第2話 違和感と記憶
いつものようにバイトに向かうと、何かがおかしい。
店を眺めると、違和感の正体がすぐに見つかった。
駐車場の前に置いてある電飾看板が明滅していた。
「外の看板の電球、切れてるみたいですよ」
「あー、そうなんだよ。僕もさっき気が付いてね、発注したところなんだ」
「在庫切らしててね、テヘペロ」
そう言って、ごめんねのポーズをしている。
「全然可愛くない」と言って軽く肩を小突き、更衣室へ向かう。
大学を卒業してから1年ほどサラリーマンをしていたが、
当時の上司と些細なことで喧嘩をして退職。その後、23歳から6年間バイトをしている。
会社を辞めてからは、なんとなく気まずくなり、
元同僚や学生時代の友達とも連絡を取っていない。
今では向井さんが一番付き合いが長いかもしれない。
着替え終わると、誰かが更衣室に入ってくる。
高校生の田中君だ。身長160cmと小柄で、声も小さく、いつもおどおどしている。
「何か引き継ぎある?」俺は田中君に話しかける。
「いえ…特に…ないです…」
相変わらず声は小さく、蚊の鳴くような音だ。
空気ごと押しのけるように、更衣室を後にする背中に、まだ影がある。
「お先…です」
タイムカードを押し、更衣室から出ていった。
田中君がここに来て2年になるが、明るくなる様子はない。
更衣室を出ると、向井さんがこちらを見ている。
こういうときは何か話したいことがあるのだ。
「何かありました?」向井さんの隣に立ち、尋ねる。
「そうなんだよ〜よくわかったねぇ」
満面の笑みを浮かべている。
この人が不機嫌そうな顔をしているのは見たことがなく、いつも笑顔だ。
「もしかして、例の噂ですか?」
向井さんが俺を待ち構えているときは、大体オカルトか都市伝説の話だ。
「吉野君は話が早いねぇ〜」
嬉しそうにしながら話を続ける。
「今度は山の中で…出たんだって」
もったいぶった言い方が実に腹立たしい。
「トカゲ。人くらいの大きさの、でっかいトカゲだってさ」
「お疲れさまでした〜」
踵を返し、更衣室へ向かう。
「待って、待って〜続き!続きがあるから!ね?」
『ね、じゃねーよ』と心の中で突っ込みを忘れない。
「実はこれ、噂話じゃないんだ…」
俺はドキッとした。
「店長まさか見…」と言い終わる前に、
「常連の竹中さんに聞いたんだよ〜」
「噂じゃねーか!」
俺はすかさず、向井さんの胸に突っ込みの手を入れる。
『俺の胸のドキドキを返せよ、馬鹿野郎!』と心の中でつぶやいた。
向井さんはハハハと笑いながら、
「でもね」と言って急に声のトーンを変える。
「竹中さんが、そこの裏山で見たんだって」
そう言うと、「どう? 怖いでしょ?」みたいな顔で俺を見てくる。
「からかわれたんですよ! 店長がその手の話好きだって、竹中さんも知ってるじゃないですか?」
「まったく吉野君はロマンがないな〜ロマンがないよ〜」
オーバーリアクションで非難してくる。
「とりあえず休憩行っちゃってください」
そう言って俺は向井さんを更衣室のほうへ押しやる。
「こんな話、吉野君しか聞いてくれないのに〜」
ぶつぶつ言いながら、更衣室へと消えていく。
♦
俺も休憩時間になり、
チンピラAとBに遭遇しないことを祈りつつ、牛丼屋へ向かう。
深夜帯だと客は少なく、俺以外に二人しかいない。しばらくすると、
アジア系の外国人らしき店員が牛丼をカウンターに運んできた。大学生くらいの女性だ。
「オマタセシマシタ、イジョデヨロシデスカ?」
片言の日本語で牛丼と伝票を置くと、彼女は厨房へと消えていった。
カウンターに置いてある紅しょうがをたっぷり乗せ、一気に頬張る。
甘じょっぱいタレの味が口いっぱいに広がる。
紅しょうがのピリッとした酸味が、その中にアクセントを加える。
(うまい……)
すると突然、警報音のような音が鳴り響いた。
音の正体は……ポケットに入れていたゲーム機だ。
周囲の客たちはまるで何も聞こえていないかのようだ。
背筋が、ぞわりと冷えた。
まるで、この音が“俺だけの世界”で鳴っているみたいだ。
画面を指で触れると、ピタリと音が止み、代わりに文字が表示された。
【ミッション】
討伐依頼
ランク:F
人数:2
期限:3日
場所:地図を表示する
見たことのない画面だ。操作に戸惑いながらも、あちこちをタップする。
やがて「地図を表示する」を押すと、地図が広がり、ある一点にピンが立つ。
……ここへ行けということか?
よく見ると、見覚えのある場所だった。ピンの刺さっている場所は――「バイト先」だ。
思わず声が漏れる。
「なんで……」
残りの牛丼を急いでかき込みながら、胸がざわついてくる。
どうせ何も起きないだろう――そう思いながらも、心臓が速く脈打っているのを感じた。
牛丼屋を後にし、足早にバイト先へ向かう。
店の前に立ち、ゲーム画面を見る。
先ほどの「ミッション」と表示されていた画面が消えていた。
指定された場所に到着したからだろうか? あちこちタップしてみるも、
表示されるのは相変わらず「ステータス画面」「装備画面」「持ち物画面」の三つだけ
胸の高鳴りはすぐに落ち着いていく。……何をそんなに期待していたんだ、俺は。
気が抜けたようにため息をつき、店へ向かおうとしたが何かがおかしい。
違和感がある。
違和感の正体を探ろうと周囲を見回し、すぐに思いだした。
駐車場の明滅していた電飾看板のことを。
視線を看板のほうへとやる。暗い、完全に電球が切れたのか?
いや、ちがう、そもそも、看板が「ない」のだ。
看板があったはずの場所には、小さな破片のようなものが散らばっていた。
それをひとつ拾い上げる。指先に微かな熱が残っていた。
焦げたような匂いが鼻をかすめる。これ……看板の欠片か?
何かあったのか? 誰かが壊した?
店に入り、向井さんに尋ねる。
「向井さん、表の看板どうしたんです? どこ行ったんですか?」
「看板? 表の?」
向井さんは首を傾げ、ぽかんとしている。
「そうですよ、表の看板。なんか小さな破片が落ちてるし、車にぶつけられたとかですか?」
再度質問を投げかける。
「うち、看板ないでしょ? あぁ……さっき噂話したから、僕をからかおうとしてるね?
その手には乗らないよ。ほら、さっさと仕事に戻った戻った」
そう言いながら、俺をレジへと誘導する。
向井さんは嘘をついていない。俺をからかっている様子もない。
嘘をつくときは顔に出るから、すぐ分かる。
――この人は、嘘をついていない。
嘘をついていないとしたら何がある?俺の勘違い?そんなわけない。
なら何だ。覚えてない?記憶がない?そんなことありえるのか?
俺が現地に到着した時には、画面の表示が消えていた。
画面が消えたのは、俺が現地に到着したからではなく——ミッションをクリアしたからでは?
確か「討伐依頼」と表示されていた。
だが俺は何も倒していない。誰かが何かを討伐したのか?
……看板を討伐?
そもそも人の記憶が消える...あの短時間で、わずか30分程で記憶と看板が消えた。
人の記憶が消える...人の記憶?
もし記憶しているのが人じゃなかったらどうだ?
確か、駐車場を映している監視カメラがあるはずだ。
「くん……吉野君!」
後ろから声を掛けられる。
「どーしたの?ボーっとしちゃって。お腹がいっぱいになったら眠くなるの、わかるけどね。
もう上がりの時間だよ、お疲れさん!」
そう言って、向井さんが俺の肩をポンと叩く。
「あ、向井さん。店のパソコン、少しだけ使っていいですか?調べたいことがあって」
「いいよ〜。Hなやつはダメだよ〜」
そう言いながら、商品の陳列に向かう。
「見ませんよ!」
とだけ言い残し、更衣室に置いてあるパソコンの前の椅子に腰かけた。
たしか、監視カメラの映像がパソコンで見られるはずなんだ。
だいぶ前に駐車場でイタズラされたとき、
向井さんが監視カメラを確認していたのを思い出す。
パスワードは確か……『mukai@12345』だったな。
覚えるつもりはなかったが、なんとなく入力するのを見ていて、
『安直すぎるだろ、そのパスワード!』と向井さんを叱ったことがある。
あの時と変わっていなければ——開いた!
えーと、駐車場のカメラは……これか。
過去の映像を見るには……。
それらしいところをクリックしてみる。
過去の映像を遡れるようだ。
確か、時間は2時30分頃——。
その時間帯まで巻き戻す。
すると——
カメラの映像がブラックアウトした。
「なっ!」
突然のことに思わず声が出る。
——2時44分以前の映像がない。
不安と恐怖が胸に広がるのを抑えることはできなかった。
♦
看板が消えてから一週間近く経つが、あの日以来ミッションは発生していない。
試しにゲーム機を写メってみる。
パシャリ
……撮ったはずの画像は、真っ黒だった。
再度、角度を変えて何枚か撮ってみる。
けれど、全部が全部、ただの“黒い画面”として保存されていた。
(……やっぱり、こいつは普通じゃない)
嫌な汗が背中を流れる。
疑惑が確信へと変わった瞬間だった。
そして、あの警告文が脳裏をよぎる。
「このゲームは寿命を消費します」
言葉が重くのしかかる。
あれから寿命は毎日減り続けている。
「9年354日」
もし寿命が0になったら……俺は……
(死ぬのか?)
冗談半分のようで、冗談では済まされない。
あと約10年もある……それとも10年しかないのか?
──どちらにしても、ただ生きているだけで確実に削られていく“命”だ。
もしかしたら、寿命が0になっても死なないかもしれない。
……かもしれないが、その可能性を信じるには確証がなさすぎる。
汗をかくにはまだ早い季節だが、じっとりと汗が滲む。
──残った寿命を、必死に精一杯生きろってことなのか?
会社を辞めてから、流されるままに生きてきた。
友人とも縁が切れ、孤独にも慣れたフリをして、変わらない毎日にしがみついていた。
これは、そのツケ? 俺への罰なのか?
時が過ぎれば、その分寿命が減るのは当たり前だ。
しかし、なぜ10年?
元々俺に残された時間が10年だったのか?
まるで「余命宣告じゃないか!」吐き捨てるように言う
答えの出ない疑問が浮かんでは消え、また浮かんでは消えていく。
息苦しい。
気分転換に外へ出ることにした。
──階段を下り、1階へ。
アパートの前ではいつものように大家さんが掃き掃除をしていた。
「大家さん、おはようございます」
軽く挨拶をする。
「あら吉野さん、今日は休みかい?」
大家さんは手を止めることなく聞いてくる。
俺は、「ええ」とだけ答え、その場を去ろうとする。
ふと、ゲーム機のことを聞いてみようと思った。
「……あの、大家さん、これって見覚えありませんか?」
俺は後ろポケットからゲーム機を取り出し、大家さんに見せる。
「なんだい?」
手を止めてゲーム機をじっと見る。
「見覚えはないねぇ。どうしたんだい?」
「少し前に、そこに捨てられてて……持ち主とか分かればと思って」
「持ち主に返したいのかい? んー、やっぱり知らないねぇ」
そう言って、再び掃除を始める。
──まぁ、日にちも経ってるし。
ゴミのことなんか、いちいち覚えてないか。
「毎日掃除、ありがとうございます」
お礼だけを言い、歩き出す。
「捨てられた物を返したいなんて、変な子だねぇ」
そう呟く声が背中越しに聞こえた。
◆
アパートから5分ほど歩いたところに、小さな公園がある。
今日は平日の昼時。
遊具も砂場も、誰にも使われることなく静まり返っている。
時折吹く風が、ブランコをほんの少し揺らした。
途中の自販機で買った缶コーヒーを片手に、ベンチに腰掛ける。
空を見上げると、すっかり桜の姿は消え、葉桜の緑が風に揺れていた。
「……ふぅ」
思わずため息をつく。
そして、コーヒーを一口。
何を考えるでもなく、ただぼんやりと地面を見つめる。
はたから見たら、相当ヤバいやつだろう。
やっぱり気分転換はいいものだ。次第に思考がクリアになっていく。
かすかだが、僅かに残された希望に気づく。
俺は“一人ではない”
俺以外の誰かが、ミッションをクリアしたのだから。
手当たり次第に、ゲーム機について聞いて回るのも一つの手だが、現実的ではない。
なら「ミッションを待つしかないか……」と、一つの結論にたどり着いた。
何も解決したわけじゃないが、気持ちが軽くなった。
気分転換も済んだし、家に帰ることにしよう。
一時間は経ったと思うが、家に戻ってみると、大家さんがまだ立っていた。
「どうしました、大家さん? 何かありました?」尋ねてみる。
「八割れの野良猫がいるんだけどね、今くらいの時間にエサを貰いに来るのさ」
そう言って、辺りを見渡している。猫を探しているのだろう。
「それより、”今日は休みかい?” いつも夜行ったり、昼行ったり大変だね。休みくらい、ゆっくり休むんだよ」
口うるさい大家さんだけど、いい人なんだよな……。
「ん!?」かすかな違和感。
「あの、大家さん?」鼓動が早くなるのを感じる。
「ん? なんだい?」
「さっき、会いましたよね……?」
自分の声が、やけに小さく聞こえた。
答えを聞くのが、怖かった。
「馬鹿言ってんじゃないよ。年寄り扱いしてやだよ。今日は会ってないよ」
そう言いながら、猫を探しに行く。
俺は小声で「ですよね……」と小さく呟いた。
ゲーム機が捨てられていたことを忘れたんじゃない、見たことを”記憶していない”んだ。