11 都へ発つ夜
都へ行く約束をしてから、半月後。出発の日を迎えた。
志乃は以前に一度、誠一郎の病の治療のため、都の医者を訪ねたことがある。
その時は足が弱った父親を馬に乗せて、馬子に引いてもらい、志乃は傍らを歩いて移動した。街道をひたすら辿っていくという大変な旅路だった。
今回もそういう旅を想像して、旅装を整えようとしていた。けれど、狐葉からは華やかな着物を用意され、桐の下駄まで渡されてしまったのだった。
「こんなに高価な物を汚してしまうのは忍びない」と、困惑していたのだが、移動手段が徒歩ではないと聞いて合点がいった。
竜胆家は都への行き来にも、式神を利用するのだそう。
夜中、人目につかないように移動するとのことで、当日も日が落ちてからの出発となった。
日没を迎えて、薄暗くなった屋敷の門前にて。
用意された駕籠を見て、志乃は感嘆の声を上げた。
「立派な駕籠ですね……! お殿様が乗る駕籠みたい」
いや、そこらの大名が乗る駕籠よりも大きくて立派な作りをしている。なにせ特別仕様で、二人乗りができるとのことだ。
駕籠の傍らには妖狸たちが集まり、得意げに胸を張っている。
「山で葉っぱをかき集めてお作りしました! 花嫁を乗せるってんで、豪華絢爛にしましたぜ!」
「葉っぱ……」
どうやらこの駕籠は、葉を妖力で変化させて作ったらしい。狸たちには悪いが、そう聞くと少し不安がよぎった。が、耐久性に問題はないとのこと。
(でも、こんなに大きな駕籠を担げるのかしら)
そんな不安も生じたが、担ぎ手の駕籠かきを見て、すぐに大丈夫そうだと納得した。駕籠かきは岩のような体格をした、大天狗二人組だった。
支度を整えた紫紺が歩いてきて、慣れた様子で駕籠に乗り込んだ。
「こやつらは山を動かせるほどの怪力ですから。気にせずに乗るといい」
「では、お邪魔します」
彼に続いて志乃も乗り込んだ。
中は畳敷きになっていて、二人並んで座るとちょうど収まりが良い、というくらいの広さ。紫紺に寄り添う形になるので少し気恥ずかしい。
見守っていた狐葉が、最後に扉を閉めた。彼女は格子窓越しに手を振って、見送ってくれた。
「では、お気をつけて。わたくしも追って走りますので」
駕籠かきの天狗二人が掛け声を上げると、ゆらりと駕籠が持ち上げられた。
ゆっくりと進み出し、狐葉と屋敷が遠ざかっていく。
「走るって、もしかして狐葉様は駕籠ではなく徒歩で来られるのですか? それは申し訳ないような……」
「気にしなくていい。あの狐は天狗より足が速い」
「そう、なのですか」
言葉の綾ではなく、本当に走って来るのだろうか。普段、立ち居振る舞いが上品な彼女が走る様は想像できないけれど……。
志乃の心配をよそに、駕籠は速度を上げていく。天狗たちが走り出したみたいだ。
それにしては揺れが少ない。「まるで飛んでいるみたいですね」と口にしようとして、ふと外を見て驚愕した。
「と、飛んでる……!?」
駕籠は本当に空を走っていたのだった。
天狗たちは山を越えて、高く、高く駆けていく。
月明かりに照らされた地表がどんどん離れていき、とんでもない高さになって、志乃は体をすくめた。
「ひぃっ……高っ……怖っ……」
「怖いか? どうすれば怖くなくなりますか?」
「手……っ、手を、握らせてください……」
紫紺は「どうぞ」とばかりに手を差し出してきた。とにかく何かに縋りたくて、その手を力一杯握りしめてしまった。
彼は大男らしからぬ麗しい顔立ちをしているが、手は大きくて骨ばっており、しっかりと男らしさが感じ取れる。握り返されると、力強さが伝わってきた。
元気だった頃の父の手が思い出されて安心する――。
つい、そんな想いに浸ってしまった。
次第に空の移動にもいくらか慣れてきて、気持ちが落ち着いてきた頃には真夜中を迎えていた。
普段なら既に寝入っている時間だ。襲ってきた睡魔に耐えられず、うとうとと舟を漕いで、紫紺の肩にもたれかかってしまった。
「あ……すみません」
「かまいません。お眠りになってください」
「いえ、大丈夫です……」
紫紺は不測の事態に備えて、空を移動する最中は寝ないのだと言っていた。いつも遠方へ出向く際は、夜の闇に乗じて移動し、夜明けに下界に降りて睡眠を取り――という、昼夜を逆転させての移動となるらしい。
それが竜胆家当主の通例であれば、付き従う志乃も慣れていかなければいけない。そうは思うが、意識は勝手に遠のいていく。
結局、紫紺にもたれかかったまま眠りに落ちてしまった。
体重を預けて寝息を立てる志乃のことを、紫紺はまじまじと観察する。
志乃の体調が回復してからは、狐葉に言われて、二人で布団を並べて眠るようにはなった。が、これほど近い距離で夜を過ごす機会はなかった。
(手だけでなく、体全部が温かいのだな)
志乃の体の温かさを知ると、なんだか胸の奥が疼く感覚がした。もたれかかってくる重みは不快ではなく、むしろ不思議な心地良さがある。
自分よりずいぶんと小さな手に、細い体、柔らかな肌――。
無下に扱いたくない。壊さないよう、丁重に扱いたい。彼女を見ていると、そんな気持ちが込み上げてくる。
起こさないように、そっとブランケットを体に掛け直した。
前に志乃は小動物の神霊を「愛らしく思う」と言ったが、もしかしたら、今自分が彼女に対して抱いているこの気持ちこそが、「愛らしく思う気持ち」なのかもしれない。
ふと、そんな気付きを得た。
「小さくて、柔らかで、温かくて……。……愛らしい」
なるほど、そういうことか。と得心しているうちに、遠くの山の向こうが朝日で白んでくるのが見えた。




