第11話 缶バッチと刀
残り8日
昼食に3人で外食をした帰り道、信号待ちをしていた。
向かい側にも二人組の男が、俺たちと同じように信号待ちをしている。
信号が青に変わり、横断歩道を進む。中間地点で二人組の男たちとすれ違った。
なにか違和感を覚えた。なんだ?
横断歩道を渡り切り、立ち止まり、二人組の男を見る。小さくなっていく背中を見ながら、違和感の正体を探る。
――黒い手袋。
その瞬間、シゲルと岩屋の姿がフラッシュバックする。
"同じ手袋だ。"
「明夫さん、あいつら俺を襲ったやつの仲間だ!」
信号が点滅し赤に変わろうとするも、構わず走り出す。
「英斗!一人で行くんじゃねぇ」
慌てて二人がついてくる気配を感じる。
後を付けて行くとバイト先の近くの裏山に向かっていった。
「巨大トカゲの討伐に来たのだろうか?」
二時間近く歩いただろうか、二人の姿が、中世の騎士のような姿へと変わった。
「英斗から聞いた通りだな……」
明夫さんの呟く声に誠が頷いている。
突如、二人が別々の方向に走り出した。
俺たちは近いほうの男の跡を追うことにした。
しばらく追い続けると、急に立ち止まる。
誰かと話しているのだろうか?
怒声のような声が聞こえるが、内容は聞き取れない。
もう少し先が見えるように位置を変える。
すると――
モンスターの姿が見えた。
それは噂通り、巨大なトカゲの姿をしていた。
ただし甲冑を身に着け、剣を持っている――いわゆる"リザードマン"だ。
やはり討伐だったのか。
二人は挟み撃ちにしていた。
「嬢ちゃんが教えてくれた情報、当たりだったみてぇだな。
まさかこの目で、バケモンを見る日が来るとは思わなかったぜ。」
明夫さんの言葉に、誠は無言で小さく頷いた。
対峙するのは二人の男――
手前に立つのは、低身長でがっしりとした体格の男。
奥の男は対照的に、背が高く、細身で軽やかな印象を受ける。
二人は無言のまま盾を構え、じりじりと距離を詰めていく。
互いの呼吸を探るように、足元をずらしながら、視線は一瞬も逸らさない。
靴音だけが静かに響いていた。
――沈黙を破ったのは、リザードマン。
甲高い金属音と共に、素早く踏み込み、低身長の男へと剣を振るう。
男は咄嗟に盾を上げて受け止め、そのまま後ろ足で踏ん張る。
剣の重みがのしかかる。
その隙を狙って、背の高い男が背後から斬りかかる――
だが、気配を察知していた。
振り向かずに身体を捻り、軽やかに横へ跳ねる。
その動きはまるで獣のようだった。
低身長の男がすかさず前進し、剣を振り下ろす。
今度はリザードマンが剣で受け、金属がぶつかる音が弾けた。
力比べのような状態になると
背の高い男が後方へと回り込む。再び挟撃の態勢だ。
リザードマンがまた横跳びで回避しようとした、その時。
「……踏んだ」
低身長の男が、足を思い切り踏みつけていた。
跳躍の動きを封じられたその瞬間、
背後からの剣が、リザードマンの背を斬り裂いた。
リザードマンが叫ぶ間もなく、低身長の男が体重を乗せた体当たりをかます。
盾がぶつかる轟音と共に、身体は大きく揺れ、後方へ倒れ込む。
その一瞬の隙を見逃さず、二人が上からのしかかる。
即座に拳が振り下ろされる。
頭部、胸部、腹部――正確かつ無慈悲な連打。
盾で押さえつけ、片方が殴り続ける。交代しながら何度も。
やがて、リザードマンの身体は完全に沈黙した。
戦いは、わずか数分で決着がついた。
動かなくなった身体の上で、2人組はしばらく息を整えていた。
その後、背の高い男が腰のポーチから無線機のようなものを取り出し、どこかへ連絡を入れる。
俺たちは息をひそめながら、じっと様子を窺っていた。
静寂が広がる。森の奥で、虫の鳴く声だけが響いていた。
数分後——。
遠くから低いうなりのような音が聞こえ始める。
最初は風かと思ったが、違う。音は次第に大きくなり、空気が震える。
「……ヘリか?」誠が小声で呟く。
明夫さんは無言で頷いた。
ヘリの音が近づくにつれ、木々の梢が揺れ始める。
上空から強い風が吹き下ろし、地面の草や葉が舞い上がった。
やがて、機影が見えた。
2人組は手際よくリザードマンの身体を縄で縛り、吊り上げ準備を整えている。
ロープが投下されると、2人は手早くそれを掛け、ヘリに合図を送った。
ゆっくりと引き上げられた。
そして2人の男もロープに掴まり、次々とヘリに吸い込まれるように消えていった。
俺たちは、へりが小さくなるまで
見送っていた。
「なんであいつら、生け捕りにしたんだ?」
明夫さんが呟く。
「ミッションの依頼内容が違ったのかもしれない。例えば、討伐じゃなく捕獲だったとか……何種類かあるのかもな。」
俺は汗を拭いながら答えた。
「あいつら、妙に手なれてやがったからな……そうかもしれんな。」
明夫さんは着ていた上着を脱ぎ、脇に抱えながらそう言った。
「仲間に誘うつもりだったって、言ってたけど、もっと少人数だと思ってたよ、
ヘリまで持ってるとは、規模がでかそうだな」俺はシゲルたちの会話を思い出していた。
「あのトカゲ、どこに連れて行ったんすかね?」
「このゲームの開発者のとこかもな。」
俺は静かに答えた。
しばらく無言で歩く。
暗闇の中、虫の鳴き声だけが響いていた。
俺たちは道に迷い、家に着いたのは夜11時をまわっていた。
♦
寝る前、俺は簡素な報告を村田さんに送った。
「裏山で巨大なトカゲいました。二人組に連れ去られました。報告しておきます。」
疲れ切った頭では、これ以上の文章を紡ぐ気力もなく、送信ボタンを押すと同時に意識が落ちた。
──そして翌朝。
スマホの着信音が、無遠慮に眠気を引き裂いた。
寝ぼけながら画面を見ると、村田さんの名前が表示されている。
しかし出る前に切れてしまった。
着信履歴を見た瞬間、思わず背筋が伸びた。
(うわ、これ……マズい)
無数の不在着信が、スマホの画面を真っ赤に染めていた。
直後、再び着信が鳴る。
恐怖と覚悟を胸に、俺はおそるおそる通話ボタンを押した。
「なんで行く前に連絡くれないんですか!? 行くなら行くって言ってもらわないと困ります!
私も見たかったのに、自分たちだけで行くなんてずるいです。なんのために情報提供したと思ってるんですか?
あーもう絶対にいると思ってたんですよ、絶対に! で、どんな形状してました? トカゲって、何系のトカゲですか?
聞いてます? 英斗さん? 二人組の男達どこ行ったんですか? 一緒に連れて行ってくれるって約束したのに……etc!」
(……この人、いつ息してるんだ?)
口を挟む余地すらない。そもそも「約束」はしていないはずだが、そんなことは言えなかった。
延々と続く村田節に耐えきれず、俺は心の底から謝罪した。
「スミマセンデシタ……!」
説教はなおも続き、ようやく一段落ついたかと思えば──
「今どこにいるんですか! 渡すものがあるので今から行きます!」
その一言を残し、電話は一方的に切れた。
……恐怖でしかない。
流石に来ないだろう、とリビングに向かた
時計を確認すると、午前10時を過ぎていた。
まだ寝ているようで誰もいなかった。
ありがたいことに、俺は疲労も残らないようだ。
そろそろ起きてくるであろう二人のために、朝食を作ることにした。
しばらくすると、誠と明夫さんが順に起きてきた。
「もうすぐ準備できるから、座って待ってて」
俺はそう言いながら、焼きあがったベーコンエッグを皿に移す。
「おう、すまねぇな」
「あざす……」
二人ともまだ眠たそうに目をこすりながら椅子に座る。
三人揃って「いただきます」と手を合わせ、静かに朝食が始まった。
「英斗さん、元気すね……」
誠がうつろな目でつぶやく。
「俺ぁ全身がバキバキだぁ……」
明夫さんも気怠げに、身体をさすっている。
「俺も今朝気づいたんだけどさ、疲労も回復するみたいなんだ」
その瞬間、二人の視線が同時に俺へと向いた。
「うらやましいな、おぃ……」
「……すね」
「俺、あと7日で死ぬかもしれんのだが?」
青筋を浮かべながら言うと、二人はすっと目をそらし、
「やっぱ、うらやましくねぇな……」
「……すね」
(あとで覚えとけよ!!)
胸中で怒りの炎をくすぶらせつつ、食事を続けた。
「で、今日はどうする?」
テレビのリモコンを弄りながら、明夫さんが尋ねてくる。
「とりあえず、レベルを上げたいかな」
トカゲ討伐という切り札が消えた今、不安はある。
けれど、やるしかない。やれることを、一つずつ。
「車取ってきまーす」
食事を済ませると誠が元気よく玄関へ向かった。
「じゃ俺たちも行くか」
肩を軽く叩かれ、玄関へ向かおうとした――その瞬間。
玄関の外に立っていたのは、髪を後ろでひとまとめにした女性。
村田さんだった。
(ひっ)
思わず心の中で悲鳴がこぼれた。
彼女の目がギラリと光ると、
「……英斗さん」
その声は、まるで地の底から響くような低さだった。笑顔は貼りついたままだが、目が、まったく笑っていない。
(あ、これやばい)
全身の毛穴が一斉に開くような感覚。野生の本能が、即座に警鐘を鳴らす。
「こっちはですね、てっきり私も一緒に行くもんだと思ってましたよ。
まさか――まさか! 勝手に行って、しかも終わらせてきちゃうとは思いませんでした!」
一歩、ぐっと詰め寄ってくる。
反射的に後ろへ下がると、足元の靴がキュッと音を立てた。
「しかも報告は寝る前の一文! なんですか、あれ!? “トカゲいました。連れ去られました。”
って、なに!? 事件じゃないですか、それ!? もっとあるでしょ、詳細とか!!」
「い、いや、あの急で……」
「言い訳なんか聞きたくないです!」
「スミマセン!」
思わず姿勢を正して叫んでいた。怒鳴られたわけじゃないのに、自然と背筋が伸びる。それが“村田圧”だった。
「一緒に行くって約束したじゃないですか! そう思って、楽しみに、楽しみに……
いつでも行けるように準備して、連絡待ってたんですよ……!」
(……いや、約束した覚えはない)
心の中で反論しつつも、口に出す勇気はなかった。
「そしたら、朝起きたらメッセージだけ! しかも“連れ去られました”って、なんなんですか、
そもそも誰に!? どこに!? 何で!? 何が起こったんですか!? 答えてくださいよ英斗さん!!」
「全然納得してませんからね!? こっちは渡したいものがあって来たんですけど、もー、テンションだだ下がりですよ……!」
バサッと大げさに鞄を開き、中をゴソゴソと探りはじめる。
出てきたのは、小さくて丸い、バッジのようなものだった。
「はいこれ、“村田探検隊”のチームバッジ。明夫さんと誠くんの分もあるから!」
「は、はいっ……」
手渡されたバッジは、なぜか思っていたよりちゃんとした作りで、逆に言葉を失う。
「”ライブラの”謎を解き明かす一団としてちゃんと……」
——そのときだった。
けたたましい警報音が空気を裂いた。
「明夫さん!」
俺は緊張した表情で声を張り上げた。
明夫さんの表情がすぐに引き締まり、事態を悟ったように頷いた。
村田さんも、ようやく黙った。空気の変化を敏感に感じ取ったのだろう。
「ミッションか?」
明夫さんの声は低く、重かった。俺は、深く頷いた。
誰にも見えないように、ライブラを開き、画面を確認する。
【ミッション】
討伐依頼
ランク:E
人数:2
期限:3日
場所:地図を表示する
画面をタップして地図を展開すると、ここから川沿いに徒歩30分の距離。
思ったより近い。すぐに行ける。
レベルに不安は残るが、行くしかない。
恐らくこの機会を逃せば、俺の生きている間にミッションは発生しないだろう。
ちょうどそのとき、車の音が近づいてきた。誠が戻ってきたのだ。
車から降りた彼は、こちらの緊張感を察したのか、すぐに口をつぐんだ。
俺は皆の顔を見渡し、意を決して言った。
「今度こそ、一人で行くよ。化け物がどこに出るか分からないからな」
短い沈黙。
「英斗、おめぇに渡すもんがある」
真剣な声で明夫さんが言った。
ずしりと重い布包みを差し出してくる。
「これは?」
布を解くと、中から現れたのは一本の日本刀だった。
鞘からゆっくりと抜くと、刀身が光を反射し、波紋が淡く浮かび上がる。息をのむほど美しい。
「化け物相手に役に立つかは分かんねぇが……包丁よりゃマシだろ。持ってけ」
「言っとくけど、貸すだけだからな。高けぇんだよ、それ」
明夫さんはいつもの調子でガハハと笑った。
「英斗、死ぬんじゃねぇぞ。刀、必ず返しに来い」
明夫さんの声は静かで、だがどこまでも力強かった。
「……はい」
俺は真っすぐ頷いた。言葉ではなく、その意思で答える。
村田さんは何か言いたげだったが、言葉を飲み込み、ただ唇を噛みしめていた。
玄関を出て、足を踏み出す。
その背後から、明るく響く声が飛んできた。
「英斗さん、今日はご馳走用意しときますから!」
振り向くと、誠が満面の笑顔で手を振っていた。
「ありがとう、楽しみにしてるよ」
その笑顔に背中を押されるように、俺は歩き出した。
”絶対に生きて帰る”