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第83話 酒吞童子③

 ――視線が、次なる“獲物”を物色していた。

 その眼光は、ただ静かに、だが確実に、命を選別している。


 「……次は――」


 その視線の先には――佐伯。


 「くッ……来い……!」


 佐伯は棍を構え、再び《Sound(サウンド) Scope(スコープ)》を発動。

 筋肉の音、骨の動き、足音、風の裂け目――


 (……今度こそ、読める……!)


 右肩のねじれ、足の沈み込み、瞬間の空白――


 「左斜め上から来る!」


 叫びながら飛び退いた。だが――


 酒呑童子の棍棒は、音を超えていた。


 ――ゴアッ!!


 棍棒が空を裂き、大地を唸らせながら斜め上から振り下ろされる。

 地面は呻き、佐伯のいた場所ごと深く抉られ、爆ぜるように破砕された。


 肉が砕け、血飛沫が宙に舞う。視界を染めた赤が、無惨な現実を突きつける。


 「……ゆ、ず……き、さん……」


 声が震える。


 佐伯は、かろうじて棍で受けようとしていたが――防ぎきれなかった。


 地面に叩き伏された彼女の四肢は、あらぬ方向を向いている。


 あの一撃を受けて、まだ“人の形”を保っていたこと自体が奇跡だった。

 それは、彼女たちの強さの証明であり――それだけに、痛ましかった。


 神谷が叫ぶ

「咲耶!止まるな!動き続けろ」


 次に向けられた視線は――倉橋だった。


「クラ!逃げな!」


 彼は、ただ盾を構えていた。

 名乗りも、叫びもない。

 だが、その眼は覚悟を帯びていた。


 酒呑童子が静かに棍を持ち直す。

 先ほどとは違う、直線的な軌道の構え――


 Ironclad (アイアンクラッド!)


 倉橋の身体が金属のような光沢を帯びる。

 ――あの時、姐さんに拾われてなけりゃ、自分はただの負け犬で終わってた。

 泥に這いつくばって生きてた自分に、「誇り」を教えてくれたのはあの人だった。


 「姐さん、逃げてくだせぇ……」

 その声は、泣き笑いのように震えていた。

 だが、目は迷っていなかった。


 反射的に倉橋の体が前に出る。

 盾を掲げ、全身でそれを受け止める姿勢。

 (この命で、“姐さん”を生かせるなら――それで十分だ。)

 

 酒呑童子の棍棒が、空気を裂いた。 ――ドガァッ!!!


 地響きとともに、倉橋を真上からの一撃。

 盾ごと――身体ごと粉砕される。


 衝撃波が木々を撓らせ、大地を軋ませ、空気の流れすら逆巻かせた。

 それは、ただの一撃ではなかった。一帯を支配する“支配者の鉄槌”だった。

 血と肉が砕けた破片が、弧を描いて飛び散った。


 誰一人として声を上げられなかった。

 あまりにも唐突で、あまりにも完全な“死”。

 ――抗う余地も、後悔すらも許されぬ死だった。


 酒呑童子は、手応えを確かめるように棍を回し、微かに呟く。


 「ふむ……これで三つ」


 語る言葉は、あくまで軽やかに――

 まるで虫を三匹、踏み潰した程度の感触に過ぎないというように。


 咲耶の手が震えた。

 イレーナが舌打ちを噛み殺す。


 倉橋の亡骸が地に沈む――その光景を、誰もが見ていた。


 そして、酒呑童子は再び静かに歩き出した。

 もはや止まらぬ死神の行進。

 その瞳は次の“的”を確実に見据えていた。


 音もなく向けられた瞳――その先には、神谷大地。


 ゆっくりと、肩に巻いていた鎖を外す。

 目にいつもの笑みはない。

 だが、瞳の奥に宿る闘志は、最後まで失われていなかった。


 「咲耶……逃げろ」

 静かに呟く。


 頭上で鎖を振り回す。

 「やっと“真っ向”で来てくれるってか」


 鎖の速度が上昇する。地を踏み締める。

 「……上等だ。正面からやってやろうじゃねぇか」


 酒呑童子が一歩踏み出す。


 (……来い)


 一瞬、その動きが見えた気がした。


 次の瞬間、鎖が唸りを上げて空を裂く。


 「Iron Tempest (アイアン・テンペスト)!」


 刹那、鎖が、嵐のように酒呑童子に襲い掛かる。


 だが。


 嵐のような猛攻を見事に捌きながら直進してくる。


「うおおおぉぉぉ!」


 時には避け、時には弾き、そして……今


 神谷 大地の目の前に立っていた。


 神谷は鬼を見上げると呟いた。

「かすりもしねぇ……くそったれ」


 その声が届くよりも――先に音が鳴った。


 ゴアッ!!


 酒呑童子の棍棒が、地面を蹴ると同時に、信じがたい速さで“跳ねた”。


 その重さと質量が、空気ごと押し潰すように――

 胸部を、貫いた。


 「……あ?」


 かすれた声が漏れた。


 体が、一瞬空中に浮かび――

 そのまま、鎖を巻いたままの腕を引きちぎられるようにして、地へ叩きつけられた。


 ――ドグシャッ。


 肉が潰れ、骨が砕ける。

 そこに、戦士としての矜持も、技も、なにもかもが残る余地はなかった。


 ◆


 沈黙。

 そこにはもはや、何かを言葉にできる余地すら残されていなかった。


 「四つ目……」


 酒呑童子は、わずかに満足げに喉を鳴らす。


 ――そして、再び歩き出す。


 あと、ふたり。


 命の秤は、確実に傾き続けていた。


 酒呑童子の足音が、ずしりと空気を押しつぶす。

 その眼差しが、次の獲物へと向けられる。


 イレーナ・クルーゲ。


 鞭を構えたまま、彼女は一歩も退かずに鬼の前に立ちはだかっていた。


 血に濡れた地面。

 そこには、仲間たちの亡骸――そして、戦う意思を失わなかった者たちの無念が横たわる。


 だが、イレーナの顔には、なぜか微笑が浮かんでいた。


 「……いい面構えじゃないか、鬼さんよ」


 血に濡れた顔に、わずかな笑みを乗せながら、イレーナは呟いた。

 それは死を前にしてもなお、“誰かを守る者”の顔だった。


 「せめて、後ろの“あの子”だけは通させないよ」


 その言葉と同時に、残った体力のすべてを振り絞って鞭が閃く。


 「――Serpent Fang (サーペント・ファング)!」


 鞭が毒蛇のように弧を描き、酒呑童子の顔面へと迫る。


 ――が。


 鬼は、一切の防御を取らなかった。


 「ほう……反撃か。よい、良いぞ……!」


 イレーナの鞭が、確かに鬼の頬を裂いた。


 だが、血は流れない。

 表皮が削れただけで、筋肉すら無傷だった。


 次の瞬間、酒呑童子の両腕が横に大きく広がる。


 「……よかろう。“誉れ”ある死をくれてやろう」


 イレーナの目が見開かれる――


 (来る――ッ!)


 その直感と同時に、棍棒ではなく、鬼の拳が閃光のように放たれた。


 イレーナはとっさに鬼の拳に飛び乗りかわす。


「さっさと逃げな、アンタはまだ終わっちゃいないよ!」

 イレーナの声が飛ぶ。


 だが咲耶は動かない、震える手で矢を番えようとしていた。


「Crimson Lash (クリムゾン・ラッシュ)!」


 ――ゴォッ!!!


 鞭ごと、その細い身体がへし折られる。


 「……っ、が……!」


 口から血が噴き出す。

 肋骨が全て砕け、内臓が破裂した。


 それでも、イレーナは笑っていた。


 「……ふふ……だらしないねぇ……クラ……ユウ」


 イレーナの腕が力なく落ちた。


 ◆


 沈黙が訪れた。

 血と汗と、仲間たちの想いがこの場に残されていく。


 ――六人のうち、残されたのはただ一人。


 神楽咲耶。


 彼女の手には、震えながらも弓が握られていた。

 その表情は、戦慄と、怒りと、決意に満ちていた。


 酒呑童子が、ゆっくりと顔を向ける。


 血の匂いが、あたりを満たしていた。


 倒れ伏す仲間たちの“温もり”は、もはや大地に吸い込まれ、痕跡すら消えかけていた。

 だが――咲耶の足は、まだ一歩も退いていなかった。

 彼女の中に宿る炎だけが、未だ消えずに燃え続けていた。


 生き残ったのは――私だけ。


 酒呑童子が、ゆっくりとこちらへと向き直る。

 歩くたび、大地が鳴き、空気が揺れる。


 「……最後の一人か。巫女よ、おぬしの名は?」


 低く、けれどどこか柔らかく響く声。

 威圧感に満ちているのに、不思議と“語る”ことに意味を持たせるような声音だった。


 私は、弓を握り直しながら、答えた。


 「かぐら……神楽咲耶かぐら さくやです」


 「咲耶、か。良い名じゃ……」


 鬼は立ち止まり、じっと私を見下ろしていた。

 その瞳には、敵意とも好奇ともつかぬ色が揺れている。


 「怖くはないのか。仲間を全て失い、一人、余の前に立つ。常人なら、足がすくむぞ」


 私は少しだけ、目を伏せた。

 息を整え、そして……まっすぐに顔を上げた。


 「怖いです……恐ろしくて、心が潰れそうです」


 素直な言葉だった。嘘はつけない。


 だが――


 「それでも、私は……ここを退けません」


 「ほう?」


 「皆が繋いでくれた命です。無駄にはできません……。

 あなたに敗れた仲間の尊厳も、意志も、ここにあります」


 私は弓を引いた。震える指先。けれど、的を見失わない心。


 「この矢が届かなくても、私の意志は……あなたの胸に刻まれると信じます」


 酒呑童子の口元が、わずかに緩む。


 「……くはははは」


 鬼は歩み寄る。だが、その足取りは、先ほどよりも遅かった。


 「お主ら人間は近い未来滅びの定めにある、なぜ抗う?」


 「わしらを解き放てば苦しまずに死ねるというに……最後の慈悲であると何故わからぬのか?」


 この鬼が何を話しているのか私には理解できなかった。


 「まぁよい……面白き戦であったわ、神楽咲耶よ仲間の元へと行くがよい」


 私は、最後まで視線をそらさなかった。


 矢を番えた手は震えていたが、心は揺らいでいなかった。


 酒呑童子はその姿を、しばし黙って見つめたのち――

 まるで花を散らすかのように、静かに、そして棍棒を振りかぶった。


 「――消えよ、人の子よ」


 次の瞬間、空気が軋み、世界が歪むほどの圧力が降りかかる。

 巨大な棍棒が軌道を描き、咲耶のいる地へと落ちた。


 「皆……私に、生きる力をありがとう。だから、最後まで私が……貫きます」


 小さく呟いた直後、

 轟音とともに、大地が崩れ、土砂が跳ね上がった。


 血と肉が飛散し、咲耶の姿はその中心で掻き消えた。


 ◆


 風が止んだ。


 音も、気配も、何もかもが――消えた。


 社の前に、立っている者は、誰もいなかった。


 神谷 大地

 佐伯 柚月

 倉橋 彰吾

 姫川 結生

 イレーナ・クルーゲ

 そして、神楽 咲耶


 六人の猛者たちは全て、酒呑童子の手にかかり、命を散らした。


 鬼はゆっくりと棍棒を肩に戻すと、空を見上げた。


 「……静かじゃのう」


 鬼の呟きは、まるで舞台の幕が下りたあとのような、静けさの中に溶けていった。

 そして、誰もいなくなった社を背に、彼は再び歩き出した。


 かすかに笑い、そして社へと背を向ける。


 もはや誰も、それを止められない。

 地には沈黙。空には重い雲。


 人間の意志も、希望も、信念すらも――

 今は、すべて、鬼の力の前に屈した。

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