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10 竜胆家での新しい暮らし

 豊原の家を出て、竜胆(りんどう)家に入ったその日。志乃は緊張の糸が切れたのか、そのまま倒れ臥してしまったのだった。


 今までの疲れ――父、誠一郎の介護から、弥次郎の折檻まで、溜まりに溜まった心身の疲労が一気に出たみたいだ。

 

 輿入れして早々に寝込むという不甲斐なさに落ち込んだが、竜胆家の人々は嫌な顔一つせずに世話をしてくれた。


 正しく言うと「人々」ではなく、「神霊たち」だけれど。

 聞くところによると、今現在この大屋敷にいる人間は、紫紺と志乃だけだそう。他は使役している神霊たちなのだとか。


 十日ほど経った今は、彼らのおかげで体の調子もだいぶ良くなってきた。 


 志乃は布団の上に身を起こして、打ち身の具合を確かめた。弥次郎に足蹴にされた痣はまだ残っているが、もうあまり痛みはない。そろそろ動けそうだ。


(出鼻をくじかれてしまったけど……シャンとしなければ。お父さんが調(ととの)えてくれたこの結婚を、良いものにしないと)


 寝込んでいる間ずっと、これからのことを考えていた。


 この結婚で、この家で、平穏な暮らしを掴んでみせたなら。きっと父は安堵するだろう。それが唯一の、今からできる親孝行ではなかろうか。


 そう思い至った。

 自分のためにも、父のためにも、良い暮らしを立てていくこと――。


 けれど、この結婚は特殊な呪法家との契約結婚だ。「平穏な普通の結婚生活」というのが、どれほど難しい課題なのかは、考えずともわかる。


(とにかく、手探りでやっていくしかないわね)


 ふぅ、と深く息を吐いて、ひとまず方針を定めた。

 ちょうどその時、(ふすま)の向こうから声がかかった。抑揚のない低い声。紫紺だ。


「志乃様、起きていらっしゃいますか」

「はい」


 返事をすると襖が開かれ、紫紺が志乃の側に来た。


「お加減はいかがでしょう」

「お陰様で、ずいぶん良くなりました」

「そうですか」


 会話はすぐに途切れた。紫紺は口をつぐんでいる。

 床に臥している間、紫紺は何度か見舞いに来てくれたが、会話はいつもこの調子だ。


 最初のうちは沈黙に焦ってしまったのだが、「彼とのお喋りはこういうものなのだ」と無理やり自分を納得させたら、いくらか気持ちに余裕ができてきた。


 静寂の間をやり過ごしていると、また紫紺が口を開いた。


「誠一郎様の手紙について、一つお聞きしたいことがあるのですが、いいですか?」

「はい。なんでしょう?」


 紫紺は手紙を取り出して、一部分を志乃に見せた。


「誠一郎様の手紙には、『自らも鬼の供物になり、妻と同じところへ行きたい』と書かれていますが、これはどういう意味でしょうか」

「……と、言いますと?」

「鬼神の神降ろしの詳細は、村人たちには一切伏せてあるはず。なぜ誠一郎様が知っていたのだろうと思いまして」

「それは、わたしにもわかりません……」


 生前、誠一郎は竜胆家について語ることはなかった。志乃も遺言書で家の名前が出てきて驚いたのだ。


 紫紺は暗い深淵色の目で、じっと志乃を見据えている。何か隠している、と疑われているのだろうか。表情が読めないところが恐ろしい……。


 思わず視線を逸らして、話題を変えてしまった。


「ええと、あの……供物というのは、鬼神様のご飯みたいなものなのでしょうか? あの亡骸の儀式はお食事だったりするのですか?」


 ひねり出した話題は、少し不謹慎な内容になってしまったが、紫紺は淡々と答えてくれた。


「似たようなものです。供物は神饌(しんせん)とも、御贄(みにえ)とも言って、鬼神の望む物を捧げる代わりに御力を借りる、という契約をしているので、必要なのです。竜胆家の鬼神は亡骸をお望みなので、定期的に捧げる必要があります」


 さらりと出てきた「定期的に捧げる」という部分がおぞましい。供物が用意できなかったらどうするのだろう。……聞いてはいけない気がしたので、口をつぐんでおこう。


「亡骸をご所望とは……さすが、神様のご好物は計り知れませんね」

「鬼神は亡骸ですが、神によって望む供物は違います。たとえば――」


 おもむろに立ち上がって、紫紺は座敷の障子を開けた。縁側に落ちているどんぐりを拾い上げ、志乃に見せた。


「霊格の低い神霊なら、こういう物でもいいのです」


 指先でどんぐりを摘みながら、彼は器用に手のひらを打ち鳴らした。すると、手の中に白い栗鼠(りす)が現れ出て、どんぐりを奪い去った。


「まぁ! 栗鼠の神様?」


 栗鼠は布団に飛び降りて、志乃の体の上をチョロチョロと走り回っている。どんぐりを頬に詰め込んだ姿が可愛くて、志乃は笑い声を上げた。

 

 すると、紫紺はしゃがみ込んで顔を覗き込んできた。


「なぜ笑っているのですか?」

「え? 栗鼠があまりにも愛らしくて」

「愛らしいとは? この獣霊(けものれい)のどこが、どのように?」

「ええっと……」


 真顔で迫られる圧に負けて、志乃は怯みかけた。

 が、ふと狐葉の言葉を思い出した。「紫紺は人間らしさが失われてしまっているだけなのだ」と。


 もしかして今、彼は志乃に変な圧をかけているわけではなく、純粋に疑問に感じて問い詰めているだけなのではないか。わからないことを理解しようと、前向きな努力をしている最中――という可能性も、なくはない。


(もしそうなら、ちゃんとお相手して差し上げないと……!)


 夫を支えるのが妻の仕事なら、彼の頑張りを応援し、努力に付き合うのが正解だろう。

 

 志乃は逸らしそうになった顔をぐっと持ち上げて、冷や汗をかきながらも、紫紺と正面から視線を合わせた。


「こ……この栗鼠は、小さくてふわふわしていて、頬が膨れているところが愛らしいと思います」

「愛らしく思うということは、好きだということですか? 『愛らしい』と『好ましい』は似た感情なのだと、狐葉から聞いたことがあります」

「はい。好きです。他にも、猫とか兎とかひよことか、小さくてふわふわしたものは総じて可愛いので、わたしは好ましく思いますね」

「そうですか」


 一言そう返すと、紫紺はパン、パンと立て続けに両手を打ち鳴らした。すると、猫、兎、ひよこ、子犬などの動物霊が次々に召喚されて、座敷は小さいふわふわのものたちであふれ返った。


「か、可愛いです! けども……! こんなにたくさん……っ」

「好きな物に囲まれると元気が出るのだと、前に狐葉が言っていました。いかがでしょう? これで志乃様は快癒しそうですか?」

「えっ……?」


 どうやら気遣ってくれていたらしい、と、小動物霊に埋もれながら、ようやく気が付いた。

 

(――やっぱり、紫紺様は根が優しいお方なんだわ。それに、もしかして素の性格は少しお茶目? だったりする? かも……)


 そう思い至ると、目の前が明るく開けた心地がした。


 紫紺は神霊の(がわ)に近い存在になっていると、狐葉は言っていた。けれど、完全に人らしさを手放したわけではなさそうだ。

 今は心の深淵に沈み込んでいる状態かもしれないが……それでもしっかりと、人間味は保持されている。これを上手く引っ張り上げることができたなら、きっと彼だって、人らしく暮らしていける――。


 そんな期待と希望が胸に湧いた。


「紫紺様、ありがとうございます。すっかり元気が出ました! 明日からは床を出て、あなたのお側にいますね」


 小動物霊を掻き分けて、志乃は紫紺の手を握りしめた。


「あなたが神霊界にさらわれないように、わたしが隣で繋ぎ留めます。だから、『そのうち消える』なんて虚しいことは、もう言わないでください。あなたが諦めていたら、元も子もないですし。約束してくださいませ」

「……」


 何も言わず、紫紺はじっと握られた手を見ていた。


 少し間を空けてから、単調な低い声ながらも、感心したように言う。


「初めて、人に手を握られました。温かいのですね」

「紫紺様の手はひんやりとしていますね。式神さんたちの手と似ています」

「冷たくて不快ですか?」

「いえ。手の冷たい人は心が温かい、とはよく言ったものですし」

「戯言を」


 手はすぐに振りほどかれたが、紫紺はしばらく自分の手を握ったり開いたりしていた。


 ちょうどその時、狐葉が顔をのぞかせて、声をかけてきた。


「紫紺様、京紫(きょうし)様からお手紙です」

「そろそろ都へ顔を出せ、という手紙か」


 手紙を受け取った紫紺は、まだ読んでもいないのに内容を口にした。「京紫様?」と首を傾げる志乃に、狐葉がそっと囁いた。


「京紫様は、紫紺様のお父君でございます」

「お義父様(とうさま)でしたか……!」


 父親からの手紙と聞いて、志乃は少し安心した。竜胆家前当主は、まだ消えていないのだと知れたので。


「お義父様には、今回の縁組についてのお話は?」

「まだしていません。この手紙への返事で書き添えておきます。もしくは――」

 

 そこまで言うと、紫紺は少し考えるそぶりを見せて、一人で頷いた。

 

「直接、出向いて報告しようかと。元々、定期的に都とこちらの屋敷を行き来しているのですが、そろそろ出向く頃合いなので、ちょうどいい」


 竜胆家には都の流行り物や輸入品が多くて、ずいぶんとハイカラだなと驚いていたのだが、頻繁に都を訪ねていると聞いて納得した。


 父君がそちらにいるのなら、と志乃は提案する。


「それならば、わたしもご一緒させていただけないでしょうか? ご挨拶させていただきたく」

「無理はいけませんよ! 志乃様はまだご静養を」

「大丈夫です、もう元気になりましたから」


 心配そうな狐葉と、元気だと主張する志乃を交互に見て、紫紺は折衷案を出した。


「では、あと半月ほど空けてから共に行きましょう。祝言もそちらで挙げましょうか」

「は、はい! ありがとうございます。よろしくお願いいたします」


 こちらの村で祝言を挙げても、式に呼べる親しい親族はもういないに等しい。それならば、紫紺の親族がいる都で執り行った方がいい。


 豊原家を振り切った志乃を見て、狐葉は励ますように肩を叩いた。


「お式の段取りはこの狐葉にお任せください。都には(あやかし)の知り合いも多いので、皆を呼んでとびきり賑やかにいたしますね」


 微笑んだ狐葉の髪には、布製の花細工が飾られている。

 飾りを目に留めて、紫紺が問いかけた。


「その髪飾り、志乃様がお作りになったものか」

「はい、一つ分けていただいたのです。(かんざし)に付けてみました」

「皆様にもらい受けていただけてよかったです。花細工たちが浮かばれました」


 これは志乃が誠一郎のために作ったものだが、手元に残ってしまったものだ。捨てるのも忍びなくて、どうしようかと思っていたところ、狐葉や式神たちがもらってくれたのだった。


「まだ一つ残っているのですが、もしよければ紫紺様もお一ついかがでしょう?」


 志乃は枕元に置いてあった巾着から花細工を取り出して、最後の一つを紫紺に渡した。


「……」


 有無を言わさず手のひらに置かれてしまった花細工を見つめて、彼は口を閉ざした。

 座敷に沈黙の時間が流れたが、志乃は焦らずに待つ。


 紫紺は口を一度開き、また閉じて、開いて、と繰り返し、そのうち、ようやく言葉が出てきた。


「ありがとう……ございます。大切にしまっておきます」

「どういたしまして。しまわないで飾ってくださいませ」


 苦笑を返す志乃に対して、紫紺は相変わらずの無表情。

 一見すると、ちぐはぐに見えるやり取りだが――。狐葉の目には、歯車が噛み合いだしたように見えた。


 感動のあまり背を向けて泣き出した狐葉に、志乃は目を丸くすることになった。



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