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第102話 妖の王

 激突の余波が森を揺らし、朽ちた木々がゆっくりと崩れ落ちる。

 その轟音の向こうで、なおも斧と爪がぶつかり合う地響きが続いていた。


 焔鬼は、その戦場を一瞥したのち――ゆるりとぬらりひょんの方へと向き直る。


 「……なら儂の相手は、爺よな」


 低く、焦げついたような声。

 その言葉には挑発も驕りもなく、ただ一つ、**ことわり**として告げるような響きがあった。


 ぬらりひょんは、眉をわずかに上げ、扇子で顔を隠す。


 「……ほほう。ずいぶんと静かに、戦いを宣言なさいますな」


 焔鬼の双眸が、月光の反射で紅く揺らめく。

 まるで、理性と獣性の狭間に立つ火の化身。


 ぬらりひょんは、扇子を閉じ、ゆっくりとその場に腰を落とすような所作で立ち位置をずらす。

 だがそれは、隙ではなかった。むしろ、その所作一つひとつが

“罠”のように張り詰めており、焔鬼でさえ一歩踏み込むのをためらうほどだった。


 「なるほど……。災いの王に睨まれる日が来ようとは、我が生涯も風雅(ふうが)にございますな」


 「風雅とは程遠いぞ。貴様が仕組んだこの夜宴――自らも焼かれる覚悟があるのか」


 ぬらりひょんは笑みを浮かべた――いや、浮かべた“ふり”だった。

 その奥にあったのは、老獪な者だけが持ち得る、“覚悟を終えた者”の沈黙。


 「ええ、ええ。たとえ焦土と化そうとも、夜はまた来る。

 その時、我が名がひとつ、語り草になれば本望」


 焔鬼の刀が、低く唸りを上げる。


 「戯言を……」


 「戯れにも、誠にも、結果が全て……。それはあなた様も、よくご存じであろう?」


 その瞬間、両者の間の空気が弾けた。

 焔鬼が足を踏み出し、地が裂ける。

 ぬらりひょんの影がうねり、月光の下で人ならぬ牙を覗かせる。


 ――静寂が、切り裂かれる。


 焔鬼とぬらりひょん。

 “理”と“老獪”、

 “烈火”と“深淵”の一戦が、いま始まる。


 焔鬼が刀を構えた、その刹那だった。


 ぬらりひょんの背後――焼け焦げた骸たちが、静かに、しかし確かに蠢いた。


 影だ。


 骨の山、潰れた妖の躯、溶けかけた皮膚、千切れた腕……

 それらがすべて、ずるりずるりと音もなく“影”へと飲み込まれていく。


 音もなければ、風もない。ただ、夜の底に沈むように“喰われていく”。


 焔鬼の目が、わずかに細められる。


 「……何だ、これは」


 その疑問に答えるかのように、ぬらりひょんの羽織がざわりと震えた。


 「……おや」


 彼は小さく呟き、扇子を閉じる手をゆるめた。

 肩がふらつく。だが、すぐに直立する。

 顔は見えない。だが、何かが――明らかに変わり始めていた。


 焔鬼が歩を止める。


 「……変わったか」


 「ええ、ええ……これは、まこと困ったことに」

 ぬらりひょんの声は、先ほどと変わらぬ調子だった。

 だが、そこに混ざっていたのは、“意図せぬ昂ぶり”だった。


 彼の足元に、影が広がる。

 ただの夜の影ではない。“妖”の骸が混ざり合い、渦を成して這い寄ってくる。

 骸は肉を持たず、声もない。ただ、ぬらりひょんの足元へと集まり、溶け、沈み、混ざる。


 そして――


 「私というものは、集めるだけの器に過ぎませぬが……」


 ぬらりひょんが、顔を上げた。


 その瞬間、焔鬼の背に、ぞっとするほどの“圧”が走った。


 見えたのは、顔の半分が影に喰われた異形の“長”。

 その眼は黒く、瞳の奥に紅の灯が揺れ、白髪が逆立つように広がっていた。


 「どうやら……器の底が抜けてしまったようでして」


 ――妖怪の王、ぬらりひょん。


 すでに彼は、“個”としての妖ではなかった。

 亡骸たちの怨嗟と力、恐れと執念が、彼という核を得て、ひとつの“塊”と化していた。


 焔鬼が舌打ちする。


 「数が減れば、力を得る……か。貴様らしい理屈よ」


 「はい。ゆえに、この力は“彼ら”のものでございます。……我が力では、ない」


 それは、謙遜ではなかった。

 ただ“事実”として、ぬらりひょんは語っていた。


 「ならばよい。わかりやすくなった」

 焔鬼の刀が、再び燃え上がる。

 「……強き者を斬る。わしがそうあるように、貴様もまた、夜の理であろう」


 ぬらりひょんは、再び羽織を払った。

 その一動作で、無数の影が地を這い、焔鬼の足元を取り巻く。


 「では、参りましょうか。焔鬼殿。……この命、夜に捧げる覚悟にて」


 焔鬼の口角が上がる。


 「遅い。……もう斬ると決めておったわ」


 ――そして、戦いが再開された。


 “妖の理”と“災厄の王”が激突する夜。

 月は沈まず、ただ静かに、その交わりを照らしていた。


 ――刹那、静寂が破られた。


 焔鬼の一閃が、音もなく夜を裂いた。

 刀身が紅く発光し、炎の線を描いて迫る。


 だが――


 「ふふ……あやかしとは、“掴ませぬもの”にて」


 ぬらりひょんの身体が、ふわりと影へ沈む。

 そのまま、焔鬼の斬撃は虚空を切り裂き、後方の地面が爆ぜた。


 地が抉れ、土砂が舞う。


 焔鬼はすでに次の動作へ移っていた。

 反転し、上段から袈裟斬りに振り下ろす。


 「そこか――!」


 が、再びその姿は影と共に霧散する。

 そして――


 「そこではございませぬ」


 背後。


 焔鬼の後頭部へ、影の帯が襲いかかる。

 即座に屈んでかわし、焔鬼は逆袈裟に刀を振る。

 その斬撃が影を裂くと、夜の空間に火の粉が走った。


 ぬらりひょんは再び距離を取る。

 その足元に、影が絡みついて彼を支え、滑るように後退する。


 「……遊んでおるわけではあるまいな」


 焔鬼の目が鋭く細まる。


 「いえいえ、とんでもない。……こちらも、生き残るのに必死でしてな」


 言葉とは裏腹に、ぬらりひょんの気配は膨張していく。

 まるで空間そのものが、彼を中心に歪んでいくようだ。


 「して、焔鬼殿。その炎、なにを焦がしますか?」


 「……理だ。貴様ら“掴めぬ存在”の道理ごと、焼き斬ってくれる」


 焔鬼が地を蹴った。

 一瞬で距離を詰め、炎の刃が、ぬらりひょんを正面から断ち割る――はずだった。


 だが、刃は“影の壁”に阻まれる。


 無数の妖の亡骸から編まれた影が、波のように立ち上がり、刃を受け止めた。


 「……影に“重さ”があるとは、興味深い」


 焔鬼は力を込める。火力が増し、刀が紅蓮に染まる。


 ぬらりひょんもまた、扇子を払った。

 その一振りに応じて、無数の妖影が焔鬼の四方八方から迫りくる。


 焔鬼は咆哮するように一閃。

 地面ごと薙ぎ払うような横薙ぎが、数十の影を纏めて吹き飛ばした。


 だが、影は消えない。


 切られても、斬られても、次々と湧き上がる。


 「ほれ、ほれ……“私”は、一人ではないので」


 焔鬼の額に、ついに汗が滲んだ。


 「影の群れ……そのすべてが貴様の肉となったか」


 「いえいえ、“ただの衣”にございます。だが、捨てるには惜しい力でしてな」


 次の瞬間。


 焔鬼が踏み込み、炎の軌跡を描いて真上から振り下ろす。

 ぬらりひょんは右へ跳ぶが、その刹那――


 焔鬼の刀が、影を伝うように軌道を逸らし、捻じ曲げられた。


 “影炎えんえい”――刃が、意志を持ったかのように曲がり、逃れたぬらりひょんの左肩を裂いた。


 「……ほう、面妖な」


 黒い血が飛び散る。


 ぬらりひょんの影が収縮する。痛覚ではなく、ただ“力を奪われた”ことへの反応だった。


 焔鬼の刀は戻ると同時に、なお燃え上がる。


 「――ようやく、掴んだぞ」


 「……掴まれた、のではなく、“掴ませた”のかもしれませぬぞ?」


 その言葉と同時に、ぬらりひょんの影が焔鬼の背を取っていた。


 「!」


 刹那、焔鬼は後ろ跳びにて距離を取る。


 が、その瞬間、ぬらりひょんの扇子が空を裂いた。


 ――“百影連牙”。


 影が牙と化し、無数の獣の形で焔鬼に喰らいつく。


 焔鬼が咆哮し、剣を振るう。

 炎が爆ぜ、影を焼く。

 その熱と殺意の衝突が、夜の空を朱に染めた。


 ――一進一退。


 どちらが優れているとも言えぬ均衡。

 だが、それは確かに、夜の支配者同士の“真の戦い”だった。


 息をする暇すらなく、闇が刃を立て、火が理を喰らう。

 残るのは――ただ、静かな“死”のみ。


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