第79話 鞍馬山②
私は再び矢を番える。
次は、逃がさない――。
「ま、ま、まー……武器降ろして。当たったら危ないから」
足を一歩踏み出し、地面を踏みしめるその瞬間。
姫川がひょいと片手を挙げ、指を鳴らした。
「……っ?」
また足を滑らせてしまった。
思わず体勢が崩れ矢を放つタイミングを逃す。
「ほら〜……足元に気を付けて?」
「……ふざけるなッ」
私は瞬時に薙刀へと切り替える。
薙刀を構え直した私に、姫川はフードをぐいっと持ち上げる仕草を見せた。
「はぁ……やれやれ……。だりぃ……帰ってくんないかな~」
私は薙刀を一閃する。
「はぁっ」
気合と共に放つ、渾身の斬撃。
姫川はまたも軽く指を鳴らす。
「くっ」
再び足を滑せる。
体幹が崩れ空振りをしてしまう。
「いやー、薙刀とか怖いんスけどー……」
けだるげに頭をかいている。
この男、戦う意志が薄いように見えて、抜け目がない。
「……本気で、来なさい」
薙刀から素早く弓へ。
「降参するなら、今日だけは助けてあげるっすよ?」
「ふざけないでください」
私は弓を引き絞り、もう一度姫川を狙う。
視線は笑っているが、その足取りは軽やかで油断がない。
足元が滑るのは、恐らく姫川のスキル
少しでも滑れば、私の攻撃は無駄振りになる。
私は咄嗟に薙刀へと持ち替える。
「……ならば、上から」
私は地を蹴り、宙に跳んだ。
姫川の狙いを崩し、斜め上から一閃する構えへ。
「ちょ、ちょ待っ――えッ……なんちゃって」
その時、姫川が右手をかざした。
「――Bad dress (バッド・ドレス)」
「なに……!?」
突如、衣類が意志を持ったかのように締めつけてくる。
袖が邪魔をして薙刀もうまく構えられない。
(なんとか着地だけは)
締め付ける衣類に必死で抗いながら、何とか着地だけは――と試みる。
姫川の指先が再び弾ける。
足が滑り着地を失敗すると、激しく全身を打ち付けた。
肺から空気が漏れる。
「くはぁ」
「はい、チェックメイト」
一瞬のうちに距離を詰めた姫川が剣を上段に構えていた。
♦
倉橋が盾を構えたまま、じり、と踏み込んでくる。
分厚い盾が壁のように目の前に迫った。
「姐さんの邪魔は、させねえ」
低く、地鳴りのような声。
視線の奥に揺るがぬ覚悟が見える。
「……通させてもらうわ」
私は冷静に返し、棍をしっかりと構える。
間合いの取り方次第で命取りになる相手だ。真正面からぶつかっては不利。動きで崩すしかない。
倉橋は焦らない。
盾を高く掲げ、剣を脇へ控える構え。がっちりと守りを固めたまま、じわじわと距離を詰めてくる。
(攻め急がない……いい読み)
ならばこちらから揺さぶる。
私は一気に踏み込み、棍を下段から鋭く払った。
カンッ!
盾の下端に弾かれる。が、それは囮だ。
続けざまに体を翻して回転――今度は棍の背で横から倉橋の側頭部を狙う。
ガッ!
盾をひねって受け止める。その動きに無駄がない。
即座に剣が振り上げられる――私は後方へ跳んで間合いを取る。
「やるな。速えじゃねえか」
「……あなたも堅い」
互いに一瞬だけ目が合う。
倉橋は一歩、二歩とじりじり詰め寄る。正面の圧は変わらず、だが彼の動きは読みづらい。
(これだけ守りが堅いと、強引な突破は難しい)
私はわずかに体勢を低くし、左手から鈴付きのナイフを抜いた。
次の瞬間、ナイフを倉橋の盾と剣の隙間に投擲する。
チリン……!
ナイフは盾の脇を滑った。
反射的に倉橋が剣をずらしてナイフを弾く――その動きの直後、私は一気に懐へ踏み込んだ。
(今!)
棍を肩口から振り下ろす。
狙いは盾の上からの一撃。防御の死角。
ガキィン――!
しかし倉橋は即座に盾ごと肩をずらして受け止めていた。
重心の崩れがない。
次の瞬間、剣が素早く跳ね上がる――切り返し!
「っ……!」
私はとっさに後方へ跳び、斬撃を間一髪でかわす。
剣の刃先が私の髪をかすめた。
(……危ない。一撃が重い)
ほんの一瞬でも崩れを見せたら、そこを斬られる。倉橋の攻めはそういう質のものだ。
「まだまだ、このくらいじゃ崩せんぜ……ん」
倉橋が視線を下げると、そこには太ももに深々と刺さったナイフ。
「崩せないんじゃなかった?」
「ま、まぐれだ……」
倉橋はまた低く構え直す。盾を前に、剣を控えるあの形。
急がない。焦らない。ひたすら隙を待ち続ける動きだ。
スキル、Sound Control (サウンド・コントロール)
音は私の支配下にある。鈴の音だけを――世界から切り取った。
「……さて、仕込みは終わり、後は詰めていくだけ……」
私は小さく息を整え、再び棍を構える。
音もなく一歩、また一歩と回り込みながら間合いを探る。
ナイフはまだ一本残っている。
倉橋は盾の裏から鋭い視線を向けてきた。
その目が告げている――次は、こちらがわずかでも遅れた瞬間に、斬り伏せる、と。
(なら……こちらもその覚悟で行くまで)
静かな火花が散る。
◆
イレーナが鞭を振り抜く。
その軌跡が空を裂き、赤黒い残光が走る。
「Crimson Bind (クリムゾン・バインド)!」
鞭が伸びて俺の腕を狙った。
その速度と精度は尋常ではない。
「っと――!」
俺は身体を捻り、瞬時に鎖を振り回す。
「Chain Bind (チェイン・バインド)!」
鎖が地を打ち、鞭を絡め取るように動いた。
金属とスキルを帯びた鞭が火花を散らしてせめぎ合う。
「はっ……なかなかやるじゃねぇか、姐さん!」
「あんたもねぇ……やるじゃないか、でも――調子に乗らないことだよ!」
イレーナの瞳が妖しく光る。
今度は鞭の動きが変わった。
「Serpent Fang (サーペント・ファング)!」
鞭の先端が牙のように鋭利に変化し、一気に胸元を狙う。
「来いよッ!!」
俺は逆に一歩踏み込み、鎖を地に滑らせて反撃の間合いに入った。
その動きは豪快かつ読みづらい。
(こいつ力押しだけじゃない、タイミングで攻めてくる……!)
イレーナの眉が僅かに動く。
鞭と鋼の鎖が、真っ向からぶつかる。
打ち合いの衝撃で、地面が割れ、空気が震えた。
「俺がこの程度で止まると思うかよ――!」
「クッ……なかなかしぶとい犬だねえ!」
互いの間合いが、ぐんと詰まる。
二人の間合いが一気に詰まり、至近距離の攻防へと突入する――その刹那。
ニカッと笑ったまま、鎖を構えた。
その目は、火が灯ったように楽しげだ。
「……よっしゃ、こっからが本番だぜ!」
「まったく、しつこい男は嫌いさね!」
二人の攻防は、激しさを増していった。