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第34話 それぞれの強さ

 ヴェルコール・ステッドのゲートをくぐると、戻ってきた俺たちを出迎えるように数人の職員たちが駆け寄ってきた。


「迎撃任務、お疲れさまでした!」 「無事でなによりだよ」


 皆の言葉は温かく、けれど、話題の中心はすぐに――


「それにしても……ダグラスさん、あれでも本気じゃないんですよね?」


 空気が変わった。


 まるで同じ空間にいたとは思えないほど、ダグラス・ケインという男がもたらした

“衝撃”は、今なおそこかしこに色濃く残っていた。


「Cランク任務にサイクロプスが出た時点でヤバかったけどさ……」


「まさかあのサイズを正面から一撃って……」


「いや、まず浮く? サイクロプスが? 浮いたよな?」


 興奮混じりのざわめきが、広がっていく。


 廊下の奥、ラウンジのほうでは、先に戻っていた数人のプレイヤーが、ドリンク片手にわいわいと話していた。


「でさ、見た? レヴナント・ブレイカー」 「あの光! 衝撃波! 漫画かよ!」


 やがて、エントランスの奥から、のしのしとあの男が現れた。


 タンクトップ姿のまま、汗すら拭かずに手を振るその姿は、あまりに自然体だった。


「お疲れ様です!」 「お見事でした、ケインさん!」


 次々と職員たちが頭を下げる中、ダグラスは豪快に笑ってそれを制した。


「いやいや、モンスター側も本気じゃなかったよ。たぶん、まだ寝起きだったな!」


「寝起きであれかよ……」誰かが呟いた。


 ルチアも人混みをかき分けてダグラスのもとへ駆け寄ってくる。


「ケインさん、カッコよすぎました! 今度サインください!」


「サイン? 仕方ないな、じゃあルチアのタブレットに描いてやろう! 絵もつける!」


「絵はいらないです!」


 わいわいとしたやり取りの中で、ダグラスはふとこちらに視線を向けた。


「お、エイト!」


 ゆっくりと俺に近づいてくる。


(また肩叩かれるんじゃ……)一瞬身構えたが、今度はそっと拳を差し出してきた。


「やるじゃないか。初任務でオーク3体ってのは、なかなかないぜ?」


「……ありがとうございます」


 俺は拳を軽く合わせた。


「堅苦しい言葉遣いはなしだ、俺のことはダグでいい」


「強くなれよエイト」


 静かに、でも確かに、そう言った。


 ダグの小さくなる背中を、俺はしばらく見送っていた。


「そういえば、マティアスさんや先生も戦ったのか?」


 気になって、二人に尋ねる。


「あの人たちの戦いも、見てみたかったな……」


「先生は主にサポートじゃな。後方からの回復と補助が中心じゃ」


 エイリクが静かに言う。


「マティアスは戦いはするが……性格的に、戦闘には不向きである」


 ハーコンは優しい口調で言った。


「戦いが苦手ってことか?」


「そうじゃな強くはないのう。だが――あやつには、人を惹きつけ、束ねる力と。決してくじけない鋼の精神がある」


 エイリクの声に、どこか誇らしさがにじんでいた。


「あやつと出会ったとき、仲間はたったの三人じゃった。

“ひとりではだめだ、協力し合うべきだ”と、わしらを必死に説得しておったよ」


「断る我らに、何度も、何度も……であるな」


 ハーコンも懐かしむように目を細める。


「それが今では、百人を超えるプレイヤーが集まり……死人も、随分と減った。稀と言ってもよいほどにの」


「戦闘で活躍する、それだけが強さではない。それが――マティアス・リーベという男じゃて」


 そう言って、二人は黙った。


 組織の大きさそのものが、マティアスさんの力なのだろう。

 ノウシスは、ただの戦闘集団じゃない――そう思えた。


 戦える者も、戦わぬ者も、それぞれのやり方でお互いの命を守っている。


 俺はその一部になれるのだろうか――そんなことを、ぼんやりと考えていた。


 ♦


 あれから俺は、毎日のようにミッションに志願し、ベテランたちに頼み込んで同行させてもらっていた。


 その日も、森の奥深くに入った頃だった。


「……いるぞ」


 静かな口調で、同行者が言った。


 次の瞬間――


 グシャ……ベチャッ……。


 何かが、何かを踏み潰すような音が、湿った空気の中で響く。


 濃密な湿気に混じって、腐肉と鉄錆が入り混じったような匂いが鼻を突いた。


 音のした方へ、ゆっくりと視線を向ける。


 そこにいた“それ”は――明らかに、何かがおかしかった。


 人間の形をしていた。

 いや、していた“名残”があった。


 肌は灰色にただれ、ところどころが腐敗し、骨の見えるほど深い裂傷が全身を走っている。

 顔の半分は削げ落ち、残された片目だけが、異様なほど赤く、爛々と光っていた。


“ゾンビ”だ。


「一人で突っ込むなよ」

 チームリーダーが小声で言う。


 そいつは、ゆっくりとこちらに顔を向けた。


 ギギ……ギギギギ……。


 まるで錆びついた機械のように、関節が悲鳴を上げながら首が回る。

 その動きには、意志のようなものは感じられなかった。


 ――だが、次の瞬間。


「ギィイイイイイイッ!!」


 それは、獣のような悲鳴を上げ、四肢を使って突進してきた。


「来るぞ!!」


 刀を構える間もなく、俺は咄嗟に横へ飛び退く。


 ゾンビは地面に転がり、骨の軋む音を立てながらも這い寄ってくる。

 爪の剥がれかけた手を、這うように前へ、前へ。

 引きずった地面には、黒赤い液体の筋が、ベッタリと滲む。


 俺は距離を詰め、背後をとった。


「吉野下がれ!」


 このタイミングなら外さない俺は忠告を無視した。


 一歩踏み込み、刀に全身の力を込めて――


「斬ッ!」


 その瞬間、背後から誰かの声が飛ぶ。


「離れろ!」


 ――直後。


 バキバキバキッ!!


 ゾンビの背中から、無数の骨の槍が飛び出した。

 まるで、肉の壁から突如伸びた罠のように。


 脳裏に、エイリクの言葉がよぎる。


「人の姿をしておっても油断してはならん。

 武器を持っておらぬようでも、全身から骨が飛び出てくる」


(しまった……!)


 全力で踏み込んでいたため、回避の猶予はなかった。

挿絵(By みてみん)

 逃げられない。


 ――ドシュッ! ズブリッ!


 次の瞬間、生ぬるく硬い何かが、腹部と背中を貫いた。


 鈍い衝撃。鋭い痛み。

 内臓が押しのけられる感覚。皮膚が裂ける感触。

 それらすべてが感覚が脳に“遅れて”やってくる。


「……ッが、は……!」


 息が詰まり、肺が悲鳴をあげる。

 手足に力が入らず、刀が指の間から滑り落ちた。


 血が、喉の奥から逆流してくる。

 口内に広がる鉄の味。視界が、急速に狭まっていく。


(……まずい……)


 意識が、ズルズルと地の底に引きずり込まれるように沈んでいった。


 そして――


 世界は、ぷつんと音を立てて、途切れた。


 ♦


 周囲のざわめきが、遠くで響く波音のように耳に届く。

 視界はぼやけ、天井がゆっくりと流れていく――担架の上に運ばれているのだと、かろうじて理解した。


「どいてくれ、道をあけろ!」


 誰かの怒鳴り声。切迫した声に、誰かが応じる気配。


 誰かが俺の顔を覗き込んだ。


「心配するな、"本物のゾンビ"は噛まれても感染なんかしないからな!」


(そうか……誠に教えてやらなきゃな)

 意識が朦朧とするなか、そんなくだらないことがふと脳裏をよぎる。


 そのとき――


「私に任せて!」


 聞き覚えのある、けれどいつもと違う、力強く澄んだ声が近づいてくる。


 マチルダ先生だ。

挿絵(By みてみん)

 白衣の裾をなびかせ、駆け寄ってくる姿が霞んだ視界に映る。

 ほんのりと、草木の香りが鼻をくすぐった。

 ローズマリーと、甘いラベンダーを溶かし込んだような、優しく清らかな香り。

 その手は、日々の献身を物語るように少しひんやりとしていたが、

 触れた瞬間、内側からぽうっと温かくなっていく。


 やわらかな温もり。心地よい静けさ。

 そのすべてが、波のように全身に広がっていく。


「セレスティアル・グレース!」


 その詠唱とともに、淡い金色の光が体を包む。

 痛みが、少しずつ、少しずつ引いていく。

 崩れていたものが、音もなく、静かに修復されていくようだった。


「大丈夫。あなたは死なないわ」


 そう言って微笑む先生の顔は、まるで女神のように見えた。


 薄れゆく意識の中、マティアスさん、ダグラス、マチルダ先生、エイリク、ハーコン……

 それぞれの戦い方があり、それぞれの“強さ”があった。


 ――俺にも、いつか。

 そんな“強さ”が、見つかるだろうか。


 意識が、そっと、深いところへと落ちていった。

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