第75話 強襲①
「すみません玉藻前に気を取られて……」
「気にするな、それより人数と距離を」
榊原さんは冷静に現状把握に努める。
「モンスター……いや、穢れ人が二人と、男が一人……すぐ」
「戦闘は避けられんか……」
榊原さんが素早く刃を構え、俺も勾玉を手に取ると同時に身構えた。
――まず、鋭く低い唸りが響いた。
ゴウッ、と地を蹴る重い音。重戦車のような足音が、森を踏み鳴らしてくる。
そして、最初に姿を現したのは――巨大な狼だった。
否、人の姿を留めた“獣”。
銀色のたてがみをなびかせ、鋭い耳と尾を持つ男。全身を覆う黒い装甲、赤い目が俺たちを射抜く。
低いうなり声をあげ俺たちを睨みつける。
そして狼型の背後、音もなく滑るように現れたのは、しなやかな黒猫のような穢れ人。
艶のある黒と灰の毛並み、挑発的な笑み、漆黒のレオタードのような戦装束――
その動きの全てに、バレエのような“美”が宿っていた。
「ふふっ、見つけたわよ……宝物、そして……お邪魔虫さんたちも」
まだ人の姿を色濃く残す猫型の穢れ人が、腰に手を当てながら、もう片方の手の爪を煌めかせて微笑む。
そして、最後に現れた男が、前に出る。
赤毛を後ろに束ね、がっしりとした筋肉に赤黒の戦闘ジャケット、右腕には炎のような紋章。
その男は、俺たちを見据え、豪快に笑った。
「よっしゃ、やっぱり来てたか、ノウシスのガキ共!」
その目は、怒りでも憎しみでもない――“純粋な闘志”に燃えていた。
「紹介してやるぜ。俺はイグナス・グレイハルト――炎のイグナスだ!」
イグナスが拳を握りしめ、右腕の炎紋が赤く輝いた。
「そいつは、俺たちテミスの“回収品”だ。――渡してもらうぜ?」
言葉に込められたのは、圧倒的な自信と、揺るぎない意志だった。
空は静かなまま、しかし、まるで空気の粒が軋み出すように――緊張が、肌を刺すほどに高まっていく。
――新たな戦端が、今まさに、静かに。だが確実に、開かれようとしていた。
(全員、もう限界ギリギリや……そして――こいつらは、“強い”)
肌でわかる。目の前に立つ三人は、相当な猛者や。
「どないします?」
俺は、僅かな息を整えながら、榊原さんに判断を仰いだ。
「……撤退だ」
即答だった。その声には迷いがなかった。
「……逃がしてくれたらええけど」
俺はポケットに勾玉を押し込み、トンファーを強く握り直す。
「雨宮、接近戦に備えろ」
「了解」
翼は短く答え、立ち上がると剣を構えた。その目に、怯えはなかった。
「いいな? 勝つ必要はない。生き残れ」
その言葉に、俺と翼は黙って頷いた。
俺たちは一斉に構え直す。
そして、目の前の強大な敵――テミスの三人へと、正面から向き合った。
「ずいぶんとボロボロじゃないか?ねぇあんた」
猫型が狼型にもたれながら残忍な笑みを浮かべている。
「血の匂い……殺したい」
すると狼型が遠吠えを上げると駆け出した。
「散開!」
榊原さんの一声と同時に、俺たちは左右へと跳ぶ。
次の瞬間――
ドガァァンッ!
狼型の突進が、俺たちの立っていた地面を抉った。石が砕け、土煙が舞い上がる。
その巨体が突き抜ける様は、まるで地を喰らう重戦車
「ッはえぇッ!」
俺は咄嗟に後方へ跳び、トンファーを構え直す。まともに食らったら全身粉々になりそうや。
「おいおい、ヴォルク。少しは待ってろって言っただろ……!」
赤毛の男――イグナス・グレイハルトが軽く肩を回しながら、俺たちに視線を向けた。
「だがまあ……いいだろう。ミィシャどいつから潰す?」
「旦那があの子と遊ぶなら、私は彼と遊ぶわ♡」
ミィシャが妖しく微笑んだ、その瞬間だった。
――空気が、音もなく震えた。
黒猫のような輪郭が、一拍遅れで残像のように揺れながら消える。まるで、優雅なバレリーナが無音の旋律に乗って舞うように。
「ッ……!? 後ろ! 翼、後ろや!!」
振り返った俺の視界に、まるで映像の巻き戻しのように“彼女”が現れる。
しなやかな肢体が弧を描き、煌めく爪が舞台照明のように光を弾いた。
その動きは――美しく、致命的だった。
「くっ……!」
ギィンッ!
翼がとっさに剣を振り上げて防ぐ。だが衝撃は重く、彼はそのまま吹き飛ばされた。
「翼!!」
「無事ッ……ちょっと、骨にきたかも……!」
苦笑する翼に構ってる暇はなかった。狼の咆哮が再び轟き、ヴォルクが俺の正面に立ちはだかる。
「……お前が俺の相手ってわけかい!」
Groove Breaker発動――火がついたように、身体が熱を帯びる。
俺はトンファーを構えて突進。ヴォルクの鉤爪がうなりを上げて振り下ろされる。
「隼人!」
榊原さんが俺の方に駆け寄ろうとする
「おっと、お前の相手は俺だろ? ちょっと……火遊び、付き合えよ!!」
……イグナスが、炎を纏って割って入ってきた。
「ちぃッ……ッ!」
その言葉通り、俺と榊原さんの間に広がる空気が――爆ぜた。
ドォン――!!!
烈風が吹き荒れる。爆炎が視界を焼き、耳が軋むほどの熱と衝撃が全身を包み込む。
榊原さんは咄嗟に身を翻し、背後の岩陰に滑り込んで難を逃れた。
「くそっ、面倒な相手だな……!」
イグナスは燃え上がる爆炎の中心から、まるで炎そのもののように笑っていた。
「派手にいこうぜ? 少しは楽しませてくれよ……!」
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とんでもないスピードだ僕以外じゃ捕えられないかもしれない。
僕は、ミィシャの連撃を受け流しながら、必死に間合いを取っていた。
「意外と動けるのね?」
ミィシャの動きが、さらに加速する。
柔らかく、しなやかに。そして、その軌跡は鋭利で致命的だった。
「くっ……!」
伊庭さんとの訓練のおかげで何とか防げてるけど、ギリギリだ。
少しずつ押されていく。
スターダストを使った反動も大きい、身体が思うように動かない。
このままでは……
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「うおおおッ!!」
トンファーでヴォルクの鉤爪を弾き返し、間髪入れずに左を腹へ叩き込む。
……が、ヴォルクは一歩も退かなかった。
「効かへんのかい……!」
連続戦闘でスキルの効果が低下しているためだ。
「――遅い」
その唸りと同時に、ヴォルクの膝が俺の腹を撃ち抜いた。
「が……っ……!」
意識が飛びそうになるのを、歯を食いしばって堪える。
そのまま吹き飛ばされ、岩に叩きつけられた。
「まだ……終わってへんで……」
咳き込みながらも立ち上がった俺の前で、ヴォルクがゆっくりと歩を進めてくる。
無言のまま、低く構えたその姿は、まさに獣の狩りの構えだ。
ヴォルクが低く唸る。
その音は獣の咆哮というより、深く潜った息のようだった。冷たく、重い。
だが、その奥に――微かに、揺れる何かがある。
それは怒りでも殺意でもない。
試すような好奇心。
まるで、“どこまでやれるか”、それを見たいだけのような。
Groove Breaker……まだ切れてない。
この僅かな強化時間を、無駄にはできない。
俺は痛む腹を押さえながら、再び構え直す。
「……じゃあ、これでどうや!」
次の瞬間、俺は地を蹴った。
トンファーが弧を描き、ヴォルクの首元を狙う――だが、その一撃は空を斬った。
ヴォルクが、視界から消えていた。
「上か――っ!?」
見上げた瞬間、上空から黒い塊が落ちてくる。
ヴォルクが跳躍していた。
鉄塊のような肉体が、鋭い鉤爪を振りかざしながら、真上から俺を押し潰そうとしていた。
「うおおおおっ!!」
地面にローリングで転がって回避。
着地と同時に爆ぜた衝撃で、砂塵と破片が四方に吹き飛ぶ。
(あの図体であのスピード反則やろ!)
俺は心の中で舌打ちをした。
玉藻前との戦いで負った傷が、じわじわと悲鳴を上げている。……スキルも、あと何発使える……?
しかも相手は穢れ人……遠慮なく俺たちを殺せるってことや。
逃げることすら難しいでこれ……