第61話 俺たちは、ライブラの記憶にはならない
気を使ってか、皆は黙ったまま山道を下っていた。
俺は、その沈黙を破るように口を開く。
「晩飯食べに行こうか?何食べるか決めたのか?」
俺の問いかけに一瞬だけ間があく。
「せやっ英斗の驕りやで!ちゃんと引越しの手伝いしたし!」
隼人がいつもの調子で軽く笑うと、空気が少しだけ和らいだ気がした。
俺も思わず小さく笑って返す。
「……分かってるって。約束は守るよ」
「やったー!」
隼人が両手を軽く上げて喜ぶ。
「咲耶どこいくか決めたのか?」
咲耶は目を輝かせると
「はい!雨宮先生に教えて頂いたお店に行ってみたいです!」
咲耶の言葉に雨宮も笑顔になる。
「一度だけ行ったことがあるんだけど、落ち着いてて、でも堅苦しくないところ。
小洒落たフレンチと和食の折衷レストランがあるんだ。
カジュアルすぎず、でも堅苦しくもなくて、味も評判もいい」
「え、めっちゃ良さそうやん……!」
「でも……高いよ……」
雨宮はボソリと呟いた。
「じゃあやっぱり駅前の俺の行きつけの店にし……」
「吉野さん、予約完了いたしました」
咲耶の無慈悲な声が飛ぶ。
ほんの数十分前まで命のやり取りをしていたのが嘘みたいだ。
けれど、それでも。こうやって笑える今が、かけがえのない時間だと思える。
「じゃあ……そこに今から行こう」
出し渋ったようにしたものの実は悪い気はしていなかった。
(……明夫さんたちは、もう忘れてる頃だろうな)
心のどこかに刺さったままの小さな棘を、俺は静かに飲み込んだ。
♦
高級感のある木目調の扉を開けると、柔らかな照明と静かなピアノの音が迎えてくれた。
「すご……」
隼人が思わず漏らす。
店内は落ち着いた色合いで統一されていて、テーブルには控えめな装飾と、
品のあるカトラリーが並んでいる。和と洋の美意識が絶妙に混ざった空間だ。
「こちらへどうぞ」
予約名を確認したスタッフに案内され、4人掛けの窓際席に腰を下ろす。
「ふかっ……椅子、ふっか……」
隼人が椅子のクッションに思わず感動している。
「僕も初めて来たときに驚いたよ」
雨宮が微笑みながらメニューを開く。
咲耶は視線を落としながら、うっすらと頬を染めていた。
「……すごい、こんなところ、初めて来ました……」
「選んでよかった」
雨宮が優しく微笑む。
料理は、和とフレンチの折衷コース。
前菜には季節野菜の炙りと、鯛のカルパッチョ。
そのあとの椀物には、白味噌仕立てのスープと牛肉のやわらか煮込み。
メインディッシュは和牛のロティに、赤ワインのソースがかかっていた。
料理が運ばれてくるたびに、誰かが「おお……」と声を漏らす。
「これ、うまっ!めっちゃやわらかい!」
隼人はナイフで切るのがもったいないとばかりに、慎重に口に運ぶ。
「ソースが……深い……」
咲耶は口元を手で押さえながら、感動したように呟いた。
「英斗君、ここまで驕る覚悟はあったの?」
雨宮がニヤッと笑いながら聞いてくる。
「……いま覚悟が決まった」
俺は渋い顔を作って返すと、みんなが笑う。
テーブルの上には料理の香りと笑い声が溢れ、先ほどまでの少し気まずい気配はどこか遠くに消えていた。
俺は以前から気になっていたことを思い出した。
「「そういえばさ……ライブラを拾ってから、やけにリアルな夢を見るんだよ。
やっぱりライブラの影響なのか?」
咲耶は食事をしている手を止めた。
「それは……過去の所有者たちの記憶と言われています。過去の所有者の思いなのか、
ライブラが記憶しているだけなのかは分かりませんが……」
夢の数だけ生きるために必死で戦った人達がいたんだな……
レガシーフィード……夢の中の彼らの力が俺に宿ってる。
俺は心の中で彼らに感謝と、魂だけでも安らかに眠れるように祈りを捧げた。
「……俺らはライブラの記憶の一部にならんようにしような?」
隼人の言葉に皆は頷いた。
「あの、今日のこと……私たちは吉野さんのこと忘れませんから……」
咲耶が、ぽつりと呟いた。
「だから……あんま気にすんな……な?」
隼人が少し照れくさそうに視線をそらす。
「ノウシスは仲間,友達,家族みたいな場所だからね」
雨宮が、にっと笑う。
俺は頷いた。
「……ありがとう」
窓の外では、夜の街の灯りが静かに揺れていた。
温かな光に包まれながら、俺たちは静かに、そして確かに――“今”を味わっていた。
やがて料理も全て平らげて、会話もひと段落したころ。
店内の照明が少し落ちて、ピアノの音が少しだけ高くなる。
まるで今この一瞬が、物語のワンシーンとして刻まれていくように――
誰も言葉を発しなかったが、きっと全員が、忘れられない夜になると分かっていた。
静かに、それぞれの心に、確かな灯がともる夜だった。
♦
ホテルの部屋に戻ると、さすがに全員がぐったりとしていた。
咲耶はいつも通りの別室だ。
「英斗……先入ってええか?風呂……」
「うん、どうぞ」
「助かる……生き返るわ……」
隼人はのそのそとバスルームに向かい、雨宮はソファに腰を下ろし、
ジャケットを脱いでネクタイを緩める。
静かだった。
「……疲れたね」
雨宮がぽつりと呟いた。
「そりゃ登山して、敵と戦闘なんかしたら疲れるよ」
俺の言葉に雨宮はそれもそうかと笑っていた。
湯上がりの隼人がタオルを首にかけて出てくるとテレビの電源を入れる。
「葛西君まだ寝ないの?」
「せっかく高級ホテルやし、なんか寝るの勿体ないやん……」
「明日早いよ?」
「……せやった……」
俺もシャワーを済ませると寝ることにした。
柔らかい寝具の匂い、かすかに聞こえる空調の音、
そして、誰もが生きて、ここにいるという安心感が、体をじんわりと包み込む。
――翌朝。
光がレースのカーテン越しに差し込み、静かに部屋を染めていく。
俺は静かに起き上がり、カーテンを少しだけ開けた。
「おっいい天気だな……」
その言葉で、他の皆も少しずつ目を覚ます。
「よし、今日は移動日やな!」
隼人が腕時計を確認しながら立ち上がる。
俺たちはホテルの朝食を軽く済ませ、チェックアウトを済ませたあと、
キャリーケースを引きながら駅へと向かった。
東京駅の広い構内を歩き、新幹線の改札を抜けると、車内の案内放送が心地よく流れる。
指定席に腰を下ろし、走り出す車窓の風景をぼんやりと眺めながら、
この先のことをそれぞれが胸の中で考えていた。
行き先は――湯布院、ノウシス日本支部だ。
揺れる車窓に身を委ねながら、それぞれの想いを胸に運ばれていくのだった。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
明日からは第4章「争奪編」が始まります。
新たなキャラが出てまいりますので英斗ともどもよろしくお願いします。
感想・評価・ブックマークなど、励みになります。今後ともよろしくお願いいたします!