12 豊原家の転機
竜胆家の二人が都へ発った頃、豊原家でも祝言の段取りが組まれようとしていた。
弥次郎とトキ子とシズ、そして相手方の山畠平馬とその父、さらには仲人が座敷に集っている。
平馬の父である山畠家当主は、志乃とトキ子を挿げ替える形になったことを気にしている様子だった。けれど、当の平馬は何の未練もなさそうで、満足そうに胸を張っている。
弥次郎はそんな平馬を気に入った。
「平馬くん、トキ子。我が豊原家を頼むぞ!」
自分の次の代、未来の豊原家を担っていく二人に激励の声をかけると、シズが早くも感極まって涙を見せていた。
弥次郎もまた、しみじみと感慨深さに浸っている最中である。
兄、誠一郎が死んで一ヶ月が経ち、ついに正式に家督を継いだ。
豊原家の家長として、こうやって寄合を取り仕切る立場に立っていることに、たまらない感動を覚えている。
(もうこの家は俺のもの。俺の天下だ)
子供の頃から抱えてきた「次男」という劣等感のもやが、ようやく晴れた気がした。
自分はずっと、数十年間もの間、ずっと、誠一郎に苛立ちを感じながら過ごしてきたのだ。
豊原家は上層百姓の家だというのに、誠一郎が小者っぽい振る舞いをするせいで、家の格を落としているように感じられて嫌だった。
田畑を貸してやってる下層の小作人に頭を下げたり、みみっちい金勘定をしたり、流れてきた浮浪者なんぞに宿を貸して、肩を並べて飯を食べたり……。
奴はさして目立ちもしない地味な奴だし、細々した性格で面倒臭いし、男らしい豪快さなど欠片もない、本当にしょうもない男だった。
それなのに、跡取りという立場だけで周囲からちやほやされていた。
覆らないその地位が羨ましくて、悔しかった。
けれど、今はどうだ。あいつはさっさと死に、自分がすべてを手に入れた。自分は誠一郎を越えたのだ。
豊原家の中心にして頂点。金も屋敷も、所有している田畑の土地も、すべてがこの弥次郎のもの。まるで殿様になった気分だ。誠一郎はこんなに良い気分を、今まで一人占めしていたのかと思うと、未だに腹立たしさが込み上げてくる。
色々あったが、誠一郎の忘れ形見である志乃も追い出せて、無事に自分の一人娘をその地位に据えることができた。
自分の采配で、自分の思うがままに豊原家を切り盛りしていけるのは、本当に気分が良い。
(祝言は村中の人を招いて、盛大に執り行おう。俺はケチな兄貴と違って、金の出し惜しみなんぞしないぞ)
祝言の後には、孫の誕生も控えている。待ち遠しい祝い事ばかりだ。
平馬とトキ子が仲睦まじく視線を交わすのを見て、近々できるであろう孫にまで思いを馳せてしまった。
(孫ができたら、俺の名前の字を一つやろう。「弥」の字を継がせていって、後世まで俺の名前が残るようにしようか)
未来を想って、がっはっは、と大笑いをした。
が、その瞬間――。
「……うぐ……っ……!」
突然、頭を殴られたかのような、ガツンという衝撃を感じた。
猛烈な頭痛と吐き気に襲われて、体の自由が利かなくなって倒れ込んだ。
弥次郎は自分でも何が起きたのか理解できなかった。周囲もまた、急に吐き散らしながら倒れた弥次郎に驚愕した。
「お父さんっ!?」
「あなた!? どうしたの!?」
「弥次郎さん! 大丈夫か!? おおい!!」
皆が寄ってたかって抱き起し、呼びかけるが、弥次郎は目をむいて顔を引きつらせるばかりだ。
(なんだ……!? 俺は一体、どうなってしまったんだ!?)
呼びかけの声は遠くに聞こえるが、上手く喋れない。体もまったく動かせない。
ただ眼球だけがギョロギョロと動いた。目だけでもがき苦しんでいると、自分を囲って見下ろしている皆の頭の向こう側――天井の方に、化け物が浮いていることに気が付いた。
巨大な藁人形に目と口がついた化け物だ。
(なんだあれは……っ!?)
とんでもなくおぞましい化け物が、こちらを見下ろしてニヤニヤと笑っている。
目が合った瞬間、奴の正体に思い至り、全身に強烈な寒気が走った。
(いや、待て、あれはまさか……俺が作った藁人形か……!?)
昔、自らが作った藁人形――。思い当たる物と言えば、これしかない。
化け物の正体に察しがついて、弥次郎はどっと冷や汗を流した。
十年以上も前の話だ。
村の外れに流れの祈祷師が来ていて、たまたま通りがかった弥次郎は、一つ、呪術を教えてもらったのだった。
「胡散臭いなぁ。もしお前が本当に優秀な祈祷師だって言うなら、邪魔者を消す呪いを教えてくれよ」と、揶揄ったのだが、祈祷師は本当に教えてくれたのだ。
「藁で人形を作り、胴の部分に『消したい相手』の私物を入れて、道に埋めるといい。その道の上を人々が歩く度に、踏まれた藁人形には邪悪な念が籠って、やがて呪いが対象を殺すだろう」
祈祷師はそんなことを話すと、代金を要求してきた。
まったく信じてはいなかったが……日頃の憂さ晴らしに、やってみることにした。誠一郎の下駄を片方盗み出して、大きな藁人形をこさえてみた。
藁人形うんぬんというより、奴が気に入っている下駄を盗んで困らせることに快感を感じて、実行に移したのだった。
それを隣村の町場通りに埋めた。この辺りで一番人通りが多く、栄えている場所を選んだのだ。
しかし、やはり呪術などは嘘八百だった。
何か起きる兆候は一切なく、それきり十年以上、忘れ去っていた。
その後、誠一郎は病に倒れたが、藁人形のことなど思い出すわけもなく、たまたま運が味方してくれたのだと思っていた。もうすっかり記憶が消し飛んでいたのだ。
だというのに……最近、思い出すきっかけが訪れた。志乃が「後ろに藁人形が立っている」なんて変なことを口走ったことで、そういえば、と記憶がよみがえった。
それと同時に気味が悪くなって、頭に血をのぼらせてしまった。志乃がなぜ急にそんなことを言い出したのかと、不気味で不気味で……。
弥次郎は泡を吹いて座敷に転がりながら、真上に浮かんでいる藁人形の化け物を見上げる。
(あの時、志乃はこの化け物が見えていたってのか……っ!?)
志乃にも見えていたということは、この化け物は自分の幻覚ではない。確かにそこにいるのだ。
あの祈祷師は本物の呪術を授け、自分は実行してしまった。誠一郎を手にかけたのは、自分だったのだ――……。
慌てふためきながら、祈祷師に言われた言葉を思い出す。
「呪術が成就したら、必ず藁人形を掘り起こすこと。酒をかけて労をねぎらい、燃やして呪術を終わらせること。そうしないと呪術人形はいつまでも役目から解放されずに、術者を恨んで取り殺すぞ」
確か、そんな忠告を受けたのだった。
(酒を……っ、呪術を終わらせなければ……!)
今度は自分が取り殺されてしまう――。
大変なことになったと、皆に事態を伝えようにも口がまわらない。「隣村の町場通りを掘り起こしてくれ」と叫んでも、「あう、あぁ」としか言葉が出ない。
呂律がまわらずに唸ることしかできなくて、体もピクリとも動かせない。
どうしよう、助けてくれ。呪術人形がこちらを見下ろして笑っている。怖い。助けてくれ。助けて……。
「あう……、あぁ……、あああっ……」
叫んでも叫んでも、皆に伝えることはできなかった。
■
その後、医者が呼ばれて、集まっていた面々は解散した。
布団に横たえられた弥次郎の枕元で、医者はシズとトキ子に言う。
「元気だったのに急に倒れたってことだから、『卒中風』だねぇ」
「良くなるんですよね……!? しっかり眠って休めば……っ」
シズは医者に縋りつき、トキ子は呆然自失の様相で弥次郎を見つめている。
卒中風とは、突然おかしくなって倒れる病のことだ。まさか弥次郎がそんな病にかかるとは思ってもいなくて、シズもトキ子も状況を呑み込めずにいた。
「どうだろう、人によるからねぇ……。このまま寝たきりってことも」
「そんな……!」
「シズさんもトキ子ちゃんも、これから大変になるけど、気をしっかり持ってください。家族が世話してやらんといけないからねぇ」
「世話……?」
トキ子は掠れた声で聞き返した。
「食事から、おしめの世話、あとは寝返りも手伝ってやらないと、床ずれを起こすから」
「そんなことを、わたしが……?」
医者は咳ばらいをしてから、呆然としているトキ子の肩を叩いた。
「でもまぁ、ほら! もしかしたら回復するかもわからないし、少し様子を見ましょう」
気休めの励ましだ、と、トキ子は胸中で毒づいた。
弥次郎は見るからに重い症状なのに、回復の見込みなどあるのだろうか。
そんな疑いの通りに、弥次郎は数日経っても一切回復しなかった。
時折目覚めては、目をギョロギョロ回して、声にならない声で「うぅ、うぅ」と唸るだけ。体は動かせず、シズとトキ子、そして女中も動員して、介助する生活が始まってしまった。
「女中もいるし、それほど大変ではないだろう」と、最初のうちは思っていた。「志乃ちゃんだって、伯父さんのお世話を一人でやっていたのだから」と。
けれど、そんな考えはすぐに打ち砕かれた。
まだ数日だというのに、永遠に感じられるくらい目まぐるしく、心身の疲労が蓄積されていく。大の大人の世話はこれほど大変なのかと思い知った。
楽しみにしていた祝言も予定が立たなくなってしまった。
(どうしてわたしがこんな目に……)
ため息をつきながら洗い桶を運んでいると、玄関の方から平馬の声が聞こえた。
桶を放り出して駆けつけ、彼の胸元に飛び込んだ。
「平馬さん……!」
「トキ子ちゃん。弥次郎さんのお加減はどう?」
「全然良くならないわ……。わたし、もう疲れちゃって……」
縋りついて涙をこぼすと、平馬は優しくトキ子を抱きしめた。
(お父さんが倒れて散々だけど……わたしには平馬さんがいてくれるから、まだましだわ。鬼屋敷で暮らしている志乃ちゃんの方が惨めに決まってる)
自分も大変だが、もっと大変な思いをしている奴がいることを思うと、頑張れる気がした。
志乃は今頃きっと、死臭のするおぞましい家で不幸を耐え忍んでいるに違いない。相手の男は顔と身なりだけはよかったが、愛想がなさそうだったし。きっと跡取りをもうけるためだけに、道具みたいに扱われて、愛情とはほど遠い虚しい生活を送っていることだろう。
その点、婚約者にこんなにも愛されている自分は、まだましなのだ。
平馬の腕の中で、そんなことを考えている間だけは、憂鬱な現実を忘れられるのだった。




