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第107話 知り合い

 恐山から戻り、数日が過ぎた。


 吹きすさぶ寒風も、硫黄の匂いも、もう遠い。

 けれど――胸の奥に残るざらつきだけは、どうしても消えなかった。


 俺は、再び東京へ向かっていた。


 新幹線の車窓に、冬の空が流れていく。

 鉄とガラスの世界に戻るこの道程が、やけに静かに思えた。


 ふと、昨夜の会話が頭をよぎる。


「……東京に、やり残したことがあるんです」


 簡潔な言葉だけを選び、俺は伊庭さんに告げた。


 夜の支部の廊下。

 灯りは少なく、窓の外には冷たい風が唸っていた。


 伊庭さんはしばし無言で俺を見た。

 その眼差しは、真っ直ぐに射抜くようで――それでも、責める色はない。


「……理由は、聞かない方がいいんだな?」


「はい……すみません」


「……分かった。ただし、無茶だけはするな」


 低く、しかし確かな重みのある声だった。

 の背中に、ほんのわずかな寂しさが滲んでいた。


 ――なぜ、俺は再び東京へ向かうのか。


 答えは、恐山の戦場にある。

 あの闇の中から現れたフードの少年。

 刃を交わしたわけでも、言葉を交わしたわけでもない。

 二階堂が彼のことを"田中"と呼んだ。

 そして――彼の声、俺の知っている田中君の声に似ている気がした。


 仲が良かったわけでもない、むしろほとんど会話なんてしたこともない。

 でも、それでも、放っておくわけにはいかない、そう思ったんだ。


 そして――もし本当に彼がテミスの人間なら、仲間を巻き込むわけにはいかない。

 恐山の後、皆の顔を見て、なおさらそう思った。


 だから俺は、一人で行く。


 新幹線は、ゆっくりと速度を増していく。

 遠ざかる山々。近づく東京。

 鼓動だけが、静かに、確かに速くなっていった。


 新幹線の車内、車窓を流れる景色に目を向けていると、突如、ワゴン販売の声が響いた。


「おねえさん、すんませーん、アイス3つください!」


 その声に、どこかで聞き覚えがあるような気がした。少しだけ耳を傾けると、注文を変更していた。


「あ、やっぱり4つください!」


 そのやりとりを聞いていると、心の中で何かがひっかかる。気のせいかもしれないが、

 どこかで確かに耳にしたことがある声だ。気になるものの、そのまま黙っていると、ワゴンが近づいてきた。


 ワゴン販売のお姉さんが俺の席の前に立ち、軽く微笑んでアイスを差し出してきた。


「こちらどうぞ」


 それに続けて、お姉さんが言った。


「それでは4つで1600円です」


「え?」


 思わず声が漏れた。何がどうなっているのか、頭が整理できないままでいた俺の目の前に、

 お姉さんの視線の先、向こうの座席に目を向けると――


 隼人、咲耶、雨宮の3人が、まるで計画通りのようにこっちを見て笑顔で手を振っていた。


 あいつら…


 どうしてここに!頭の中が少し混乱し、しぶしぶ財布を取り出す。


「了解、支払いは……」


 財布から小銭を取り出し、アイス代を払うと、俺は仕方なく3人の元へ向かう。その間、

 目の前でアイスを受け取ったワゴン販売のお姉さんは微笑んでいた。

 俺が3人の元に行くとにやにやと嬉しそうな顔で待っていた。


「英斗君、アイス4つで1600円か、ごちそうさん!」隼人が言いながら、

 得意げにニヤリと笑う。その笑顔が、まるで計画していたかのように感じられて、さらにイライラが募った。


「ちょっと待って。これ、カッチカチや。ほら、咲耶ちゃん、見て、カッチカチやで。」

 隼人は、腕を大げさに叩いて見せた。


「なんなんですかその顔?」咲耶は、ほんの少しキョトンとした表情で言う。


「葛西君ネタ、古すぎるよ。若い子にはわからないよ。」雨宮も楽しそうに笑って、自分の腕を叩いてみせた。


「英斗が俺たちに内緒で東京観光するなんて、ずるいやん」隼人が肩をすくめて言う。


「まったく、伊庭さんに『見つからないように見守れ』って言われてたのに。」

 咲耶は、冷たいアイスを必死に突きながら、少し不満げに言った。


「咲耶ちゃん、尾行とか俺ができると思う?」と、隼人が言い返す。


「聞いた私がバカでした。」咲耶はため息をつきながら、再びアイスに集中した。


「つまり、伊庭さんに言われてついてきたということでいいか?」俺はふとした疑問を投げかける。


 雨宮がすぐに答える。「伊庭さんの指示ではあるけど、みんなの意志で来たんだよ。」


「まったく、英斗は友達がいないのない奴やで。少しくらい頼ってくれてもええのに……なぁ、咲耶ちゃん」

 隼人が腕を組んでしみじみと呟く。


 咲耶は笑いながら「ほんとですね」と肩をすくめ、俺の無言のままの答えを気にすることなく、アイスを口に運んだ。


「それに、伊庭さんからお使いも頼まれたよ」

 雨宮が、軽く口を開く。


「お使い?」

 俺は、少し意外に思いながら聞き返す。まさかこんなタイミングでお使いだなんて。


「うん、帰りにルパートさんのところに寄って欲しいんだって。」


「彼から借りてきて欲しいアイテムがあるんだってさ。」

 雨宮は少し口をつぐむが、すぐに続ける。

「話は通してるから、行ったら分かるって」


「なるほど」

 伊庭さんらしい頼み方だ。きっと、何か重要な用事だろう。


 なんのアイテムだろう?

 俺は少し考えながらも、アイスを口に運んだ。


 咲耶も軽く頷きながら、「行ってみないと分からないけど、どんなアイテムなのか気になりますね」


「で、結局英斗は何しに東京に行くん?」

 言いながら隼人はアイスを口に運ぶ。


 俺は恐山で知り合いを見かけたかもしれないことを3人に話した。


 ♦


 しばらくの沈黙が流れた後、隼人が怪訝な顔で言った。

「それで、その田中君が英斗の知り合いやったとして、どうするん?」

 その声には、少しばかりの疑問が含まれていた。


「会ってみようと思う。」

 俺はすぐに答えた。


 隼人はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。

「好きでテミスおるかもやで? そない仲よくないんやろ? ほっといたらええやん」

 彼の言葉には、確かに一理ある。

 俺たちの関係がそれほど深いわけでもないし、無理に関わらなくてもいいのかもしれない。だが、それでは気が済まなかった。


「そうなんだけど……」

 俺は少し言葉を選ぶようにして続ける。

「どうしてテミスにいるのか、そしてノウシスに来ない理由を話してみるつもりだ」


 隼人はしばらく俺を見つめてから、少しだけ肩をすくめた。その表情には、確かな疑念と、どこか心配そうな色が混じっていた。


「なんでそんなに気になるんや?」

 隼人の言葉は、まるで自分が理解できないことへの問いかけだった。俺はその質問に少しだけ沈黙し、答える前に一呼吸おいた。


「俺は、これまでの人生、人と関わるのは避けてきた。」

 その言葉が口をついて出た瞬間、胸の奥に押し込めていた重みがじわじわと広がった。

 長い間、他人と深く関わることを避けてきた自分。それが今になって、少しずつ変わってきているのだと感じる。


「でも、今はどんな繋がりでも大事にしたいと思ってるんだ」

 その気持ちは、ノウシスに来てから、少しずつ変わってきたものだった。

 仲間として共に過ごす中で、絆がどれほど大切かを実感するようになった。


 隼人は静かに俺を見つめ続けた後、ゆっくりと頷いた。

「わかった……もう止めへん、その代わりついていくからな」

 その一言に、少しだけ肩の力が抜けた。隼人の言葉には、しっかりとした決意が込められているのが分かる。


「吉野さんは目を離すとすぐ無茶しますからね」

 咲耶が軽く口を出し、微笑みながら言った。その笑顔には、

 どこか厳しさを含んでいるが、やっぱり優しさがにじみ出ている。


「危険かもしれない……手伝ってくれるか?」

 俺は少し緊張しながらも、真剣に尋ねた。


「当たり前や。」

 隼人が即答した。その言葉に、思わずホッとした。


「当然です。」

 咲耶も続いて答える。冷静な彼女の言葉に、どこか頼もしさを感じた。


「もちろん!」

 雨宮が明るく答えるその声には、変わらぬ信頼が込められていた。


 3人は力強く、躊躇なく答えてくれた。その答えが、どれほど俺を励まし、勇気づけてくれるか、

 言葉では言い表せない。仲間がいてくれることのありがたさを、改めて実感した。


「ありがとう。」

 心から、3人に感謝の気持ちを伝えた。たった一言でしか表せないが、それに込めた思いは計り知れない。


 俺たちは、再び動き出した。目指すのは、東京だ。

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