第87話 恐山②
八本の首が、獲物を求めて各方向へ一斉にうねり――襲い掛かってきた。
「バラけるな! 一点集中で頭数を減らせ!」
伊庭さんの指示が飛ぶ。
「俺が足を止める!」
リィドが叫びと同時に《Warden of Winds (ウォーデン・オブ・ウィンズ)/風の看守》を発動。
次の瞬間、嵐のような強風が八岐大蛇の巨体に纏わりついた。
その隙に、中野が一気に距離を詰める。
「Blood Talons (ブラッド・タロン)!」
右手に装着された鉤爪が一閃、蛇の首を半分ほど裂いた。
中野の動きに合わせて俺も飛び出していた。
「Crackle (クラックル)!」
刀に青白い光が宿る。以前は唱え続けなければ効果がなかったが、
進化によって、今では一度の詠唱で帯電するようになり…攻撃力も著しく向上していた。
刀を一閃、蛇の首を完全に切り裂いた。
「吉野!」
伊庭さんの声に反応し、俺は後方に飛ぶ。
先ほどまで俺が居た場所に別の頭が通り過ぎた。
その時――
「さがりなさい」
「Scalpel Rain (スカルペル・レイン)」
二階堂の手から無数のメスが出現、雨のごとく蛇に降り注ぐ。
「今のうちに」
「……!」
伊庭さんが駆け、刀を片手に巨大な首元へ踏み込む。
「無音の太刀」
スキルではない伊庭さんの抜刀術だ。
ズバン!
二つ目の首が、地に落ちた。
残るは六つ。
だが、八岐大蛇は怒りの咆哮をあげ、地面を踏み砕いた。
大地が震え、巨大な尾が俺たちへ向かって――
「吉野、しゃがめ!」
伊庭さんの声に、反射的に膝を折った。
直後、俺の頭上を――巨大な尾が風を裂いて通過した。
ドガァン!!
後方の岩壁が粉砕され、土煙が舞い上がる。破片が雨のように降り注いだ。
(今の一撃、まともに受けてたら……)
思考が追いつくより先に、別の首がこちらを狙ってうねりながら伸びてくる。
「来るぞ!」
俺は再び構える。――だが、そのとき、
「カバーする」
中野の静かな声が背後から聞こえた。
風のように前へ出た彼の両腕から、黒鉄の鉤爪《刻鋼爪 (こくこうそう)》が展開される。
「“威力”は通じなくても、“制御”はできる」
中野の体術は、異様なほど無駄がない。
蛇の首の付け根に飛び乗ると、その関節部に爪を深く食い込ませ――ねじり込んだ。
ゴキィッ!!
肉の中で骨が砕ける音。巨大な首が一瞬、制御を失ったように暴れる。
「今だ」
中野の声。
「……!」
俺はスキルCrackle Edge (クラックル・エッジ)を発動。刀身に電撃をまとわせ、蛇の首を深々と切り裂く。
ズバッ!
首を落とすまでには至らないが……!
「リィド!」
二階堂が別の首を引きつける。
「ああ」
軽く応じたリィドは、地を滑るように回り込む。
「切り裂け!Gale Blade (ゲイル・ブレード)!」
鋭く、正確な一閃が、筋を断つ。
「……さぁ、どんどん行こうか!」
俺、中野、リィド――三者の連携が、自然と形成されている。
すると――
咆哮を上げた八岐大蛇の身体が、淡く、禍々しい赤に発光する。
(――来る!)
俺が身を翻し、岩陰に飛び込んだ瞬間だった。
ゴウッ!!
残された五つの首が、同時に口を開いた。
次の瞬間、灼熱の奔流が天地を焼き尽くすように吐き出された。
「火炎ブレス……っ!」
それはただの“火”ではない。
地面を抉り、岩を融かし、空気すら燃やすような超高熱の攻撃。
伊庭さんとリィドが、同時に飛び出した。
「熾断 (しだん)!」
伊庭さんの刃が空を裂いた。斬撃は大気ごと裂き、直線状の炎を一時的に分断する。
その一閃には“間合いごと断ち切る”圧倒的な気迫があった。
しかし、炎は一点だけでは終わらない。
八岐大蛇の残された五つの首が、それぞれ異なる角度から放射状に吐き出した炎が、周囲の地形を薙ぎ払っていく。
「Storm Wall (ストーム・ウォール)!」
リィドがすかさず手を掲げ、風の障壁を展開する。
轟音とともに巻き上がる嵐の壁が、全身を包むように広がる。
熱波は巻き返されるように捻じ曲がり、俺たちに迫っていた熱風はここまでは届かない。
「助かっ……!」
俺が言いかけたそのとき――
ボンッ!!
風圧の飽和点を越え、炎が風壁を突き破るように暴発した。
破裂音と共に爆ぜる熱波の残滓<ざんし>が、リィドの肩をかすめた。
「っつ……ちょっと計算外だったかも」
リィドは肩を抑えながらも笑う。だが、その表情に余裕は残っていた。
「俺の風で抑えきれないってのは、さすがに初めてかもな……!」
二階堂が、唇の端だけで笑んだ。
「どうやら――動きを止めたようですね。
では……各々が、“首”を狩るとしましょうか」
その声が空気に溶けきる前に、五つの影が地を蹴った。
空気が、裂ける。大気が、悲鳴をあげる。
誰もが無言のまま、獲物の気配だけを頼りに動き出す。
目的は一つ――八岐大蛇の“首”。
それぞれが最適解を見極め、殺意をその身に宿して駆けた。
ドンッ!!
五つの足音が重なり、雷鳴のような衝撃が地を震わせる。
伊庭 静馬は、正面へ。
もっとも巨大で、もっとも動きの鈍い一首へ、迷いなく踏み込んだ。
「――断華」
抜刀の気配すらなかった。
ただ、空間が割れ、時間が止まったかのように静寂が走る。
ズバン!!
音を置き去りにした一閃が、鱗を斬り裂き、骨ごと首を断つ。
血飛沫すら風に流され、斬られた首は音もなく倒れた。
その刹那、中野 俊博は左側へと流れるように動く。
黒い影が滑り込み、構えを低く、身を沈めて一気に加速した。
「刻鋼爪・貫 (つらぬき)」
五指に宿した鉤爪が閃き、狙い澄ました一点――
蛇の神経節へ、正確に、深く。
ドッッ!!
刃が貫いた瞬間、蛇首はまるで操り糸を断たれたように脱力し、崩れた。
瞳に映る光すら、もうなかった。
右手の崖沿いを駆けたのは、リィド・グレイハルト。
風のように軽く、跳ねるような足取りで駆け上がり、ひときわ高く跳躍する。
「そっちの首、もらったぜ!」
空中で旋回しながら、両腕に風を纏わせる。
「Gale Blade!」
斜めに巻き起こる風刃が鋭く唸り、空気ごと喉元を抉った。
分厚い鱗が裂け、断面から血の滝が吹き上がる。
ザクリッ!!
呻きもなく、首が崖下へと倒れていった。
残るは二首――そのうちの一つに、俺は向かう。
「――Crackle Edge!!」
刃に電撃を纏わせ、一気に踏み込んだ。
跳ね上げた一閃が蛇の首の根本に斬り込み、肉と骨を焦がしながら切断していく。
ジュウッ!!
焼ける肉の臭いが鼻を突き、電撃の反動が腕を痺れさせる。
それでも、止まらない。押し切る。絶対に。
ズバァッ!!
裂かれた蛇首が、大地を揺らして沈黙した。
静寂が戻る――いや、違う。
もう一首。
音もなく歩み寄るのは、二階堂 司だった。
その背には一切の隙がない。ただ、死を告げる風だけが彼の周囲を撫でる。
最後の蛇首が唸り声を上げ、彼に襲いかかる。
二階堂はそれを一歩で躱し、
すれ違いざま、わずかに指先で蛇の頭部に触れた。
「Anesthesia Crash (アネスジア・クラッシュ)」
瞬間――脳が崩れた。
衝撃も悲鳴もない。ただ、蛇の頭部が“崩壊”した。
骨も神経も、まるで精密に切除されたかのように、瓦解していく。
残されたのは、首を失った八岐大蛇の、胴と尾だけ。
八岐大蛇は、まだ死んではいなかった。
巨体が、痙攣するように震え、異様な気配を帯び始める。
地の底から沸き上がる咆哮が、再び戦場を覆い尽くそうとしていた――。
ゆっくりと、潰れた肉塊が脈動を始める。
もがくように、すでに落とされたはずの首が再び盛り上がり、骨の芯から再生しようとしている。
「しぶとい蛇さんですね……あとは任せます、中野さん」
二階堂が後退しながら、淡く笑みを浮かべる。
「――了解した」
中野が一歩前へ出る。
その背中には、迷いも、緊張もない。
「刻鋼爪、全出力解放――《Divine Ripper (ディヴァイン・リッパー)》」
その名が発せられた瞬間、中野の両腕に装着された黒鋼の爪が変化する。
爪の輪郭が淡く金色に輝き、空間を裂くような圧力が発生する。
一瞬の踏み込み。
その動きはまるで、肉体という枷を超えた“処刑機構”のようだった。
ザァン――ッ!!
振り上げられた両腕が、十字を描いて振り下ろされる。
そして――八岐大蛇の胴体に、深く、正確に交差する斬撃が刻まれた。
大地が鳴動し、肉の断裂音が響く。
大蛇の巨体が、震えながら崩れ落ちていく。
それはまるで、“命の核”ごと断たれたかのように、静かだった。
誰もが息を飲み、微動だにしないその巨体を見つめる。
やがて、再生の気配が完全に消え、
八岐大蛇は、ようやく――“死んだ”。
静寂。
しばらくして、二階堂がその場に歩み寄る。
「さすがです、中野さん。これで完全に沈黙しましたね」
「……ああ」
「さて――」
二階堂が倒れた巨体の周囲を見回しながら、呟くように言う。
「伝説によれば、スサノオが草薙剣を手に入れたのは“八岐大蛇の尻尾”の中……でしたね」
「つまり、今回の神器――《慟哭の剣》が、尻尾にある可能性が高い」
中野が即座に返す。
「さて、ちょっと“探索”してみましょうか」
二階堂が微笑み、ゆっくりと手を伸ばす。
「待て!」
俺の声が、場の空気を裂いた。