表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
68/110

第68話 決意×代償×願い③

 吉野の胸が動いていない――その異変に、すぐに気づいた。


「……心拍、停止!」


 瞳から光が失われていく。

 誰かがそう告げた瞬間、周囲の空気が凍りついた。


「吉野さん!? いやぁぁぁ!!」


 咲耶の絶叫が耳をつんざく。俺は、その声に動じる暇もなく膝をつき、英斗の胸に手を置いた。


「心臓マッサージに入る! 神谷、AEDは!?」


「ここだ!」


 神谷がすかさず携帯型のAEDを取り出し、電源を入れる。


「シャツを切れ!」


 ナイフを手にした職員が、ためらいなく胸元を裂いた。


「貼る!」


「パッド装着完了!……心電リズム確認中です!」


 電子音が機械的に鳴る。


《心室細動を確認。電気ショックが必要です。離れてください》


「全員、手を離せ!」


 声を上げると、誰もが息を飲み、瞬時に後退した。


《ショックを与えます。三、二、一……ショック!》


 吉野の身体がビクンと跳ねた。


「……っ!」


 胸を打つ重みと、喉元にわずかに浮かぶ動きに目を凝らす。


「再度、心臓マッサージ再開!」


 すぐに別の職員が胸骨圧迫を引き継ぎ、強いリズムで圧をかけ始めた。


“戻れ……吉野”


 俺は喉奥で呟くように願う。


「呼吸、戻らず……血圧ゼロ、SpO₂<血中の酸素飽和度>低下中」


 絶望的な数値。だが、まだ終わらせるわけにはいかない。


 その横で、咲耶の小さな手が震えているのが見えた。


「お願い……目を開けて……お願いします……!」


 涙がぽろぽろと落ちて、吉野の頬に染みていく。


 ――吉野の身体から、粒子が昇り始めた。

 まるで天へと帰るかのように。

 それは、命の輪郭がほどけていくようだった。


 俺たちプレイヤーはモンスター同様、死体すら残らない。


「英斗!戻りなさい!ここで終わっては駄目よ!消えないで!」

 佐伯も叫んだ。まるで、離れ行く魂を呼び戻すかのように。


「心電リズム、再度確認!」


《ショックが必要です。離れてください》


「再ショック……行くぞ! 三、二、一……ショック!」


 再び、英斗の体が跳ねた。


 ――静寂。


「反応なし……心拍、依然ゼロ!」


「再度、胸骨圧迫!」


 俺が即座に胸に手を戻す。無心で押し込むたび、骨の軋む感触が手のひらに伝わる。何度も何度も――ただひたすらに命を叩き返すため。


「戻れ、吉野……消えるんじゃない!消えるな!吉野!」


 俺も叫び続けた。


「呼吸、戻らず!」


「吉野さん……ライブラの記憶にならないで……お願い」

 咲耶が吉野にしがみついた。粒子を逃がさないように。

挿絵(By みてみん)

「心電リズム、再確認!」


《ショックが必要です。離れてください》


「神楽、離れるんだ!」


「再ショック、行くぞ。三、二、一……ショック!」


 俺は、喉がひりつくほどの緊張の中、モニターを睨みつける。


「お願い、戻って」「戻れ吉野!」「帰ってきて英斗!」


「……っ、反応あり! 心拍、復帰!」


「呼吸も微弱ながら再開! 意識レベル、反応は……」


 まぶたが、かすかに動いた。


「吉野!? 聞こえるか!」


 思わず声を荒げる。こんなにも誰かの名前を叫びたくなったのは、久しぶりだった。


「……あ、え……」


 かすれた声が、吉野の喉から漏れる。それだけで、胸の奥に熱いものがこみ上げてくる。


「……吉野さん……!」


 咲耶が泣きながら、崩れるように吉野の顔にすがりついた。


「よかった……よかった……!」


 その言葉が震えていた。だが、確かに届いていた。


 伊庭はゆっくりと立ち上がり、空を仰いで大きく息を吐く。


「命は……つないだ」


 けれどまだ終わっていない。すぐさま、現実に思考を戻す。


 ヘリの音が近づいて来る。


「油断はできん。すぐにヘリで病院へ搬送する。全員、準備を急げ!」


 現場には、張り詰めた空気と安堵が交錯していた。


 命の灯火は、一度消えかけた。

 だが確かに、皆の手で――引き戻された。


“生きろ”


 その願いが、彼に届いたと信じている。


 ♦


 搬送用ヘリの重いプロペラ音が遠ざかり、病院の屋上に静寂が戻る。


 吉野英斗と葛西隼人、二人のプレイヤーは、それぞれの命を賭して仲間を守った。

 そして今――二人とも、集中治療室のベッドの上で静かに眠っている。


 深夜の無影灯が、ぼんやりと白く灯るガラス越しのICU室。

 ガラスの向こうで機械が規則的な音を立てていた。心電図、人工呼吸器、輸液ポンプ――命の代わりに動いている器械たち。


 吉野は三肢を失い、咲耶を庇って石化の光を受けた。

 葛西は、吉野を救うためスキルを異常発動させ、身体の限界を超えて山を駆けた。


 その代償はあまりに大きい。

 神経は焼け、筋繊維は断裂し、自発呼吸すらできない。人工呼吸器が肺を押し広げるたびに、かすかな音が鳴る。

 葛西も生きているのが不思議なくらいだった。


 ガラス越しに、伊庭は二人を見つめていた。


 榊原、佐伯、そして咲耶も、その背後に立ち尽くしている。


「……持ち直したとはいえ、いつ容体が急変してもおかしくない」


 榊原の低い声が、静けさを壊さぬように落とされた。


「体は限界を超えている。どちらも、まともに動けるようになるには時間がかかるだろうな」


「二人とも心臓も、脳波も、奇跡的に保たれているそうだ」


 俺の言葉に、榊原はゆっくりと頷いた。


「あれで意識が戻るなら……吉野も葛西も“芯”は、想像以上に強い」


 佐伯は隣で腕を組みながらも、その手は小刻みに震えていた。


「……彼の体は、今も限界を超えた状態にあるわ。

 あれだけの損傷を受けて、蘇生までして――それでも、生きている」


 それが、どれほど恐ろしく、そして希望でもあるか。

 彼女の目の奥に宿る光が、言葉よりも雄弁に語っていた。


 ベッドの脇に据えられた点滴やチューブの数々。

 失われた両腕と片足の代わりに、包帯が幾重にも巻かれた断端部。


「吉野……お前は……」

 言いかけた声を途中で飲み込む。


 そこまでして、何を守ろうとしたのか。

 いや、もう分かっている。咲耶だ。――あの娘を、ただ守ろうとしただけだ。


「私が付いていながら……」

 佐伯は目線を下げ唇を嚙みしめる。


 俺は彼女の肩に手を置いた。

「俺たちの回復力なら、一日持ちこたえればなんとか……」


 咲耶は、ただガラス越しに二人の姿を見つめていた。

 目の焦点は合っていない。ぽたり、ぽたりと涙が頬を伝っても、彼女は拭おうとしなかった。

 その指には、乾ききった血が残っている。


「咲耶」


 俺は静かに彼女へ声をかけた。咲耶はぴくりと肩を震わせ、顔を上げる。


「……はい」


「君が泣くと、二人はきっと困るぞ」


 咲耶はぎゅっと唇を噛み、伊庭に小さく頭を下げた。


 榊原は黙ったまま、じっと隼人の方を見ていた。

 管に繋がれ、動かないその姿に、かすかに眉が寄る。


「……無茶をしやがって」


 その声には叱責と、同じくらいの深い憂いが混じっていた。


「葛西は、自分が死ぬかもしれないと分かっていて走った」


「ええ、彼の目を見れば覚悟が分かりました」

 佐伯の声は柔らかく、どこか寂しげだった。


 静かに鳴る医療機器の音が、心音のように重なり続けていた。

 命の鼓動が、機械の音に代わって響いている。


 廊下を走る足音が聞こえる。

「伊庭さん!」


 声の主は雨宮だ。


「マチルダ先生がパリを出ました!二人は?」


 そういうと治療室にいる二人を見て言葉をなくした。


「先生が来られるまで、なんとしても繋ぐぞ」

 これは誰に向けたわけでもない、俺自身に言い聞かせた。


 俺はただ、二人の胸の機械的な上下を見つめ続ける。


“生きろ”


 その言葉を、何度も心の中で繰り返す。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ