第64話 雨宮の可能性
「吉野たちは休憩だ」
伊庭さんの言葉と共にその場に座り込む。
「くぁ〰榊原さん、きついっすわ〰」
隼人も同様に座り込んでいる。
「まだまだだぞ?休憩が終わったら、さらに上げてくぞ」
榊原さんの言葉を聞いて隼人は仰向けに倒れた。
伊庭さんは離れたところで絵を書いていた雨宮の方に視線を向けた。
「雨宮君、君も訓練してみないか?」
珍しく手を止めて、伊庭さんを見つめる。
「僕は……戦闘が得意じゃないから……」
「君のスキル観察者、話を聞いたところ可能性を感じる……試してみないか?」
雨宮は予想外の言葉に驚いたように目を見開いた。
「可能性……ですか?」
「ああ……もし予想が当たりなら……君は強くなる」
静かに……そして力強く伊庭さんは言った。
雨宮はしばし考え込むように視線を落としたあと、静かに立ち上がった。
俺の傍に転がっていた木刀を手に取り、ひとつ深呼吸してから、言った。
「……お願いします」
「まずは何もしなくていい、観察者で俺をただ”見る”んだ」
伊庭さんは構えると同時に姿を消す。余りの速さに一瞬見失う、俺の時はまだ全然本気では無かったようだ。
レガシーフィードのスキルでなんとか目で追えている。
雨宮に木刀が触れる直前で止め、また違う個所を狙っては止めを繰り返す。
暫く続けると、伊庭さんは元の位置へと戻った。
「どうだ?俺の動きは見えなかったか?」
雨宮は首を横に振った。
「見え……ました」
伊庭さんは満足そうに頷く。
「だろうな」
「どういうことですか?」
俺がつい質問をしてしまった。
「簡単なことだ、旅客機での戦闘中、隼人が視認できなかったモンスターを緻密に描いたんだろう?
なら俺の攻撃くらい見えると思った」
「でも見えたからって、どないにもならへんのちゃいます?」
隼人も気になったようだ。
「見えないものを対処するのと、見えているものを対処するのでは難易度が格段に違うだろう?
見えるということは見切れる可能性があるということだ……雨宮君の場合、どのような相手であっても」
「それって……めっちゃすごない?」
隼人は雨宮に視線を移した。
「僕が強く……そんなの考えたことなかった……」
雨宮は呆然と立ち尽くしていた。
伊庭さんは力強く語りかける。
「断言しよう、君は強くなる!」
それから訓練には雨宮も加わり日が落ちるまで訓練を続けた。
♦
訓練を終えた体は、しっかりと重かった。
伊庭さんと榊原さんによる猛特訓。
筋肉の節々がきしむほどの密度だったが、それ以上に得られたものは大きかった。
「あかん死んでまう……」
「僕も……腕が上がらないよ……」
「……このまま風呂にいかないか?」
「おっええな!そうしよ!」
俺たちは準備をしてから風呂に向かうと咲耶がいた。
「訓練終わったんですか?お疲れ様です」
「咲耶ちゃんなんでこえへんかったん?」
隼人が恨めしそうに話しかける。
「夏休みの宿題が遅れたからですよ!遊んでいるわけではありません!」
「宿題が追い付いたら私も参加します!」
咲耶はまるで“そんなわけないでしょう!”と顔に書いてあるような表情だ。
「関西君もお風呂ですか?」
「自分の全身が今、悲鳴あげてるんですよ……これはもう温泉でしか回復できへんやつや」
俺も頷いた。
ここには、源泉かけ流しの天然温泉がある。訓練場の裏手に佇む、旅館さながらの浴場。
日本支部の誇る名所らしい。
「雨宮先生は?」
咲耶が振り返ると、雨宮がこくりと頷いた。
「僕も訓練で腕がバキバキでさ……お湯に浮かばせたい」
「湯治レベルですね……」
咲耶が笑いながら、自分もタオルを抱えていた。
◆
夕暮れの山の空気が、湯けむりに包まれている。
男湯と女湯に分かれ、それぞれ脱衣所へ。
俺は隼人と、雨宮と一緒にのれんをくぐる。
「おおぉぉ……!この湯気……効きそう!」
隼人がテンション高く湯舟へと向かっていく。
風呂場の奥にある岩造りの露天風呂からは、山の斜面と、遠く湯布院の街並みが見下ろせた。
お湯はほんのり白濁し、硫黄の香りがふわりと鼻に届く。
「ぬくもるぅうぅぅ……」
どっぷりと肩まで浸かりながら隼人が呻くように言う。
「ここは……本当に贅沢だな」
俺も声に出してしまっていた。
静かな空間に、湯の音と、虫の声だけが響いている。
昼間の稽古の疲れが、じわりじわりと溶け出していくのがわかる。
「英斗君も、あの木刀稽古……キツそうだったね」
雨宮が肩まで浸かりながら、静かに言った。
「ああ。でも、伊庭さんの言葉には……すごく重みがあった」
俺は正直に答える。
「ちゃんと鍛えて、自分の力にしないと……借り物じゃ、意味がないから」
「雨宮も伊庭さんの攻撃、受けれるようになってきたね」
「手加減してもらってだけどね……見えてるだけにもどかしいよ」
隼人が目をつぶって頷く。
「うちもそう思いましたわ……今日はズタボロにされましたけど、逆にスッキリしてます」
「僕も」
「「「強くなりたい」」」
3人が同時に呟いた。
「いい心がけだ」
声の方を見ると、いつの間にか榊原さんが湯船に浸かっていた。
「お前たちがいたことで、刺激になったようだ、隼人の反応が違った」
「ちんたらしとったら二人に追い抜かれてまいそうで……」
「競争環境は成長を促す。今日の内容は及第点だ」
「榊原さん……」
「隼人の意図は理解した。俺も全力を出す」
榊原の目には、静かだが確かな火が灯っていた。
「えっ!ちょまっ」
「先に上がる、明日に備えろ」
ぶくぶくと泡を立てながら、隼人は湯船の底へと姿を消した。
♦
壁越しに咲耶と佐伯さんの話し声が聞こえてくる。
内容は聞き取れないが、咲耶の楽しそうな雰囲気が伝わってくる。
俺達といるときと、女性同士では違うようだ。
すると沈んでいた隼人がゆっくりと顔を出す。
「な〰な〰雨宮"君"」
君?これは何かある、俺は隼人に注目した。
「雨宮君のスキル観察者って、なんでも見えるんやんな?」
「えっ?……うん……そうだね?」
雨宮も隼人の様子に警戒を強めたようだ。少し隼人から遠ざかる。
「その壁の向こうと……」
「見えないよ」
隼人が言い終わる前にピシャリと言い放った。
「雨宮"さん"スカイフィッシュ壁越しに見えてたやん?この壁も……」
「見えないよ」
「いや、佐伯さんとか、咲耶ちゃん楽しそうにしてるやろ?どんな様子なんかな?って
「雨宮”先生”」
隼人が雨宮に詰め寄る
「”師匠!”」
すると
「隼人!私の”耳”に丸聞こえだよ!」
佐伯さんの大きな声が飛んでくる
「柚月ちゃん!?」
隼人の姿勢がビクッと伸びる
「榊原さんの前に私が訓練付けてやろうか?」
「結構です!!」
隼人は温泉から飛び出していった。
風が流れ、湯の表面をゆらす。
湯の温もりに包まれながら、俺たちはそれぞれの心と身体を休めていた。
静かな夜の中で、明日へ向けて、また一歩、強くなるための英気を、ゆっくりと養っていく――。
山の中の温泉宿――いや、ノウシス日本支部の夜は、ゆっくりと、静かに更けていった。
♦
朝靄の残る山あいに、静かな鳥のさえずりが響いていた。
障子越しの柔らかな光に目を細めながら、俺は布団の中で大きく伸びをした。
ライブラのおかげで疲労感は消えている。
(……気持ちのいい朝だな)
旅館風の天井を見上げながら、昨日の訓練と、夜の温泉をぼんやり思い出す。
榊原さんの的確な指導。伊庭さんの一太刀。
それに……雨宮や隼人と並んで言った「強くなりたい」の言葉。
(変わりたいって……ちゃんと思ってるんだ、俺も)
障子を静かに開けると、朝靄にけぶる山の稜線が目に飛び込んだ。
その合間からは、温泉の湯煙が静かに立ちのぼっている。
温泉の匂いがかすかに混じる空気が、胸の奥まで清めてくれるようだった。
縁側に出ると、同じように朝の空気を吸っていたのは雨宮だった。
「おはよう、吉野君」
「……ああ。おはよう」
「昨日のこと……まだ夢みたいだよ。僕が“見えてるのに、見てなかった”なんてさ」
「伊庭さんも凄い人だな」
「……うん、僕は今自分の可能性に胸が高鳴ってるよ」
そんな穏やかな会話の中、後ろの廊下から、
「う゛〜〜〜、おはよ……ねむぃわぁ」
という、隼人の呻き声が聞こえてきた。
俺と雨宮は顔を見合わせて、思わず小さく笑った。
昨日よりも今日、今日よりも明日、確実に強くなれる、俺はそう確信していた。