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第94話 百鬼夜行③

 ぬらりひょんが「使命を果たす」と告げた瞬間、霧の流れが一変した。


 空気が重く、濁り、色を失っていく――まるで“生”そのものが削られていくような圧。


「皆さん、覚悟を決めてください」


 二階堂がすっと片手を上げる。その声に、わずかな震えもない。

「こちらで相手できるのは、せいぜいランクA級の餓者髑髏 (がしゃどくろ)が一体だけです」


「吉野さんでは、ここにいる一体も倒すことはできないでしょう」

 鋭く、しかし事実を告げる冷静な口調が突き刺さる。


「あとは動けないあなた方です。このまま黙って死にますか?」


 言葉の矛先は、中野と伊庭。

 だが、すぐに答えが返る。


「決まっている」

 伊庭が地を蹴って立ち上がる。震える膝を押さえつけながら、刀の鍔に手をかけた。

「斬れなくても、斬るつもりで振るうさ」


「スキルが使えぬなら、肉体で支えるまで」

 中野も立ち上がる。掌を握り、じっと敵を見据える。


「……こんなとこで死んじまったら、兄貴たちに何言われるか……」


 リィドが血を吐きながらも苦笑し、足を開いて構える。


 敵は圧倒的だった。


 餓者がしゃ髑髏どくろは二階堂の前にゆっくりと身を起こし、骨の山を引きずるように動いていた。

 鵺は空を滑るように中野の前に舞い降りる。

 濡女の髪が、伊庭の足元に黒い蛇のように広がっていた。


 そして――


 俺は自身の足元を見る。震えていない。それでも、全身の筋肉がこわばる。


 目の前にいるのは、烏天狗。

 棍を構え、無音で迫る“殺意”だけが明確だった。


 ――絶対に勝てない。


 その感覚は、本能が告げていた。


 だが。


「それでも……止めてみせる」

 英斗は深く息を吸い、刀を構える。

 全身に汗が伝う。だが、腰は引けていない。


 その時だった。


 餓者がしゃ髑髏どくろが腕を振り上げた。

 まるで山が崩れるような動きだ。

 二階堂がそれを見据え、地面を蹴る。


「Anesthesia Crash (アネスジア・クラッシュ)ッ――!」


 移動と同時に、骨の腕とぶつかる瞬間、衝撃が空気を震わせた。

 だが止められたのは一瞬。振動で二階堂の体が押し戻される。


「解体できませんか……」

 歯を食いしばりながら、メスを再び構える。


 一方――


「はっ、動きが単調だよイタチが!」

 リィドが跳ねるように飛び、空中でくるりと回って霧の中の鎌鼬 (かまいたち)を蹴り落とす。

 だが、着地した足が切り裂かれていた。

「くそっ、いつの間に!?」

 血が止まらない。

 痛みによる痺れが、もはや感覚を麻痺させていた。


 ♦


 俺は烏天狗と対峙しながら、息を殺す。


 敵は沈黙のまま、棍を構え――次の瞬間、視界から消えた。


 ――速い!


 直後、背後から骨を砕くような風圧が襲う。とっさに身を沈め、

 英斗はギリギリで回避した。棍が振り抜かれた音と、地面に亀裂が走る音が重なる。


「っ、速さも重さも、全部桁違いだ……!」


 怯まずに刀を構える。


(伊庭さんとの練習を思い出せ……)


 頭で考えと体がほぼ同時に反応した。


 再び棍が振るわれる。振り下ろし、突き、振り回し。

 すべての軌道に追いつくわけではなかったが、紙一重でいなすように回避し、間合いを詰める。


「はッ!」


 俺の刀が烏天狗の脇をかすめる。甲高い金属音。斬ったはずの箇所には、漆のように黒い装甲羽があった。


(通らない……いや、でも、届く!)


 棍が再び頭上から振り下ろされる。英斗は横に跳び、

 地を転がる。その衝撃で視界が揺れた。肺がきしむ。肩が裂けたように痛む。


「まだだ……まだ、やれる」


 スキルの“経験”が、自分の意志を後押しする。

 斬撃、回避、呼吸――そのすべてが、少しずつ馴染んでいく。


 敵もまた、警戒を強めていた。烏天狗は無言のまま、棍をゆっくりと構え直す。

挿絵(By みてみん)

 距離を詰めてくる。その一歩ごとに、殺気が濃くなる。


 俺もまた、構えを取り直す。手のひらに汗は滲むが、指の力は抜けていない。


 もう一度、ぶつかる。


 刹那、閃光のように交差する二人の動き。


 一体を足止め。


 それが、俺にできたすべてだった。


 ♦


「来い、鵺……」


 中野は構える。その気配に“覚悟”が滲む。


 その一言を合図に、鵺の咆哮が轟いた。空気が震え、

 耳が軋む。胴体がしなるように跳ね上がり、牙を剥いた猿面が空を裂く。


 中野は動かない。いや、動けなかった。


(……速い)


 鵺の突進――空を裂くほどの速度で迫る獣影。

 中野はギリギリで身体を捻り、右腕で受け止めるように受け流した。


 「ッ――ぐうぅ……!」


 骨がきしむ音。押し潰されるような重圧。だが、中野は耐えた。鋭い爪が肩を裂いても、倒れない。


 返す刃のように、脚を使って鵺の横腹へと打ち込む。


 (効かない……)


 次の一手が来る。


 鵺は高く跳び上がり、今度は上からの踏みつけ。

 鵺の筋力が爆発的に炸裂する攻撃――回避が間に合わない。


 「ッ……!」


 中野は寸前で両腕をクロスし、防御に徹した。

 爆音と共に地が揺れる。防御ごと叩きつけられ、背中が地を擦る。


 それでも、倒れない。構えは、まだ崩れていなかった。


 鵺が低く唸り、再び跳ねる。牙と爪、蛇の尾――そのすべてが嵐のように降り注ぐ。


 中野は避けられないものは受け、受けられないものは最小限にいなす。

 無駄のない最小動作。だがその代償に、体はじわじわと削られていく。


 切り裂かれた腕から血が滴る。腹部をなぞった尾が、肌を焼いたような痛みを残す。


 (あと数発で……立てなくなるな)


 しかし、ここで崩れれば、全体が瓦解する。それだけは絶対に避けねばならない。


 中野は、血でにじむ視界の中、なお前を見る。


 そこには、巨大な獣の姿。異形でありながらも“自然の終端”のような、神話的な威圧感。

挿絵(By みてみん)

 ――それでも。


 彼は、歩み出た。


 「鵺よ……命まではやらん」


 それは死闘を繋ぐ者の、意志そのものだった。


 鵺が応じるように再び跳躍する。


 獣と人がぶつかり合い、地が揺れ、血が散り、音が掻き消されるほどの攻防が続く。


 倒れない。引かない。倒せなくとも、退かせる。


 それが中野俊博の――「粘り」の戦いだった。


 ♦


 そして伊庭。


 濡女の髪をかわし、隙を見て刀を振るう。


 だが――


 その斬撃は遅かった。かつての鋭さを感じさせぬ、鈍い一閃。

 刃が黒髪を掠めただけで、濡女の本体には届かない。

挿絵(By みてみん)

 「ちっ……!」


 伊庭は舌打ちしながら跳び退く。すぐさま、

 足元へと濡れた髪が蛇のように絡みついてくる。


 踏み出す一歩が重い。膝が笑い、肺が焼けるようだ。先ほどまでの戦闘で、

 伊庭の身体は限界を超えていた。スキルは枯渇。筋肉は悲鳴を上げ、視界はぼやける。


 だが、彼はなお刀を構える。


 「たとえ斬れなくても……斬るつもりで、振るえばいい……」


 呟くように、自らに言い聞かせる。


 濡女は無言で、滑るように伊庭へとにじり寄る。濡れた長髪が地を這い、

 まるで沼のように広がっていく。踏み込めば足が取られ、捕まれば意識ごと沈められる。


 伊庭は深く腰を落とし、迎え撃つ構えを取る。


 刹那――濡女の髪が伸びる。鋭く、早い。


 伊庭は首を振ってかわすが、右腕をかすめられる。すぐに冷たく重い感触が走る。

 血ではない、水だ。冷たい液体が肌にまとわりつき、力を奪う。


 「ぐッ……!」


 それでも踏みとどまり、伊庭は真横に薙いだ。振るいきった一撃――


 だが、濡女の体は霧のように分散し、そのまま髪だけが襲いかかってくる。


 視界が闇に沈む。


 (まずい、囲まれる……!)


 とっさに地面へ身を投げ出す。転がるように逃れると、

 背中に重い衝撃。濡女の髪が地を穿ち、石を砕いていた。


 「……足止め、ぐらいは……してやる」


 ボロボロの体を押し起こし、伊庭はもう一度、刀を構える。

 すでに呼吸もままならない。筋肉はちぎれそうで、体温は奪われ、感覚すら薄れている。


 足元は泥のような髪に満ち、逃げ場はない。


 伊庭は、その場から一歩も退かず、刀をゆっくりと肩へ担いだ。


 (構えは崩れている……でもいい。最後まで、立って斬る)


 髪が舞い、空気が冷える。


 伊庭は叫ばず、ただ無言で斬りかかる。


 それが、彼の“足止め”のすべてだった。

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