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番外編2 消えた仲間を追え

 コンビニでシフトを終えた帰り道、私はスマホを取り出して、何度目か分からない画面を見つめた。


「……はぁ……」


 吉野さんの名前が表示された通話履歴。

 けれど、発信のマークの横に並ぶのは、ずっと“応答なし”の文字だった。


(……やっぱり、何かあったのかな……無いわけないよね……)


 明夫さんと誠くん。

 家族のように過ごしていたのに、「出ていった」と聞いたときは衝撃だった。

 ホントはあの日バイトなんてなかったのに……怖くて理由を聞けなかった。

 どうして飛び降りなんてしてしまったのか、無理やりにでも聞くべきだったのに。


(私は逃げた……)


 別れ際――

 吉野さんは「大丈夫」と言っていた。

 顔を見れば嘘だってすぐにわかった。大丈夫なんかじゃないって。


 何かを抱え込んで、ひとりで全部背負おうとしてる。

 そんなふうに見えた。


 最後に会った日から三週間。ずっと悩んでいた。

“連絡しない方がいい”のか。“そっとしておくべき”なのか。

 でも、今日。スマホの通話画面に指を伸ばしたとき、私はもう迷っていなかった。


「……吉野さん……出て……」


 小さく呟きながら、発信ボタンを押す。


 ……コール音。1回、2回、3回……。

 でも、応答はなかった。


(やっぱり……何か、あったんだ)


 胸がざわついた。

 それでも、少しの可能性を信じて、もう一度スマホを握りしめた。


(会いに行こう)


 気づけば、体はもう歩き出していた。


 その夜――吉野のアパート前にて


 アパートの前に立ったのは、日もすっかり落ちた頃だった。

 手すりに貼られた郵便受けには、チラシがいくつも差し込まれたままだ。


(……帰ってきてないのかな)


 恐る恐るインターホンを押す。

 ……無反応。


 もう一度押す。今度は少し長めに。


(お願い、出て……)


 だが、ドアの向こうからは、何の反応も返ってこなかった。


「……っ」


 ほんの少し、涙が出そうになった。


 彼は無事なのか。

 それとも、どこかで――。


(そんなこと……ないよね)


 何も答えてくれないドアの前で、私はただ立ち尽くしていた。


 翌日――


 朝から雨が降っていた。じとっと肌に纏わりつくような湿度が不快に感じる。


 私は、傘を差したまま見慣れた家の前に立っていた。


 ピンポン、とインターホンを押す音が、心臓の鼓動と重なる。

 しばらくしてドアが開いた。


「……あ?」


 寝癖のついた髪で、パーカー姿の誠くんが顔を出す。

 表情は明らかに驚いていた。


「あ、姉 (あね)さん……?」


「ごめん。急に……」


 言いかけた言葉を遮るように、誠くんが焦ったように中を振り返る。


「兄ぃー! 姉さん来た!」


「はァ!? ……って朝っぱらから大声出すなっての!」


 奥から聞こえてきた、聞き慣れた渋い声。

 ほどなくして、明夫さんが、無精ひげを撫でながら現れた。


「なんだ、嬢ちゃん……朝から何かあったか?」


 その問いに、私は胸の奥に押し込んでいた思いが堰を切ったように溢れた。


「吉野さん、知りませんか?」


 二人が目を見合わせる。


「……いきなりどうした」


「連絡が取れないんです。昨日、アパートも行ったけど……誰も出てこなくて」


 明夫さんの眉がわずかに動く。


「心配で……」


 思わず声が上ずってしまう。

 でも止められなかった。


「……どうして吉野さん、橋から飛び降りたりしたんですか。あんなこと、急におかしいじゃないですか?

 何かあったんでしょう? 何があったのか、どこに行ったのか……二人は、何も知らないんですか?」


 誠くんが顔を伏せる。


「……」


 明夫さんは、静かに私を見た。


「……入れよ」


 短くそう言って、ドアを開けた。





 リビングに通され、ソファに腰掛けた私は、膝の上で手を組みながら視線を落とした。


 誠くんはコーヒーを淹れてくれている。

 明夫さんはソファの向かいに腰を下ろし、静かに口を開いた。


「……正直な話、俺らも分かってねぇんだ」


「え……?」


「飛び降りた理由、だろ? あいつ、何も言わなかった。いや――何も、言えねぇ顔してた」


 その横で、誠くんが少し気まずそうに口を挟む。


「ホント、あれには驚きましたよ……気づいたら橋から飛び込んでるし、必死で引き上げたけど……」


「……」


「一緒にいて短い間だったけど、そんな飛び降りするような素振りなかったすよ」


 思い出しただけで、胸がざわついた。

 それでも、私は聞かずにはいられなかった。


「じゃあ、それから……吉野さんに、会ってないんですか?」


 明夫さんが、一度目を伏せてから静かに答えた。


「いや……実は、会ってる」


「……!」


「正確に言うと見ただけだが……」


「出てってから数日後だ。心配だったからな、誠と二人で、あいつのアパートの前に行ったんだ」


 コーヒーカップを誠くんがテーブルに置く。

 彼も真剣な顔で頷いた。


「そしたら、ちょうど出かけるところだったんすよ。竹刀持って、ちょっと変な格好で」


「竹刀……?」


「うん。何してんだって思って、ちょっとだけ尾行してみたんすよ。そしたら近くの公園に入って――」


「ひとりで、黙々と素振りしてた」


 明夫さんが言葉を継いだ。


「剣道の構えとかも自己流っぽかったが……真剣だった。汗だくでな。変な気合入れて、誰に見せるでもなく振り続けてた」


「……」


 胸の奥がぎゅっと痛んだ。


「それ見てな……誠と話したんだよ。あいつなりに、なんか考えがあるんだろうって。何かを乗り越えようとしてんだろうって」


「だから……俺たちは、あの日から一度も会ってない。そっとしておこうって決めたんだ」


 明夫さんの声には、少しだけ後悔のようなものが滲んでいた。


「そっとしておこう、って……でも、吉野さん、あんなにつらそうな……」


 私は言いかけた言葉を飲み込んだ。


 あの日、吉野さんから逃げ出した私が言うのは間違ってるから。

 黙ってうつむいていると明夫さんが静かに、力強く言った。


「……あいつは大丈夫さ……竹刀を振ってる時のあいつの顔、死ぬような男の顔じゃない」


 その言葉が、少しだけ胸に染みた。


 重い沈黙が、部屋を包んでいた。

 カップの中のコーヒーはすっかり冷えきっている。


 誠くんがぽつりと呟いた。


「……また会えるかな、英斗さんに」


 その言葉に、誰もすぐには返せなかった。

 けれど――


「あたりめぇだろ」


 明夫さんが、静かに、けれど強く言った。

 まるでそれが“決まりごと”であるかのように、揺るぎのない口調だった。


「連絡つかねぇならよ、探してみるか?」


「……え?」


 私と誠くん、ほぼ同時に顔を上げる。


 誠くんが戸惑いながら言った。


「兄ぃ、探すったって……どうやって……場所も分かんねぇし……」


 その時、明夫さんがふっと笑った。

 ほんの少しだけ、若い頃の血が騒いでいるような――そんな、わずかに悪党めいた笑みだった。


「おい誠、俺が何屋か忘れたのか?」


 その瞬間、空気が変わった。


「……あっ」


 誠くんが息を呑む。


 私もまた、ようやく思い出していた。


 この人は――“探偵”。


「連絡先がなくても、手がかりは探れる。足と目と耳を使えば、な」


 明夫さんは、古びたコートを羽織りながら言った。


「……待っててくれよ、英斗」


 その背中に、私も、誠くんも、迷いなく続いた。


 ♦


 それから数ヶ月――

 英斗の手がかりは、まるで霧の中に溶けたように消えていた。


 SNS、バイト先、近所の聞き込み、あらゆるツテを辿った。

 だが、彼の足跡はどこにも残っていなかった。


「……まるで幽霊だな、あいつは」


 リビングでソファに寝そべりながら、明夫さんがぼそりと呟いた。


 誠くんも、同じく苦笑まじりで言う。


「兄ぃ、マジで探偵やってたんすよね?」


「やかましい。情報がねぇとどうしようもねぇんだよ」


 そんなやりとりに、私はふと思い出したように口を開いた。


「……あの、そういえば前に――吉野さんと三人で、山に行ってましたよね?私をのけもにして」


 明夫さんが少しだけ目を細めた。


「ああ……そういや、そんなこともあったな。近くの山に都市伝説のトカゲを探しに行くって

 ……くだらねぇって思いながらも、つき合ったんだよな……って嬢ちゃん、のけ者なんてしてねぇよ……」


 明夫さんが最後の方小声で何か言っていたけど、誠くんの声にかき消される。


「兄ぃ、それすよ! そこに、英斗さん行ってるかもしれないっすよ!」


「……まさか」


「まさかでも、他に当てがないなら、行ってみる価値あるでしょ?」


 しばしの沈黙のあと、明夫さんが肩をすくめて立ち上がる。


「……ダメもとで行ってみるか?」


「行きます!」


 私が勢いよく手を挙げた。


「だったらついでに都市伝説のトカゲも探しましょう! 他にもまだいるかもしれませんよ!

 前に渡したバッジ持ってますよね!」


「……姉さん、バッジ付ける気っすか?」


「当然です! 今度こそ“村田探検隊”の正式結成です!」


 そう言って、自分の分の缶バッジ胸に付けた。


「つけてくださいよ、ちゃんと。チームなんですから!」


 明夫さんはやれやれといった表情で、バッジを胸元にちょいとつけて言った。


「お……おぅ」


 その照れくさそうな声に、思わず笑みがこぼれた。


(こんなに心配させて……吉野さんを見つけたら思いっきり文句いってやるんだから!)


 そして私たちは、小さな希望を胸に、再びあの山へと足を運ぶのだった。


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