表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
85/110

第85話 迫る影

 死の静寂が、ゆっくりと後退していく。


 誰も言葉を発せず、ただ風だけが、吹き抜けた。


 その中で、神谷が肩で息をしながら、隣に立つイレーナへと声をかけた。


 「……あんたのスキルがなきゃ、俺も他の奴らも、あのまま終わってた」


 素直な感謝だった。

 この戦場では、そんな言葉すら、重く、貴重だった。


 イレーナは肩にかかった髪を払うと、少し意地悪そうに唇を吊り上げた。


 「へぇ、あんたが素直に礼を言うなんてねぇ……うすら寒くなるよ」


 だがその声音には、いつものような軽口よりも、少しだけ温度があった。


 神谷が少しだけ目を細める。


 「で……あれは、一体なんなんだ?なんであいつは誰もいないところを攻撃したんだ?」


 それは、戦場の混乱と恐怖の中でさえ、異常としか言えなかった。


 イレーナは、ゆっくりと息を吐き、片手で自分の胸元を指差す。


 「《Hollow Theatreホロウ・シアター》――虚構の劇場。あたしの“本命”さ」


 「……幻術か」


 「そう。舞台装置のように、現実を“演じる”の。あの鬼が見たのは、演出された死の連鎖」


 「あいつは幻を見てた……?」


 「そう。痛みも、血も、命の終わりも――あたしが魅せた“嘘”だった」


 淡々と語るその言葉に、神谷は一瞬、言葉を失う。


 「……えげつねぇな。あんたのやることは」


 「だろう?」

 イレーナは得意げにウィンクする。


 「……さて」


 イレーナは微笑を浮かべ、わずかに空を見上げた。


 「ここからが、本当の“劇”の始まりさね」


 「まぁ……そうなるわな」


 酒呑童子の肉片が、地に溶けるように沈んでいく。


 言葉を交わした直後――


 互いの目が、再び鋭く交差する。


 イレーナは鞭をゆっくりと巻き取りながら、神谷の鎖を見た。

 神谷もまた、油断なく構えを保ったまま、距離を測っていた。


 (ここからは、また“敵”……か)


 そう思った瞬間――


 ババババババ――ッ!!


 突如として、空が騒ぎ始める。


 風が渦を巻き、木々の梢がしなる。

 見上げれば、黒い機体が谷間を抜けてこちらへと急接近していた。


 「……来たか」


 神谷が静かに言った。


 それは、戦闘前に彼が神楽に“念のため”要請していた援護部隊――

 ノウシスのヘリだった。


 「……これ以上は、無駄な戦になるぞ?」


 神谷がそう告げると、イレーナの目が細くなった。


 風に白金の髪がなびく。


 「……ちっ、やるじゃないか。」


 彼女は肩をすくめ、後方の姫川と倉橋に視線を送った。


 「クラ。ユウ。帰るよ」


 「……了解っス」


 「次はこうはいかない」


 それぞれが警戒を解かず、静かに後退の体勢へ。


 最後にイレーナはちらりと視線を向けた。


 「覚えときな。あんたらを倒すのは、この“イレーナ・クルーゲ”だ」


 それだけ言い残し、彼女は踵を返す。


 テミスの3人は、鞍馬の森の奥へと姿を消していった。


 空には、依然としてヘリの影。

 ノウシスの支援班が、周囲を警戒しつつ降下を始めていた。


 ようやく――

 この悪夢の幕が、ひとまず降ろされたのである。


 ヘリのローター音がやや遠ざかり、森のざわめきが徐々に戻ってくる。


 死の気配が支配していたこの境内に、ようやく“人の気配”が戻った――そんな感覚だった。


 神谷は静かに息を吐き、地に垂らしていた鎖を回収しながら、低く呟いた。


 「……とんでもねぇ連中だったな」

 それは、戦い抜いた者にしか吐けない、苦い敬意のようだった。

 誰に向けた言葉でもなかったが、仲間全員の胸に響いた。


 「……ええ、まったくです」

 咲耶が小さく頷き、弓を下ろす。


 「……実力は本物でしたね」

 柚月さんが重く落ち着いた声で続ける。


 「どこかでまた会うだろう。今度は“本気の殺し合い”でな」

 神谷さんが冷静に未来を見据える。


 神谷さんはうなずきながら、ちらと空を見上げた。

 薄く雲が広がり、夕暮れが近づいている。


 「だとしても……今日ここに立ったおかげで、わかったことがある」


 「人間同士争ってる場合じゃないのかもな……」


 その言葉に、誰もが反論はしなかった。


 あの酒呑童子の圧倒的な力。

 幻術での逆転。

 死と隣り合わせだった戦場。


 すべてを乗り越えた“勝利”に、手放しで喜べるほど彼らは甘くない。


 「……行こう。とっとと回収して飯にしようや」


 神谷さんの声に、全員が頷いた。


 境内に残る、泥の跡と血の匂い――

 その中心に、ひとつだけ残された物があった。


 地に残された“天音の太鼓”――

 それがすべての始まりであり、やがて再び災いを呼ぶ“火種”であることを、

 彼らはもう、知っていた。


 ♦


 日本支部の廊下の奥、薄暗い物陰に潜む五つの影。全員が黒い手袋を身に着けている。


 その視線の先には、先ほど勢いよく飛び出していった二人の男の背――そして、静まり返る支部の空間。


 「……これで、ほぼ出払ったな」


 ぼそりと呟いたのは、黒いフードを深く被った男だった。


 「ボスの予想通りだな。あいつらが戦場に行ってる間に……」


 「残りの連中はどうする?」


 「決まってる、わざわざ処理班もつれてきたんだ」


 五人はひそやかに動き出す。

 その足音は、あくまで静かに――血の匂いも、殺意も極力抑えて。


 ただ、ひとつだけ確かなのは――


 “今ここに、新たな火種が持ち込まれた”という事実だった。


 彼らの目に食堂へ移動するマチルダとルチアの姿が映った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
イレーナの幻術に私も騙されました。 希望を持って、読み進めてよかったです(´ᴖωᴖ`) もう敵対してないで、協力したらいいのにと思ってしまいました。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ