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第8話 ハイタッチ

 しばらくして、Aが帰ってきた。

 玄関の引き戸が開く音とともに、軽い足取りが近づいてくる。


 テーブルの上には、帰り道に買ったコンビニ弁当。

 各自が好きなものを選び、三人でそれを囲む。


「そういや、お互いちゃんと自己紹介してなかったな」


 そんな明夫さんの言葉から、改めて自己紹介をする流れになった。



 A――柿崎カキザキ マコト、19歳。

 B――一条イチジョウ 明夫アキオ、41歳。



 明夫さんは、昔はその筋の人だったらしい。

 けれど今は足を洗い、探偵業を営んでいるという。

 誠は住み込みで働いているようだ。


「そういえば、明夫さんに敬語使わなきゃなと思ってたんですけど……」


「やめろ。気持ち悪ぃ」


 一蹴されて、それっきりになった。


 食事を進める中で、明夫さんが誠を見やって言った。


「しかし誠、今日は冴えてたな」


「いつもっすよ」


 誠は箸を動かしながら、とぼけたように笑う。


「……で、何かありましたっけ?」


 唐突に、俺の中で何かが引っかかった。

 同時に、明夫さんも手を止める。


「おいおい、"もう忘れたのか?" 敵意の話だよ」


 言葉の意味が頭に届いた瞬間、心臓が跳ね上がった。

 思わず箸を置き、立ち上がって誠を見つめる。


 明夫さんも、まるで息を止めたように、誠に鋭い視線を向けていた。


 部屋の空気が、凍りつくように張りつめていく。


「……え、何っすか。どうしたんすか、二人とも?」


 誠はきょとんとした顔で、唐揚げを頬張りながらこちらを見る。


 その様子があまりにも自然で、

 だからこそ――ぞっとした。


「今日、何しに道場行ったのか、言ってみろ」


 明夫さんの声が静かに、けれど鋭く問う。


 誠は戸惑いながら口を開いた。


「え? 英斗さんが空手習いたいって言ってたから、ついてったんじゃないっすか?」


「誠……お前、ふざけてんじゃねぇぞ。マジで言ってんのか?」


 明夫さんの声が一段大きくなる。

 その声音に、冗談の余地はなかった。


 誠は困ったように、俺に助けを求めるような視線を向けてくる。


「え、だってそうでしょ? ね、英斗さん?」

挿絵(By みてみん)

 その言葉に、俺も声が出なかった。

 思わず目をそらし、視線を落とす。


 心臓の鼓動が早まる。


「誠……ライブラの話、覚えてるか?」


 俺の問いに、誠はわずかに眉をひそめ、首を横に振った。


「……?」


 完全に、“知らない”という反応だった。


 俺はゆっくりと席に戻り、

 食べ終えた弁当の容器を片付けながら――


 改めて、これまでの出来事を、誠に話すことにした。



 食事を終えたあと――

 俺は誠に向かって、あらためてこれまでの経緯を語りはじめた。


 誠は最初、笑いながら聞いていた。


「英斗さん、それ……からかってんでしょ?」


 けれど、横で黙っている明夫さんの真剣な表情に気づいた瞬間、誠の笑みが消えた。


 冗談じゃ済まない――と察したのだろう。

 それ以降、彼は箸を止め、無言で話を聞くようになった。


 やがて明夫さんがぽつりとつぶやく。


「英斗……なんで俺には記憶があるんだ? 今日、何をした?」


 俺は言葉に詰まったまま、視線を落とす。

 今日一日の出来事を、頭の中でひとつひとつ、順に思い返していった。


 ……そして、ある一点に辿りついた。


「そもそも不思議に思ってたんだ」


 静かに口を開く。

 2人の視線が、俺に集中するのを感じた。


「大屋さんの記憶はなくて、なのに、なんで明夫さんと誠には記憶があったのかって……」


「それで?」


 明夫さんが続きを促す。


「道場で休憩してたとき、俺……ライブラを見てた。ステータスを確認してて――誠もその時、後ろから覗き込んでたんだ」


「……ふむ」


「大屋さんにも、ライブラを直接見せた。……たぶん、それが鍵だと思う」


「つまりライブラを直接見たやつの記憶が無くなる……てことか?」


 明夫さんが腕を組み、低くうなる。


「だがよ英斗、大屋は“おめぇに会ったこと自体”を忘れてたんだろう? でも誠は違う。

“ライブラの記憶”だけ抜け落ちてて、今日の行動自体はちゃんと覚えてる。しかも“空手の付き添い”って、ズレた形でな」


 俺は、再び考え込む。


 たしかにその通りだ。


「……法則があるのかもしれない。正直、まだ分からない。

 でも、ライブラを“直接見ること”が条件の一つなのは、ほぼ間違いないと思う」


「……英斗、おめぇ……」


 明夫さんが、ぽつりと呟いた。


「ほんとに、えらいもん拾っちまったな……」


 その言葉に、俺は何も返せなかった。


 誠は、黙って、ただ俺の顔を見ていた。

 さっきまで笑っていた顔に、わずかに陰が差している。


 だが、すぐに明夫さんが声の調子を切り替え、俺の肩をポンと叩く。


「まあ、ライブラを見なけりゃ問題がないってこった。それが分かっただけ、ラッキーじゃねえか、なぁ?」


 その言葉は、気遣いでもあり、励ましでもあった。


「……それより、明日どうするか決めようや」


 明夫さんがニヤリと笑う。


「誰か、英斗に敵意持ってる奴いねぇのか?」


「物騒だな……」


 苦笑しつつも、頭に浮かんだのは――元上司。

 昔、ちょっとしたトラブルがあったが……さすがに気が引ける。


「……いないと思う」


 俺は短く、そう答えた。


「どっか、そのへんの組に殴り込むか?」


 このままでは明日にも死にそうだ。


「誠、おめぇ、もっかい英斗に絡めよ」


 無茶振りが飛んでくる。


「いや、もう無理っすよ。俺以外の奴に絡まれてください」


 両手を振って、断固拒否の姿勢。


 しばしの沈黙――


 その後、俺と明夫さんが、目を見合わせる。


「英斗」


「明夫さん」


「絡まれたら、いい!」


 ぴったりと重なった声。思わず、同時に言い放った。


 誠は気づいていないようで、キョトンとした顔で俺たちの顔を交互に見ていた。


 ♦


 翌朝――


 俺が部屋に入ると、誠がこっちを見て目を丸くした。


「……ありえねぇ」


 昨日とまったく同じセリフだった。

 誠は大げさに頭を抱えて、ため息をつく。


「マジでどこも腫れてねぇし。人間の治り方じゃねぇ……」


 そんな反応にも、もう慣れてきた自分がいるのが、少し怖い。


 その日は、少し遠出することになった。

 車でおよそ一時間ほどの、明夫さんのお勧めのスポットだ。


 車内では、明夫さんがやたらと楽しそうに言う。


「適当に歩いて、おどおどしてるフリをしてりゃ、すぐ釣れるさ」


「……俺、餌?」


「当然」


 ニヤリと笑って、バックミラー越しに俺を見た。


 その笑みの裏に、なぜか妙な安心感を覚える。

 無茶だが、無謀ではない――そんな予感があった。


 街に到着すると、空は晴れているのに、どこか薄暗く感じる通り。

 古びたビルとシャッターの閉まった商店が並ぶ。


 人気も少なく、風が看板をギィ、と揺らした。


 俺は指示どおり、一人でゆっくりと歩きはじめた。

 誠と明夫さんは、通りの向こうで、目立たぬように尾行している。

 万が一やばい状況になったら、すぐ助けてくれる手はずだ。


(チンピラAとBとか呼んでたけど……ごめんね!)

 心の中で小さく謝りながら、演技を続ける。


 明夫さんの作戦通り、たまに立ち止まり、財布を取り出してわざと金を数える。


 それを繰り返すこと、小一時間――

 ジリジリと緊張だけが蓄積されていく。


 やがて、狭い路地へと足を踏み入れたときだった。


「よう、財布置いていけよ」


 背後から声が飛んできた。


 振り返ると、細身の男がこちらを見下ろしていた。

 ニット帽を深くかぶり、口元には光るピアス。

 目はギラついていて、殺気のようなものすら感じる。


 喉が鳴る音が、自分でも聞こえた。


「い、いやです」


 声がかすれそうになるのを堪えながら、できる限りおどおどと答える。


「怪我したくねぇだろ、おっさん。とっとと出せよ」


 男が、胸ぐらをつかんでくる。

 シャツの布地がぐっと引き寄せられる感覚に、体が反射的にこわばった。


 それでも、俺は――その手を振り払い、静かに言った。


「……嫌だ」


 一瞬、間があった。


 男の顔がひくりと歪む。


「警告はしたからな!」


 怒声とともに、拳が振り上げられた。


 一瞬だった。


 ニット帽の男が、怒りに任せて右ストレートを繰り出してくる。


 その拳は大振りで、明らかに素人の動きだった。


 俺は一歩踏み込み、左手でその拳を軽く受け流す。


 同時に、体をひねりながら――


 右の拳を、下から突き上げた。


「ッ……!」


 感触が、拳に伝わる。

 顎にめり込んだ感触とともに、男の足がふっと浮いた。


 鈍い音が空気を裂き――

 そのまま、男は白目をむいて、地面に崩れ落ちた。


 ピクリとも動かない。完全に気を失っていた。


 静寂。通りの空気が、一瞬だけ止まったような感覚。


 俺は、深く息を吐いた。


 少し離れた場所から、こちらを見守っていた二人――

 明夫さんと誠が、物陰から顔を出していた。


 俺は拳を握って、無言のままガッツポーズを送る。


 すると――


 二人も同時に、同じガッツポーズを返してきた。


 誠が口パクで「ナイスッ」と言っている。


 明夫さんは、満足そうにうなずいていた。


 ほんの一瞬だけ、笑みがこぼれる。


 再び街を移動しはじめてから、十分ほどが過ぎた頃――

“それ”は、また釣れた。


 今度は二人組。

 雰囲気だけで分かる。こいつらは、喧嘩慣れしてる。


 だが――完全に俺を舐めきっていた。


「よお、おいしいカモ発見っと」


 その言葉と同時に、右腕に刺青を入れた男が、勢いよく俺の頭部めがけて蹴りを放ってきた。


(脅しか……)


 風を切る音。

 俺は軽く上体を反らし、ギリギリでその蹴りをかわす。


 そして次の瞬間――来ると確信していた、“距離を詰める動き”に先んじて、俺が前へ踏み込んだ。


 予想外の動きに、刺青男の動きがピタリと止まる。


 その一瞬を、見逃さない。


 右フックを、顎に叩き込む。

 拳がめり込む感触とともに、鈍い音が鳴った。


 刺青の男は、そのまま崩れ落ちるように倒れた。

 微動だにしない。完全に意識を飛ばしている。


 残ったのは、スキンヘッドの男。


「マジかっ……!」


 小さく呟いたあと、奴の目の色が変わった。


 次の瞬間、構えを取る暇もなく、一気に距離を詰めてくる。

 今度は“脅し”ではない――完全に本気だ。


(今回は……“もらう”つもりでいく)


 俺はわざと、甘いパンチを繰り出す。

 隙を見せることで、相手に踏み込ませる――昨日学んだ“肉を切らせて骨を断つ”。


 狙いは的中した。


 スキンヘッドの男が踏み込みざま、俺の右脇腹に蹴りを叩き込んできた。


「ぐっ……!」


 鈍い衝撃が腹を抉り、呼吸が詰まりそうになる。


 それでも――体勢は崩さない。


 俺は歯を食いしばり、反撃に転じた。


 蹴りを放ってきた左足を、すかさず捕まえる。


 だが――


「!?」


 次の瞬間、相手は片足でふわりと跳び上がる。


 予想外の動き。

 重力を逆手に取るように、空中で体をひねり――


 俺の側頭部に、鋭い蹴りが叩き込まれた。


「……っ!」


 視界がグラリと揺れた。


(マズイ……!)


 衝撃と共に脳が揺れるのを感じた。捕まえていた足を離しそうになるが堪える。


 スキンヘッドの男は、まるでブレイクダンスのように体を回し、

 両手で地面を支えるようにして、後頭部から落ちるのを回避した。


 見上げると、視界がぶれる。

 だが――それがどうした。


 俺は、ただ無造作に右足を振り抜いた。


 捕まえていた足を支点にして、体重を乗せた蹴りが、相手の腹に――


「ぐっ……!」


 命中した。


 スキンヘッドの男の身体が、内側から折れ曲がるように沈む。


 掴んでいた足を離すと、男はその場に倒れ込み、腹を押さえながら苦しげに咳き込んでいた。


「ゴホッ……ゴホッ……!」


 止めを刺すべきか。

 そう考えた瞬間――


 何処からともなく、音が鳴り響いた。


 続けて、機械音声のような声が耳に届く。


「レベルが上がりました」


 ……ライブラだ。

 俺の鞄の中、背中に背負っていたそれからの通知だった。


 その瞬間、視界がふわりと揺れる。

 地面が遠くなり、そして一気に近づいた。


 膝が、崩れた。


「あっ……!」


 すぐに駆け寄ってきたのは、明夫さんと誠だった。

 両脇から抱え上げるようにして、俺を支えてくれる。


「立てるか?」


「ちょっと……休ませてくれ」


 ゆっくりと歩き、車まで移動する。


 太陽が肌に触れて、少しずつ、現実が戻ってくる。


「……やったよ。レベルが上がった」


 俺がそう呟くと、ふたりの顔が一気に綻んだ。


「マジか!」


「やるじゃないっすか!」


 思わず、右手を上げた。


 すぐさま、二人の手が勢いよく俺の手を叩く。


 ――ハイタッチだった。


 パン、という乾いた音とともに、手のひらがじんわりと熱を持つ。

 その熱を、そのまま俺は拳に変えて、ギュッと握りしめた。


「……ありがとな」


 心からそう思った。ふたりがいたから、ここまで来れた。


 しばらくそのまま休んだ。

 太陽の光の下で、30分ほど――

 やがて、頭の揺れが少しずつおさまっていった。


 俺は2人に見えないようにライブラを確認する。


 レベル:3


 名前:吉野 英斗

 攻撃力:14

 守備力:5


 年齢:29

 体力:18 / 28

 ちから:14

 まもり:5

 すばやさ:8


 残りポイント:7


 あらかじめ決めていた通り、7ポイントをすべて“ちから”に振り分けた。


 14 → 21

 

 残された時間はそう多くはない。本来ならバランス型に割り振るだろう、

 しかし短期間で成果を出すには特化型しかないと、そう判断した。


 光がすっと消え、ライブラの画面が閉じる。


 俺はそれを鞄に戻し、ふたりのもとへ歩いていった。


「多少は……強くなった、はず」


 そう呟いた俺に、明夫さんと誠がニッと笑って頷いた。


 その笑みに、少しだけ自信が芽生えた気がした。


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