第63話 レガシーフィード
食堂の時間。扉を開けると、柔らかな灯りに照らされた空間が広がっていた。
木の温もりを感じる和風の内装。低めのテーブルがいくつか並び、窓の外には夕暮れの山々が静かに揺れている。
「帰ってきたって実感湧いてきたわ」
奥のテーブルに向かうと、すでに伊庭さんと榊原さんが席に着いていた。
「おかえり、神楽」
伊庭は落ち着いた声で二人を迎える。
「……ご無沙汰してました、伊庭さん」
咲耶は丁寧に頭を下げる。
「葛西、最後まで任務をやり切ったな。良くやった」
「伊庭さん……ありがとうございます」
隼人は、どこかホッとした表情を浮かべていた。
もう一人席に着く女性……彼女はたしか佐伯さん、ヘリで助けに来てくれた一人だ。
「咲耶ちゃん元気してた?隼人に変なことされてない?」
咲耶は佐伯さんの隣に座る。
「はい……なんとか」
「なんとかって!」
隼人が素早く突っ込みを入れる。
俺達も席に着くと、ちょうど厨房から数人の職員が料理を運んできた。
料理や掃除は一般職員もプレイヤーも関係なく当番制とのことだ。
今夜の献立は、地元の食材をふんだんに使った和食中心の料理。
塩焼きの鮎、山菜の天ぷら、炊き込みご飯に、小鉢には豆腐や漬物が並んでいる。
「すご……旅館みたいですね」
俺が思わず呟くと、佐伯が静かに返す。
「いつの頃からか、皆料理に凝り始めてね、これでも料理人は一人もいないのよ」
「俺はこんなんでけへんけどな」
自信満々に隼人が言う。うん!なんとなくわかってた。俺は心の中でつぶやいた。
「いただきます」
咲耶が手を合わせると、それに倣って全員が食事を始めた。
箸をつけた瞬間、隼人が思わず唸った。
「うわっ、やっぱうまいなここ……この鮎、骨ごといけるやつや!」
「関西君、鮎食べるたびに言ってますよ」
咲耶が呆れたように言いながらも、どこか嬉しそうに笑っている。
「英斗君、これ食べてみた?」
雨宮が嬉しそうに炊き込みご飯を見せながら尋ねてくる。
「ああ、すごく美味い、レストラン、ホテルの料理に負けてないな」
伊庭は静かに味噌汁をすすりながら、皆の様子を見守っていた。
「この時間を大切にしてくれ。ここでは、戦うだけが仕事じゃない」
「はい」
俺は素直に頷いた。
「日本支部にはプレイヤーが11名所属、
一般職員を含めると約30名ほどがここで暮らしている」
「君たちは一時滞在だと聞いているが、好きなだけ居てくれて構わない、
マティアスさんからも、そのように言われている」
(……マティアスさん、ありがとうございます。)
「最近ミッションランクについて気になることがあるんですけど……」
俺は気になったていたことを聞いてみた。
「ランクC,Dの任務しか見たことがないのですが、B以上は発生するんですか?」
伊庭さんは手に持っていた椀を置いた。
「ランクB以上は滅多に発生しない。一年に一度あるかないか程度
Aに関してはダグラスが一度経験したと聞いた」
「Aランク任務が発生したとしたら、対処できるのでしょうか?」
伊庭さんの表情が少し曇ったように見えた。
「はっきり言おう、単独で対処可能なのはダグラスのみ、
二人で戦えばエイリク、ハーコンも可能かもしれない」
「Bランクに関していえば各支部に必ず一人は対処可能な人物が配属されている
日本支部で言えば2人だ」
「現状ではAランクが発生した場合、期限内にダグラス、エイリク、ハーコンが間に合うかが鍵だな、
だが物事は旨くいかないものだ、ブレイブリングのことは聞いているか?
職員の労いを兼ねての祭りのようなものではあるが、競争力を刺激するために企画されたものだ」
「実際大会が始まって5年、著しく各支部の実力が向上してきている、
日々研鑽し、いずれAランクに参加できるメンバーが増えてくるだろう」
なるほど、ストレス発散だけではなかった……
生き残るために協力し合わなければならないと言っていた、マティアスさんは流石だなと改めて感心した。
「日本支部は猛者揃いやから心配ないで」
テーブルに置かれたご飯を自分の茶碗によそいながら言う。
「お前はもっと鍛えないとな」
榊原さんが呟いた。
「くぁー榊原さん!言われんでもわかてます!正直自分イケてる思てましたけど、
今回の旅で思い知りましたわ」
「気づいたなら、伸びる」
「榊原さん……」
「明日から稽古のレベルを上げよう」
隼人の目が見開いた。
「えっちょっと待って榊原さん……」
伊庭さんも頷くと
「葛西はそのレベルに達した、次の段階を目指すがいい」
静かに「はい」と肩を落としながら呟いた。
急に悲壮感が漂う隼人の様子に稽古は厳しそうだと俺も覚悟を決めた。
佐伯さんと談笑する咲耶の表情は、普段よりどこか柔らかく見えた。
隼人も同じだ――ここが、二人にとっての“家”なのだと、自然にそう思えた。
♦
朝の山は、まだ薄く霧が立ち込めていた。
鳥のさえずりが清々しく響く中、俺たちは旅館裏にある訓練場へと足を運んだ。
土の地面に残る踏み跡と、風に揺れる竹林。その光景はまるで、
これから始まる戦いの幕開けを告げているかのようだった。
「さ、今日から本格的に鍛え直すで」
先に立つ隼人が気合を入れながら伸びをする。その前には、すでに待っていた榊原さんの姿。
無言で頷き、指先ひとつで「構えろ」と指示していた。
「強くなる覚悟があるなら手は抜かん」
「お手柔らかに……って言ってもムリか」
隼人は肩をすくめながらも、顔はどこか嬉しそうだった。
榊原さんの厳しさの中に、確かな信頼があることを知っているからだろう。
その様子を横目に見ながら、俺も木刀を握る。
「構えろ、吉野」
伊庭さんの声は低く、静かだった。けれどその一言に、背筋が自然と伸びる。
木刀を持つ手に力が入る。伊庭さんは俺の正面に立ち、同じように構えた。
「余計な動きはせず、最低限で捌いてみろ」
一瞬の間。
そして、伊庭さんが滑るように踏み込んだ。
速い。けれど、どこかで見たことのある――いや、感じたことのある動き。
以前、動画で見た剣術家の流れるような型が、目の前で再現されている。
「っ!」
俺は木刀を横に流し受け止める。
「続けるぞ!」
「……はい!」
再び伊庭さんが踏み込む。今度は斜め上からの斬撃。伊庭さんは本当に強い。
レガシーフィードを使って、なんとか受け止めてはいる――そんな手応えだ。
だが一太刀、二太刀。体が慣れるほどに、少しずつ動きが見えてくる。
(見える……次の動きが)
「よく受け止めた。だがレガシーフィードだったか?そのスキルには気になる点がある」
気になる点?なんだろう
「実際に試してみよう。先ほどと同じで捌くだけでいい」
そういうと伊庭さんは先ほど同じように構えた。
来る!間合いが一気に詰められる。
木刀が上段から振り下ろされる――そう思った瞬間には、首筋に冷たい感触があった。
反応が全くできなかった。
「やはりな……レガシーフィードについて分かったことがある、大きくは2点だ」
伊庭さんはゆっくりと木刀を下した。
「動き自体は、熟練者のそれに見えた。だが――達人の域には届いていない。
お前の中で、過去の戦士たちの動きがフィードバックされるまでに、わずかな“間”がある。
思考と身体の反応に、ズレが生じているんだ。つまり、お前自身がその力と“完全にシンクロ”できていない」
「そして2つ目……二度目の手合わせでは全く反応が出来なかっただろう?
それは吉野の中の達人たちが、俺のオリジナルの技を知らないからだ。
初見の技、敵には対応が鈍る」
「そのスキルを通じて、動きを体に叩き込め。思考よりも先に身体が反応できるほどにな」
この人はたったあれだけの手合わせでレガシーフィードを見抜いたのか。
日本支部は精鋭揃い……その言葉に嘘はなかった。
視線を隣に移すと隼人が榊原さんに足払いを喰らって盛大に転んでいた。
「ぐはっ!榊原さんちょ、今のは絶対わざとやろ……!」
「敵は手加減してくれんぞ」
「ぬぉぉ……ぐ、ぐぬぬぬぬぬ……」
まるで犬のように地面を転がる隼人の姿に、思わず笑いそうになる。だが、その表情は悔しさよりも、どこか楽しげだった。
(……ここには、戦いの中にも“日常”がある)
そう感じた。
「吉野、構え直せ。次は実戦形式で行くぞ」
「……はい!」
木刀を構え直し、俺は再び伊庭さんと向き合った。
この場所で、俺は強くなる。俺はそう決めた。
朝霧の残る山の訓練場に、静かに、けれど確かな木刀の音が響いていた。