第47話 スキュラ②
風を裂く音。月明かりが波間に滲む。
そのまま、俺は甲板の端から跳んだ。
空中で身体が回転し、水面が迫る。
跳躍の勢いが尽きかけた、その刹那――俺は叫ぶ。
「シールド!!」
バシュンッ――!
空中に“光の円”が出現する。
それは空中に固定されたまま、まるで透明な足場のように輝いていた。
キィンッ――!
足が触れた瞬間、バウンドするように蹴り上げ――俺の身体は再び空を翔ける。
「シールド!」
さらに一つ、前方の空間に光輪を展開――
《シールド》は一瞬だけ現れては光の粒となって消え、俺はその都度足を乗せ、跳び移る。
目の前に広がるのは、波間から半身を浮かべたスキュラ本体。
美しい姿をした女性の下半身からは
ぬめる黒い皮膚、触手が蠢いていた。
「っしゃあああああああッ!!」
叫びと共に次々と足場を生み出し、飛ぶ。 息を止め、全神経を集中させる。
一瞬でもタイミングが狂えば、海へ真っ逆さまだ。
背後から聞こえる仲間の声――
「嘘やろ……!?」 葛西が絶句する。
「無茶苦茶です!けど……成功すれば……!」 咲耶の声には、焦りと希望が入り混じっていた。
(絶対に――届かせる!)
そのとき、スキュラが気づいた。
うねる触手が、俺の進路を塞ぐように、牙をむきながら迫ってくる――!
「どけええええぇぇッ!!」
俺は足元の《シールド》を強く蹴り、横へ跳躍した。 直後、
空を裂くように振り下ろされたスキュラの触手が、すぐ背後の空間をえぐる。 熱風と水飛沫が頬をかすめる。
(今だ――!)
反動を活かし、空中で身体をひねりながら刀を振り上げた。
“クラックル”を刃へ流し込む。 青白い火花のような雷光が、刀身に絡むように走った。
刀がうなりをあげて――スキュラの頭部に迫る!
最後の《シールド》を、スキュラの上空に展開。 足場が月光を受けて一瞬だけ輝き、俺の身体が宙に浮く。
「いっけえええええええッ!!」
そこから、重力に任せて真下へ急降下。 真下で蠢く異形の本体目がけ、渾身の一太刀を振り下ろす!
ズバァッ!!!
刃がスキュラの上半身を、肩から胸腔<きょうこう>ごと斜めに切り裂いた。 ぶしゅううっ――!
血のような粘液が噴き上がり、俺の身体を真紅に染める。
「ギィィィィィアアアアアッ!!」
苦悶の咆哮が海原を震わせた。 スキュラの全身がのたうち回り、海水が波のように巻き上がる。
背後から、葛西の歓声が響いた。
「よっしゃあああ!決まったぁあああああ!」
だが、まだ終わっていない――
暴れるスキュラの動きに翻弄され、俺の身体が投げ出されそうになる。
しかし、刀の柄を両手で握り締め、刃を楔のように突き刺し、なんとかしがみついた。
「吉野さん!離れてください――!」
その声に顔を上げると、月光を背にした咲耶が、弓を構えて立っていた。
彼女の衣が風に舞い、金色の光が弦を這う。
「――神箭・白鳳!」
放たれた矢が、弧を描きながら空を舞う。 次の瞬間――矢は“光の鳥”へと姿を変え、羽ばたくようにスキュラの頭部へ突進した。
ズドォォォン――!!
閃光が弾け、爆風のような衝撃がスキュラを包んだ。 咆哮が途切れ、頭部が消失した。
突き立てた刃から鼓動を感じた。
(……まだ、だ)
裂かれた肉が――再び盛り上がっていく。 遅い。だが、確実に“生きている”。
(こいつ……まだ生きてるのか!?)
そのとき、船上から雨宮の声が響いた。
「吉野君!急所は――腹部だ!心臓がもう一つ見える!」
――まだ“核”が残っている。
俺は息を吐き、剣を抜き直した。 再び刀に雷光が走る。
「だったら――そこを斬るまでだ!」
スキュラの触手が唸りを上げて襲いかかる。標的は、葛西と咲耶。
「しぶといなっ!」
葛西が叫ぶと同時に、手にした二丁トンファーが火花を散らして交差する。
振り上げられた一本の触手――犬のような頭部が咆哮と共に迫ってくる。
巨体が雷鳴のごとく振り下ろされるその瞬間、葛西は低く身を沈め、足を軸に回転するように跳ね上がった。
「Heavy Rebellionッッ!!」
唸りを上げるトンファーが、獣の顎を真上から打ち砕く。 鈍い音とともに砕かれた触手の頭部が、ちぎれた肉片を撒き散らしながら空へと吹き飛ぶ。
「ぐるるぅあぁあッ!」
哀鳴をあげてのたうつ触手が甲板に叩きつけられる。しかし、次の一本がすでに襲いかかっていた。
「そこです!」
凛とした声が夜風に乗って響く。
咲耶が、月明かりを浴びて輝く薙刀を構えていた。 しなやかに、静かに――だが、目にも留まらぬ速さで動く。
「天耀断!」
閃く一撃。白銀の弧を描くような斬撃が触手を根本から断ち切り、
断面から噴き出す粘液が夜気に溶けて散る。 斬られた頭部が、犬の顔をしたままゴロゴロと甲板を転がった。
「頼んだで英斗!」
咲耶は次の矢を番えながら、俺に向けて声を飛ばす。
「……吉野さん、早く。こちらはお任せください」
二人は、命を賭して触手の群れを抑えてくれていた。
「二人とも、よそ見しないで! まだまだ来るよ!」
雨宮が叫ぶ。
俺はスキュラの背に突き立てていた刀を引き抜いた。 そしてその勢いのまま、滑り落ちるようにして本体の腹部へ身を滑り込ませる。
「クラックル……!」
囁くように唱えたその瞬間、刃に青白い電流が走り、雷光のような輝きが刀身を包み込んだ。
目前に現れる、赤黒く脈打つ“核”。 血と肉に包まれたそこは、まるで心臓のように脈動していた。
(これだ……!)
剥き出しになった核に、刃を構えたまま全身の力を込める。
「――うおぉぉぉぉぉッ!!」
雄叫びと共に、雷光を帯びた一太刀を腹部へと突き刺した。
ザクリ――!
刃が肉を裂き、骨を貫き、そして――核に到達する。
瞬間、スキュラの全身が激しく痙攣し、
頭部のあった部分から天を裂くような絶叫が、海と空を震わせた――。
「が、あああああああああああああッ!!」
空が震え、海がうねる。
甲板にいた全員が、その咆哮に思わず耳を塞いだ。
腹部の“核”が激しく脈打ち、赤い光を瞬いては、断末魔のように明滅する。
それは、まさに“最後の灯火”だった。
――そして。
ドシュッ!!
刃が深く沈んだ瞬間、スキュラの体が内側から崩れ落ちた。
黒い肉塊がずるりと裂け、圧縮された体液が破裂音とともに四方へ飛び散る。
「……やった、か……」
そのときだった。
グラリ――
足元が、海へ傾く。
スキュラの崩壊にともなって、俺の立っていた部位がゆっくりと、支えを失ったように崩れ始めた。
「……え?」
視界が反転した。
空と海が、ぐしゃりと交差する。
次の瞬間――
ドボンッ!
海水が、一気に全身を呑み込んだ。
耳の奥がキーンと鳴り、肺から漏れた空気が泡となって浮かんでいく。
一気に視界が暗くなり、世界が静まり返る。
どこかで、誰かの声が聞こえた気がした。
「英斗ーっ!!」
次の瞬間、身体がふっと軽くなる。
ミッション終了だ――装備が、消えたのだ。
必死に手足を動かす。だが、疲労は限界を迎えていた。
腕も足も重く、沈む体を持ち上げるだけで精一杯だった。
(くそ……もう少し、もう少しだけ……!)
そのとき――
「こっちです!早く!」
甲板の上から、雨宮の声が届いた。
冷静な口調のはずなのに、確かに焦りが混じっている。
「あそこに吉野君が!」
すぐに数本のロープが海へ放られた。
浮き輪が波間を滑り、次々に俺の方へ投げ込まれる。
「吉野君!掴んで!」
雨宮の声が近づいてくる。
俺は必死に腕を伸ばす――あと少し、あと少しだけ……
指先が、浮き輪の縁をかすめた。
(――届いた!)
「捕まえたぞ!」
船員たちの声と共に、ぐいっとロープが引かれ、俺の身体が水面から引き上げられていく。
ぐらつく意識の中、風の冷たさだけがやけに鮮明だった。
甲板に転がるように戻された俺に、誰かがバスタオルをかけてくれた。
「……はぁっ……はぁ……っ」
喉の奥から海水が漏れ、肺が酸素を思い出したように喘ぐ。
「……助かった、のか……」
肩で息をしながら、顔を上げた。
そこには、変わらず液タブを抱えた雨宮がいた。
「……お帰り」
珍しく、彼が微笑んだ。
その表情はいつもの無感情ではなく、確かに“安心”の色が宿っていた。
「また無茶しよって……」
「やりましたね、吉野さん」
隼人と咲耶も駆け寄ってくる。
その顔には、安堵と誇らしさが混じっていた。
俺は目を閉じ、深く息を吸った。
潮の匂い、血の匂い、燃え尽きた身体の重さ――
(生きてる……)
再び目を開けると、夜の海の上。
月が、静かに揺れていた。