第46話 スキュラ①
スキュラの触手がうねるたび、甲板の空気がぎしりと軋んだ。
潮風を裂く異音――その一撃ごとに、空間が歪むような錯覚さえ覚える。
「うわぁあああっ!」
「誰かっ、助けて――ッ!」
鋼鉄の床に血が散り、船員の体が滑っていく。
恐怖と混乱の叫びが、夜の海に吸い込まれていった。
その瞬間だった。
宙を裂く唸りとともに、一本の触手が甲板を薙ぎ払う。
凶暴な軌道は船体の手すりごと、ひとりの船員を吹き飛ばした。
金属が軋む悲鳴、骨が砕けるような鈍い音――
地獄が、船上に降りてきていた。
「逃げて! 急いで船内へ避難を!」
咲耶が鋭く叫ぶ。顔色は悪いままだったが、その瞳には恐怖ではなく、凛とした意志が宿っていた。
負傷した乗員に肩を貸し、船内へと誘導していく。
ぐちゅっ――!
またしても水面が爆ぜ、ぬめる音と共に、第二の触手が跳ね上がる。
狙いは――船体中央。
「来るぞ、隼人!」
叫ぶと同時に、俺は刀を抜いた。
「おうっ! まとめて叩き潰したるわ!」
葛西が二丁のトンファーをくるりと回し、一直線に飛び出す。
ドンッ!
金属を叩きつけるような乾いた音が響く。
葛西の渾身の一撃が、触手の一本に打ち込まれた。
「うおぉおおっ!」
俺も横から斬りかかる。刃が硬質な表皮を裂くと、どす黒い体液が飛び散った。
――厚い。
手応えはある。だが、斬り切れない。
再生力。粘性。まとわりつくような異質な肉質。
これが“ただの獣”ではないことを、身をもって理解する。
「数は……一体だけだ、この辺りには、そいつしかいないよ」
静かだがよく通る声が背後から届いた。
振り返ると、雨宮がスキュラの海中部分を凝視していた。
「触手は全部で6本あるみたいだ」
「わかった……!」
俺は頷き、剣を握り直す。
「まずは一本潰してみよか」
葛西が血の気の引いた顔で笑った。
「雨宮は触手がどこから来るか教えて」
俺も、剣を握り直す。
「了解。……来るよ、正面!」
雨宮の声が上がった瞬間――
俺と隼人は、同時に動いていた。
甲板を蹴り、空間を裂くように前へ出る。
スキュラの触手が、月光を背に迫る――。
俺は触手を切り付ける際に”クラックル”を刀に流した。
役に立たないスキルと思っていたが、
刀に流しながら攻撃をすると切れ味が向上することが分かったからだ。
「うおおっ……!」
踏み込む勢いとともに、触手の一つへ斬りかかる。
刀が深く食い込んだ。
裂けた肉の奥から黒紫の体液が噴き出し、先端についていた“犬の頭部”が苦悶に歪む。
「隼人!」
叫ぶと同時に後方へ下がる。
「まかしとき!」
葛西が滑り込むように飛び出し、二丁トンファーを構える。
その足運びはまるでダンスのように軽やか――そして、鋭い。
「Groove Breaker!」
次の瞬間、リズムを刻むように高速の連撃が触手に叩き込まれた。
ガンッ、ガンッ! トンファーが肉を裂き、骨を砕く音が響く。
「おぉぉおおおおっ!」
跳躍し、渾身の一撃を“犬の頭部”へと叩き込む。
鈍い破裂音とともに、頭部が弾け飛び、触手の先端が吹き飛んだ。
「よっしゃ、あと五本や!」
だが、勝利の余韻に浸る暇などなかった。
切断された先端の断面が蠢き、肉が再び盛り上がる。
ぬちゅ……と音を立て、頭部の輪郭が浮かび上がる。
牙、唇、白濁した目――すべてが、ほんの数秒で元通りになっていた。
「再生が早い……!」
歯を食いしばり、俺は再び刀を構え直す。
《クラックル》を再び刀身へ流し込み、横薙ぎに振り下ろした。
「もう一本、左から来るよ!」
雨宮の声が鋭く飛ぶ。
「吉野さん……援護に回ります!」
一般人の避難が終わった咲耶が戻る。
「武装展開!」
その言葉と同時に、彼女の身体が柔らかな光に包まれる。
甲板の空気がわずかに震え、まばゆい閃光が夜の闇を切り裂いた。
衣服が変わる。
白と朱を基調とした、神聖な装束――それは巫女の衣装を戦闘用にしたものだった。
海風にたなびく袖。軽やかで、無駄のない裁ち方<たちかた>。
肩から肘にかけての動きを邪魔せず、なおかつ神事のような厳かさを纏っている。
髪は一つに束ねられ、
腰には赤い帯。中央には結界符の意匠があしらわれ、動くたびに揺れて煌めく。
脚元は機動性を重視した装甲布に包まれ、凛とした美しさを損なわない。
「……神楽咲耶、参ります!」
薙刀を手に、一歩踏み出す。
左舷から迫る触手――その一本に対して、咲耶は薙刀を振り上げる。
「天耀断!」
「神聖を帯び**、**邪悪なるものを吹き飛ばす一撃。
裂帛<れっぱく>の気合と共に、空気を断ち切る一閃――
淡い光が軌道を描き、触手の先端にあった“犬の頭部”を吹き飛ばした。
甲板に肉の破片が散り、触手の根元が悶えるようにうねる。
「さっすが咲耶ちゃん、ええ仕事するなぁ!」
隼人が一撃を繰り出しながら、片手で親指を立てて見せる。
咲耶は表情ひとつ変えず、淡々と返した。
「関西君も、そろそろ遊びは終わりにしてください」
「どんなもんか試しただけやん?……ほな、テンション上げていくでぇ!」
葛西の足元が一瞬沈む――
そして、雷のような叫びと共に跳び上がった。
「Heavy Rebellion!」
純粋な破壊、一撃の威力に特化したスキル。
唸りを上げる二丁トンファー。
アッパーカットのように下から突き上げると、触手の犬の頭部が爆発するように粉々に砕け散った。
「どんなもんや!」
飛び散る体液と共に、葛西がにかっと笑う。
その姿は、まるで“混沌の中で踊る武人”そのものだった。
触手は弾かれたように引き下がったが、その先端はすぐに肉を盛り上げ、再生を始める。
「きりないやん……」
葛西が息を切らしながら呟いた。
スキュラ本体は、依然として海面に潜んでいる。 だが、その姿が“完全に隠れているわけではない”ことに、俺は気づいた。
(……届くかもしれない)
ひとつ、考えが浮かぶ。
「二人とも、触手を引きつけてくれ!考えがある!」
「おいおい、また無茶するんちゃうやろな!?」 葛西が不安そうに叫ぶ。
「吉野さん!?」 咲耶も驚きの声を上げた。
返事の代わりに、俺は――海へと駆け出した。




