第9話 村田 瑞穂
あれから数日、俺はレベル上げのために連日絡まれに行った。
確実に強くなっているのを実感する。力加減を間違えれば大怪我をさせてしまうほどだ。
力だけなら十分ある。だからこそ、加減を間違えなければ、たいていの相手は一撃で沈んだ。
ただし、格闘技を長くやっている相手には勝てないだろう。
当たらなければ意味がないし、逆に当てられたら俺が一撃で沈む。
喧嘩にも徐々に慣れ、下手な攻撃なら避けられるようになった。
そして、もう一つライブラについて分かったことがある。
怪我の回復速度の違いだ。
崖から落ちた時の怪我は二日で完治、打撲や打ち身程度なら一日寝れば治る。
一昨日、脚を骨折したが、やはり二日で治った。
重症度によって回復速度が変わるようだ。もっと重傷なら、さらに数日かかるのかもしれない。
とはいえ、これ以上身をもって調べるのは御免こうむりたい。
ちなみに、レベルはまだ3のままだ。徐々に上がりにくくなってきているのだろう。
今日はアパートに荷物を取りに来ていた。
残りの日数あと20日、明夫さんの家にお邪魔することにしたからだ。
俺の住むアパートと明夫さんの家は、思ったより遠くない。歩いて30分ほど。
途中にいつもの牛丼屋と、俺がバイトしていたコンビニがある。
「毎日通ってきたり迎えに行ったり、面倒だろ?
それにな……ここまで関わっちまったんだ。最後まで見届けさせろ」
そう言って、明夫さんはガハハと笑っていた。
誠と明夫さんは用事があるらしく、今日は出かけている。
なんでも昔預けていた物を取りに行くとのことだった。
あれから10日ほどしか経っていないが、部屋に戻ると妙に懐かしく感じた。
一度、アパートを引き払おうかとも考えた。突然いなくなれば、大屋さんに迷惑がかかると思ったからだ。
だけど、やめた。これは "必ず帰ってくる" という自分自身への願掛け。験担ぎのようなものだった。
部屋を出るとき、洗面台の鏡に映った自分を見て、ふと感じる。
......一月前の俺とは、どこか違って見えたのは気のせいだろうか?
それは英斗自身でも気づいていないことだった、
目の奥に、ほんのわずかだが“戦う覚悟”が宿っていたことを。
階段を降りると、大屋さんがいた。また猫を探しているのだろう。辺りを見回している。
「こんにちは」と声をかける。
「あら吉野さん、最近見ないじゃないの。何かあったのかい?」
俺を心配してくれていたことに、少し感動する。
「家賃だけは入れとくんだよ」
そう言って、ニカッと笑う。
――数秒前の感動を覚えた俺を殴ってやりたい。
「ちょっと三週間ほど住み込みでバイトしてきます」
余計な心配をかけないよう、当面不在であることを伝える。
「あんた……闇バイトは駄目だよ」
怪訝な顔をしながらそう言った。
俺をなんだと思ってるんだ、この人は。
「冗談だよ。気をつけておいき、元気に帰ってくるんだよ」
そう言って、見送ってくれた。
軽く会釈をしてアパートをあとにする。
――すると、背後から。
「家賃入れてもらわなきゃ困るからねぇ」
かすかに聞こえた気がするが、聞かないことにした。
いつもの牛丼屋を通り過ぎ、しばらく歩いていると、背後から俺を呼ぶ声が聞こえた。
「吉野さん」
振り向くと、そこにいたのは村田さんだった。
「辞めるって聞いて驚きました。どうして急にやめちゃったんです?」
どう誤魔化そうか考えていると。
「看板の話と関係あるんですか? 最近の吉野さん、様子がおかしかったから……」
人付き合いに興味がなさそうだと思っていたけど、そうでもなかったのかもしれない。
俺のことを気にかけてくれる村田さんに、心の中で感謝した。
「吉野さんが看板の話をしていたとき、何故か気になって駐車場の辺りを見に行ったんです。そしたら、これが落ちてて……」
彼女が鞄の中から、いくつかのプラスチック片を取り出した。
これって、私たちのコンビニの系列の看板の欠片……ですよね?」
「本当は、この間一緒に仕事に入ったときに聞こうと思ってたんです。でも、吉野さんが辞めるなんて思ってなくて」
「ウチの店舗には看板が無いのに、どうしてこれが落ちてるんです?
それに、どこの店舗にも前看板はあるのに、どうしてウチの店だけ無いんですか? 不自然ですよね?」
「吉野さん、何を知ってるんですか? 教えてもらえませんか?」
適当にはぐらかそうかと思ったが、村田さんの目は、
俺の冗談や誤魔化しを許さない、そんな強い意思を感じさせた。
俺は、本当のことを話すことにした。
場所を変え、近くのファミレスへ入ることにした。
店に入ると、店員がテーブルへと案内してくれる。
店内は賑わっていて、カトラリーの音や談笑が飛び交っている。
主婦の憩いの場になっているのだろうか。女性が多いように感じた。
遠くに見える時計の針は、3時を指していた。
席につき、ドリンクだけ注文。
――よく考えると、女性と二人でいるなんて大学生以来だ。
こんなに近くで見るのは初めてかもしれない。なんか、妙に意識してしまう……
分かってはいたが、改めて見ると、村田さんはやはり可愛かった。
長めの黒髪はさらりと艶やかで、眼鏡越しに見える瞳は落ち着きがあって知的だ。
化粧っ気のない素顔は素朴だけど、その分、表情がとてもよく映える。
静かにコップを持つ指先さえ、どこか丁寧で――
(……やばい、なんか見すぎてるかも)
一度意識してしまうと、妙に緊張する。
店員がドリンクと伝票を置いて下がる。
緊張のせいか、ドリンクを一気に飲み干してしまった。
意を決し、俺はこれまでの経緯を話し始めた。
「……だいたい、こんな感じなんだけど……」
話し終え、彼女の反応を伺う。
周囲の喧騒が妙に大きく聞こえる。彼女は俺を嘘つきだと非難するだろうか?
無言のまま時間が過ぎていく。
沈黙に耐えられなくなり、俺から話しかける。
「ライブラは記憶が無くなるから見せられないし、力は強くなったけど、常軌を逸するほどでもない。
怪我しても次の日には大体治るけど、すぐには証拠を示せないから、信じられないだろうけど...」
再び沈黙...気まずい...
村田さんに視線を移す。
よく見ると、小刻みに震えている気がする。
すると——
バンッ!!
突然、彼女が机を叩いて身を乗り出してきた。思わず体がビクッとなる。
「吉野さん...私、好きです!」
突然の告白に俺の心臓が一瞬止まりかけ、周囲の視線が一気に集まる。
先ほどまで意識していたことが蘇る。胸がキュンとする。これが...恋?
「私、この手の話、大好きなんです!」
……俺の回復力をもってしても、この傷は生涯治らない。
「向井さんがこの手の話をするとき邪険にしてなかった? てっきり、こういう話嫌いなんだと……」
瀕死のダメージを隠しつつ、なんとか平静を装う。
「向井さんは浅すぎて、話にならないだけです。あの人、結局は都市伝説レベルの話で満足してるんですよ」
ピシャリ。切れ味鋭いひと言が飛んでくる。
なるほど……これはガチ勢というやつだ。目が怖い。
「さっきも言ったけど、証明できるものないよ?」
「吉野さんが生きていれば、いずれ証明できますよ」
目がギラギラと光っている。
――なんだこの圧は。あの穏やかだった村田さん、どこいった。
村田さんのイメージが崩れていく。
清楚な文学少女 × → オカルトガチオタ 〇
そういえば――
彼女の鞄にAMAMIYAブランドのマスコットキャラが、何体もぶら下がっていたことを思い出す。
翼のついたずんぐりしたシルエットに、まるっこい目と牙がチャームポイントの“ガーゴン”。
無邪気に笑うガーゴンのキーホルダー。
それを、嬉しそうにぶら下げている村田さんの姿が脳裏をよぎる。
(……そういうの、好きだったんだな)
結局、ライブラについて何かわかったら連絡するという約束を
“させられて”今日は解散することになった。
別れ際、彼女は振り返って満面の笑みで言った。
「絶対ですよ。期待してますからね」
……あの笑顔が、なぜか妙に怖かった。
ファミレスをあとにして、明夫さんの家に戻る。
玄関には靴が二足。二人とも帰ってきているようだ。
リビングに行くと、ソファーに座りテレビを見ている二人がいた。
「おう、エイト帰ったか」
「おかえりっす」
二人に「ただいま」と返事をし、荷物を降ろす。
実家以外で“ただいま”を言ったのは初めてかもしれない。少し照れるな。
「今からでも行くか?」
明夫さんは座ったまま、シャドーボクシングのように素振りをしてみせる。
「今日はやめとくよ」
手を横に振りながら答え、村田さんにもライブラについて話したことを伝えた。
誠が「デートしてたんですか? 余裕すね」と、なぜか軽蔑の目を向けてくる。
「あと20日で死ぬかもしれねぇってのに、おめぇはホント大物だな」
明夫さんは、呆れているのか感心しているのか、よく分からない口調だ。
——余計なこと言わなきゃよかったと後悔した。
話題を変えるため、明日の予定について話す。
「明日行きたいところがあるんだけど...いいかな?」
「どこ行くんすか?」
誠はテレビから視線を外さずに聞いてくる。
「前にミッションが発生した場所に行きたいんだ。もしかしたら何か残ってるかも」
二人は俺の方を向いた。
「それって例の化け物がでたところだろ? 危険じゃないか?」
「分かってる。でも、少しでも手がかりが欲しいんだ」
「どうしてもってんなら、止めはしねぇが、その代わり俺たちもついてくぞ」
「俺もっすか!」
誠は驚愕の表情を浮かべ、「はい...」と消え入りそうな声で返事をした。
それから、明日は早くから出発することで決まり、今日は早めに寝ることにした。
寝る前に村田さんへ連絡を入れる。
明日以降連絡がつかなくなったら、そういうことだと思ってくれと。
◆
翌朝。
車では時間がかかるので、新幹線と電車を乗り継いで移動した。
新幹線の車内。
誠が座席を倒しながら呟く。
「遠足みたいっすね」
すかさず明夫さんが軽く小突く。
「アホか。遠足ならもっと楽しいだろ」
「いやいや、こうして皆で移動する感じがですよ。ほら、修学旅行のときとか
、電車の中でやたらテンション上がるじゃないですか」
「ガキの頃はな」
俺は窓の外を眺めながら苦笑する。
「誠、そんなこと言ってるけど、ビビってんじゃないのか?」
「は? 何言ってんすか。俺、マジで余裕っすよ」
そう言いながら、誠は妙にソワソワしている。
明夫さんがニヤリと笑う。
「誠はガキの頃から幽霊とか化け物とか苦手だもんな」
「……え、それは……」
俺と明夫さんが視線を合わせ、笑いを堪える。
「でも、何か残ってるかもしれないんだ。手がかりを探すためにも行くしかない」
誠は渋い顔をしながらも、観念したように腕を組む。
「……ま、ここまで来たら逃げれないっすもんね。付き合いますよ」
明夫さんが満足げに頷く。
「そうこなくちゃな」
新幹線を降り、電車を乗り継いで移動。
駅に着き、改札を出る。
すると——
「吉野さん!」
大きな荷物を背負った女性が、こちらへ駆け寄ってくる。
村田さんだった。