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第104話 撤退

 二階堂とリィドの背後に、深い闇が渦を巻くように広がる。


 その中心から、ひとつの影が現れた。


 「……随分、時間を取られましたね、田中君」


 二階堂が振り返りもせず、吐き捨てるように言った。


 「すみませんすみません。なんか全然ゲート繋げられなくて……ってあれ、中野さん?」


 影から現れたのは、フードを目深に被った男だった。

 顔のほとんどが闇に隠れているが、声音には妙な軽さがある。


 「――って真っ二つじゃないですかぁ、中野さん! わあ、綺麗に割れましたねコレ!いやぁ、芸術点高いなぁ~」


 その口調に、リィドがうんざりしたように鼻を鳴らした。


 「……お前ふざけてんのか」


 「えっひどいな、グレイハルト君。久しぶりの再会にその態度?」


 ぬめるような声でそう返す男に、だが――


 「だまりなさい」


 二階堂が、ぴたりと言葉を断ち切った。


 その声には、怒気が滲んでいた。

 普段の飄々とした仮面は消え、そこには冷たい静寂だけがあった。


 「……失礼。ちょっと浮かれてしまって。なにせ“あの中野さん”が、あんな風になっちゃってるとは思わなかったもので」


 田中と呼ばれたフードの男が、肩をすくめる。


 「田中君、ゲートを開いてもらえますか?脱出するチャンスは今しかありません」


 二階堂が静かに命じる。


 田中は口角を上げると、ぺたりと手を地に当てた。


 「了解。――Void Passage (ヴォイド・パッセージ)」


 ドッ、と地面が揺れる。

 闇が広がり、そこに異界の門が開いたかのような黒い口が開く。

 にこりと笑いながら、田中はその闇に溶けるように姿を消した。


「エイト、腹の傷の礼は次回だ、てめぇが生きてればな!」


 そういうとリィドも闇に消えていく。


 「焔鬼、あなたのことは忘れません」


 二階堂は焔鬼を睨みつけると続いて闇へと踏み込んでいった。


 直後――

 轟音と共に、焔鬼の一閃が地を割った。

 その刃が、三人の影に届いた時には――もう、誰の姿もなかった。


 焔鬼が、僅かに眉を寄せた。


 闇の門は静かに閉じ、

 ただ土の焦げた香りが入り混じる夜の空気が、その場に残された。

 

 呆然と立ち尽くしていた俺のもとに、伊庭さんが声をかける。


 「……俺たちも、撤退するぞ」


 落ち着いた低い声。それは状況を把握しつつも、どこかに静かな決意が滲んでいた。


 俺は戸惑いの色を隠せずに振り返る。


 「でも、二階堂たちのように……こっちはゲートなんて――」


 言葉の途中、伊庭さんは短く言った。


 「問題ない。――蓮!」


 その名が呼ばれた瞬間、気配が揺れた。


 風もなく、足音もなく。

 どこからともなく、黒い影が音もなく現れる。


 「遅れました伊庭さん、結界に穴が開き侵入できました」


 声の主は、矢吹 蓮。その姿は、夜闇と同化するかのような黒装束に包まれていた。


 「転送は無理だが、抜け道ならある。……英斗君、動けるか?」


 「……はい!」


 そう言って、矢吹さんは片手を地につける。


 「《朧煙おぼろえん》」


 瞬間、濃密な黒煙が爆ぜ、視界を奪う。

 だがその中でも、矢吹の動きは淀みない。


 「こっちだ」


 耳元で囁くような声。

 俺の腕が引かれ、伊庭さんもすぐに続く。


 煙の中をすり抜けるように、彼らの足元が次第に地表から僅かに浮き上がる。


 「……浮いてる!?」


 「“風纏かぜまつい”。音を殺し、足場を作るスキルだ。急ぐぞ」


 足元に展開されたのは、淡く揺れる透明の踏み場――まるで空中を歩くかのように、彼らは地上の視線から消えていく。


 そのまま森の外縁へと抜ける途中、矢吹さんはさらにスキルを使用する。


 「“影走えいそう”……これで追跡は撹乱できる。俺たちの痕跡は残らない」


 地面に落ちた複数の影が走り出し、追手の目を欺くように戦場へと駆けていく。


 焔の気配も、魔人の殺気も遠ざかっていく。

 だが、心の緊張は解けなかった。


 「吉野」


 伊庭さんが振り返る。月明かりの下で、その目はまっすぐだった。


 「生きて、次に繋げろ。今はそれで十分だ」


 俺は息を整えながら、静かに頷いた。


 こうして――彼らは、影のごとく、戦場を去った。

 次なる戦いの、そのときまで。



 焔鬼は、一歩、土を踏み鳴らした。

 すでに閉じられた“影の痕跡”――それが地の奥へと消えていく残り香を、嗅ぎ分けるように静かに目を細める。


 「……ほう。影ごと、斬ったつもりでおったがな」


 掠める風の匂いに、微かに残る人の気配。

 矢吹の残した“影”は囮に過ぎず、焔鬼の斬撃を巧妙にすり抜けていた。


 そして、ぽつりと呟く。


 「まぁよい……」


 その声音に悔しさはなかった。

 ただ、敵ながら見事な退き際であったことへの純粋な感嘆が滲んでいた。


 ――その瞬間だった。


 「……よそ見とは、いただけませんな」


 粘り気を帯びたような声が、斜め後ろから響いた。

 振り返らずとも、そこにいるのが誰かなど、焔鬼にはすでに分かっていた。


 「――爺か」


 風も音もないまま、ぬらりひょんの影が焔鬼の背後に立っていた。

 羽織の裾が微かに揺れ、細い笑みを浮かべたその顔は、もはや先ほどまでの老いをまとった男ではない。


 「隙を見せたら、命取りになりますよ。……いや、貴方ほどの御方なら、それも“好機”に変えてしまいそうですが」


 焔鬼は、肩越しに赤い瞳を向けた。


 「ほう……儂に興が乗ったか? ならば、続きといこうかのう」


 刀を引き、再び正面を向く。

 その歩みは遅い。しかし、揺るがない。


 ぬらりひょんも、扇子を開いて顔の前に軽くかざした。


 「……ええ、願ってもない。幕は――まだ、下りてはおりませぬ」


 月は雲に隠れ、再び夜が濃くなる。

 戦場に残るは、焔の鬼と、影の老妖。


 ふたりの強者が、闇に溶け込むように――静かに、刃を交える。


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