表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
69/110

第69話 決意×代償×願い④

 集中治療室の前に並ぶソファに、俺は無言で座っていた。

 背中には、いつも以上の重さがのしかかっている。

 一日が過ぎたはずなのに――二人の回復を感じ取れる兆しはなかった。

 それほどまでに深く、重いダメージだった。


 吉野と葛西。

 今なお意識を取り戻さず、白く静かな部屋の中で、ただ機械の音だけが命の証を刻んでいる。


 その音さえ、いつ止まってもおかしくない。

 薄氷の上に置かれた命。そんな緊張感が、ずっと胸を締めつけていた。


 榊原、佐伯、神楽、雨宮――誰ひとり眠ろうとせず、交代もなく二人を見守り続けていた。


「……伊庭君」


 その声が、廊下の奥から静かに響いた。

 一瞬、時間の流れが止まったような錯覚が走る。


 二人が倒れてから、初めてだ。

 全員の顔に、ほっとした笑顔が浮かぶ。


 白衣の裾をたなびかせ、長いブロンドの髪を優雅に揺らしながら、

 マチルダ・グレーベが、まっすぐにこちらへ歩いてくる。


 彼女の力で、どれほどの命が救われてきたか――

 それを知る者なら、この足音の意味を理解できるだろう。


 ヴェルコールからはほぼ二十時間にも及ぶはずだ。

 それでも彼女は疲労をまるで見せず、ただまっすぐ俺の前に立った。


「遅くなってごめんなさい」


 その声には、わずかに滲む悔しさがあった。


「いえ。間に合ってます。遠くから……本当に……」


 マチルダ先生は微笑むと、ふと皆の方へ視線を移す。


「みんな、よく頑張ったわ。……伊庭君、あなたもね」


 その声を聞くだけで、胸の奥に熱いものがこみ上げる。

 先生の顔を見て安堵した。これで二人は救われる……


 彼女の視線が、ガラス越しに集中治療室の奥へと注がれる。


 吉野英斗。葛西隼人。

 まだ目を開けぬ二人が、そこにいる。


「彼らの状態は?」


「吉野は三肢を喪失。蘇生は奇跡だったが、血流と脳波は維持できている。

 葛西は……全神経と筋繊維が崩壊。自発呼吸も不可能です……」


 言葉にするたび、胸の奥が痛んだ。


 マチルダ先生はゆっくりと、俺の隣に腰を下ろし、目を閉じて胸元で指を組む。


「ここまで、命を抱えてきてくれてありがとう。……でも、これからは私の番ね」


 その声音は穏やかで、確信に満ちていた。

 一切の迷いがなかった。

 彼女の言葉には、「治せるかどうか」ではなく、「私が治す」という決意しかなかった。


「私のスキルでも完治には時間が掛かります。貴方たちは少し眠りなさい……みんな疲れた顔をしてるわ」


 優しい声に、誰もが戸惑うように顔を伏せる。けれど、誰一人うなずこうとしなかった。


「もし今、ミッションが発生したらどうするの……伊庭君?

 しっかりなさい。……それとも私では不安かしら?」


 俺の頭にそっと手を添える。

 まるで幼子を安心させるように、力強く、温かく。


「私に任せなさい」


 ……この人には、本当に敵わない。

挿絵(By みてみん)

「はい……二人を、お願いします」


 そう言って深く頭を下げた。

 その言葉に続くように、榊原も、佐伯も、神楽も静かに頭を垂れる。


 白衣の裾が揺れ、マチルダ先生が集中治療室の扉を開けた。


「あの……」

 咲耶の呼び止める声に先生が振り返る。


「私の……せいなんです……二人が……」

 絞り出すように声をだす。


「伝えたいことがあるなら、直接二人に伝えなさい。

 必ず……伝えさせてあげるから。ね?」


 マチルダ先生の言葉に、咲耶はもう一度深く頭を下げる。

 そして先生は、静かに扉を閉じた。


「支部へ帰ろう……」


 俺がぽつりとそう呟いたとき、誰も反論はしなかった。


 振り返れば、淡く灯る光が、まるで二人を包み込むように病室に差し込んでいる。

 プレイヤーの死者が減ったのは、偶然じゃない。

 マティアスさんがその“土台”を作り、マチルダ先生が命の“支柱”を担っている。

 そう、誰もが知っている。


(吉野……葛西……お前たちは、まだ終わっていない)


 その言葉を胸に刻み、俺は立ち上がった。


 俺たちは一度、病室をあとにした――。

 だが心は、あの場所からまだ離れていなかった。


 ♦


「無茶ばかりして……」


 病室の中、二人の顔にそっと触れてみる。


 私がこうして誰かの傍に立つときは、決まって重症のときだ。

 当然のことだけれど――やはり、心が痛む。

 なぜこの子たちが傷つかなければならないのか……


「吉野君は……二度目ね。こんな短期間に、また大怪我するなんて……」


 声が届かないのは分かってる。

 それでも、語りかけずにはいられなかった。


「みんな、あなたたちを待っているのよ……。

 だから、ね――さあ……戻ってきなさい」


 二人を包む光がさらに強く輝きだす。

 彼女の祈りにも似た言葉が、静かな夜に優しく響いた――。


 ♦


 朝の陽が、静かに山の稜線を照らしはじめる。

 昨夜、ようやく皆を支部へ戻し、少しだけ仮眠を取った。眠ったというより、気を失うように意識を落としたという方が近い。


 ――それでも、夢は見なかった。


 枕元に置いていた端末が小さく震える。

 ディスプレイに表示された名前を見て、すぐに背筋を伸ばした。


「マチルダ・グレーベ」


 通話ボタンを押す。


「伊庭君、朝早くにごめんなさい」


「いえ……先生、何か――」


 一瞬、言葉が喉で詰まる。


「ええ。まずは伝えたくて」

 先生の声は、静かで澄んでいた。


「二人の治癒完了しました。二人とも大丈夫よ」


 ……思わず、心の奥がじんわりと熱くなる。


「ありがとうございます……本当に」


「ただ、目を覚ますのは……もう少し時間がかかるかもしれないわ」


「……意識障害、ですか?」


「ええ、どちらも体が限界を超えていたから。とくに吉野君は心肺停止からの蘇生もあったでしょう?

 神経と脳が、自発的に“回復モード”に入っているの。無理に覚醒させるのは危険だから――今は、静かに待ちましょう」


「……わかりました」


 電話越しの沈黙のあと、先生がぽつりと付け加える。


「本当に強い子たち……すぐに目を覚ますわ」


 俺はその言葉に、ふっと微笑んだ。


「先生がそう言うなら、信じます」


 通話を終え、立ち上がると、支部の窓の外には朝の光が差し込んでいた。

 霧が少しだけ晴れ、遠くの稜線が柔らかく浮かび上がっている。


 吉野。葛西。

 お前たちは、まだ帰ってきていない。

 でも――もう迷子じゃない。


 ここには“待っている人間”がいる。

 お前たちの居場所は、ちゃんとここにある。


 俺は静かに、端末を胸ポケットにしまった。


 さぁ皆に伝えに行こう。二人は無事だと。

 仲間の安堵する顔が目に浮かぶ、それから二人を迎えに行こう。

 彼らの家はここなのだから……

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ