第53話 鹿児島へ
売店で何があるか見ていると影が2つ近づいてくる。
「おや、葛西さんではありませんか?」
細目の男がにじり寄るように歩み寄り、隼人と咲耶に声をかけた。
「お前、二階堂やんけ!」
隼人は怪訝な表情のまま、二階堂と呼ばれた男の前に立った。。
二階堂は黒い手袋をしていた。
「テミス……」
俺が呟くと咲耶、雨宮が反応し二人組からやや距離を取る。
「ノウシスの皆さんは相変わらず群れていらっしゃる。そんなに警戒しなくても大丈夫ですよ。
私も4人も相手にするつもりはありませんから、彼もプレイヤーではないですしね」
二階堂は後ろに控える男をちらりと見ながら言った。
後ろに控えている男は赤い宝石のついたペンダントを付けている。強欲の石だろう。
二階堂の言う通りプレイヤーではなさそうだ。
「知らない顔が3人も、どうですテミスにいらっしゃいませんか?」
にこやかに手を差し伸べる
「お断りいたします」
「「断る!」」
俺たちは思わず声を揃えて否定した。警戒と嫌悪が、自然と口をついて出た
「残念、嫌われたものですね、ではまた」
肩をすくめると、その場から去っていった。
「隼人あいつのことしってるのか?」
眉間にしわを寄せながら、背中が見えなくなるまで見つめていた。
「前にミッションで一緒になったんや、底を見せへん怪しいやつや」
「一人行動はさけるようにしよう」
皆は無言で俺の言葉に頷いた。
♦
俺たちは、売店での一件を忘れるように、食堂へと向かった。
どこか緊張を引きずりながらも、空腹には勝てなかった。
船内の食堂は、広々として明るい照明に包まれていた。
窓際の席からは、真っ暗な海と、わずかに浮かぶ月明かりが見えた。
「……さすがに腹減ったわ」
隼人が椅子に腰を落とし、メニューをめくる。
「ここは……カレーとか定食系がメインみたいですね」
咲耶が端末を操作しながら、メニューを眺める。
「シンプルだけど、あったかいものがありがたいな」
俺はカツカレーの写真に視線を止めた。
「僕はシーフードカレーにしようかな」
雨宮はスケッチブックを膝に置いたまま、迷いなく注文を決めた。
しばらくして、料理が運ばれてくる。
湯気を立てるカレーの香りが、ほっと心をほどいていく。
まるでさっきまでの緊張が嘘だったかのように、自然と笑みがこぼれた。
「いただきます」
全員で手を合わせ、黙々と食べ始める。
誰も口には出さなかったが、この静かな食事の時間が、たまらなく貴重に思えた。
「……うん、めっちゃうまい!」
隼人ががつがつとカツを頬張りながら、声をあげた。
「美味しいです」
咲耶も、控えめにカレーを口に運び、ほんの少し頬を緩めた。
「ここのスパイス、ちょっと独特だね」
雨宮がスプーンを回しながら、感心したように言う。
俺も一口運び、思わずうなった。
コクと辛みのバランスが絶妙だった。
疲れた身体に、染み渡る味だった。
しばらく無言で、ただ夢中になって食べる。
夜の海を横目にしながら、温かなご飯を囲む――
それだけで、不思議と心が落ち着いていく。
「今日一日を乗り越えれば船旅も終わりだな」
俺はぽつりと呟いた。
「関西君が真っすぐに帰ってきていれば」
咲耶が小さく溜息をついた。
「……なんか……すんません」
隼人が疲れたように言う。
「まぁまぁ咲耶ちゃん、ほら新作書けたから見せてあげるよ」
雨宮が静かに付け加える。
咲耶は食い入るように絵を眺めている。
覗き込んでみるとスキュラと半魚人だった。
なぜこんな姿に生まれ変わるんだ……
腹を満たし、緊張の糸がわずかに緩んだ俺たちは、静かに船室へと戻った。
絨毯を踏みしめる足音だけが、静まり返った船内にかすかに響いていた。
夜の海を漂う船は、まるで時間さえも止まっているかのようだった。
「今夜は、何も起こらないといいな」
俺が呟くと、隼人が軽く笑った。
「まあ、今日くらいはな」
咲耶と雨宮も、小さく頷いた。
船室のドアを開けると、ほっとするような、わずかに潮の香りが入り込んできた。
それぞれベッドに荷物を置き、明日の準備をする。
ライトを落とした船室は、わずかに揺れる振動と潮の匂いに包まれていた。
それぞれが寝支度を整え、ベッドに体を沈める。
しばらくは、誰もが静かに目を閉じていた。
突如、静寂を破る警報音が鳴り響く。
「……またかよ……」
眠気など一瞬で吹き飛び、胸の奥に冷たい緊張が走る。
肌が粟立つのを感じながら、俺は枕元のライブラを強く握った。
同時に、他の三人も次々と目を覚ました。
「っ、ミッション……!」
雨宮が寝癖のついた髪をかき上げながら端末を確認する。
「ほんまに……俺ら船に乗ったら呪われてんのちゃうか……」
隼人は半分うなされながらも、顔を叩き気合を入れる。
隣の部屋からドアを閉める音が聞こえる。
咲耶はすでに外で待機している様だ。
俺たちは急いで身支度を整え、ミッションの詳細を確認した。
【ミッション】
討伐依頼
ランク:C
人数:4人
期限:12時間以内
場所:現在位置周辺(地図表示)
「場所は……」
地図を拡大すると、ピンは【船内】を指していた。
「もうすでにこの辺りか……」
俺は小さく舌打ちした。
◇
「「「「武装展開!」」」」
俺たちは戦闘準備をし周囲を警戒する。
「慎重に行きましょう」
咲耶が、気持ちを落ち着けるように小さく息を吐いた。
廊下に出ると、夜の船内は驚くほど静かだった。
非常灯だけがぼんやりと床を照らし、長い影を作り出している。
他の乗客たちは、当然何も気づいていない。
俺たちは、互いに背中を預けるようにしながら、ゆっくりと歩を進めた。
だが――
「……何も、おらへんな」
隼人がぽつりと呟く。
「また海から来るのか?」
俺は甲板から海を見渡す。
どこにも敵の気配はなかった。
甲板も、通路も、レストランフロアも、すべてが異様なまでに静まり返っている。
「どこかに潜んでる……ってことですか」
咲耶が弓を握り直す。
「何処にもいない……僕の目に見えないなんて……」
雨宮に焦りの色が見える。
張り詰めた空気だけが、ひたひたと船内を満たしていく。
「なあ……もしかして……見えているんだとしたら?」
俺の声は強張っていた。
「なにを言うとんねん?」
皆も立ち止まり、耳を澄ませる。
「何か変な感じがします……」
咲耶の言葉に五感を集中させる。
――船の“揺れ”が、ない。
さっきまでかすかに感じていた航海中の揺れが、今はまるで止まっているかのようだった。
「これ……見てみぃ」隼人の指がかすかに震えながら、甲板の下を指していた。
俺たちは甲板から下を覗き込んだ。
見た目には気づきにくいが、この船の周囲だけ、波がまるで凪いでいるようだった。
「はじめから見えていたんだ……」
雨宮がポツリと呟いた。
そう、俺たちの乗るこの船は――海ではなく、巨大なスライムの上に浮いていた……