第95話 百鬼夜行④
※挿絵 今回の挿絵、怖いので苦手な方は96話から読んでください。
「あなたは髑髏の集合体、私は“解体”するのが得意なんですよ」
二階堂が餓者髑髏 (がしゃどくろ)の巨腕に向かい、身を投げ出すようにして駆け出す。
潰される寸前、踏み込みと同時に横滑りで回避。
足元の地面が砕け、骨の破片が散る中、彼は静かに呟いた。
「Cadaver Waltz (カダヴァー・ワルツ)。さあ……私と踊りましょうか」」
その瞬間、彼の周囲に立ち昇る“黒いオーラ”。
それは視覚的な気配であり、滅菌気流のように空気を包み込み、
まるで手術室のような静謐な空間を形成する。
音が消える。地鳴りも、敵の咆哮も、己の鼓動さえも。
この空間では、二階堂と“対象”だけが存在する。
(まずは、観察済の動作――)
餓者髑髏が振り上げる骨腕。既に見た動きだ。
二階堂はステップで内側に入り、脇腹へ指先で素早く“印”を刻む。
――一手。
反転してもう一方の腕が迫る。だが、それすら予測通り。
肩口に滑り込み、今度は鎖骨の繋ぎ目に掌打。
――二手。
連続する動き。餓者髑髏は咆哮とともに口を大きく開き、
噛み砕こうと顎を落とすが、それすらも回避。
顎関節に膝を叩き込みながら、背骨を駆け上がる。
――三手、四手、五手……。
二階堂の動きは優雅にして精密。死と舞うような“解体の舞踏”。
一つ一つの動作が、まるでメスで皮膚を裂くような正確さで、
餓者髑髏の巨大な骨の躯体に“切開の線”を描いていく。
そして――
「Final Stitch (ファイナル・スティッチ)」
無音の結界がわずかに震えた。
二階堂の腕が閃く。
一瞬の静寂。その刹那、空気が断ち切られるように、餓者髑髏の全身に刻まれた“線”が走る。
ズン――という重い音を残して、巨体が崩れ落ちた。
切断面はあまりにも綺麗で、
まるで医療用のレーザーメスで処理されたように清潔だった。
二階堂は、眼鏡を正す。
「では……おやすみなさい」
静かに背を向けようとした。
その時――
「……ッ!?」
崩れたはずの骨が、カラカラと音を立てて震え始める。
砕けたはずの髑髏が、再び集まり、積み上がる。
手術室のようだった空間に、不協和音が走る。
骨が、軋む。軋んだ骨が、寄り合い、繋がり、再び“形”を取り戻していく。
――骨は再び集まり、“再構築”が始まる。
「……なるほど。寄せ集めである限り、“個体”ではない」
二階堂がわずかに目を細める。
「だから、どれだけ綺麗に解体しても、“再現”される……というわけですね」
立ち上がる巨大な影。再びギシギシと鳴る関節。空洞の眼窩が、無感情に二階堂を見下ろす。
「……ふふ」
二階堂は、ほんの僅かに口元を綻ばせた。
「やはり、一筋縄ではいきませんね」
再び構えを取りながら、彼は立ち向かう。
骨の山を背に、餓者髑髏が再び吠える。
二階堂は息をつきながらも構え直し、周囲の状況に目を向けた。
――その瞬間、空気が一変する。
空が曇ったわけではない。地が揺れたわけでもない。ただ、“存在”そのものが場を支配した。
ぬらりひょんが現れた。
黒い羽織を揺らし、静かに、滑るように。
「お見事でございます」
高台のような岩の上から、戦場を見下ろす。月を背にしたその姿には、異様な威厳と気味の悪い余裕があった。
「まさか、ここまで善戦なさるとは……感服します」
その口調に、皮肉も嘲笑もない。ただ純粋な“評価”としての言葉。
だが、次の一言は冷酷だった。
「もう一体追加して差し上げましょう」
ぬらりひょんが軽く手を払う。
その動作に呼応するように――
霧の奥から、新たな“異形”が姿を現した。
リィドが、傷だらけの足を庇いながら、何とか鎌鼬 (かまいたち)との攻防を続けていた。
風の刃を読み、避け、時に蹴りを叩き込む。だが次の瞬間、地を這うように音もなく背後から忍び寄る影。
「……っ!?」
“鉄鼠 (てっそ)”。
鉄錆に染まった巨大な鼠。人の顔を持ち、赤く濁った眼がリィドを舐めるように見ていた。
飛びかかってくる異形の爪が、リィドの肩を裂いた。
「がっ……は、くそ、これ以上は……!」
再び跳び退くが、足がもつれる。体勢が崩れ、風の刃が胸を裂いた。
♦
俺は烏天狗の棍に必死で対抗していた。
だが、ぬるりと、地面の裂け目から現れた異形の存在があった。
――“蟹坊主”。
巨大な蟹の甲殻を持つ仏僧のような怪物。祈るように合掌したまま、音もなく英斗に迫る。
「な……ッ!」
咄嗟に避けたが、重たい鋏が英斗の脇腹を掠める。
激痛と共に、血が飛び散った。
烏天狗の棍が、直後に背中を薙ぐ。
「ぐあッ……!」
地に転がる。その身体の上に、蟹坊主の影が覆い被さった。
♦
中野はギリギリの攻防を続けていた。
だが、後方からひたひたと音もなく近づく“針女”。
白装束に包まれた女の姿。無数の縫い針を身体中に刺し、虚ろな目で中野を見つめていた。
次の瞬間、背後から鋭い衝撃――針女の大針が、背中に突き立った。
「っぐ、ぅう……!」
振り返る暇もなく、さらに鵺の爪が胸元を切り裂く。防御が間に合わなかった。
片膝をつきながら、それでも構えを崩さず、息を整える。
♦
伊庭は既に限界だった。
濡女の髪に絡め取られ、自由が利かない中、それでも斬り返すことで応じていた。
だが、空を切り裂くような唸り声が響く。
頭部だけの異形が、飛ぶ――“飛頭蛮 (ひとうばん)”。
それは伊庭の頭部めがけて突っ込むように噛みついた。
「ぐ、うぅああああっ!」
肩が裂け、髪が締め付け、意識が遠のく。
それでも、伊庭は足を踏ん張る。
♦
二階堂もまた、餓者髑髏に集中していた。
だが、足元の地面が突然、泥のように“動いた”。
そこから現れたのは――“泥田坊 (どろたぼう)”。
泥に塗れた巨大な腕が、二階堂の脚を掴む。
「……ッ」
すぐにメスを振るうが、泥は切れず、逆に絡みついてくる。
その瞬間、餓者髑髏の拳が、直撃する。
「がっ……!」
全身に衝撃が走り、視界が揺れる。二階堂は弾き飛ばされ大地に叩きつけられた。
そして、戦場全体に、ぬらりひょんの声が響く。
「……どうしました? 先ほどまでの鋭さが、消えましたね」
それは、残酷なまでに冷たい言葉だった。
「では――ゆっくり、丁寧に。“無力”という事実を、身体に刻んで差し上げましょう」
その言葉通り、戦場は崩壊した。