第71話 静かなる火蓋
ミッションの内容は、驚くほど簡潔だった。
「月照の勾玉 (つきてらしのまがたま)、慟哭の剣 (どうこくのつるぎ)、天音の太鼓 (あまねのたいこ)――これらを回収せよ」
ただそれだけ。
だが、その意味するところはあまりにも重大だった。
数分も経たずに、本部からの連絡が来る。
今回のミッションは、全ライブラ所持者に通知されている可能性が高いという内容だった。
つまり――
テミス、穢れ人、そしてどこにも属さず生きる野良プレイヤー。
この世界に存在する、すべての“ライブラ保持者”が、同じ目標を掲げて動き出したということになる。
しかも、舞台は日本。
帰国予定だった先生たちもこの知らせを受け、予定を変更。
しばらくの間、日本に留まることとなった。
その影響力の大きさを、誰もが肌で感じていた。
アイテムの効果は不明。
だが、テミスの手に渡すわけにはいかない。
時間が経つほど、競合者は増える。
そのため、ノウシス日本支部のメンバーは即座にチームを編成。
三か所、三名ずつ。
残された四名のうち二名は日本支部で、二名は大阪・八尾空港で待機。
マチルダ先生も日本支部に残留することが決定された。
【チーム編成】
◆青森・恐山《慟哭の剣》
伊庭 静馬/矢吹 蓮/吉野英斗
◆熊本・阿蘇山《月照の勾玉》
榊原 拓海/葛西 隼人/雨宮 翼
◆京都・鞍馬山《天音の太鼓》
神谷 大地/佐伯 柚月/神楽 咲耶
アイテムを巡る争奪戦が、今――静かに幕を開けようとしていた。
◆
【阿蘇山へ向かう道中】
山道を縫うように進む車内。
エンジン音とタイヤが路面を擦る音だけが響き、重たい沈黙が空気を満たしていた。
助手席には榊原さん、後部座席には翼。
俺は運転席でハンドルを握りながら、曇天の空を睨みつけていた。
「……嫌な天気やな」
俺のつぶやきに、誰も応えようとせえへん。緊張してるんやろうな――俺も同じや。
目指すのは神器《月照の勾玉》。
ただの遺物探しなら、こんな空気にはならん。
けど、今回は違う。
テミス、穢れ人――命の奪い合いを厭わぬ連中が、同じ目的で動いている可能性がある。
そう思うだけで、喉がカラカラに渇いた。
「隼人、速度を落とせ。目的地が近い」
榊原さんの冷静な声が響く。
「雨宮、お前の目が頼りだ」
「分かりました。誰かいたら知らせます」
「翼がいるなら、先手が打てるやろ」
「……だが、油断は禁物だぞ」
「了解……」
阿蘇山は、もう目前や。
神器は、必ず持ち帰る。
それが、今の俺らの役目やからな。
◆
【新幹線・鞍馬山へ向かう車中】
新幹線の車窓から、流れる風景をぼんやりと見つめていた。
空は晴れているというのに、胸の奥が妙にざわついている。
「緊張してんのか? 咲耶ちゃんよ」
不意に聞こえた低く朗らかな声。
向かいの席に座る、長身で無骨な男――神谷 大地が、ニカッと笑ってこちらを見ていた。
「……いえ、大丈夫です。ご心配には及びません」
「そっか。まぁ、ビビってもしょうがねぇよな」
神谷は腕を組み、背もたれに身を預ける。
その姿には余裕と頼もしさがにじんでいた。
「神谷さんが一緒だと、妙に安心しますね。意外と周りよく見てるし」
柚月さんの言葉に、私は小さく頷く。
「ほら見ろ。な、咲耶ちゃん。俺ってば“頼れる兄貴枠”なんだよ、これが」
「……戦場での私語は慎んでください」
「マジメだなぁ、おい。肩の力、もうちょい抜けてもええと思うぜ? こんな長旅なんだしさ」
「ですが、これは任務です。観光ではありません」
即答した自分に、少しだけ柚月さんが笑いを堪えるのが分かった。
……分かっている。私が、堅すぎるのだ。
「ふふ。咲耶がその調子なら、私は安心だけどね」
「……ありがとうございます」
「しかし、この三人での任務って、久しぶりじゃないか」
「そうですね。神谷さんは、あまり支部にいませんでしたから」
「伊庭ちゃんが人使い荒いのよ、終わったら旨いもんでも食いに行こうぜ。俺が奢ってやるよ」
「……軽々しく“終わったら”などと口にすべきではありません。生きて帰れる保証――」
「そういうとこだぞ、咲耶」
「な……っ」
「勝って、生きて帰る。そっちを基準にして話すのが、俺のやり方だ。
そのために、全力を出す。それだけだ」
その言葉は、胸の奥に熱く沈んでいった。
軽口のようでいて、芯のある強さ――まさに戦場を生き抜く者の覚悟だった。
「……心得ます」
自然と頭を下げた。
彼のような人が、支部の先輩であることが、少しだけ誇らしく思えた。
♦
空港の小型滑走路。一般人の目につかない裏手に、ノウシスのエンブレムが刻まれた白い機体が静かに待機していた。
俺は、伊庭さんと一緒に搭乗口へ向かっていた。今は2人きりだ。
だが、出発の時刻が迫っても、まだあの人の姿が見えない。
「すみません……矢吹さんって、今回は一緒じゃないんですか?」
俺は思わず口にしていた。
「矢吹さんだけ、まだお会いしたことないんですよね。今回ご一緒って聞いてたんですけど」
伊庭さんは一瞬だけ足を止め、搭乗用の階段を見上げる。
「ああ、蓮か。……あいつは“必要なとき”に現れる」
「……必要なとき?」
「蓮の任務は、俺たちと少し違う。単独行動が多いんだ。基本的には別ルートで動いてる。
頼りになる男だ」
そう言って、伊庭さんは口元にほんのわずかな笑みを浮かべた。頼れる仲間を思い出すように。
それ以上、伊庭さんは語らず、機体へと乗り込んだ。
機内は無駄のない作りだった。軍用機に近いが、座席はしっかりしていて、シートベルトの締まりも良い。俺も静かにシートに腰を下ろす。
矢吹蓮――その名だけが、妙に記憶に残った。
(必要なときに現れる、か……)
まるで忍者みたいだ。けれど、今はそんな伝説みたいな存在より、まず目の前の任務に集中しなきゃいけない。
――恐山。
神器《慟哭の剣》の眠る場所。
この空の向こうで、俺たちを待っている。