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第35話 ダグラスの教え

 目を覚ますと、そこは見慣れない天井だった。

 ぼんやりとした光に包まれた空間――どうやら、病室のようだ。


 ベッド脇には、今やすっかり馴染みとなった顔ぶれが並んでいた。

 エイリクとハーコン、ルチア、そしてジャン。


「あ! 目を覚ましたよ!」


 ルチアが身を乗り出すように声を上げた。


「まったく、情けないわい」

「守りがたらんである」


 それぞれが腕を組みながら、わざとらしく眉をひそめる。


「……二人とも、誰よりも落ち着きがなかったじゃないか」


 呆れたようにジャンが言うと、エイリクとハーコンは気まずそうに顔をそらした。


「弟子の不甲斐なさに嘆いておっただけよ」

「である」


 ……その割には、目があちこち泳いでる。どう見ても取り繕ってるようにしか見えない。


「ごめん。……心配かけたな」


 そう呟くと、ルチアがふいに顔をそむけた。

「ホントですよ、もー……」

 瞳の端に、かすかに涙が滲んでいた。


「マティアスさんも、心配していたよ」


 ジャンが優しく呟く。

 俺はその言葉に、静かに頷いた。


「レオンさんの対応が遅れてたら、ほんとに危なかったんだよ」


「慣れてきた時が一番危ないと、あれほど言ったのにである!」

「まったくじゃわい」


 怒られているのだが、そこに込められた想いは、痛いほど伝わってくる。


「先生には元気になったら礼を言うのじゃぞ?先生の回復スキルは即死でなければ、ほぼ助かる」

 エイリクに続いてハーコンも話し出す。


「スキルは強力であるが、寿命の消費もそれに見合うものである……先生の命を貰ったと思うがよいのである」


 ハーコンの言葉に先生の命を貰ったのだと理解した。

 それに二人からも命を貰っている、改めて軽率な行動をしたと深く反省する。


「本当にごめん……先生にはちゃんとお礼を言いに行くよ……」


「ほら君たち、それくらいにしておこう。

 傷は癒えていても、体への負担はまだ残ってるんだ」


 ジャンがやんわりとたしなめると、それに従うように、皆が立ち上がる。

 扉が閉まる音がして、病室は急に静まり返った。


(――早く、みんなの背中に追いつきたくて、無茶したなんて言ったら怒られるだろうな)


 心配かけた申し訳なさと、本気で心配してくれる人たちがいる喜びが、胸の中で複雑に絡み合っていた。


 静寂に包まれた病室。


 コン、コン……


 控えめなノック音が、やさしく響いた。


「どうぞ」――そう言おうとしたが、喉がかすれて声が出なかった。

 かわりに、扉が静かに開いた。


 入ってきたのは、一人の男。


 落ち着いた瞳に、よく手入れされた短髪。

 戦闘服が、その静かな威圧感を際立たせている。

 だが、その表情は――驚くほど穏やかだった。


「目は覚めたか」


 低く、芯のある声が届く。


 ――レオン・アストリア。

挿絵(By みてみん)

 今回の討伐ミッションのリーダー。

 ノウシスでも一目置かれるベテランで、冷静かつ的確な指揮で仲間たちから厚い信頼を集める男。

 何度か姿を見かけたことはあったが、こうして二人きりで言葉を交わすのは、初めてだった。


「レオンさん……助けてくれて、ありがとうございました」


 そう言うと、彼はゆっくりと頷いた。


「礼はいい。それに……君が傷を負ったのは、俺の判断の甘さでもある」


 自分に厳しい人だ――その言葉の節々から、強くそう感じる。


「君は無茶をするタイプではないと判断した。だから、今回の同行を許可した」


「……すみません」


「エイリクとハーコンが、君を信頼して俺に預けた。その意味を、しっかりと考えてくれ」


 怒っているわけではない。

 けれど、その真っ直ぐな瞳は、冗談を差し挟む余地など微塵もないほどに、真剣だった。


「……はい」


 俺はベッドの上で、できるだけ背筋を伸ばして答えた。


 しばし沈黙が流れたのち、レオンはふと微笑んだ。


「生きていて良かった。――今回のことを胸に、次は挽回を期待している」


「君にならそれができる、以上だ」


 それだけ言い残し、彼は静かに部屋を後にした。


 厳しくも、あたたかい。

 本当の“強さ”を、背中で語る男だった。


 ♦


 次の日には、体調も回復し、俺は再び訓練場へと足を運んでいた。


 今日はダグが教えてくれる。


 ノウシス最強と呼ばれる男。

 その異名に違わず、ダグはあらゆる局面で圧倒的な近接戦闘を見せる。

 サイクロプスを素手で殴り飛ばすのはどうかと思う。


 けれど、彼の戦い方には“力任せ”だけじゃないものがあるのも事実だった。

 軸のブレない重心、最小限のステップ、そして“無駄”のない動き。

 まるで巨大な野生動物が、磨き上げられた武道家の技術を身につけているような――

 そんな、矛盾を抱えた強さ。


「今日はまず、エイトの“体の使い方”を見せてもらおうか」


 訓練場の中央で、ダグが腕を組んだまま、じっと俺を見つめている。

 その表情は笑っていたが、目の奥には獲物を狙うような鋭さが潜んでいた。

 軽口を叩きながらも、彼の本気は言葉の端々から伝わってくる。


 木剣を握り、基本の型をいくつか打ち込む。

 踏み込み、横薙ぎ、振り下ろし――動きの確認は、自分でも悪くないと感じた。


 一通り終えると、ダグがふむ、と顎に手を当てて頷いた。


「エイリクとハーコンの訓練、真面目に受けてるようだな」

「立ち方、踏み込み、斬り返し……基礎はよく出来てる」


 そこまでは、少しホッとした。


 だが――


「けどな。動きが……直線的すぎる」


「直線的……?」


「お前の動き、速いし力もあるが、“一直線”だ。攻撃も防御も、予測しやすい」


 ダグはそう言うと、地面に一本の線を指で描いた。


「敵が“横”から来たら? “斜め後ろ”から来たら? この線の上だけで戦ってたら、すぐ潰される」


 立ち上がった彼は、ふいに俺の横へと移動し――

 次の瞬間、俺の背後へ音もなく回り込んでいた。


「たとえば、こういう動きだ。相手に気づかれる前に“死角”をとる」

「動きは斜め、曲線、フェイント、軸ずらし――“直線”だけじゃ生き残れない」


 動きのキレはまるで野生の獣。

 でもその動きのひとつひとつには、戦場を生き延びてきた男の“知性”があった。


「今日はその辺、体に叩き込むぞ」

「覚悟しとけよ、エイト」


「じゃあ――まずは俺の動き、見てろよ?」


 そう言うと、ダグは木剣を肩に担いだまま、ゆっくりと俺の周囲を歩きはじめた。

 歩幅が一定でない。不規則に、時に前、時に後ろ、斜めにステップを踏む。

 ただ歩いているだけなのに、まるで“狙われている”ような圧を感じた。


「人はな、正面からの攻撃には本能的に反応できる。

 でも、横や背後、視界の端からくる動きには――遅れる」


 そう言いながら、ダグは俺の死角へとふわりと消えた。


 次の瞬間――


「甘い!」


 背中に“空気の音”とともに迫る気配!


「っ!」


 反射的に振り返って木剣を構えると、ギリギリでダグの剣先を受け止めた。


「お、いい反応だ。けど――」


 ダグの身体がぐるりと回り込み、俺の脇腹へ木剣の柄が触れる。


「ここ、空いてるな」


 軽く小突かれただけなのに、バランスが崩れかけた。


「攻撃は、“点”じゃない。“線”と“面”で考えろ」


 言葉と同時に、再びダグが動く。

 目の前にいたと思ったら、横に、そして後ろへ――止まらない。


「相手の周りを円で動いて、自分の“優位な角度”を取る。

 足を止めた時点で、負けだ」


「はっ……!」

 俺は目で追いながら、必死に踏み込もうとする。


 だが――


「動きが重い!」


 ダグの木剣がスッと俺の腕をかすめる。

 手加減はされている、されているのに、何もできない。


「そろそろ体に染み込ませるか。受け身も覚えてるよな?」


「えっ、ちょ――」


 バンッ!


 俺の足元に何かが滑り込む。


(しまっ――)


 次の瞬間、視界が回転し、背中が地面に叩きつけられた。


「ぐっ……ぉ……」


 地面がきしむ。


「よし、合格。最初にしては悪くない。さて、次は反撃のパターンだ」


 ニッと笑うダグの顔が、逆光の中に浮かんでいた。

 その笑顔には“慈愛”と“鬼”が共存していた。


(この人……本当に、サイクロプスを殴り倒すんだな……)


 そう確信した。


 肩を回すダグの背中から、どこか楽しそうな雰囲気が滲んでいた。


 汗ばんだシャツ、火照った肌。

 それでも彼の足取りは軽く、まるで「今からが本番」と言わんばかりだった。



「今日はこれくらいにして飯にしよう」


 時計を見もせず、感覚だけで切り上げるあたり、彼らしい。


「はい……」

 俺はゼェゼェと肩で息をしながら、ようやく一言を返す。


 足元はふらつき、全身がだるい。けれど、不思議と嫌な疲労感ではなかった。

 むしろ、芯の奥に「今日も一歩進めた」という実感が灯っている。


 ♦


 訓練場からそのまま食堂へ向かう。


 陽が傾きかけた時間帯、窓から差し込む柔らかな光が、木の床に長い影を伸ばしていた。


「……今日はな、ルチアのリクエストでラザニアが出るらしいぞ」


「えっ……マジですか?」

 つい、声が裏返った。


「マジマジ。ルチアが厨房で直談判してた。あの子、たまに変な交渉力あるからな」

 ダグは肩をすくめて笑った。


 食堂に入ると、すでに数人のプレイヤーが席に着いていた。

 皆、訓練帰りのようで、あちこちで「あー疲れた」「腕が上がんねぇ」なんて声が飛び交っている。


 その中で、ダグの姿が見えると、自然と挨拶の声が上がる。


「おつかれダグさん!」

「今日も誰か投げ飛ばされてたって聞きましたよ」


「おう、今日はエイトの番だった」

 ダグは当然のように俺の肩をバシバシ叩きながら笑った。


「……痛っ俺昨日死にかけたばっかなんだけど」


「大丈夫、俺が壊したもんは俺が直す」

 どういう理屈だよ、と言いかけて、もういいやと肩をすくめる。


 トレイを手に取り、列に並ぶ。

 本当にラザニアのトマトソースの香り漂ってきて、腹がぐぅと鳴った。


「あ、食う前に……ひとつだけ」

 ダグがふっと声を落とす。


「ただのど素人が、たったの数ヶ月で大したもんだよ」


 並んでラザニアを受け取りながら、彼はぽつりと続けた。


「……だがな急ぐな、回り道なんかない、地道に積み上げていけ」


 言い終えると、もう何事もなかったようににっこり笑って、隣の席に座った。


(俺のはやる気持ちが見透かされていたようだ)


 スプーンを手に取りながら、そう思った。


 ――背中で教えるタイプ。けれど、芯にはしっかりと“伝える”想いがある。


 そんな訓練の日常が、少しだけ、嬉しかった。


 それから数日後――

 ダグラス・ケインは、本部での滞在期間を終え、アメリカ支部へと戻っていった。


 出発の当日。

 訓練場には、見送りに来た者たちの姿がちらほらとあったが、ダグ自身はいつもと変わらない様子で、大きな荷物を片手に笑っていた。


「さて、こっちはこっちで色々学ばせてもらった。ありがとな!」

 そう言って、豪快に手を振りながら、タラップを上がっていく。


「……なんで、もっとゆっくりしていかないのかな」

 ぽつりと呟いたのは、ルチアだった。


 その声には、普段の明るさとは違う、寂しさが滲んでいた。


「……まあ、またすぐに戻ってきそうじゃがな」

「であるな」

 エイリクとハーコンも、そう言って軽く腕を組む。


 けれど、その横顔はどこか柔らかく、まるで頼れる戦友が遠くへ行くのを、照れくさく見送っているようにも見えた。


 ルチアがこちらを見て言った。

「エイトさん、あの人にちゃんとお礼言った?」

「……ああ」


 ダグとの訓練は、楽しかった。

 力任せじゃない、“導いてくれる強さ”だった。


 ――あの人に、また会えるだろうか。


 ぽっかりと空いた空気に、風が通る。

 遠ざかる飛行機を見上げながら、俺はそっと拳を握った。


 今度会うときは、今より少しでも成長した自分で――そう思った。





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