山国の小国が聖なる方を召喚しました!
そこは、とある雪の深い山の中にある小国。
遠い昔に噴火した跡地に生まれた、大きなおおきなカルデラの中、当然ながら自然と周囲の国からは孤立した位置に出来た国だった。
元々その国の標高はかなり高い。
山の斜面は五合を超えると一気に急になるため、降りるも登るもなかなか大変な場所にある。
加えて夏でさえ雪がそれなりに残るとあって、外部とはほぼ没交渉。辛うじて羽を持つ天人が主に住まう隣国とごくわずかな貿易が成り立っているだけの、貧しい国でもあった。
まあ、そんなところに羽根も特別な筋力もない只人が何故国を立てたと、王がご先祖に思っても当然の話。
犯罪者の流刑地だったとか、戦乱の時代に落人が逃げ延びてきたのだとか色々言われてはいるが、真実は歴史の波のためにとうに失われている。
今はそんな事は関係無いのだと思いながら、今の国王は冷たい床に伏せていた。
祭祀場と呼ばれる城の大広間――とはいえ貧しい国なので、よその国の村で言うとちょっとした集会場程度の大きさしかないのだが――のど真ん中。
そこに王は凍えそうな温度を感じながらも必死に祈っていた。
「王、お食事を」
「むぐぐっ う、美味いが、もう少しひと匙の量は減らしてくれないか、宰相っ もぐっ あぢぢぢっっっ!?」
「ああ、王は猫舌でしたな。料理長、次は冷めても美味しいものを頼む!」
「分かりました! キンキンに冷えたかき氷をお持ちします!」
「冷めた程度のもんにしてくれ!! 冷たいモン口に入れられたら中からワシ凍死しちゃうから!!」
先ほどから必死になって国の守護神へと祈っている当代の王は、齢三十を超えたばかり。
これでも寒さに閉ざされた国の王としては在位は長い方で、すでに中年に至っている。
そろそろ生え際が気になると溢している王は、石の床に絨毯もなく正座をしている。このために、王の足の甲はすでに凍傷になりかけている。
けれどすでに三日三晩に渡る王の祈りの儀式は終盤に至っている。これを中断する訳にもいかぬと、彼の忠実な臣である宰相はせめてとばかりに、王の口へと食事を放り込んでいた。
まあ大真面目な顔で、この国では珍しいスパイスを突っ込みまくった上にぐつぐつ煮えている火鍋をチョイスした宰相も、逆にこの国ならどこにでもある氷を使ったかき氷を選ぶ料理長もボケボケ過ぎだが。
今、国王が自身に鞭打って行っているのは、国を救う主を召喚する儀式であった。
元々、国王でさえ最貧の生活をしている国だ。
ろくに野菜は育たず、針葉樹に成る食用の実や魔獣を狩って主な糧としているほど。毎年極寒の冬には住人の数パーセントに凍死が出るほど厳しい環境であり、それでもどうにか長年にわたり彼らは凌いできた。
だが今年の冬は入りがいつもより早く、冬支度が十分に行えないまま国土は猛吹雪に襲われたのだ。
しかも例年最高でも五メートル程度の積雪が、ここにきて倍になり、今もなお外では雪が降り続いている。
隣国に助けを求めようにも、辛うじて国家間の通信魔導はあるが支援物資を届けて貰えるような手段はなく、強風のせいで逃げることも難しい。
国がまるっと凍えてしまうのももはや時間の問題だ。
そう嘆いた王妃と子供たちを見て、王は決めた。最後の手段として王族に伝えられてきた、祭祀主の寿命と引き換えに救世主が得られる召喚の儀式を行おうと。
王が祈り始めてから、白い雪を固めたような石で出来た守護神の像が少しずつ銀色の輝きを帯び、足元に彫り込まれている召喚陣も白く光り始めた。
この輝きが子供たちを救ってくれる。
そう信じて、王は最後の祈りを床に伏せったまま叫びを挙げた。
「ぺっちらちらちらとっととぷうのぷうーーーー!!!! キタキタきたーーーー!!!!」
聖句として伝えられた呪文を、王が伸びをして天井に叩きつける。
じっと儀式を見守っていた宰相と王族たちの目の前で、最高潮に狭い大広間が光り輝いたかと思うと、守護神の像の前に、何かが床から溢れるように現れた。
「おおおっ! 救世主様がっ!!! 聖女様が降臨なされた!! お迎えの準備等しろおおっっ!!」
「伝承は本当だったのですね父上!! これでっ これで皆助かるのですね! 母上ぇっ!!」
「おおおっ救世主様っっ よくおいでくださいました!! 感謝申し上げます!!」
皆が輝く部屋の中で、嬉しさから大騒ぎを始める中、王と宰相は神が齎してくださった、床にぺたーんと転がる救世主へと頭を下げた。
びちびちびち。
銀色にほのかに光る救世主が、冷たい石床の上で跳ねて暴れている。
その姿は六十センチほどの小柄さで、尖った黒い顔先と銀色の輝く腹にわずかにピンク色を滲ませたもので、彼女は必死に生きようとビチビチと跳ねていた。
魚。
それもまごう事なく、鮭だった。
日本では秋頃、海から産卵のために生まれ故郷の上流を目指して遡上する、あの鮭である。
しかも腹にはすでに卵らしきものが詰まっているのが確かな様子で、まあ彼女、には違いなかった――人ですらないが。
ただ、この雪と山が深すぎる国に、魚はいない。
少なくともここに居る彼らは、他国なら居るだろう魚という生物を知らなかった。
地下水は存在していても、ここには湖も川も存在していなかったので。
ついでに言えばこの世界には魔法があり、奇跡がある。
人間も、獣に見た目の近い獣人も、天人と言われる羽根人もいる事と、水中という環境へよ無知故に、召喚されるのが人であろうと思い込んでいた彼らからすれば、ソレが人では無いかもしれない、とは思い至れなかったのだ。
そんな哀れな地上に打ち上げられた産卵間近だった鮭は、救世主様と爛々と目を輝かせて喜びに打ち震える王や宰相の前で、びちびちと生きようと跳ね続ける。
「おおお聖女様っ お姿が我々とは異られますがその銀色の輝き、大変に神々しい!!」
「大変麗しく! 救世主様っ よくぞ我らの国にお越しくださいました!!」
びちびち、びち。
「聖女様っ どうぞ我らをお救いください!!」
「救世主様っ 不躾で大変申し訳ございません! ですが我らの困窮にどうか慈悲を賜りたく!!」
びち、びち、び……ち
「聖女様? あ、あの、それではどうかお名前をお聞かせくださいませんか?」
「王……もしや聖女さまは異なる世界に攫われたと誤解なされているのでは。誘拐犯相手に気を許してくださる筈がございません。ここは頭を下げて御心を緩めて頂く必要があるかと」
「はっ そうか、それは当然の話だな、宰相!! まずは御方の御心を宥めて差し上げなくては! 聖女様、急いでしまい大変申し訳ございませんでした! まずはおもてなしをさせていただきます故っ……あ、あれ? 聖女、様?」
びち、び、ち――しいん。
動かなくなった。
床で尾鰭を跳ねさせていたのを最期に、子孫を残すという生命の使命を果たせないまま、雌の鮭は、ぽっくりお陀仏した。
「せ、聖女、様?!」
「きゅ、救世主様が亡くなられ、た?」
「せ、世界の終わりなのですか!? そんなっそんなあああっ!!!」
「この国はもうおしまいだあああ!!!」
王が愕然と正座のまま固まり、宰相が青ざめて泡を吹く。王妃は頽れ啜り泣き、息子の王子は恐ろしさから泣き叫んだ。
大広間を絶望が支配する。
――魚は陸上じゃ生きられない。
そんな常識すら知らないので仕方ない話ではあったが。
儀式を失敗した。
翌朝、憔悴しきった王が、城の一角に避難していた民たちに土下座して謝りながら、改めて儀式を行うと告げた。
大変に落ち込む民達の前で、毅然としていた王は、それでもまずは己たちの勝手で呼び出したにも関わらず何故か死なせてしまった救世主様を供養しようと青白い顔で告げた。
その朝のうちに貧相ではあるがこの国ではかなり立派な方にあたる棺を宰相が用意すると、その中に救世主の亡骸を収め、彼らは国葬として丁寧に葬ることとした。
ちなみにこの国は、基本的に火葬である。
何故か今朝は雪が緩んだおかげで、中庭の雪を取り除く余裕が生まれ、救世主様をお送りするためと、そこに用意された堆く積まれた薪により、棺ごと燃やされていく。
民がしくしく泣きながら、救世主様の魂を見送ろうと、炎を囲みながら手を合わせて祈る。
高く燃える煙から、ふわりと漂ってくるのは――焼き魚の匂いであった。
「なんかいい匂いするなあ?」
「おいしい匂いがするな、じゅるり」
お腹を空かせた小さな子供たちほど素直にそんなことを溢して、ついつい救世主様の棺に手を伸ばしかけ、大人たちに叱られている。
聖女様の神聖な国葬が、微妙な空気に包まれる。
主催していた宰相の怒声が、あたりに響き渡った。
「さ、さすがにそれは不敬だぞ皆の者っっ 救世主様をお送りする炎をなんと心得…………じゅるり」
「宰相っ おまえも何故腹を鳴らしているのかっ じゅるり」
年若い王子もまた並んで腹を鳴らし、王にポカリと叱られた。
彼らはある意味で幸せだった。
術で現れたそれは聖なるものでもなんでもない。
この時代の彼らは最後まで、それが単なる魚だとは知らずにいられたのだから。
ところが奇跡はたまたま起きたのか、異なる世界に寄越された事でこの国に鮭が何かを呼び込んだのか。
この国としては、ある意味で聖なるオーラとかなんかが異世界の鮭から出てたらしい。
餓死者凍死者を大量に出しかけていたこの国観測史上最悪のドカ雪となった雪が快晴に晴れ、むしろ早い春がしっかり訪れたのは、その日の昼のことだったという。
こうして王は二度目の儀式は行わずに済み、短い余生をそれなりには幸せに過ごしたとか。
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