第52話 レガシーフィード
霧がすっかり晴れた甲板に静寂が訪れた。
波の音が戻り、濡れた床に靴の音がかすかに響く。
「吉野君のスキルの使い方にヒントを貰ってね」
雨宮はライブラをそっと閉じながら、俺に微笑んだ。
「僕のサークルレイの大きさなら、分割してぶつけたらどうなるのかなって?」
「思っても出来へんで……普通」
「訓練したら2〰3個くらい分割できるかもしれんけど、それを敵にぶつける?
しかも、あの鋼のような鱗を貫くほどの勢いで飛ばすのは不可能や、それもあの数やで」
隼人が肩をすくめながら、なおも鼻血の残る雨宮を見て苦笑した。
「想像を形にしてきた雨宮先生だからなのでしょうか?」
顎に手をやり小首を傾げながら咲耶が言った。
「せやな、雨宮にしかできん、マジの必殺技やな」
「ヴェルコールでは皆が絵を書くのを優先させてくれるから、
シールドスキルだけが育っちゃってね……役に立ててよかったよ」
そういうとティッシュを鼻に詰める。
「いざってときしか使わない方がいいな……一度だけの使用で、脳に負担がかかってるみたいだ」
雨宮の鼻血が止まらない様子に心配になった。
「うん、気を付けるよ」
雨宮は額の汗を拭いながら、静かに息を吐いた。
「今回の航海で、二度ミッションが発生。このまま船で本州へ向かうのは……危険じゃやないか?」
みんなの顔を見ながら聞いてみた。
「なら、陸路やな。九州に渡って電車でも車でも行けるやろ。生きて東京に着かな意味ないしな」
「那覇から鹿児島へ定期フェリーを使い、そこから陸路で東京を目指す」
♦
船室へ戻ると俺はライブラを確認した。
これまでの3連戦でレベルが上がっていた。
レベル:10→12
名前:吉野英斗
攻撃力:70→75
守備力:47→54
年齢:29
体力:43 / 43
ちから:40→45
まもり:30→37
すばやさ:13→16
「おっ……新しいスキル?」
ライブラの表示が変わり“レガシーフィード”という名が浮かんでいる。
内容を確認しようとした矢先――
「那覇でどこ行く? 国際通り?」
隼人が横から話しかけてくるので、画面を閉じてしまった。
隼人はすでに観光モードだ。
「僕は福州園がみたいな」
遅くまで何処に行くのかを話し合い、スキルの確認はまた今度することにした。
♦
朝日が水平線を赤く染める頃、船は那覇港へとゆっくり接岸していた。
空にはまだ薄く雲が残っていたが、太陽の光は確実に一日の始まりを告げていた。
「……着いたな」
俺は手すりに手を置き、港に近づいていく岸壁と建物を見つめながら呟いた。
港のクレーンが静かに動き、大型トラックが出入りする様子が遠くに見える。
工業と観光の混ざり合った港の風景は、どこか現実に戻ってきた感覚を与えてくれた。
「ようやく日本か……」
隼人が伸びをしながら船内から出てきた。
「……やっと……ですね」
咲耶はまだやや青ざめた顔をしていた。酔い止めの薬も2日は持たなかったようだ。
「那覇の空気は湿ってるけど……どこか懐かしい」
雨宮は荷物の端を整えつつ、小さく呟く。彼の目はどこか安心していた。
数時間後、俺たちは下船し、ノウシスの手配した車に乗り込む。
那覇の街は、港の騒がしさとは裏腹に、どこか穏やかでのんびりとした空気が流れていた。
「ホテルで一泊して、明日には鹿児島行きのフェリーに乗れるよう調整してあるそうです」
咲耶が端末を確認しながら言った。
「陸に足ついたん久しぶりすぎて、感動やな……」
隼人が思わず地面に手をつけそうになって、咲耶にたしなめられていた。
♦
ホテルに荷物を預けると、俺たちは身軽な格好に着替え、那覇の街へと繰り出した。
「まずは……やっぱり国際通りやな!」
隼人が目を輝かせる。
国際通りは、朝だというのにすでに多くの観光客で賑わっていた。
土産物屋やカフェ、飲食店が立ち並び、カラフルな看板が視界に飛び込んでくる。
「ここのサーターアンダギー、めっちゃ有名らしいで!」
隼人はさっそく屋台に突撃し、揚げたての丸いドーナツを手にしていた。
「……あ、でも熱っ……!うまっ!」
頬を膨らませながら食べる姿に、思わず笑ってしまう。
「いいなぁ。僕も何か甘いの食べたい」
雨宮も屋台を覗き込み、パイナップルジュースを手にしていた。
「咲耶は……大丈夫か?」
まだ顔色が優れない彼女を気にかけると、咲耶は小さく首を振った。
「……歩くだけなら、問題ないです」
そう言いながらも、時折立ち止まっては深呼吸をしている。
「私も観光したいので……」
咲耶の言葉に思わず笑みがこぼれる
その後、少し離れた「福州園」にも立ち寄った。
「すごい……」
園内に入った瞬間、咲耶が小さく感嘆の声を漏らす。
赤い橋、龍の飾り、静かな池――
中国福建省の伝統建築を再現したというこの庭園は、異国情緒にあふれ、まるで別世界だった。
「俺写真撮る!」
隼人はスマホを取り出し、池のほとりでポーズを決めていた。
咲耶はというと、池に架かる小さな橋の上に立ち、ぼんやりと水面を眺めている。
淡い陽光を浴びた彼女の姿は、どこか幻想的に見えた。
「絵になるな……」
雨宮がスケッチブックを取り出し、さっそく鉛筆を走らせ始める。
雨宮の目にも幻想的に映ったようだ。
「さて、次はどこ行く?」
国際通りに戻ると、隼人が地図アプリを片手に言った。
「軽く昼飯食べる?」
「賛成です」
「沖縄そば……ですかね」
咲耶の控えめな提案に、全員が即座に頷いた。
空腹と期待に背中を押されながら、俺たちは地元の人気食堂を目指して歩き出していた。
昼食を終え、ゆっくりと街を散策した俺たちは、ホテルへと戻った。
明日はいよいよ、鹿児島への出発だ。
♦
「フェリーターミナル……あれかな」
隼人が窓の外を指差す。
那覇新港フェリーターミナル。そこに、鹿児島行きの船が停泊していた。
でかい……!
「おおっ、ちょっとした豪華客船みたいやな」
隼人も思わず声を漏らす。
「船酔いしないといいけど……」
咲耶がそっと自分の荷物を抱き締めた。
俺たちはチケットを受け取り、ターミナル内へと進んだ。
「じゃ、行こうか」
ゲートを抜け、フェリーへ乗り込む。
船内は想像以上に広かった。
客室エリア、展望デッキ、食堂や売店までそろっていて、ちょっとしたホテルのような雰囲気だ。
「おおっ、売店で沖縄限定のお菓子売ってるで!」
隼人はさっそく駆け出していく。
「……はしゃぎすぎです」
咲耶が苦笑いを浮かべながら後を追う。
「少し見て回ろうか」
雨宮の提案で、俺たちも軽く船内を探索した。
吹き抜けの広いホールから、窓の向こうには、すでに遠ざかる那覇の街が小さく見えた。
徐々に広がっていく海原に、少しだけ胸が高鳴る。
「また、しばらく海の上だな……」
俺は小さく呟いた。