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第105話 帰還・決着

 機体が滑走路に着陸した瞬間、軽い振動と共に現実が戻ってくる。

 安堵と疲労が一気に押し寄せ、全身が重く感じた。


 「……着いたな」


 伊庭さんの低い声が隣で響く。俺は小さく頷いた。


 タラップを降り、澄んだ空気を肺に吸い込む。

 緊張と殺気に満ちた恐山の戦場が、遠い過去のように思えた。


 だが、それは錯覚だ。

 俺たちは生き延びた――ただ、それだけのことだ。


 ふと、隣を見て気づいた。


 「……矢吹さん?」


 黒装束の男の姿が、気づけば見当たらない。


 伊庭さんは目を細めて空を見上げたまま、言う。


 「――もういないよ。あいつはそういう男だ」


 「……次の任務ですか?」


 「ああ。支部に着く直前、個別に連絡が入ってたみたいだ。“見つけた痕跡がある”ってな」


 「痕跡……?」


 伊庭さんはそれ以上語らなかった。

 だが、その背中には確かな信頼と、わずかな寂しさが滲んでいた。


 「アイツはまた、必要なときに戻ってくるさ」


 「……はい」


 俺は静かに頷いた。

 矢吹 蓮――あの男はまるで影そのもののように、音もなく去っていった。


 その姿を、誰かが見送っていたわけではない。

 だが、確かに“いた”という記憶だけが、俺たちの中に残っていた。


 ♦


 日本支部の正面玄関が開くと

 中から飛び出してきたのは、ルチアだった。


 「エイトさん!!」


 その明るい声に、俺の顔が思わずほころぶ。


 「ルチア……!」


 彼女は小走りに駆け寄り、俺の顔を見て安心したように胸をなで下ろす。


 「無事で……心配したんだからね……!」


 「なんとか……でも、今回はほんとギリギリで……」


 俺がそう答えるより早く、背後からもう一人の女性の声が聞こえた。


 「おかえりなさい…」


 マチルダ先生だった。

 その表情は普段通り静かで冷静だが、その目には明らかに安堵の光が宿っていた。


 「おかえりなさい、吉野君、伊庭君」


 「……ただいま戻りました」


 伊庭さんが簡潔にそう答えたあと、先生の視線が俺に向く。


 「報告は聞いたわ、あの状況でよく無事で……」


 「……ありがとうございます、先生」


 その言葉に、胸がじんと熱くなる。


 伊庭さんが間を置いて続けた。


 「こちらは……問題ありませんでしたか?」


 マチルダは微かに瞳を細め、口元にうっすらと笑みを浮かべた。


 「ええ、大丈夫よ“何も”なかったわ」


「私もいつのまにか寝ちゃってて、気づいたら葛西さん達が帰ってきたの」

 ルチアがエヘヘと舌をペロッと出して笑っている。


 あの状況で寝ていただと……ルチアの言葉に恐怖すら覚えた


「それよりも、以前、吉野君からも聞いたけどアバドニスは日本にいるのね?」


 伊庭さんは静かに頷くと

「はい……報告通りアバドニスだけでなくクリムゾン・ベイン、焔鬼の三人が日本に……」


「そう……彼は日本にいるのね……」


 --すると


 「おい、英斗――!」


 聞き覚えのある声が辺りに響いた。


 顔を上げると、支部の建物から三人の姿がこちらへ駆け寄ってきた。


 「……隼人!」「咲耶!」「雨宮!」


 三人とも、それぞれに包帯や絆創膏を貼ってはいたが、元気そうな顔だった。

 仲間たちの姿に、思わず胸が熱くなる。


 「……ホンマ心配したで」

 隼人が肩を揺らしながら笑みを浮かべる。


 「ほんとに無事で良かった……」

 雨宮も小さく息を吐きながら、俺を見て微笑んでくれた。


 「吉野さん……おかえりなさい」

 咲耶のその声は、どこか優しくて、柔らかかった。


 「……ただいま、みんな」


 自然とそんな言葉が漏れた。


 「伊庭さんもお疲れさまでした」

 咲耶が軽く頭を下げると、伊庭さんも落ち着いた口調で応える。


 「君たちも。どうやら……みんな、生きて帰れたようだな」


 その言葉に、全員が頷く。


 「……で、矢吹さんは?」

 隼人があたりを見回す。


 伊庭さんが静かに首を振った。


 「もういったよ」


 「はやっあの人、どないなっとんねん」

 葛西が目を細めて、空を見上げた。


 その場にいる全員が、ふっと笑みをこぼす。

 死地から戻ったばかりのはずなのに、今この瞬間だけは、不思議と穏やかだった。


 「……さ、お疲れでしょう」

 咲耶が踵を返す。


 「まずは飯食って風呂入って寝る。それが一番の回復薬や」


 「そうするよ」

 隼人の言葉に雨宮が笑い、咲耶もこくりと頷いた。


 仲間がいる。

 信じて待っていてくれる人たちがいる。


 この場所に帰ってこられたことが、何よりの報酬だった。


 ♦


 斬り結ぶたび、闇が裂け、地が泣いた。


 焔鬼とぬらりひょん――

 それは、古き妖の王と、災いの王による、宿命の一戦だった。


 ぬらりひょんの目が細められ、扇子が開かれる。


 「――“夜千影よるのちかげ”」


 夜闇そのものが広がる。

 視界を埋め尽くす数千の影が、異形の姿となって焔鬼を取り囲んだ。


 「千の命を啜り、万の怨念を沈め、我が身は夜そのものと成り果てた

 ――さあ、参りましょうか。終焉の舞、開幕にございます」


 黒き奔流が牙を剥く。


 だが――


 焔鬼は、一歩も動かない。


 「……貴様は、“夜”ではない」


 「ほう?」


 「夜は、明ける。

  だが貴様は、ただそこに澱んでおるだけ……過去の亡霊よ」


 言葉と同時に、焔鬼が踏み込む。

 剣を抜かず、ただ拳を突き出す。


 ――ズドォンッ!!!


 拳が闇を砕き、影の群れを吹き飛ばす。


 「なっ……!?」


 ぬらりひょんの口元から、初めて驚きの声が漏れる。


 「……影すらも」


 焔鬼は、ようやく剣を抜いた。


 その刀身は、焔を宿し、呼吸のように脈打つ。


 「《断絶のだんぜつのしん》――ここより先、理は通らぬ」


 「……さて。我が名も影も、ここを潮時といたしましょう。

 滅びもまた、妖のことわり。ならば、この幕引き――悪くはありませぬな」


 焔が唸り、世界を裂いた。


 焔鬼の一撃により、ぬらりひょんの胸元が深々と裂かれる。妖の血が、墨のように地を染め、

 薄闇に滲む。だが――彼は叫ばない。膝をついたそのまま、静かに扇子を開き、唇の端に笑みを浮かべた


 「……見事、でございますな」


 穏やかに、深く沈むような声だった。


 「かくも静かに、かくも鮮やかに……“夜”を終わらせてくださるとは」


 その身からは黒い霧が立ちのぼっている。血とも瘴気ともつかぬ、

 妖の本質が崩れゆく証。その只中にありながら、ぬらりひょんは姿勢を正す。


 「幾星霜……人の世の片隅に寄り添い、ただ影に徹し、ただ妖として生きてまいりましたが……」


 扇子がふわりと揺れ、月光を受けた顔が仄かに微笑む。


 「これもまた一興。滅びの時まで、己を演じ切れたのであれば――“妖怪ぬらりひょん”、本望にございます」


 焔鬼は無言のまま、ただその姿を見下ろしている。ぬらりひょんはゆるやかに首を傾け、まるで旧知の友に向けるような眼差しを返す。


 「……お心遣いには及びませぬ。無粋な命乞いなど、いたしませぬゆえ」


 黒煙がその身体を蝕み、輪郭をぼやけさせていく。


 「我ら妖の本懐とは、ただ“語られ”、そして“忘れられる”こと。滅びとは、常に傍らにあるものでございます」


 手のひらに浮かんだ最後の“影”を見下ろし、ふっと目を細める。


 「……影とは、闇あってこそ映えるもの。それを斬った貴殿が“闇”となるのであれば――」


 そして、静かに顔を上げる。焔鬼の紅の眼と、ゆるやかに視線を交わす。


 「どうか――美しき“夜”を、お見せくだされ……」


 その瞬間、風が吹いた。


 黒き霧が宙を舞い、影が溶けるように地へと流れ落ちる。


 そこに、もはや“ぬらりひょん”の姿はなかった。

 ただひとつ、扇子が空に舞い、落ち、地に伏す。


 ――妖は、役目を終えたのだった。


 焔鬼が、わずかに目を伏せた。


 「……妖の王よ……見送るに値する最期であった」


 彼の足元には、ひと振りの剣が残されていた。

 血と影と、長き“夜”の記憶を纏った、封印の武器――


 焔鬼は、それを静かに拾い上げる。


 「“慟哭の剣”……これが、貴様の“残響”か」


 剣の柄に、ひび割れたような紅い痕が刻まれていた。


 そして焔鬼は、夜を背に、静かにその場を去っていった。


 ♦


 クリムゾン・ベインは、全身を血に染めながらも、なお笑っていた。


 「……クハッ……ッはははっ、いいぞ、最高だ……!」


 しかし、アバドニスの瞳は冷えきったまま。

 裂けた地面の向こうから、無言のまま一歩ずつ近づいてくる。


 「チッ……まだ来んのかよ……!」


 ベインは荒く息を吐きながら、肩の傷口を手で押さえた。

 右腕はすでに砕け、握っていた斧もどこかに転がっている。


 「クソ……楽しかったぜ、お前。だからこそ……今日は、退かせてもらう!」


 次の瞬間、魔人の身体が爆ぜた。


 アバドニスの腕が一瞬、伸びかけた。が――その動きが、ふと止まる。


 「……」


 風の気配が変わった。


 それは、遠くで何かが“終わった”感触だった。


 アバドニスは、焔鬼の方向を振り返ることもなく、

静かに背を向け闇に溶けるように姿を消した。


 戦場には、誰もいない。

 ただ、焦げた大地と、赤く染まった空だけが、嵐の終わりを物語っていた。

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