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第92話 百鬼夜行①


 ズル……ズルズルッ……


 不快な音が、地の底から這い上がってくる。

 ぬらりひょんの足元から伸びる影――その淵から、“何か”がぞろぞろと這い出してきた。


「あれは……!」


 リィドが叫んだ。


 最初に姿を現したのは、犬のように四足で歩く影――だが、顔はまるで皿のように平たく、黒い舌をだらりと垂らしている。


 続いて現れたのは、首のない女のような影、体をくねらせて笑う虫のような影、何本も腕をもつ子供ほどの大きさの“人型”のようなもの――


 それらが、音もなく、数を増していく。


「くるぞ!」


 伊庭さんが刀を構え、飛びかかってきた一体の首なし妖怪を一閃で切り伏せた。

 刃は深々と食い込み、首のない胴体を真っ二つに割る。


「《月牙》ッ!」


 飛ぶような斬撃がその後続をまとめて斬り裂き、三体が黒い液体を撒き散らして倒れる。


 中野も鉤爪を構え、跳びかかる四足の怪を串刺しにするように突く。


「邪魔だッ――!」


「《貫穿》!」

挿絵(By みてみん)

 その一撃で、五体は地にめり込み、骨が砕けた音が木霊した。


 リィドが間合いを詰め、次々と風の刃を打ち込む。


「《疾槍陣》!」


 小型の影たちが五、六体、風に貫かれ、木の枝に叩きつけられて崩れる。


「まだいるッ!」


 二階堂がScalpel Rainスカルペル・レイン、メスの雨を放つ。

 だが、倒れても“次”が来る。


 それも、一匹ずつではない。

 這い出る数は、最初の倍――いや、数倍にもなっていた。


 その中心に立つぬらりひょんは、まるで舞台の幕が上がるのを静かに待つ役者のように、微笑を浮かべていた。


「お楽しみいただければ、何よりです」

 その声に、悪意も敵意もない。

 ただ、深夜の風のように、静かで冷たい。


「無限か……?」


 誰かが呟いた声が、霧に飲まれていく。


 巨大な虫のような影が、後方の木々をなぎ倒して突進する。

 伊庭が即座に斬り払い、リィドが風で横から削り、中野が刃を食い込ませて止める――だがその隙に、背後から別の影が跳びかかる。


「ぐっ……!」


 俺は反応し、刀の柄でそいつの頭を殴り飛ばす。


「数が多すぎる……!」


 二階堂が顔をしかめ、後退しながら再配置を促す。


 だが、それすら許さぬかのように、影たちは壁のように押し寄せてくる。

 空中、地面、木々の上。

 あらゆる死角から――“無数”の妖が、包囲の輪を閉じていく。


「“殺してもキリがない”ってのは、こういうことか……!」


 中野が背中合わせに伊庭へ叫ぶ。伊庭は無言で頷き、一体、また一体と斬っていく――だが、それでも包囲は止まらない。


「押されている……!」


 伊庭さんが苦々しく呟く。

 斬っても斬っても霧に溶け、また現れる。

 倒せる、だが“終わらない”。


「なあに……これは宴ですから」


 帳の奥、ぬらりひょんの声だけが、どこまでも静かに響いていた。


 その姿は戦場のどこにもない。

 なのに声だけが、ずっと彼らの背に添うようにささやいていた。


「夜は、まだ始まったばかりですよ」


 ――ズルズルッ、ズシャアアアッ!!


 突如、濃密さを増した霧の奥から、影が“波”のように押し寄せた。

 その質量は、先程までとは明らかに違っていた。

 小柄な妖だけでなく、二メートルを超える異形の影が混ざっている。

 角の生えた獣、裂けた顔の女、複数の腕を持つ兵士のような人型――


「数が……また増えている!」


 リィドが風の刃を展開しながら後退する。

 その背後で、英斗と伊庭が横並びに立ち、左右から迫る妖を叩き落とす。


「持たないぞ、これ以上は……!」


 俺は声を上げた瞬間、左斜め前――


 ドン、と地鳴りのような音とともに、黒い巨影が姿を現した。

 四足で這いながら、目のない顔をこちらに向ける。

 そいつは一瞬の溜めもなく、飛びかかってきた。


「伊庭さん、左!」


「……遅い!」


 伊庭さんが跳び斬りに刃を叩きつけ、巨影を真っ二つにする――が、


「くそっ、止めきれてない!」


 続いて、後方――


「うわっ!」


 霧の中から現れた影が、俺の背に迫る。


 その時――


「中野さん!」


 二階堂の鋭い叫びが、夜気を裂いた。


 応じるように、中野が静かに息を吐く。


「……了解」


 鉤爪を引き、両の手を組む。

 静かな所作のなかに、凄まじい“意志”が込められる。


「――《天之封域あめのふういき》」


 瞬間、周囲の空間が“押し返された”。


 中野を中心に、淡く金色に揺れる結界が展開される。

 その結界は呼吸のように脈動しながら、地面に紋を描いて広がっていく。


 ガンッ!!


 突進していた妖が結界の膜に衝突し、歪んだ叫びを上げる。


「結界……!?」


 俺は驚きの声を漏らす。


「助かった……」

 伊庭さんが肩を並べて、刃を下ろすことなく、結界の内側から睨み続ける。


 結界の外側では、なおも妖たちがぶつかり、跳ね、噛みつこうとし、あるいは溶けるようにまとわりつこうとする。

 だが――中野の結界が、それらを寄せ付けない。


「……助かりました、中野さん」

 二階堂が額の汗を拭いながら、結界の中心に近づく。


「長くはもたんぞ、二階堂……!」


 中野が息を切らしながらも、気力を振り絞るように言った。


「皆さん、結界は強力ですが――長くは持ちません。今のうちに数を減らしてください!」


 二階堂が指示を飛ばすと同時に、彼の背後――


 黒い霧の帳、その奥から再び、ぬらりひょんの笑みが聞こえた。


「結界、とは。……随分と手際が良い」


 その声は、皮肉でも嘲笑でもなかった。

 ただ、“楽しんでいる”音色だった。


「ですが、いつまで耐えれますか?」


「問題ない」


 伊庭さんが、静かに一歩、結界の縁を踏み越えた。

 その背に、誰もが“決意”を感じ取った。

 そして刀を抜きながら、低く、呟く。


「――《一視無明いっしむみょう》」


 空気が震えた。

 視線が走る先、霧の中の“すべて”に照準が合わされる。


 スキルの発動にはわずかな“貯め”が必要だ。

 だが、今は――結界という“砦”が、その一瞬を守ってくれている。


 瞬間。


 時が止まったような静寂。


 伊庭の視界に入るすべての敵影が、その一瞬――“刃に映った”。


 ザッ――!!


 刹那、斬撃音すら聞こえないまま、

 すべての妖たちが“同時に”切り裂かれ、霧の中で崩れ落ちていく。


「な、なんだ……あれは」

 リィドが思わず目を見開く。


 妖が見えたと思えば、そこにはもう肉片が舞っている。

 現れた先、地を這う前、跳ねる前――

 すべて“現れる前に”仕留められていた。


「……とんでもないスキルを隠してましたね」

 二階堂が小さく呟く。


 それは“範囲殲滅”という単語では足りない。

 まるで、伊庭の視界そのものが斬撃に変わっているかのようだった。


 だが――


 時間が経つごとに、伊庭の様子に異変が現れる。


「伊庭さん……!」


 俺が結界の内側から呼びかける。


 鼻から、血が一筋、流れ落ちる。

 それだけではない。

 耳の奥からも、赤黒い滴がこぼれ落ち、目の端にも血がにじんでいた。


「やはり……脳への負担が……」


 二階堂が低く呟く。

 伊庭の動きに鈍りは見えない。

 だが――確実に、命を削っていた。


 それでも、伊庭は止まらなかった。

 止まれば――また、押し込まれる。

 止まれば――誰かが、喰われる。


「ぐっ……はっ……!」


 深く息を吐く。

 その吐息が赤く染まっていることに、本人はもう気づいていない。


 それでもなお、伊庭は斬り続けた。


 斬り、断ち、駆け、止め、構え、そしてまた斬る。


 ――刹那。


 ピタリ、と霧が静まった。

 まるで、大海に投げ込まれた石の波紋が、ようやく収束したかのように。

 黒い影が――出てこない。


「……終わった?」

 リィドが半信半疑で辺りを見回す。


 俺も警戒を解かず、刀を構えたまま動かない。


「……ああ」


 伊庭さんが、結界の内へと戻ってきた。


 その姿は、まるで血に濡れた亡霊のようだった。

 だが、その両目には、はっきりと“生”の光があった。


「尽きた。少なくとも、今はな」


 その声に、誰もが言葉を返せなかった。


 中野がすぐさま伊庭の肩を支える。


「よく……持ちこたえた」


「中野さんのおかげだ……」


 伊庭がかすれた声で呟くと、膝をつきそうな身体をなんとか刀で支える。


 彼の後方、霧の奥には――もはや、何もいなかった。


 ただ、一人を除いて。


「お見事でございます。しかし、困りました」


 霧の帳の奥から――ぬらりひょんの声が再び、微笑とともに響いた。


「百鬼をお迎えする観客が消えてしまいました」


「観客……だと?」


 リィドが目を細め、冷ややかに言い返す。


「あなた方が今しがた倒したのは、ただの“観客”

 盛大にお迎えしたかったのですが、致し方ありません」


 その言葉が終わるや否や――


 ズン……ッ


 地が低く、重たく鳴った。



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