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第25話 マチルダ・グレーベ

「まず、私もあなたと同じ――プレイヤーです」


 にこりとやわらかく微笑みながら、マチルダは白衣のポケットからそっとライブラを取り出して見せた。

 その手つきは穏やかで、けれど隠し事のない、まっすぐな誠意を感じさせる。


「ヴェルコール・ステッドには現在23名、そして組織全体では……100名以上のプレイヤーが在籍しています」


「百……?」


 一瞬、それが“多い”のか“少ない”のか判断がつかなかった。

 世界中で――たったの百人。多いようで、あまりにも少ない気もする。


 その思考を見透かしたように、マチルダが少しだけ笑みを深める。


「本部には、あなたと同じ日本人プレイヤーもいるわ。彼はとても多忙だけど……また紹介するわね」

「そして、どれくらいの数が存在するのか、誰が作ったのか、いつからあるのか、どうすれば解放されるのか――」

「肝心なことは、何一つわかっていないの」


 その言葉に、俺は肩をがっくりと落とした。


(結局、どこまでいっても謎だらけか……)


 そんな落胆を感じ取ったのか、マチルダの目線がわずかに揺れ、声の調子が変わる。


「それから……」

「あなたにとって、辛いことを伝えしなければならないわ」


 胸の奥が、不意にざわついた。


「私たちは――人の多い場所では、暮らすことができない」


「……それは、どういう意味ですか?」


 問いかけると、彼女は一瞬言葉を選ぶように視線を落とし、やがてゆっくりと顔を上げた。


「厳密に言えば、“住めない”わけじゃないの。ただ――」


 言葉を区切りながら、マチルダは淡々と語る。


「ミッションは、“私たちの近く”でしか発生しない」

「つまり、私たちが人の多い町に住めば住むほど、その地域に危険を招いてしまうの」


「……つまり、俺たちが町にいるだけで、近くの人が巻き込まれるってことですか?」


「ええ」

 彼女は静かに頷く。


「だからこの施設は、あえて町から遠く離れた場所に建てられているの」

「行動の制限はしていないけれど……多くのプレイヤーは、なるべく町へは行かないようにしているわ」

「自分のせいで誰かが傷つく――そんなこと、誰だって望まないでしょう?」


 その言葉に、言い返すことができなかった。


 自分が“誰かにとってのリスク”であるという事実。

 それは、ライブラを手にしてからずっと感じていた違和感の答えだった。


(……やっぱり、俺はもう、普通には戻れないんだな)


 マチルダの瞳は、そんな俺の心の奥を見通すように、静かに揺れていた。


「それでも……強制転送がある限り、完全に防げるわけではないのだけれど」


 その瞬間、脳裏にフランスでの惨状がよみがえった。あの噴水、あの魔物。そして、あの絶望。


 けれど、まったく会えないというわけじゃない。それだけが、救いだった。


“生きて帰るための拠点”。極力ストレスを感じさせないように設計された空間。

 ここに来たときに感じた“落ち着き”の正体が、ようやく腑に落ちた。


「……結局、何もわからない。迷惑をかけないために町から離れる。それだけってことか……」


「ごめんなさい」


 マチルダが申し訳なさそうに目を伏せる。

 けれど俺は、ゆっくりと首を振った。


「……いえ。何もわからないことが、“わからないと分かった”だけでもマシです」


 わずかに、マチルダの表情がやわらぐ。


「僅かだけど、分かっていることもあるの。たとえば――ライブラの基本機能の一つ」


 そう言って、マチルダは言葉を区切り、俺の目を見て静かに言う。


「“カプサ”と唱えてみて。アイテムを取り出したいと念じながらね」


「……カプサ?」


 そんな名前の料理を食べた記憶があるが気のせいか?

 とりあえず、言われるがままに念じながら声を出すと、目の前の空間が――わずかに揺らいだ。

 まるで、透明なビニール膜が薄く波打つような感覚。

 そこに空気の層が重なり、“別の空間”が開かれたかのように歪んで見えた。


「これは……」


「ライブラの“持ち物”の機能よ。その空間に、アイテムを収納したり取り出したりできるの」

 マチルダは説明しながら、指先で空中の揺らぎを軽くなぞった。


「レベルによって収納できる数が変わるわ。レベル10までは、最大10個まで」

「そして、同じ種類のアイテムなら複数であっても“1個”としてカウントされるの」


 俺は呆然としながら、目の前に揺れる“異空間”を見つめた。

 どこか幻想的で、だが確かに現実に存在している。


「生き物は入らない。でも、摘んだ植物や拾ったものなら問題ないわ。ただ……生えている大木を丸ごと入れるとか、そういうのは無理ね」


「……なんだこれ、完全にゲームの道具入れだな」


 そう呟いた俺に、マチルダは柔らかく微笑んだ。

 けれどその奥には、ほんのわずかに影が見えた。

“便利”ではなく、“生き残るため”の機能――そう思い知らされる。


「この中に装備を入れておくと、ミッション開始とともに自動で装備されるわ」


 その言葉に、俺の脳裏にあの光景がよみがえる。

 シゲルたちがミッション開始と同時に、まるで騎士のような格好に変化した。

 あれは――あらかじめ中に装備を入れていたから、ということだったのか。

 俺が変化しなかったのは、装備を何も持っていなかったからだ。


 つまり、強制ミッションでも“中に入れておけば”武器や装備だけは持っていける――

 それが、生き残るための“最低限の保証”だというわけか。


(これが……生きるための装備)


 しみじみとその機能の重さを噛みしめていた。


 ふと隣を見る。


 ……やけに静かだと思ったら、隣で寝てやがる。


 ルチアだ。


 この真剣な空気の中で、まさかの舟を漕いでいる。

 目を閉じ、軽く頭が上下していて、微妙に口が開いているのがまた腹立たしい。


 思わず二度見してしまった。


 俺の視線に気づいたのか、マチルダ先生がそっと腰に手を当てルチアを覗き込む。


 その瞬間、空気が一変した。


 ピキッ――と背筋が凍るようなプレッシャー。

 見えない圧が部屋の温度を一気に下げていく。


(やばい……やばいぞ……)


 恐る恐る視線をマチルダに向ける。

 彼女は――笑っていた。

 にっこりと、優しげな微笑みを浮かべている。


 だが、その目は……まったく笑っていなかった。


“地雷を踏んだ”――その言葉が、脳内で警報のように鳴り響く。


「ルチア」


 その一言は、静かで柔らかいのに、なぜか凄まじい威圧感を帯びていた。


「ひゃぃっ!」


 ルチアの肩がビクンッと跳ね上がり、間の抜けた声が飛び出す。


「ご、ごめんなさいっ! 寝てないです! 今のは……目を閉じて集中してただけで!」

(苦しすぎる言い訳だろ)


 顔面蒼白のルチアが、目を泳がせながら慌てて言い訳を並べる。

 背筋はピンと伸び、まるで教師に叱られた生徒のようだった。


 思わず俺も顔を背けた。


 そのときだった。


「こら」


 そう言いながらルチアの額をコツンと軽く指で弾いた。

 それは、まるで子どもを叱ったあとの母親のような、柔らかく包み込む雰囲気だ。


「あなたが頑張り屋さんなのは知ってるけれど、お仕事中に居眠りはいけないわね」


「……っせ、先生……」

 ルチアが今にも泣きそうな顔で、胸元を押さえる。


「今度からは、夜更かしは控えるように……ね?」

 指を立てて軽くたしなめるその口調には、愛情がこもっていた。


 ルチアはぺこりと頭を下げた。

「はい、すみません……」と小声で呟くと、今度こそ完全に覚醒したらしく、背筋を正して座り直す。


(この人……本当に懐が深いな)


 怒らないわけじゃない。でも、怒りっぱなしでもない。

 マチルダの“強さ”は、こういうところにも現れている気がした。


「今日はこれくらいで終わりにしましょう」


 マチルダが立ち上がり、少しだけ表情を引き締める。


「最後に……少しだけチクッとするけど、注射を打たせてほしいの」

「小型のGPSを体内に入れるためよ。万が一、転送されたときに――誰かが、あなたを探しに行けるように」


 その言葉に、一瞬だけ身構えた。

 居場所を“監視”されるということに、ほんのわずかだが抵抗を感じる。

 だが、あの地獄のような強制転送――フランスでの惨状を思い出すと、悩む余地はなかった。


「……お願いします」


「ありがとう」


 マチルダは、細長い器具を手にして近づいてくる。

 注射器のような形だが、どこか未来的な印象を受ける。


 ふわりと、甘い香りが鼻をかすめた。

 近づいてくる彼女に、思わず視線を逸らしてしまう。

(近すぎる……近い、って……)


「我慢してね」


 ささやくような声とともに、首筋にひやりとした感触。

 その直後、ほんの一瞬だけチクリとした痛みが走った。


「はい、これで大丈夫」


 穏やかな笑顔を浮かべてマチルダが下がる。


(……綺麗な人だな)


 思わず見とれていた。

 こんなふうに注射されて“幸せ”な気分になるのはどうかと思うが、たぶんこれは仕方ない。


(ファンクラブ、入会を検討しよう……)


 ふと、視線を感じて横を向くと――


 そこには、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべたルチアがいた。


(コイツ!!)

挿絵(By みてみん)

 目が合った瞬間、ルチアは口元を隠しながら「ふふふ」と含み笑いを漏らす。

 その顔が言っていた“全部見てたよ”と。


 俺は静かに、深いため息をついた。

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