表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
72/110

第72話 白霧の女①

 助手席の榊原さんは、ずっと無言で前を見据えている。多分、今は考えてるんやろな。

 敵がどう動くか――いや、それ以上に、味方である俺らがどう動くかってことを。


「隼人、停めろ。ここから先は車歩きだ」


 俺は頷き、車を路肩に寄せて停車させた。


 三人とも、無言のまま車を降りた。いつのまにか濃くなってきた霧が、靴の先から絡みついてくる。


 空はまだ明るいのに、やけに薄暗く感じる。まるで、何かが“潜んでる”って空気だ。


「ここからは徒歩。距離はおよそ三キロ。緩やかだが、遮蔽物が少ない」


 榊原さんが手元のライブラを確認しながら言う。


「ってことは……隠れる場所がないってことか」


「そういうことだ」


「了解。んじゃ、さっそく行きますか」


「雨宮。警戒を頼む」


「近くには誰もいないようです」


 雨宮は辺りを見渡しながらゆっくりと進んでいく。


「なら進もう。だが、気を緩めるな」


 榊原さんの号令に従い、俺たちは歩き出す。


 そのときだった。装備が展開された。


 ミッションが開始されたようだ。


「……何かみえます」


 翼が立ち止まり、小さく手を上げる。


「北東、百五十メートル。移動速度は遅い八体……いや、十体以上」


「来たか……」


 俺はトンファーを構えた。胸の奥が、ドクンドクンと音を立てて跳ねる。


「隼人、前へ出ろ。俺は横から援護に入る」


「了解」


「雨宮は距離を保て。探知を継続しつつ、状況が変わったらすぐ報告」


「任せてください」


 風がざわめいた。霧の中から、不自然なシルエットが浮かび上がる。


 歪な形の影が、地を這うようにして近づいてくる――


「……あれ、ゴブリンか?」


「ゾンビだね、甲冑を身に着けてる……まるで落ち武者だ」


「死体系か……匂いが嫌やねん」


 霧の奥から、不意に赤く光る複数の目がこちらを睨んできた。


「来るで!!」


 俺は地面を蹴り、前へと踏み出した。


 ♦


 ――数分後。


 トンファーが、最後のゾンビの頭蓋を砕いた。


 ごしゃっ、と鈍い音がして、黒ずんだ液体が飛び散る。


「……終りやな」


 俺が低く呟くと、後ろから「問題なし」と榊原さんの声が返ってくる。振り返れば、傷一つない姿で斜面に立っていた。


「もう……周囲に敵は見えないよ」


「ゾンビの割にええ動きしとったな。どれも腐りかけやのに、まるで生きとるみたいやった」


「同じモンスターでも、レベルがあるのかもしれないね」


 倒れたゾンビのひとつを見下ろしながら、俺はわずかに肩をすくめた。こいつらはただの前座や――そう直感でわかる。


 そして、空気が変わり始めたのはその直後だった。


「……霧が濃くなってませんか?」


 翼の声が、ほんのわずか震えていた。


 確かに、さっきまで見えていた登山道の先が、いまはもう霞んで見えん。


「自然現象か?」


「いや、これは……」


 榊原さんが口を噤<つぐ>む。


 俺も一歩前に出て、霧の向こうを睨みつける。

 湿気が肌にまとわりつき、空気そのものが重たく変わっていくのを感じた。


「……おい、翼?」


 沈黙の中、翼がじっと一点を見つめていることに気づいた。


「おい、どうした」


「……見えます」


「は?」


「人がいます。あそこ。……いや、“人のような何か”です」


 俺と榊原さんは、同時に視線を霧の奥へ向けた。


 だが、何も見えん。ただの白い靄がゆらゆらと漂っているだけや。


「お前……何が見えとるんや?」


「……白い着物、長い髪。ぼやけてますが……女性です。動いてません。ただ、じっと、こっちを――」


「おい、冗談やないやろな?」


「間違いないよ。……女性にしか見えないけど……」


 空気が凍った気がした。


「隼人」


「……分かってます。何が出てくるかわからん」


 ――あの霧の奥に、何かが“待ってる”。


 テミスでも、穢れ人でもない。もっと“異質な何か”が。


「翼。まだ見えてるか?」


「……うん。ただ、少しずつ、近づいてきてるような……」


「距離は?」


「……約四十メートル」


「来るぞ」


 俺たちは息を殺し、霧の中の“気配”に、静かに刃を向けた。


 ――それが、阿蘇山の“本当の始まり”だった。


「距離、三十五……三十……二十八……」


 雨宮の声が、徐々に緊迫感を帯びていく。


「歩いてきてるのか?」


「いえ、滑るように……地面を踏んでる感じじゃないです」


 榊原が短く息を吐いた。


「浮遊か……」榊原が眉をひそめる。「物理干渉の有無は?」」


「不明です。ただ……見られているだけで、動悸が早くなります」


「こっちを見てるだけでプレッシャーか。やっかいなタイプだな」


 俺は喉の奥に溜まった息をゆっくりと吐き出す。


 ――視えてへんけど、感じる。確かに、“いる”。


「榊原さん。なんか感じます?」


「いや、だが油断はするな」


 そのとき。


 ――しゃらん。

 微かに、耳の奥をくすぐるような澄んだ音。

 だが、どこか“異物”のような違和感を伴っていた。


「今の……聞こえました?」


「……ああ」


 俺と榊原さんが同時に言う。雨宮も、小さく頷いた。


「音……いや、音というより……直接、頭の中に響いたような……」


 再び――しゃらん。


 霧の奥で、“それ”が、ゆっくりと右へ動いた気配がする。

 まだ姿は見えない。だが、確実に“場”が動いてる。


「……仕掛けるしか、ないか」


 俺はトンファーを腰のホルダーから抜いた。


「翼、追えるか?」


「うん……距離二十五メートル、右へ移動。速度は一定だよ」


「なら、こちらから行く」


「隼人、踏み込み過ぎるなよ」


 榊原が、背中から二本のブレードを抜いた。


「雨宮、シールドでサポート。俺は中衛から援護。囲んで叩くぞ、こいつは大物だ」


「了解」


「……わかりました」


 霧の中。三人の足音が、静かに草を踏む。


 距離二十メートル。


 その瞬間――


 風が、止んだ。


「来るぞ!」


 霧の奥。


 ぼんやりと、白いシルエットが現れた。


 ――女の姿。


 ただ立っている。こちらを、じっと見ている。


 目が合った――気がした、瞬間だった。


 ぞくりと背筋に冷たいものが走る。全身の毛穴が開いたような感覚。

 戦場で何度も命のやり取りをしてきたが、これは違う。“本能”が鳴ってる。こいつは――普通じゃない。


 榊原さんの言う通り、"大物"だ


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ