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第91話 ぬらりひょん②

「……邪魔だなッ!」


 リィドが低く唸り、風を纏った刃を振りかぶる。

 霧を断ち切る勢いで、縦横無尽に斬り裂く。

 疾風のような連撃――

 だが。


「……ん、惜しい」


 ぬらりひょんは、それらすべてを“歩くような速度”で回避した。

 ぬめるように身体を傾け、足元を滑らせ、時にはその場から“消えて”、

 気が付けば――枝の上、あるいは英斗の斜め後ろ。


「――ッ!」


 振り向いた時にはもういない。

 木の葉が落ちるような音すらない。


「くそ……」

 リィドが奥歯を噛み締める。

「動きだけで戦場を制圧してる……いや、“支配”してる……!」


「中野!」

 伊庭さんが叫ぶ。


「わかってる!」


 中野は刃を水平に構え、左腕を深く下げて、構えを低くする。

 地を這うように滑り込む刺突――速さと不可視性を兼ね備えた一撃だ。

 最速、かつ予測困難な一撃だった。


 鉤爪が、鋭い音を立てて霧を裂く。


 ――だが。


「その構えは美しいですね。鬼のようだ」

 ぬらりひょんは目の前で、まるで鏡のように“写るような動き”で身をかわした。

 中野の鉤爪はかすりもせず、背後に突き抜ける。


「……っ!」


「反応じゃない」

 中野の口から出た言葉は震えていた。

「こいつ、攻撃を“先に知ってる”……?」


「……未来視か?」

 リィドが眉をひそめた。


「違う」

 伊庭さんがすぐに否定する。

「身体の動きに“流れ”がない。全てが既に“在る”かのように動いている……」


「なるほど、言い得て妙ですね」

 ぬらりひょんが“空気”のように間に割り入る。

「私の動きには“始まり”がない。だから、“見切れない”のです」


 その瞬間、俺の背後から気配。

 反射的に振り向くと――


「はい」

 目の前にぬらりひょんの顔があった。


「――ッ!!」


 その顔が、あまりにも近すぎた。


 ぞわり、と背筋が凍る。

 目が、笑っていた。けれど、笑いの“熱”がまるでない。

 まるで“人間の顔を借りた皮袋”のような表情だった。


「おい、ふざけてんのか……ッ!」


 リィドが怒声とともに距離を詰め、斜め上から刃を振り下ろす。

 伊庭、中野、二階堂が連携して包囲線を築くように攻め込む。


 ――が。


「えっ?」


 気が付けば、ぬらりひょんは輪の“内側”ではなく、外に立っていた。

 誰も、移動の瞬間を見ていない。

 音も、気配もなかった。

挿絵(By みてみん)

「さっきまで、確かに中に……」

 俺が呟くと、


「“今”という感覚を、失わないようにしてくださいね」

 ぬらりひょんは、まるで先生のように優しく言った。


 その口調が、腹の底をじわじわと凍らせる。


(なんだ、この感じ……)


 ふと気づく。


 ずっと、“避ける”ばかりだ。


 一度も、こちらを攻撃してこない。


 中野が斬りかかり、伊庭さんが抜刀し、リィドが斬風を巻き起こし、

 二階堂が鋭い軌道でメスを投げ――

 すべて外れる。すべて躱される。


(でも、向こうは……何もしてこない)


 まるで“試している”かのように。


(なぜだ……?)


 俺は、呼吸を整えながら、ぬらりひょんを見つめた。


(こいつ……何が目的だ?)


 普通、戦うなら攻撃してくるはずだ。

 ここまで無防備な動きが続けば、隙が生まれる。

 それなのに、まるで“挑発”するように、間合いの中に入ってくる。

 それでいて、反撃はない。視線は、常にこちらを“観察している”。


(まるで……こっちの“何か”を見定めてるみたいだ)


 攻撃を仕掛けない理由。

 この空間を満たす霧の中で、まるで舞うように“交わし続ける”だけの意味。


(本当に……こいつは、戦う気があるのか?)


 それとも、これは“別のゲーム”なのか。


 静かに、だが確実に、胸の奥に黒い疑念が芽生え始めていた。


「――ならば、容赦はしない」


 伊庭さんが静かに構えを取り直した。

 その足元に、風が巻き起こる。


「《月牙》」


 踏み込みと同時に放たれる、横薙ぎの斬撃。

 空間に淡い弧を描く一閃が、黒霧を裂いてぬらりひょんへと迫る。


 だが――その刹那、影が“滑るように”移動する。


 空を切る。手応えはない。


「フッ、次はこっちだ」


 中野が地を蹴り、腕の刻鋼爪が青白く光る。


「貫穿 (かんせん)――!」


 全力の突き。狙いは胴体。

 殺傷力に特化した直線の一撃。だが、


 スッ――


 ぬらりひょんの身体が、煙のように“後方へ抜けた”。


「ッ!?」


 空間ごと滑ったような感覚。

 斬撃の風圧すら通り抜けて、ぬらりひょんは霧の中にふわりと立っていた。


「惜しいですね。いや、惜しくもないかもしれません」


 その不気味な声に続けて、風が唸る。


「じゃあ、これでどうだ!」


 リィドが風を纏い、両腕を交差する。


「《疾槍陣》!」


 無数の風の槍が、四方からぬらりひょんを貫こうと収束する。

 その全方向からの包囲攻撃は、逃げ場を奪うはずだった――


 が。


「……っ!」


 リィドの目の前で、すべての槍が“通過”した。

 そこにぬらりひょんの姿はなく、気づけば背後。


「風の扱い、見事でしたよ」


「ッ、テメェ……!」


「動きが……違う」

 伊庭が静かに言う。

「空間の中で“生きて”ない。あれは、世界の隙間にいる……」


「ならば」

 二階堂が、ゆっくりと手袋を外す。


「《解剖ノ書 (リトル・ヴィヴィセクター)》」


 その両手から無数のメスが浮かび上がる。

 空間を切り裂くように円を描き、霧の中の“ぬらりひょん”を包囲する。


 ――次の瞬間。


 シュン、シュン、シュンッ!


 メスが放たれる。どれもが殺しの軌道。


 だが、ぬらりひょんは首を、腰を、肩を“わずかに傾ける”だけで――


 すべての刃を避けた。


「……」

 二階堂が息を呑む。


「もはや、身体能力とかそういう話じゃない……」


(これは……“遊ばれてる”のか?)


 俺は、黙って刀を握る。

 攻撃はしない。ただ、気配が近づく瞬間だけを狙って“受け”に徹していた。


 ぬらりひょんがこちらへ歩くたび、俺の腕は自然と反応し、刀が軌道を読み取る。

 だが、その刹那に影は消える。


(……避けられてるんじゃない。“始まってない”)


 相手は、一度も戦いを“開始して”いない。


 俺たちは、ずっと――

“始まっていない相手”に対して、全力の技を撃ち続けている。


 その事実に、全身から冷や汗がにじんだ。


 伊庭の斬撃、中野の刺突、リィドの風、二階堂の精密な投擲。

 どれもが空を裂き、霧を揺らす。だが、ぬらりひょんは少しも傷つかない。


(なぜ……攻撃してこない?)


 俺たちが攻撃し、力を使い、心を削っている間、

 あいつはただ“受けている”。ただし、“手応えゼロ”で。


(違う。受けてすらいない。かわされてる……無限に)


 俺は静かに息を吸い込んだ。


(……そうか)


「こいつ……」


 俺の声が、自然に口をついて出た。


「こいつ、攻撃してこないんじゃない。――“俺たちの消耗”が目的なんだ」


「伊庭さ……」

 俺が叫ぶよりも早く異変が起きた。


 黒い霧の奥。ぬらりひょんの顔が、ひときわ深く、微笑んだ気がした。


 気づけば――森を覆う空が、すっかり茜を失っていた。

 霧の色も、より深く濃く、まるで闇そのものが染み出しているかのよう。


 風も止み、鳥の声も絶え、虫の音すら聞こえない。

 世界が息を潜めて、ただ“何か”の到来を待っているようだった。


 そんな静寂の中、ぬらりひょんが両手を広げた。


「さて皆さま」

 その声は、どこか芝居がかっていた。

「日も落ち、頃あいも良くなりました」


 肩をすくめ、まるで舞台俳優のように一礼する。


「我らの時間でございます。盛大な拍手でもってお迎えください」

 そして、楽しげにくるりと身をひるがえすと――


「――百鬼夜行の、始まりでございます」


 直後。地の底から這い上がるように、黒霧が“咆哮”を上げた。


 空が軋み、地が唸り、夜が“深く”なる。

 その中心に立つぬらりひょんの姿が――さらに“人外”のものに染まり始めていた。

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