第56話 ルパート・アシュフォード
夜風が、潮の匂いを運んでいた。
甲板には、俺たちと、助けに来たノウシスの仲間たちが立っていた。
「葛西、神楽、無事か!」
駆け寄ってきたのは、長身で引き締まった体格に
切れ長の目、長めの髪を後ろで一つに結んでいる男。
「伊庭<いば>……さん……」
隼人は絞り出すように声を出した。
「昨日、神楽からバックアップ要請があった、間に合って良かった」
伊庭と呼ばれた男は、俺に向き直った。
「彼女の機転が利かなければ、やられていただろう。良い判断だった、神楽」
咲耶は恥ずかしそうに小さく頷いた。
「君が吉野君か?状況を説明できるか?」
「スライムを撃退……でも、テミスの二階堂に体内の塩分を奪われて、みんな動けない状態です」
俺は簡潔に答えた。
「佐伯、榊原、輸液の準備!」
「了解!」
応急処置用の点滴セットが、素早く取り出される。
すぐに点滴の準備が整えられ、
隼人、咲耶、雨宮に生理食塩水が投与される。
「これで少しずつ回復する」
伊庭が優しい声で三人に声をかけた。
俺も点滴を受けながら、これまでの経緯を改めて伊庭さんに説明した。
巨大スライムのこと。
二階堂という男のこと。
そして、体内の塩分を奪うスキルのこと。
伊庭さんは黙って聞いていたが、最後に静かに言った。
「……テミスのやり方は、ますます過激になっているな」
その声音には、微かな怒りが滲んでいた。
「お前たちはよく凌いだ。あの状況で、全員無事に生き延びた。それが何よりだ」
「隊長……凌げたんは吉野のおかげです。にしても英斗、急に動き変わったな?」
隼人の顔色は少し良くなっていた。点滴が効いてきたのだろう。
「今までの動きと、途中からの動き、まるで別人や」
「……ああ、それはスキルのおかげだと思う」
俺はライブラを確認し、効果を読み上げた。
「レガシーフィード、パッシブスキル、効果は、過去の所有者の戦闘経験を得る、だって」
なるほどな……考えたことに体が勝手に反応した理由が分かった。
「つまり英斗はベテランの戦士になったっちゅうわけか? あの動き、並じゃなかったで」
「ああ……おかげで時間稼ぎはできたみたいだな」
伊庭は笑うと、背中を叩いてきた。
「皆が助かったのはお前のおかげのようだな。感謝する、吉野」
「運がよかっただけです……」
「そうだとしても……ありがとう」
伊庭さんのお礼の言葉が、素直に嬉しかった。
◇
俺たちは部屋に戻り、休むことにした。
念のため鹿児島まで、伊庭さんたちが警護してくれるそうだ。
「手間かけて……スマンかったな」
隼人が声のトーンを落として言う。
「俺がいながら、まんまとやられてもうた……」
「謝るなよ……あんなの初見じゃ防ぎようがない。皆生きてるし、二階堂の情報もノウシスに共有された」
俺は隼人の肩を軽く叩いた。
「気にするなんて関西君らしくないですよ? 今日の経験を次に生かせばいいんです」
隼人を気遣っているのだろう、咲耶の声色には優しさがにじんでいた。
「体力が落ちてるから弱気になってるんだよ。今は休もうよ……ね?」
雨宮の言葉に隼人は小さく頷いて、ベッドに横になった。
♦
翌日、鹿児島に上陸した俺たちは、電車と新幹線を乗り継ぎ、東京にいるルパート氏の元へと向かっている。
伊庭さんたちとは鹿児島で別れた。
伊庭さんたちは壺をルパート氏に届けるまで同行を申し出てくれたが、
できれば四人でやり遂げたいと全員で伝えたところ、
俺たちの思いを汲んでくれた。特に隼人の真剣な眼差しに、何か思うところがあったのだろう。
「いつでも駆けつけられるように準備をしておく。安心して行ってこい」
伊庭さんは、隼人の目をまっすぐに見据えると力強く言った。
「ありがとう、伊庭さん……」
そして現在、新幹線に乗っている。東京まであと二時間ほどだ。
東京が近づいてきたところで、これから会う人物について聞いてみた。
「そういえばルパートさんって、どんな人なんだ?」
ペンを走らせていた雨宮が、手を止めることなく話し出す。
「そっか、英斗君は知らないんだったね。ルパート・アシュフォード。ノウシスの出資者だよ。
ルパートさんの父親の協力で今のノウシスになったんだ。
彼は父親が亡くなった後も、僕らの支援を続けてくれてる。
民族学専門の方で、今は日本で調べたいことがあるとかで滞在してるんだって」
「なんで出資してくれたんだ?」
「マティアスさんと出会って、ライブラに興味を持ったらしいよ」
隼人は流れる景色を見ながら補足する。
「気になることがあったら、あの爺さんは世界中どこでも飛んでいく。
たしか七十代やったと思うけど、元気な爺さんや」
「私もお会いしたことありません」
窓から視線を咲耶に移す。
「咲耶ちゃんは日本支部しか知らんもんな……それもレアやな」
「咲耶は本部にも行ったことないのか?」
「はい……私は父の友人がノウシスの関係者だったようで、
ライブラを所持してしまってから、すぐに日本支部でお世話になることになりまして……
本部には行ってみたいのですが、学校がありますので、あまり遠出ができないんです」
咲耶は寂しげな表情を浮かべていたが、口元が少しほころんだ。
「でも、マレーシアから東京までの数日間、危険も多かったですけど楽しかったです」
「せっかくだし、東京も観光してから日本支部に行こうよ」
雨宮の提案に、隼人も同調する。二階堂のことがあってから沈んでいたが、少し元気が出たようだ。
「お! ええな!」
「私も行きたいです!」
咲耶も目を輝かせている。
「あとさ……東京に来たついでで悪いんだけど……荷物を日本支部へ送る準備、手伝ってくれないかな?」
「じゃあ、その日の晩飯は英斗のおごりな!」
「うちの近くにオレンジ色の看板の美味しい牛丼屋があるか……」
「それ、有名なチェーン店のやつやろ!」
隼人の鋭いツッコミが飛んでくる。
「では、お店は私が探しますから、吉野さんは支払いをお願いいたします」
咲耶の言葉に雨宮も乗ってくる。
「僕も東京に住んでたから、お店分かるよ? 一緒に探そう」
これは高くつきそうだ……でも、不思議と嫌な気分じゃなかった。
結局、壺を渡す、雨宮の仕事の打ち合わせに付き合う、観光する、引っ越しの準備をする。
という流れに話し合いで決まった。
♦
鹿児島からは何事もなく、
ルパートさんが宿泊しているホテルの部屋の前に到着した。一流ホテルのスイートルームだ。
俺がノックしてからしばらくするとドアが開かれると、
中からにこやかなお爺さんが現れる。
「よく来てくれた君たち!さぁ入りたまえ」
好きなとこに座るように促すと、ルパートさんは奥の部屋へと消えていった。
暫くして戻ってくると、ドリンクを皆の前に置いていく、飲み物を用意してくれたようだ。
隼人が言っていたように元気な爺さんで、年齢を感じさせない、てきぱきとした動きだ。
ルパートさんが席に着くなり
「知らない顔が二人もいるね?初めましてルパート・アシュフォードだ」
差し出された手を軽く握ると、
俺と咲耶もそれぞれ名乗り、挨拶をした。
俺はルパートさんは大富豪というイメージから勝手にお洒落なスーツを着ているかと
勝手に思っていたのだが……ジャングルにでも探検に行くかのような恰好だった。
「こちらがご所望の壺です。」
雨宮が壺をルパートさんの傍に置く。
「これが……」
ルパートさんは受け取ると壺を隅々まで見るように、ゆっくりと回転させながら見る。
時折何かを呟いているが何かは聞き取れなかった、先ほどまでのにこやかな表情は消え、学者の顔になっていた。
「ライブラから入手できる品はまったく素晴らしいものばかりだよ!
父が生きていたら私と同じように大はしゃぎだったろうね」
「最近会えていないが、マティアスは元気にしているか?」
俺はヴェルコールでのマティアスさんのことを彼に話した。
「そうか相変わらずだな、元気そうでなによりだ」
「彼とは幼少期からの付き合いだが、本当に変わらない、信念にぶれがない凄いことだ」
ん?幼少期からの付き合い?聞き違いか?
俺が困惑した表情を読み取ったのだろう、同じ言葉と補足が付け足された。
「私が彼と出会ったのは幼少期だよ、彼の姿は今とあまり変わらないね」
「あれ英斗しらんのか?」
隼人の言葉に雨宮、咲耶の顔を見ると二人とも知っているような表情だった。
「レベルアップ時のポイントの振り分けで、10ポイントの消費で年齢を1下げることができるんだ、
はっきりと年齢は聞いたことがないけど、マティアスさんは100年は生きているよ」
雨宮の言葉にルパートさんも話す
「寿命を蓄えれば肉体的外傷や病気などしなければ死なないらしい、
それに年齢も操作ができる……君たちはある意味、不死に近い存在ともいえる。
命を奪っているのか?、与えているようにも見えなくはない……ライブラとはなんなのか?
君たちには申し訳がないが興味がつきないよ私は」
「君たちはライブラを所有する前から、あらゆるモンスターの知識を持っているよね。
どうしてだい?」
「それは……映画やゲームからの知識です」
俺の言葉に3人も頷いている。
「ではその人たちは、どこから知識を得たのか?
全部が全部ではないだろうが神話や、伝承だろう?」
「では、その神話や、伝承を残した人は何処から?自ら創造したのだろうか?
私はこう考えているんだ、その頃からすでにライブラは存在していたのだと……
そしてかつてのプレイヤー達が知識を残してくれたのだと私は思っている」
「日本では八岐大蛇伝説、スサノオが討伐した話がある、彼は実在したプレイヤーだったのでは?
ヘラクレスなどはどうだろう?私は知りたい!ただ真実が知りたいんだ」
「そのためなら出資は惜しまないよ、君たちが何かを入手したり、情報を手に入れたら共有をしてほしい」
俺はルパートさんの言葉に頷いた。
ホントにライブラってなんなんだ……