粋に景観を楽しむことにした。
そんな移動の最中、ふと、隣に座る紫紺が居眠りをしていることに気が付いた。
彼は夜空を移動している間、ずっと起きていたそうなので、今になって眠気が来たのだろう。
志乃は自分が羽織っていたショールを、そっと紫紺の体にかけた。そうしてまた景色へと目を移す。紫紺が薄目を開けたことには気付かなかった。
紫紺は少しだけ体を志乃の方へと寄せて、温かさをもらいながら眠ることにした。
しばらく道を進んで行くと、緑地の中に立てられた洋館にたどり着いた。
「ここが竜胆家の屋敷です」
「洋館なのですね」
入り口にはランプなる洋灯が下げられている。お邪魔いたします、と一礼して玄関に入ると、薄暗い土間ではなく、煌びやかな空間が広がっていた。
「なんて綺麗な……別世界のようです」
「玄関と広間だけですよ。奥の方は昔ながらの造りをしています」
天井はとても高くて、すぐ正面に階段がある。その脇を通って奥に進むと、馴染み深い板張りの廊下があり、洋風から和の空間へと内装が変わっていった。
とはいえ、障子には紙ではなく板ガラスが張られていてハイカラだ。
座敷のガラス障子を開けて、紫紺は室内の人物に声をかけた。
「父上、ただいま戻りました」
紫紺が座敷に膝をつくのと同時に、志乃も急いで正座をして頭を下げた。
座敷には文机があり、そこに一人の男が胡坐をかいて座っている。彼は筆を置いてこちらを向いた。
(彼が、竜胆京紫様)
座敷にいたのは、紫紺の父――前竜胆家当主の京紫だ。
四十代前半くらいの、整った顔立ちをした人だった。珍しい洋装をしている。
「おぉ、来たか。初めまして、お嬢さん。紫紺からの手紙で既に話は聞いている。都の屋敷へようこそ」
「お初にお目にかかります。志乃と申します」
丁重に挨拶をして顔を上げると、京紫は微笑を浮かべていた。
紫紺のような人物を想像していたのだが、彼はもう少し、人間味があるみたいだ。低く静かな声、底知れぬ威厳を感じさせる空気は似ているけれど、表情と声の抑揚から、いくらか親しみやすさを覚えた。
そう思って、胸をなでおろしかけたのだが……。よく見ると、顔の左半分が透けているではないか。左手も透き通っていて、向こう側が見える。
思わず目を丸くしてしまったが、察した京紫が、透けた左手をひらりと振ってみせた。
「これが呪法家の末路だ。そのうち全身がこうなって、私は現世から消え去る。その前にあなたのお目にかかれてよかった」
こうやって消えていってしまうのか……。目の当たりにして愕然とした。
どう言葉を返していいのかわからずにいたが、京紫は話を続ける。
「こういう体だから、ここ数年は屋敷の結界から出られなくなってしまった。村への行き来もできなくなってしまって……誠一郎さんの病にも気が付かず、すまなかった」
「いえ……、急な病でしたので。他界の折には、竜胆家の皆様に大変お世話になりました。縁組の件も――」
「そのことだが、」
話を遮って、京紫は微笑を消して言う。
「志乃さん、あなたは本当に紫紺と結婚なさるのか? もう一度問いたい」
「え……?」
「この男は昔、あなたの母君と父君に無情なことをしたのだよ」
(お母さんとお父さんに?)
困惑して隣の紫紺に目を向けたが、彼は正面を向いたまま京紫を見据えている。
京紫はそんな紫紺にも聞かせるように、過去を語り始めた。
竜胆家は特殊な家柄のため、外部の一般の人々とは関わらずに生きてきた一族だ。それゆえ、京紫も人付き合いが得意ではなく、移住にあたって村人たちと話し合わなければいけないことに辟易していた。交渉なんてできようはずもない、と。
けれど、誠一郎は柔軟な話術で話し合いを動かして丸く収めてみせた。結果的に竜胆家は彼に助けられる形になったのだった。
「世の中にはこういう人もいるのかと感心したものだよ。……けれど、そんな彼に不誠実なことをしてしまった」
京紫は苦い顔をして続きを話す。
ある日、山で土砂崩れが起きて、十数人の村人が巻き込まれて亡くなる災害があった。その中に、誠一郎の妻、千代も含まれていた。
土の緩んだ現場には近づけず、五日後にようやく、村人総出で被災者の捜索が行われたが……誰一人として、見つからなかったのだった。
「どうしてだと思う?」
「……」
「我先にと、死体を漁った不届き者がいたのだよ」
京紫は無表情に話を聞いている紫紺を見た。
「鬼神を呼び降ろして土砂を掘り起こし、死体を漁って食わせたのだ。誰の許可も取らず、勝手にな。紫紺、お前が十二の頃の話だ」
「はい、覚えています」
抑揚のない声で、さらりと彼は肯定した。
「その後、見つからない千代さんの亡骸を探して、誠一郎さんは毎日、毎日、山に入って土砂を掘っていた。一月も、二月もそうしているものだから、さすがに見ていられずに、私は声をかけて、すべてを話したんだ。竜胆家の事情と、うちの息子が鬼の贄にしてしまった、ということをね」
「そんな……ことが……」
「誠一郎さんには力一杯、殴られたよ。人の妻を何だと思っているんだ、って」
頬をさすってため息をつき、京紫は志乃を見る。
「そういうことがあったから、誠一郎さんは自らも鬼に食われることを選んだのだろう。千代さんと同じところへ行こうと」
誠一郎の遺言書にも、確かそう書かれていた。紫紺が疑問に思っていた部分だ。と、いうことは、紫紺もその後の誠一郎と京紫のやり取りについては知らなかったのだろうか。
志乃の考えはすぐに肯定された。
「山崩れで出た亡骸を供物にしたことは覚えていますが、志乃様の母君も含まれていたことは知りませんでした。その後のことも」
無感情に言い放つ紫紺を、複雑な面持ちで見た後、京紫は改めて志乃に問いかけた。
「母君を勝手に贄にし、父君まで鬼の腹に連れていくことになった原因であるこの男に対して、あなたは怒り、忌避する権利がある。すべてを知った上で、それでも紫紺と縁組をしますか? 人の死を何とも思わず、神の餌にするような、この無情な人でなしと」
肉親から浴びせられる厳しい言葉にも、紫紺は反応を示さない。京紫の言う通り、傍から見たら、血も涙もない人でなしと言われても仕方のない姿だ。
でも――。
(本当に、紫紺様は人の死を何とも思っていないのかしら)
表には出てきていないけれど、心の奥の奥ではどうなのだろうと気になった。
京紫へ答えを返す前に、彼本人に問いかけてみることにした。
「紫紺様はどういうお気持ちだったのですか? わたしの母を含めて、亡骸を漁るようなことをして」
「好都合だ、と思いました。土砂に屍がたくさん埋まっているなら、供物にちょうどいいと」
「……ほら、こういう男だ。人として大きく欠落している。やはり結婚など……」
ためらいもなく返された答えを聞いて、京紫は頭を抱えた。
けれど、紫紺は一度閉じた口を再び開き、思いがけず、続きを話し始めたのだった。
「でも、そのうちの一人が志乃様の母君だと知った今は、胸が重い心地がします」
「後悔、していると?」
「よくわかりません……」
紫紺は自身の胸に手をやり、着物を握りしめた。その様子を見て、志乃は苦笑をこぼした。
彼の中で何か感情の動きがあったことはよくわかった。今はこれくらいの小さなことでいい。十分ではないか――。
自分の中で決着をつけて、京紫に向き合い、畳に手をついた。
「恐れながら、紫紺様は何も思わぬ人形ではないと、わたしは信じております。だから、結婚にためらいはございません」
「……そう、か。紫紺がいずれ消えゆくとわかっていても?」
「はい」
迷いなく返すと、京紫は険しい面持ちを緩めた。
「わかりました。こちらこそ、紫紺と、これから先の竜胆家を頼みます」
お辞儀を交わし合い、今ここに、縁組が認められた。
志乃は安堵して、ほっと息を吐いた。
都に来るまで、「もし反対を受けて破談になったら……」と、常に胸の中には不安があったのだが、無事に認めてもらえてよかった。
話に区切りがついたと判断し、紫紺が早々と立ち上がった。後に続こうとする志乃に、京紫は冗談を投げかける。
「こんな朴念仁との夫婦生活が嫌になったら、相手を挿げ替えても構いませんからね」
「父上」
志乃が何かを言う前に、紫紺が即座に低い声で父を制した。
心なしか、ガラス障子を閉める勢いも強く感じられた。
座敷を出て廊下を戻り、二階へと上がる。
部屋を案内しながら、紫紺は謝罪を口にした。
「母君のことは申し訳ございませんでした。誠一郎様にも悪いことをしました」
「もう昔のことですから。それに、父は怒ったのと同時に、ほっとしたとも思うんです。冷たい土砂の下に、何日も母を置き去りにせずに済んだのですから。最後に同じところに行けたこともよかったと思います」
紫紺は足を止めて、志乃を正面に見据えて問いかける。
「志乃様が望むなら、あなたが死した時にご両親と同じところへ行けるようにします」
「いえ、わたしは父母とは別でいいです。わたしは妻として、紫紺様と同じところへ行きたく思います。同じお墓へ」
「墓……?」
「消え去る終焉ではなく、天寿をまっとうした末に、一緒のお墓に入りましょう」
そう伝えると、紫紺はまた胸を押さえた。
「志乃様と共にいると、たまに胸の奥が変な心地になります。不可思議な呪いにでもかけられたような。これは何の呪術ですか?」
「え? ええと、わたしは何も……」
紫紺は志乃の頬に手を添えて、自分の方を向かせた。顔を近づけて目を覗き込まれる。
何らかの呪術を使っているのでは、と、あらぬ疑いをかけられているみたいだが、志乃は気恥ずかしさに目を泳がせるばかりだった。
二人が座敷を出た後、京紫は頬をかきながら、今さっきの紫紺を思い返す。
(まさか、紫紺にたしなめられるとは)
志乃に冗談を投げかけた時、彼の深淵に似た暗い目からは、確かに苛立ちが感じられた。なけなしの感情を露わにしている息子の姿には、親として感慨深さがある。
(いや、そもそも、あの子をああいう風にしてしまったのは、私の過ちなのだが……)
妻と離縁した後、まだ赤子だった紫紺を育てるにあたって、乳母を用意したのだが、その選定が良くなかった。良かれと思って最上級の霊格にある、高名な神霊を呼び降ろして育てさせたのだが……乳母に影響されて、紫紺は人間性を手放してしまったのだ。
実の父親である自分ですら、人形みたいな我が子にはぞっとする瞬間がある。素知らぬ顔で山崩れの遺体を漁って帰ってきた時には、さすがに言葉を失った。
諭そうにも、感情を理解しないため難しく、頬を打っても泣きもしない。
自分の手には余していたのだが、狐葉という物好きな女狐が名乗り出て、乳母を引き継いでくれた。
そういう込み入った事情のある子だから、もしかしたら跡取りは望めないかもしれないと考えていたのに。まさか心を動かす相手ができようとは。
しみじみと驚きに浸っていると、そういえば、と思い出した。
いつだったか、村人たちと移住の話をつける寄合で、紫紺が赤子の頬をつついて泣かせたことがあった。赤子は凄まじい大声で泣き喚き、紫紺の袖を引っ張って離さなかった。
大泣きの赤子が袖に引っ付いて離れない事態に、さすがの紫紺も動揺していた。後にも先にも、困惑の表情を見せたのはあの時だけだ。
あの時、偶然芽生えたなけなしの人間らしさが、ずっと彼の心の奥に生きていたのかもしれない。
(あの赤子はどこの家の子だったか。確か――……)
そこまで考えて、「あぁ、そうか」と、一人で得心した。因果のめぐり合わせは、よくできているものだな、と。




