第36話 レオン・アストリア
ダグがアメリカ支部へ帰ってから、二週間が経った。
ノウシスに来て、そろそろ二ヶ月が過ぎる。
その間、俺は訓練と実戦を重ね――
ついに、レベルは「10」に到達していた。
レベル:10
名前:吉野英斗
攻撃力:70
守備力:47
年齢:29
体力:43 / 43
ちから:40
まもり:30
すばやさ:13
ジャンが言っていた通り、レベル10から【ヴェルギス】が使用可能になった。
……もっとも、今のところ使う予定はない。
(というか、なるべくなら使わずに済ませたい)
後は”シールド”というスキルを覚えた。
名前の通り、手の先から小さいバリヤーを張るものらしい。
3度目にしてやっとまともなスキルを覚えた気がする。
消費寿命は2日だ。
それよりも、最近ひとつ大きな“気づき”があった。
以前、**「ちからの数値が上がっても、筋肉量が増えない」**という違和感を覚えていたが――ようやく、その理由がわかったのだ。
イメージとしては、**「極薄のパワードスーツを常に身にまとっている」**ような感覚。
つまり、肉体そのものが強化されているのではなく、“見えない補助機構”によって動きや力が底上げされている。
レベルが上がったことで、訓練や実戦中の“感覚の変化”をより明確に実感できるようになった。
パンチの重み。走ったときの推進力。斬撃時の負荷。
“自分が強くなっている”のではなく“力を借りている”――そんな感じだ。
……少しずつだが、ライブラという存在の「本質」にも近づきつつあるのかもしれない。
そして今日は――
前回のゾンビ戦以来、久々のレオンとのミッションだ。
ランクは「D」。
森の中を慎重に進みながら、俺たちは目的地を目指していた。
森の中は、ひどく静かだった。
風が葉を撫でる音と、遠くで囀<さえず>る小鳥の声。
そして、自分たちの足が土を踏みしめる音だけが、湿った空気をわずかに震わせている。
少し前を歩くレオンの背中は、いつも通りぶれがなく、迷いのない足取りだった。
まるでそこに“敵がいる”とでも言うように、道を選び、立ち止まり、時折、周囲の気配に耳を澄ませる。
その一挙一動が、ただの警戒ではない“訓練された鋭さ”を物語っていた。
その背中を追いながら、意を決して話しかけた。
「……レオンさん」
「“さん”は……いらない」
短く、けれどどこか柔らかさを含んだ声音だった。
以前より、ほんの少し距離が縮まった気がして――それだけで胸が少しあたたかくなる。
「今回、同行させてもらって……ありがとうございます」
俺の声に、レオンはふと足を止めた。
わずかに振り返り、口元に淡く、けれど確かな微笑が浮かぶ。
「雰囲気が……変わった。同行させてもいい……そう思った。それだけだ」
選んだ言葉は簡潔だったが、そこに含まれた信頼は確かなものだった。
「もう……無茶はしません」
「ああ。君が“生きている”だけで、いつか誰かを救える。……その可能性を忘れるな」
淡々とした口調なのに、その言葉はやけに胸に沁みた。
まるで、冷えた心に熱いものをひとしずく垂らされたような感覚だった。
俺は小さく頷いた。
それだけ。けれど、それだけで――今は、十分だった。
しばらく、木漏れ日が斑に差す小道を無言で歩いたあと、レオンがぽつりと呟く。
「……レベル、10に到達したと聞いた」
「ええ。前回のミッションで上がりました」
「お前はもう“任せる側”に近づいている。……力を誇ることなく、道を見誤らなければ……良い戦士になれる」
それは、叱咤でも賞賛でもない。
ただ、静かに灯された期待の言葉だった。
「……ありがとうございます」
自然と、頭が下がった。
――そして。
森の奥へと足を進めると、霧がうっすらと立ち込める谷間に出た。
湿った空気が肌にまとわりつき、静寂が妙に重く感じられる。
その中央に、そいつはいた。
トロールだ。
全身を苔むしたような皮膚。岩のような筋肉。
手には木の幹をそのまま折り取ったような棍棒を握り、ゆったりと呼吸している。
だがその息づかい一つひとつが、周囲の空気を震わせるほどの圧を持っていた。
「――見ろ、あれがトロールだ」
レオンの声が低く響く。
俺と、もう一人のプレイヤー、グレンがそれに続いた。
相手はトロール一体、オーク五体。
レオンはすぐに指示を出す。
「トロールは俺がおびき寄せる。
オークは君たち二人で片付けろ。やれるな?」
「……はい!」
「了解」
グレンが静かに頷く。落ち着いた雰囲気の男で、動きにも迷いがない。
レオンが信頼を寄せるのも納得だった。
レオンは霧の中へと踏み込んだ。
瞬間、トロールが吠える。
雷鳴のような咆哮。巨体がのそりと動き出す。
「よそ見すんな!」
グレンの声が飛ぶ。
「――来る!」
木々の影から、オークたちが現れた。
それぞれが獲物を見据え、粗野な斧や槍を手に唸り声を上げる。
五体。英斗とグレンで分担するには、ぎりぎりの数だ。
「まずは一体ずつ、確実に落とす!」
グレンが駆け、俺も刀を抜いた。
2体くらいなら同時に相手をできるようになっていた。
オークの一体が俺に向かって突っ込んできた。
腕を振り上げ、斧を振り下ろす――避けきれない!
俺はあえて“受け”、刀で斧の軌道を逸らす。
衝撃で腕が痺れるが、狙いはそこから。
「はあぁッ!!」
腹部に一閃。
血飛沫。のけぞったオークの首筋へ追撃。
二撃目が決まった。
倒れた一体を横目に、残る四体。
グレンは二体と渡り合っていた。的確に動き、急所を狙って削っていく。
「英斗、もう一体回すぞ!」
「わかった!」
二体目がこちらへ流れてくる。タイミングは悪くない。
集中しろ、俺はもう、ただの素人じゃない。
三体目もグレンと連携して片付けたころ、
最後の一体が撤退しようとする素振りを見せた――だが逃がすわけにはいかない。
俺が前へ、グレンが後ろへ。
挟撃の形で追い込み、俺の剣が胸を貫いた。
「……ふぅっ……!」
全身から汗が噴き出していた。
だが、やれた。俺一人ではないが、オークたちを“処理した”。
そのとき、トロールの唸り声が響いた。
まだレオンと対峙している――いや“踊っている”と言った方が近い。
一度も攻撃をもらっていないレオン。
最小限の動きで、あの巨体の攻撃をすべて“ずらしている”。
「……信じられない……」
レオンは俺たちの視線を察したかのように、声を飛ばす。
「オークは片付いたか?――なら、ここからは“連携”の時間だ」
トロールの注意を引いたまま、少しずつ距離を取っていく。
レオンは俺たちの教育のためにワザとトロールを残していたようだ。
「英斗、グレン。次はこいつをやってみろ、分かってると思うがトロールの再生力は異常だ」
「……了解」
「任せてください!」
レオンは俺たちの後ろへと移動する。
グレンが横へ回る。俺は反対へ。
トロールはグレンに目を付けたようだ。
グレンが叫んだ。
「英斗、俺の攻撃に合わせろ!」
俺とグレンが同時に駆け出す。
「エッジ・ストライク!」
グレンの剣が閃き、トロールの脇腹を深々と切り裂く。
だが、その直後。
「……塞がってきてる……!?」
さっき切ったはずの傷口が、すでに肉を盛り上げてふさがりかけていた。
(本当に、異常だ……!)
「今だ、英斗!」
俺はグレンと入れ替わるようにトロールの懐に飛び込む。
「おおおおおッ!!」
刀を握る手に全身の力を込め、さっきグレンが切り裂いた傷に渾身の一撃を叩き込んだ。
ズシュッッ!!
重い手応え。裂けた肉に刀が深く潜り込み、骨を断ち、確かに届いたと確信できた。
その瞬間、トロールの身体がぶるりと震え、動きが止まる。
グレンがすかさず背後から追撃を加え、俺も叫びながら二撃目を叩き込む。
今度は、再生が間に合わなかった。
巨体が、ゆっくりと、地に倒れ伏す。
息を飲む静寂。
次の瞬間、森の空気が一気に軽くなった気がした。
レオンが歩み寄ってくる。
「――よくやった。判断も、連携も、悪くない」
「……ありがとうございま……」
「だが、まだ甘いな」
そう言ってレオンは俺の頭上を見上げた。
「ブレイズ・バースト!」
ゴウッ!!
葉がざわめき、ぬるりとした影が降ってきた直後――火球が炸裂する。
爆発音とともに、上空から何かが弾け飛んだ。
視界の端で閃いた火花。次の瞬間、空から落ちてきたのは――スライムだった。
炎に包まれながら砕けたゼリー状の肉塊が、木々の枝を弾いて飛び散る。
粘性のある透明な液体が、葉を伝ってゆっくりと垂れ落ち、湿った音を立てて地面に染み込んだ。
沈黙が満ちた直後の不意打ちに、俺とグレンは言葉を失っていた。
その隣で、レオンは爆煙を背にして、静かに口を開いた。
「スライムだ。頭上は常に意識しろと、教わっているだろう?」
言葉とは裏腹に、その口元にはうっすらと笑みが浮かんでいた。
その笑みは、静かに伸びる影のように鋭く、けれどどこか優しかった。
「だが――よくやった、エイト」
レオンが俺の肩に手を置いた。その掌の重さが、確かな“認められた”証のように感じられた。
そしてすぐ、隣の男へと視線を向ける。
「グレンは、訓練を一からやり直しだ」
「……ええっ……」
肩を落とすグレンに、レオンの笑みは変わらない。
「さぁ、帰ろう」
短くそう言って、レオンが踵を返す。
ノウシス本部――拠点へと帰還した。
背中には疲労と汗。そして、ほんの少しの誇りを背負って。