第26話 キーホルダー
先生と別れたあと、俺はルチアと並んで小道を歩いていた。
向かう先は“雑貨屋”――つまり、ノウシス版のコンビニらしい。
「雑貨屋? 食品も置いてるのか?」
「うん、何でもあるよ。文房具にTシャツ、スナックに軽食、それに常備薬もちょこっとね」
「……ほんとにコンビニだな」
「でしょ? ノウシス内じゃ一番人気のスポットなんだから!」
そう言ってルチアは自慢げに胸を張る。
「ちなみに私は、お菓子コーナー担当」
得意満面で指を立てる姿が、どこか微笑ましい。
森の中に敷かれた小道を歩くたび、足元の石畳がかすかに鳴った。
頭上には木々の枝が重なり合い、木漏れ日がまだら模様となって地面に落ちている。
空気は澄んでいて、吐いた息がすっと胸を通り抜けていく。
「……で、買い物は?」
「……あー……」
言葉に詰まり、思わず視線をそらす。
「金が、ない」
「やっぱり〜」
ルチアはなぜか嬉しそうに笑った。
「でも、見るだけでも楽しいよ。初・海外でしょ? 文化の違いって、お店に一番出るんだよ」
「それは、なんとなく分かるかも……」
俺は頷きながら、少しだけ胸の内が軽くなるのを感じていた。
そうこうしているうちに、木立の向こうに一軒の建物が現れる。
ログハウス風の外観は温もりを感じさせるが、窓枠や照明は現代的な装いで統一されており、どこか絶妙なバランスで洗練されていた。
入口の上には、小さな木製の看板が掲げられている。そこには──
《VERCORS STORE》(ヴェルコールストア)
「……そのまんまだな」
「でしょ? センスないって、私も最初に思った」
ルチアはくすくす笑いながら、木の扉を押して中に入っていく。
俺もあとに続き、森の静けさを背に、木の香り漂う建物の中へと足を踏み入れた――。
木の扉をくぐると、店内は意外なほど広く、温かな木の香りに包まれていた。
棚は木製で統一され、照明は柔らかく、どこか北欧の雑貨屋のような落ち着いた雰囲気がある。
「お、これは……」
入口付近には軽食と飲み物。奥には文房具やちょっとした衣類、石鹸や歯ブラシといった生活用品が並んでいる。
棚の一角には、スナック菓子がずらりと詰まっていた、日本では見たことのないパッケージに、思わずテンションが上がる。
「私のテリトリー、ここ!」
ルチアが嬉しそうに袋入りのクッキーを掲げる。
「このクッキー、焼いたの私の友達なんですよ。ベーカリー担当の」
俺は棚を一つひとつ見ながら、観光気分のように商品を眺めていた。
その時――視界の端に、見覚えのある色合いが飛び込んできた。
「……あれは……?」
並べられたぬいぐるみ。
丸っこいフォルムに、ちょっと間の抜けた可愛らしい顔。
小さな翼とツノが付いた、灰色のパステルカラーのモンスター。
「ガーゴン……」
思わず口に出していた。
「おお、見つけちゃいましたね~」
横からルチアがニヤリと笑う。
ぬいぐるみの他にも、ペンやノート、ミニタオルなどの“キャラグッズ”が一式揃っている。
ラベルにはしっかりとブランド名――《AMAMIYA》 の文字が刻まれていた。
「世界的に人気だとは知ってたが、まさかここにもあるとは……」
「それは逆ですよ。ここだから、むしろあるんです!」
「さっきマチルダ先生が言っていた日本人が作ったキャラクターなんですよ」
「あの人、ミッションでモンスターを倒すたびに“デフォルメ設定画”を描くクセがあって」
「それを見た広報の人が“意外と可愛い”って盛り上がって、ノウシスで商品化。そしたら……バズっちゃった、ってわけ」
「……じゃあこれが“あの”ガーゴイルなのか」
「そう、雨宮さんがデザインしたの」
「まさか、それが世界的に売れるとは思ってなかったけどね!」
ルチアは得意げに笑う。
俺はガーゴンのぬいぐるみを手に取る。
ふわふわで、目がやたらつぶらで。
(こんな姿になっちまうのか、俺が死にかけた魔物が……)
「ちなみに、あの人一度アトリエに籠ると出てこないんですよ」
「しかも、最近アニメ化が決定して、今はもう大忙し」
「……それで、先生が“多忙”って言ってたのか」
信じられない気持ち半分。
それでも、目の前のグッズは確かに“平和の象徴”のように思えて、不思議と心が和んだ。
「……なんか、すげぇ世界に足を踏み入れたな」
「ふふっ、ようこそ、裏世界へ」
ルチアが軽くウィンクをして、ぬいぐるみの頭をポンポンと撫でた。
ノウシスに来た記念として、一つグッズを買ってもらった。
スライムのスラポンのキーホルダーだ。
ぷるんとした丸っこいフォルムに、どこか間の抜けた愛らしい表情。
透明感のあるパステルブルーのボディは、見ているだけで癒される。
……実物を思い出すと、トラウマでしかないのだが、ガーゴンは買う気になれなかった。
とはいえ、彼女の好意を無下にするのも気が引ける。ありがたく受け取っておくことにした。
すると、背後から声がかかった。
「ルチア君、何してるんです?」
その声にふと振り向くと――ジャンだった。
ノート端末を片手に、いかにも「通りすがりではない」雰囲気をまとってこちらに近づいてくる。
ルチアは一瞬だけ固まり、次の瞬間には笑顔を貼り付けた。
「ジャンさん、もう用事終わったんですか?」
「うん、終わったよ。それより――吉野君にIDを渡してくれたかい?頼んでおいたよね」
ルチアは口をもごもごさせてから、なぜか棚の奥の方を見て口笛を吹く。
……音は出ていない。
(コイツ、忘れてたな)
俺は思わずため息をつきかけたが、ポケットの中のスラポンに触れ、仕方なく肩をすくめた。
(……まぁ、借りは返しておくか)
「今ちょうど、その……受け取りに行くところです」
とっさに言葉を繋ぐと、ジャンは一瞬だけ目を細め――やがて、にこやかに頷いた。
「それは疑って悪かったね、ルチア君」
「ほんとやだな〜、ジャンさんったら! それじゃ、もう行きますねーっ!」
ルチアは笑顔を貼りつけたまま、俺の腕をぐいっと引っ張る。
そのまま勢いよく、その場をすたこら逃げ出すように離れた。
「吉野さん、ナイスアシストです! 私、吉野さんのこと信じてましたからね!」
まだ会って数時間しか経っていないのに、この距離の近さはなんなんだ。
「ささっ、IDを受け取りにいきましょう!」
ルチアは楽しげな足取りで進みながら、思い出したように言う。
「そういえば、ここでの滞在費もお渡しするように、って言われてました!」
「え、マジで?」
「うんうん! さすがノウシス、そこはちゃんとしてるんですよ〜」
はしゃぐルチアの横顔を見ながら、俺は静かに心の中で呟く。
(……今度マティアスさんに会ったら、スカウトする人間を間違えてるって伝えよう)
俺はそう心に誓った
雑貨屋を出たあとは、本部の一角にある“ID管理室”へと向かった。
ルチアの案内で、緩やかな坂を上った先――中央棟の裏手に位置する、ひときわ堅牢な建物が目的地だった。
「ここがID受け取り所! ちょっと役所っぽい雰囲気あるでしょ?」
「……まあ、いかにも“管理”って感じの建物だな」
外観は質素だが、内装は木の温もりが感じられる落ち着いた造りだった。
中に入ると、受付カウンターの奥で数名の職員たちが端末を操作している。
「こんにちはー! 吉野英斗さんのID受け取りで来ましたー!」
ルチアが陽気に手を振ると、奥から眼鏡をかけた男性職員が歩いてきた。
「お待ちしておりました。吉野英斗さんですね」
丁寧に頭を下げ、手元の端末を操作すると、引き出しから黒地に金のラインが入ったカードが取り出された。
カードの左上には“Nosis”のエンブレムが刻まれている。
「こちらがノウシスIDカードです。施設内の入退室、食堂や医療棟などへのアクセスもこのカードで行えます」
「なんか……未来感あるな」
思わずカードを手に取り、光にかざしてみると、金のラインがわずかに反射してきらめいた。
ちょっとした小道具みたいなデザインだが、その重みは“覚悟”そのもののようにも感じられた。
「それと、当面の生活資金になります。こちらをお使いください」
そう言って渡されたのは、小さな封筒だった。
中には、ノウシス内で使えるプリペイド式の通貨カードと、少額の現金が入っていた。
「物価も抑えてあるので、しばらくは困らないと思いますよ」
「……ありがとうございます」
俺は素直に礼を言い、カードを胸ポケットにしまった。
「ふふっ、これでお菓子も買えますね〜!」
「お菓子に使うとは限らんだろ……」
「吉野さんの性格、絶対“堅実派”ですよね」
「急に決めつけるな」
やり取りをしている間に、手続きを終えた職員が軽く会釈をして奥へと戻っていく。
「よし、これで手続き完了!」
「ただし、まだ仮のIDだから入れないエリアもあるけど……生活には困らないですよ」
ルチアはにこっと笑って、ぽんと俺の背を軽く叩いた。
「それじゃ今日はこれで! お疲れさまでした!」
「明日からは訓練も始まりますから、しっかり休んでくださいね〜!」
それだけ言い残すと、ルチアは手をひらひらと振って、軽やかな足取りで廊下の先へと消えていった。
まるで風のようなやつだな……と、思わず苦笑する。
♦
部屋に戻り、俺はベッドにゆっくりと体を沈めた。
天井をぼんやりと見つめながら、ジャンやマティアスの言葉を思い返す。
――「君は一人じゃない」
たった一日だったのに、不思議とその言葉に、実感が伴っていた。
(……ああ、本当に、そうかもしれない)
昨日までの俺は、ただ怯えて、逃げることで精一杯だった。
でも今は――少しだけ、前を向ける気がする。
少し経ってから、備え付けの端末を手に取り、マティアス宛にメッセージを送った。
「……正式に所属したいと思います。よろしくお願いします」
文面を確認し、送信ボタンを押す。
その瞬間、小さく揺れたキーホルダーが視界の端で揺れた。
窓辺にぶら下げていた、スラポンのキーホルダー。
パステルブルーの透明な体が、夕暮れの光を受けて、やわらかくきらめいていた。
まるで――祝福してくれているように……