第1話 静かな始まり
世界が滅びることを、誰も知らない。
……俺だけが、それを覚えている。
空間が裂け、異形の者の巨大な手が見えた。
世界は終わる。
「後悔なんてない」と言えば――それは、嘘になる。
正しいのかどうかなんてわからない、
それでも俺は、選んだ。決断したんだ。
変わらない日々。
変わるはずがないと思っていた。
……変えてしまうほどの“何か”に出会うまでは。
これから語るのは、
誰も知らず、誰も覚えていない、俺の物語だ。
あの日、俺は“それ”を拾った。
すべての始まりは、あまりにも――静かだった。
♦
俺の名前は、吉野英斗。29歳だ
バイトの時間ギリギリまで寝るか
悩んでいたが起きることにした。
支度を整えると、手持ち無沙汰になった。
このままダラダラ時間を潰すか、早めに出るか──
そんなことを考えていたとき、ふとカレンダーが目に入る。
水曜日。
そうだ、ゴミの日だった。
この地域では、水曜の朝が可燃ゴミの回収日。
先週ゴミを出しそびれたのを思い出し、慌てて袋をまとめる。
以前、回収後にゴミを出してしまい、大屋にこっぴどく叱られたことがある。
あの怒鳴り声は、いまだに耳に残っている。
出かけるには少し早いが、ゴミ出しのついでにバイトへ向かうことにした。
ゴミ捨て場に向かうと、地面に何かが落ちているのに気づいた。
黒くて平べったい。スマホか?
手に取った瞬間、掌に微かな熱を感じた。
重さでも形でもない、もっと感覚的な“ざらつき”のようなものが、皮膚の奥に染み込んでくる。
なぜだか心のどこかに引っかかる“違和感”だった。
「……なんだ、これ」
只の気のせいだろうか?不思議な感覚だった。
捨てられたスマホ? それとも誰かの忘れ物?
とにかく、他人のゴミをいちいち分別してやる義理もない。
元の位置に戻そうとした──そのとき。
「ちょっと吉野さん!」
後ろから鋭い声が飛んできた。
思わず肩がビクッと跳ねる。振り返ると、大屋が仁王立ちしていた。
七十を越えても声の張りは健在。顔に刻まれた深い皺が、長年の厳しさを物語っている。
「それ、どうするつもり?」
詰め寄ってくる大屋。俺は口を開きかけるが、彼女の言葉が先だった。
「今日は燃えるゴミの日、燃・え・る・ゴ・ミ!!」
完全に誤解されていた。
彼女は、俺がこのゴミを“捨てた”と思っているらしい。
「いや、これ……」
説明しようとするが、言葉が詰まった。
「言い訳はいいから、とっとと持って帰りなさい!」
怒鳴り声を残し、大屋はくるりと背を向けて去っていく。
──うおぉい!
地面に叩きつけてやろうかとも思ったが、
大屋が、遠くからまだこちらを睨んでいた。
仕方なく、苛立ちを飲み込み、それを尻のポケットにねじ込む。
ゴミなんか出さずに、ギリギリまで寝ていればよかった。
そんな気分で、俺はバイト先へと向かった。
バイト先のコンビニは、歩いて10分ほど。
住宅街の脇道を抜け、大通りに出たとき――
横を通り過ぎた子どもが、リュックにぶら下げたぬいぐるみを揺らしている。
骨っこボディに丸い目が愛嬌を放つ、パステルカラーのスケルトンがモデルの“スケルン”。
最近、世界中で人気になっている複数いるキャラクターの一つだ。
可愛らしくデフォルメされたそれは、子どもたちの間でマスコット的存在らしい。
人気の魔物の森のキャラだ。
◆
店に着くと、レジには行列ができていた。
「あ! 吉野君! 助かった〜! 悪いけどすぐ入って!」
向井店長が手を振って呼ぶ。
四十代にしては動きが軽やかで、声も若々しい。
急いで制服に着替え、レジに入る。
「何かキャンペーンやってましたっけ?」
「ないない。あったらシフト調整してたもん」
“もん”って。四十超えて、その語尾はどうなんだ。
心の中でツッコミを入れながらも、顔には出さない。
「そういえば吉野君」
「なんです?」
俺は唐揚げを揚げながら、振り向くことなく返事をする。
「最近流行りの噂、知ってる?」
振り返ると、店長の目が爛々と輝いていた。
──ああ、思い出した。
この人、オカルトとか都市伝説とか、そういうのが大好物なんだった。
「狼男の話でしょ? 昭和じゃあるまいし」
最近ネットで妙に話題になっている、狼男の目撃談だ。
「違うよ……情報が古いよ……」
ニヤニヤと笑いながら、妙に落ち着いた声で続ける。
「カマキリだよ。人くらいあるって噂」
「……は?」
思わず間抜けな声が出た。
「……人間くらいあるんだって」
俺は思わずフリーズした。
「本気にしてるんですか?」
そう答えると、向井さんの長い噂話が始まった。
◆
「吉野君、先にお昼どうぞ」
店長の声に頷き、「お先いただきます」と言って更衣室へ向かう。
バックヤードは狭く、更衣室と休憩室が兼用になっている。
カップ麺にお湯を注ぎ、近くの椅子に腰を下ろす。
座った瞬間、尻のあたりに違和感を感じた。
──ああ、そういえば。
ポケットには拾った“スマホらしきもの”が入ったままだった。
取り出してみる。
「なんだこれ?」
思わず呟いた。一見、スマホに見えなくもないが、
どちらかというと小型のゲーム機に見える
表面にはいくつかのボタンが並んでおり、直感的に“電源っぽい”ものを押してみた。
すると、意外にも起動する。
「お、動いた」
ゴミ拾いから始まった朝のむしゃくしゃが、わずかに晴れる。
意外な反応に胸の奥がくすぐられるようなワクワクを覚えた。
だが、次の瞬間。画面に浮かんだ文字に、眉をひそめる。
『このゲームは寿命を消費します』
寿命? なんだそりゃ。
思わず笑いそうになる。
表示は続く。
『ゲームを開始しますか? YES / NO』
(ちょうど暇つぶしにはいいかもな……)
手にした時の不思議な感覚を思い出すが、
気になりつつも俺はYESを選んだ。
するとまるでRPGのステータス画面のようなものが表示された。
レベル:1
名前:吉野英斗
攻撃力:7
守備力:5
年齢:29
体力:28/28
ちから:7
まもり:5
すばやさ:8
俺の名前……?
”入力なんかした覚えがないのに”
さらに気になるのは
ステータス画面の下部に、【寿命】という項目があり【10年】と表示されていた。
後は「持ち物画面」「装備画面」が表示されるのみだ。
──そして、何も起こらない。
(……は?)
拍子抜けした。 壊れているのだろうか?まあ、ゴミ捨て場にあったんだ、当然か。
内心がっかりしつつ、ポケットに突っ込む。帰ったら捨てればいい。
多少、気味悪く感じたが気にしないことにした。
──バイトが終わった後。
家に帰る前に、駅前の牛丼屋に立ち寄ることにした。
バイト先から5分ほどで着く、家からは遠くなるが、少しなので遠回りでも気にならない。
もうすぐ到着するというところで、後ろから声が飛んできた。
「おい……おい!! テメェに言ってんだよ!」
無視すればよかったのに、反射的に振り向いてしまう。
そこには、痩せた体格の若い男が立っていた。20代前半。刺すような目つきが覗く。
「わりぃ、おっさんよぉ……ちょっと金貸してくんね?」
口調は静かだが、妙に圧がある。
(……これ、拒否権ないやつだな)
喧嘩は苦手だ。かといって金を渡すわけにもいかない。
あと10日、財布の中身だけで生活しなきゃならないのに。
逃げるか?
そう考えた瞬間、男の手が俺の腕をがっちりと掴んできた。
見た目によらず、力がある。
「おっとぉ? どこ行くの? まだお金もらってなーい」
“さっきは“貸して”だったのに、もう“もらう”ことになっている。
さらに肩に手を回され、人気のない路地へ引きずり込まれそうになる。
「渡す金はない」
きっぱり言い切った。本気で、マジで、一円も出せない。
「おとなしく渡しときゃ、怪我しなくて済んだのによ!」
漫画みたいなセリフと共に、拳が飛んできた。
頬をかすめるものの、幸いにも避けることができた。。
(こんな恥ずかしいセリフ、実際に言うやついるんだ……)
そんなことを考えている間に、今度は蹴りが飛んでくる。
腹にモロに入った。
「ぐっ……!」
痛みと衝撃で後ろに倒れる。
だが、すぐに起き上がり、思い切って相手の下半身にタックルを仕掛けた。
予想外だったのか、相手はバランスを崩して倒れ込むと、勢いのままマウントを取った。
──こっちの番だ。
拳を振りかぶった、その瞬間。
「悪かった! 冗談……冗談だって、な?」
両手を合わせ、ごめんなさいのポーズ。情けない顔で見上げてくる。
“な?”ってなんだよ。
俺は関わりたくなくて、解放することにした。
そそくさと立ち去るその背に
(そこは『覚えてろよ!』とか言って去るんじゃねーのかよ……)
心の中で突っ込みを入れると、
何処からか電子音が聞こえる。どこかで聞いたことがあるメロディだ
「レベルが上がりました」
無機質な機械音。だが、その声は確かに、すぐ傍で囁かれたようなリアルさだった。
反射的に周囲を見渡すが、誰もいない。
まさかと思いながら、あの機械を取り出す。
レベル:2
名前:吉野英斗
攻撃力:7
守備力:5
年齢:29
体力:28/28
ちから:7
まもり:5
すばやさ:8
残りポイント:7
「……え?」
壊れてなかったのか?
そして――
画面を見ると「残りポイント:7」という表記がある。
ためしに”ちから”に触れてみると、数値が7→8に増え、残りポイントが6に減る。
「……振り分けできるってことか?」
試しに全部「ちから」に振ってみる。すると、14に増えた。
他に何かないか弄っていると
「あ! いた!! あいつですよ!!」
聞き覚えのある声に、心の底からため息が漏れた。
ウンザリしながら振り返ると、案の定――
がっくりと肩を落とし、俺は静かに呟いた。
「またおまえか……」
さっきのチンピラが、こちらへ向かってくる。
しかも今度は、一人じゃない。後ろにはどう見ても“その筋”の男がいた。
さっきは運よく撃退できた。だが、二人相手は無理だ。
詰んだな――と、心のどこかで観念する。
「兄ぃ、こいつですよ」
チンピラの声に応じて現れたのは、30代後半か40代くらいの男。
角刈りにサングラス、そして左頬に一筋の傷。
見るからに“ヤバい”雰囲気をまとっている。
体格もしっかりしていて、拳一発で沈められそうな迫力だ。
(殴られたら痛いだろうな……)
俺はその場を離れようとした——その瞬間。
がしっ、と肩を掴まれ、全身がビクリと強ばった。
がっちりとした指が、まるで鉤爪のように皮膚に食い込み、じわりと痛みが走る。
「自分でやらかしたケジメは、つけねぇとな」
低く、押し殺したような声。
その響きの奥に、容赦のない殺気がはっきりと滲んでいた。
「兄ぃ、頼んます」
後ろでチンピラがニヤけながら調子に乗っているのが見える。
(あいつ……マジで!!)
このままボコられるのを待つくらいなら、少しでもやり返してやる。
せめて一発だけでも——!
決意と共に、掴まれた肩を勢いよく振り払い、そのまま拳を振り抜いた。
ドスッ——。
偶然にも拳が男の顎にヒットした。
骨を殴った鈍い衝撃が、指先から腕全体へと響く。
巨体がぐらりと揺れ、まるでスローモーションのようにゆっくりと後ろへ倒れていく。
「兄ぃ、油断しすぎっ……!」
チンピラが慌てて駆け寄った。
「兄ぃ!? 兄ぃ、立ってくださ……って、冗談、兄ぃ……?」
その声には、明らかな焦りが混じっていた。
(打ち所が悪かったのか……?)
思わず、倒れた男の様子を覗き込んだ——その瞬間。
「よくも兄ぃを!」
怒声と共に、チンピラが拳を振りかざして飛びかかってきた。
攻撃に備えて身構えた、その時——
チンピラの足元がぐらつく。
倒れた“兄ぃ”の足に引っかかり、前のめりに体勢を崩した。
(今だ!)
反射的に身体が動く。
迷わず足を繰り出し、腹を蹴り上げる。
「ぐふっ!」
チンピラの身体がくの字に折れ、背後の壁に叩きつけられ崩れ落ちた。
(……俺、こんなに力あったか?)
脳裏をかすめる“ゲーム機”の存在。
まさか、とは思う。
けれど心のどこかが、その可能性を否定しきれない。
小さく首を振り、思考を振り払おうとしたとき。
呻き声。
サングラスの男が、ふらふらと身を起こす。
慌ててチンピラを担ぎ上げると、肩に担いでふらつきながら言った。
「覚えてやがれ!」
雑魚キャラのテンプレのような捨て台詞を残して、ヨロヨロと逃げていった。
(……チンピラAとBってことでいいか)
それにしても疲れた。
全身から気力が抜け落ちていくような感覚。
家に着くなり、玄関をくぐってベッドへ倒れ込んだ。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
第1話では、ごく普通の男・英斗の日常に“異物”がひとつ混ざる瞬間を描いています。
ゲーム機、寿命、そしてレベルアップ。
ほんの些細な選択が、後戻りできない現実の扉を開く鍵だったのだと、彼はまだ知らない。
今はまだ、世界の異変の影も見えない。
それでも、静かに、確実に“死”が近づいてくる。
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