第20話 病院
目を覚ますと、天井が見えた。
無機質な白。淡い照明。わずかに漂う消毒液の匂い。そこは、病院の個室だった。
「ここは……?」
声に出した言葉は、喉の奥でかすれた。身体を少し起こすと、
背中にシーツがこすれる音がして、包帯の巻かれた肩に鈍い痛みが走る。
姿は見えなかったがライブラの所持者に助けられたのか?
ふと彼らの姿を思い出す。最後に見たのは逃げていく二人の背中だった。
「エマとアドン……無事だろうか」
つぶやきながら、視線を枕元に向ける。
そこに、見慣れた小さな機械──ライブラが静かに置かれていた。
手を伸ばし、そっと持ち上げる。手の中に収まるその重みが、現実を引き戻してくる。
起動すると、液晶画面に文字が浮かび上がった。
【クリア報酬】
クラックル
「……ミッションクリア、できたんだな」
胸の奥に、静かな安堵と戸惑いが入り混じる。
あの魔人のような存在を相手に、誰かが勝利したのだろう。
つまり、ライブラの所持者の中には──あれほどの化け物じみた強さを持つ者もいるということ。
「……よく生き残れたな」
思わず漏れた言葉に、自分でも驚いた。
あの瞬間、間違いなく死がすぐ隣にいたのに。
(シゲルたちのような小悪党じゃなければいいけど……)
あんな連中が、あのクラスの力を持っていたらと思うと、背筋が寒くなる。
ふと、画面の片隅に表示された寿命に目が止まる。
「……あと89日か」
報酬として表示されたスキル──『クラックル』。
「クラックルって……なんだ?」
ライブラの操作にまだ慣れない手で、ぎこちなくスキルの説明ページを開く。
【クラックル:サポートスキル】
効果:手から微量な電気を放出する 消費寿命:1日
「……これだけ?」
思わず画面を見つめたまま言葉を失う。
どこかで期待していたのかもしれない。派手な攻撃、守りの技術、目に見える力──だが、これはただの“電気”。
「……試してみるか」
英斗は、ベッドの上でゆっくりと右手を持ち上げた。
「クラックル」
そう念じた瞬間。
バチッ。
小さな火花が、掌から弾けた。
「なんだかなぁ……」
肩をすくめて漏らしたその言葉は、心の底から出た正直な感想だった。
ドアが静かにノックされ、次いでカチャ、と金属の取っ手が回る音がした。
「失礼します」
流暢な日本語だった。
英斗は、ベッドの背もたれに寄りかかりながら、そちらに目を向けた。
入ってきたのは、スーツ姿の女性と白衣を着た中年の男性──病院の医師だろう。
「吉野エイトさんですね?」
彼女の言葉は、違和感を覚えるほど自然だった。発音もイントネーションも完全にネイティブだ。
ここはフランスのはずなのに、どうして?
一瞬だけその疑問が脳裏をよぎったが、深く考える気力は残っていなかった。
英斗は小さくうなずく。
「はい……たぶん、俺がその名前のはずです」
「お加減はいかがですか?」と医師が続けた。「処置は済んでいますが、まだ無理はなさらないでください」
英斗は軽く会釈を返す。左肩の包帯がうずいた。まだ完全に治ってはいないようだ。
女性がタブレットを手に持ったまま、やや顔を引き締める。
「いくつか、身元確認のための質問にお答えいただけますか?」
「……はい」
「お名前と、生年月日、出身地をお願いします」
「吉野エイト。1992年の……8月9日。日本生まれです」
女性がタブレットに指を走らせながら頷く。
「ありがとうございます。現在、大使館を通じて照会を進めています。ただ……」
そこで、言葉を少しだけ区切った。
「あなたの入国記録が確認できないのです。航空会社や出入国管理局を含め、フランスに入った記録が一切ありません」
英斗は小さく息を飲む。
だが表情には出さなかった。もとより、それは覚悟していた事態だ。
(記録があるはずがない。俺は……“転送”されたんだから)
「その……正直、あまり覚えてないんです。気づいたら現場にいて……とにかく必死に逃げてました」
「無理もありません。あなたは“事件”の渦中にいましたから」
「えっと事件て...」
話を聞いてみると魔物の襲撃ではなく、”武装集団によるテロ”ということになっているようだった。
「あなたを病院へ運んでくださったのは、エマとアドンのご家族です。
状況は混乱していましたが、彼らの証言では“あなたに命を救われた”とのことでした」
「……そう、ですか」
(二人が無事でよかった)
「彼らも現在、別の病棟で治療を受けています。軽傷ですが、精神的なショックが大きかったようです」
英斗は小さくうなずいた。
言葉が出ない。自分の体温が少しだけ上がった気がした。
すると彼女は質問を口にした。
「エイトさん、フランス語お上手なんですね、発音に違和感がないです」
ん?聞き間違いかな。
「ええ!?」
と、曖昧な返事を返した。
「あの、これ見覚えないですか?」
俺はライブラを2人に見せる
二人にライブラをみせると「見たことないですね」と言った。
「しばらくはこちらで保護される形になります。大使館の対応が整い次第、
あなたの今後についてもお話ししますね」
女性が一礼し、医師と共に退出していく。
ドアが静かに閉まると同時に、英斗は小さく息を吐いた。
残された病室に、静けさが戻る。
--すると
病室のドアが、ノックの音とともにゆっくりと開いた。
「失礼します……」
エマだった。
その後ろにはアドンが立っている。二人とも、どこか緊張した面持ちだったが、
英斗の姿を見た途端に、少し肩の力を抜いた。
「……やっぱり起きてた」
エマが、ほっとしたように微笑んだ。
「無事でよかった。ほんとに……」
その声に、わずかに震えが混じっていた。
英斗は体を起こし、かすかに笑ってうなずいた。
「戻ってきてくれたんだな」
エマは椅子を引いて英斗のベッドのそばに腰を下ろし、アドンも無言のまま壁にもたれかかる。
「武器を見つけて戻ったら倒れているあなたがいて、心配したわ」
「私たちは軽い怪我で済んだけど。でも、あなた……肩、大丈夫?」
「まあ……なんとかね。命に別状はなかったみたいだ」
「……あの混乱の中で、助けてくれてありがとう」
エマはそう言って、まっすぐに英斗を見た。
「いや……助け合いだよ。あの状況じゃ、誰がいても……必死だった」
そう答えながら、英斗は二人の様子を注意深く観察していた。
(やっぱり……二人とも、覚えてないんだな)
彼らの表情には、“あの”魔物の姿を見た者が抱えるべき怯えや混乱はなかった。
案の定、エマがぽつりと口を開く。
「……まさか、本当に武装集団があんな大規模なテロを起こすなんて……。信じられないよね」
英斗は目を伏せた。
「……ああ、本当にな」
(違う。あれは“人間”なんかじゃなかった。でも──言ったところで、意味はない)
アドンがぼそりと口を開く。
「あの時、一人でぼんやりと突っ立ってるお前と出会えて幸運だったな」
「それもお互い様だよ」
三人の間に、わずかながら笑いが生まれた。
戦場では得られなかった、ささやかで温かな時間。
それでも今は──
「ありがとう、来てくれて」
たとえ記憶が違っても、俺の本心だった。
それにしても厄介なことになったな、入国記録がないんだもんな、てっきりミッション終了後には
元の場所に帰るもんだと思ってたからな、最悪投獄とかありえるのか。
どうしたものか...