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第51話 星屑

「カリュブディスか? 確か神話でスキュラの道か、カリュブディスの大渦、どっちかを選ばなあかんって話やったよな?」


 隼人が目を細め、渦を睨む。


「なんでも……すべてを飲み込む、海の怪物……でしたね」

 咲耶が小さく呟いた。


「……けど、あの渦の大きさなら、この船が呑まれることはなさそうだけど」

 俺も渦の中心を見据えながら、冷静に言葉をつなぐ。


 雨宮が首を横に振る。


「違う。あれは――“カリュブディス”じゃない」

 その声には、確信があった。


「群れが、渦を描くように泳いでる……あれは――」


 びちゃ。


 甲板の静寂を破ったのは、濡れた肉が何かを撫でるような、生々しい水音だった。


 ――びちゃ。ぬるっ。


 不意に、船の手すりに“何か”がぶら下がっているのが目に入った。


 月明かりに照らされ、ぬめりを帯びた“腕”が光を弾く。

 緑色に変色した皮膚、指の間には膜――水かきだ。

 ゆっくりと指が動いた。人間のようで、まったく異質なそれ。


「……っ」


 息を呑む間もなく、別の場所からも同じ水音が響きはじめる。


 ――びちゃ、びちゃっ。

 ――ぬちっ……ずるっ。


 そして、次の瞬間。


「ぅわっ……!」


 音もなく、重さを感じさせず、“それ”が一気に甲板へ這い上がってきた。


 ――ずちゃっ、ずりゅっ。


 姿を現したのは、人影に似た、しかし“決定的に異なる”ものだった。


 全身が粘膜で覆われたような異形の存在。

 青白く光る網目状の瞳、湿った魚の鱗のような背中。

 その喉元がぬるりと波打ち、肺ではなく“えら”が呼吸しているかのようだった。


「半魚人ってやつか……」

 隼人が低く呻いた。

挿絵(By みてみん)

「囲まれてる……!」

 雨宮が液タブを取り出す手が、わずかに震えている。


「……まるで、深海魚が人型になったみたい……」

 咲耶が、目を細めて呟いた。無意識に一歩、後退していた。


 やがて、異形の群れが姿を見せる。数十体。

 船の両側から這い上がり、ぬるぬると、まるでウナギのような動きで甲板を這い進む。


 口は耳元まで裂け、歯がびっしりと並んでいる。

 その奥からは、水を含んだような“呻き”がくぐもって聞こえた。


「……始めるぞ」

 俺は、刀を抜く音で自らの迷いを断ち切った。


「任せぇやぁぁあっ!」

 隼人が叫び、両腕でトンファーを握る。

 その瞳は、既に戦闘の熱に飲まれていた。


「皆、背中合わせで守り合って!」

 咲耶の声が、夜の甲板に鋭く響いた。


 そして。


 ――ギィィアアアアアアアアアッ!!


 群れが咆哮を上げた。甲板が揺れるほどの衝撃と、湿った肉の跳ねる音。


 跳躍音。裂ける空気。ずぶ濡れの爪が夜を引き裂く。


 ――海の静寂は破られた。

 夜の船上に、這いずる地獄が牙を剥いた。


「初めて戦う魔物だ!気を付けて!」


 雨宮は叫びながら、手元のスケッチブックに素早くペンを走らせる。

 図面のように緻密な軌跡が描かれ、彼の瞳は次の動きを先読みするように光っていた。


「まずは様子見でいくで!」


 隼人が前線へと飛び出し、目の前の半魚人に向かってトンファーを連打する。

 硬質な肉体を叩くごとに、乾いた音とともに敵の体がしなる。


「そらっ!」


 最後に回し蹴りを繰り出し、そのままの勢いで敵の巨体を吹き飛ばした。

 水しぶきと共に倒れる音が響く。


「数は多いけど……大したことなさそうやな?」


 そう口にした隼人の背後で、異形の一体がのけ反った。

 次の瞬間、開いた口から――


 凄まじい勢いの水流が放たれた。

 空気を裂くような音が、耳を貫く。


「「「シールド!」」」


 俺、雨宮、咲耶が同時に隼人にシールドを張る。


 俺、雨宮、咲耶。三人が同時に、隼人を守るように防御を展開する。

 だが放たれた水圧は想像を超えていた。三枚のシールドが瞬く間に砕け散る。


「うわっ、あぶなっ!」


 隼人は身をひねり、わずかに水流をかわす。


「真っ二つなるとこやった……!」


「様子見で死なないでください!」


 咲耶の冷静な叱責にが飛ぶ。


「ウォータージェットってやつだな」


 俺の言葉に雨宮がペンを止め、戦況を見ながら呟く。


「ダイヤモンド切れるらしいよ」


「魚に俺らが刺身にされんのか、笑えへんな」


「――次、きます!」


 咲耶の声が場を裂く。

 俺たちは即座に反応し、それぞれの方向へと散開する。


「撃たれる前に、こっちから叩くぞ!」

 俺は眼前の敵を斬り伏せる。クラックルをまとった一閃が、血飛沫とともに夜気を裂いた。


「はい!」


 咲耶も続くように薙刀を操り、舞うような動きで次々と敵の首元を断ち落としていく。

 その斬撃には、無駄も迷いもなかった。


「おおぉぉぉぉぉ!」


 隼人のトンファーが唸りを上げ、敵の頭部や関節を砕いていく。

 彼の動きには豪快さと冷静さが同居していた。


 ――まるで舞とダンスが交錯するような戦いだった。

 日本支部の連携の強さが、目に見えて伝わってくる。


 だが――


「……止まった?」


 突如として、残る半魚人たちの動きがピタリと止まった。

 異様な静けさが流れ、全員の背筋に冷たいものが走る。


「なんだ? なにか仕掛けてくるかもしれない!」


 その瞬間だった。


 半魚人たちの体から、水蒸気が噴き上がる。

 音もなく、だが確実に――濃い霧が辺りを覆い始めた。


「視界が……!」


 一面が白く塗り潰され、目の前が何も見えなくなる。

 敵の気配が消え、ただ緊張だけが張り詰める。


「みんな、僕の声に合わせて左右に飛んで!……今!」


 雨宮の声が霧の中で鮮明に響いた。

 それを合図に、俺たちは即座に横へ跳ぶ。


 次の瞬間、さっきまで立っていた場所に――


 轟音とともに、再びの水流が地面をえぐるように通過していた。


「何も見えない……!」


 濃霧が一面を覆い、感覚すら鈍らせる。

 敵の気配だけがひたひたと近づいてくるようで、焦りが自然と声ににじんだ。


「私が!」


 咲耶が即座に反応し、手にした薙刀を背に回して弓へと持ち替える。

 その動きは一切の迷いなく、彼女の鍛え抜かれた反射がよく表れていた。


「――神箭・白鳳しんせん・はくほう!」


 詠唱と共に放たれた矢は、光を帯びながら鳥の姿となる。

 白く眩いその光は、霧の中をまるで意志を持って飛ぶかのように直進し――


 一閃。


 光が霧を切り裂き、敵の姿を再び露わにした。


「ナイス咲耶ちゃん!」


 隼人が口元に笑みを浮かべたまま駆け出す。

 軽やかに地を蹴り、そのまま空中へと跳躍する。


「このまま派手にいったるで!」


 宙を舞う隼人のトンファーが、弧を描いて振り下ろされる。


「グルーヴ・ブレイカーッ!」


 鋼をも砕くその一撃が、半魚人の頭部を叩き潰す。

 勢いに乗った連撃が空中で炸裂し、魔物の身体が上下に跳ねた。


「この一撃で――」


 俺は隼人の連撃と交差するように走り抜け、刀を抜く。

 電流を纏った《クラックル》の一太刀が、滑るように半魚人の胸元を貫いた。


「――斬り伏せる!」


 甲高い金属音とともに血飛沫が舞い、敵が沈む。


「……逃しません」


 咲耶が低く構えながら一歩踏み出す。

 軽やかに回転する薙刀の軌道が美しく、次の瞬間――


天耀断てんようだん!」


 炸裂するような斬撃が、別の一体の胴を薙ぎ払う。

 黒い液体が空に散り、魔物が崩れ落ちた。


 しかし――戦いはまだ終わっていなかった。


「……また来るよ」


 その声と同時に、視界の端に新たな気配。

 船体の影から、ぞろぞろと這い出してくる半魚人たち。

 数は――さらに増えている。


「これで……何十体目や……」


 再び霧が立ち込め視界が奪われる。


 隼人が肩で息をしながら、額の汗を拭った。

 いくら倒しても終わりが見えない。そんな疲労と苛立ちが滲む。


「皆、下がって。僕がやるよ」


 前に出たのは、雨宮だった。


「翼……戦えるんかいな?」


 隼人が眉をひそめる。


 雨宮はふっと笑みを浮かべた。その瞳は、どこまでも静かだった。


「戦闘は苦手だよ……でもスキルって、使い方次第でしょ? 思いついたことがあるんだ……」


 そう言って、雨宮は静かに手を掲げた。


「シールド!」


 だが現れたのは、いつもの防壁ではなかった。

 空間に浮かぶ、無数のきらめく粒子――極小の光の盾。

 それらが星屑のように漂いながら、空中を舞っていた。


「一つ一つが……極小のシールド?」


「いけっ!」


 雨宮が手を突き出すと同時に、光の粒が一斉に飛び立つ。

 まるで夜空に星が降るかのように、霧の中へと一気に流れ込む。


 ――音もなく。


 だが直後、霧の中から悲鳴のような呻きが響き、血飛沫が薄白い空気を赤く染めた。


「こんなコントロール……また脳、焼き切れんで?」


 隼人が呆れ混じりに呟く。


「綺麗……そして、なんて攻撃範囲……」


 咲耶も息を呑みながらその光景を見つめる。

 まるで夢の中のような景色だった。

 そして――霧がゆっくりと晴れていく。


 そこに動くものは、もう――いなかった。


「この技スターダストって名付けようかな?」


 振り向いた雨宮が、満足げに微笑む。


 その顔に一筋の赤い筋――鼻血が流れていた。


「鼻血出してなかったら、恰好よかってんけどな」


 隼人が笑いながらツッコミを入れると、雨宮は慌てて鼻を押さえた。


 俺たちは思わず、吹き出してしまった。

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