第3話
その夜、基地に戻った桐山は山本伍長に今日の出来事を話した。山本は桐山の話を聞き終わると、口をへの字に曲げながら深刻な表情を浮かべた。
「その女性、あまり深く関わらない方がいいんじゃないですかね。なんかハニートラップ的な感じが」
「わかっているさ。深入りはしないようにする」と桐山は毅然と答えた。
みんな最初はそう言うんだよな。と山本は内心思わずにはいられなかった。
「ところで、日中、街で何か起きたようだったが、山本伍長は知っているか」
桐山は気になっていた昼間の出来事を聞いてみた。
「ああ、密輸業者の頭目と賞金稼ぎが小競り合いを起こしたんです。二人とも逃してしまいましたけどね」
治安は相変わらずのようである。
「密輸業者と賞金稼ぎ? 変わった商売だな」
「このあたりじゃ、そんな珍しい商売じゃないですけどね」
密輸業者と聞いて、少し装備を整えようと桐山は考えた。
変装用の衣装は、古着屋で大体整えたが、まさか三八式歩兵銃や南部十四年式拳銃、軍刀を持っていくわけにはいかない。
官品以外の武器は、実家から持ってきた秘蔵の清麿一振りだけである。
桐山は飛び道具が1つ欲しいなと考えていた。
翌朝、桐山は密かに闇市の一角へと向かった。生臭い路地の影に潜む闇市、それはここ満洲で、申し訳程度に隠蔽されてはいるものの、堂々と営業している場であった。
「なんとも大胆に店を開いているな」桐山は小声で独り言をつぶやきながら、路地の奥深くへと進む。
桐山は潜入任務中に必要になるかもしれない護身用の火器を探して闇市をブラついていた。
古ぼけた露店が並ぶ中、ふと目に留まったのは、銃器らしき物を扱う小さな露店である。
店主は白髪混じりの初老の男で、目つきだけは不気味に鋭い。
桐山が近づくと、男は桐山を一瞥して唇をゆがめた。
「旦那、何をお探しですかな?」
「小型の護身用だ。使い勝手が良くて、目立たないやつがいい」と、桐山は端的に答えた。
この露店の品々は、管理の行き届いた軍装備とは対極に位置する代物だが、今はこれで丁度良い。
店主は木箱を引き寄せて蓋を開けると、数丁の拳銃が雑然と並んでいた。その中から桐山はルガーP08を選び取る。見るからに古く、骨董品といっても過言ではないが、桐山にとっては十分だった。
「代物は古いが、まだまだ現役さ。弾も少しだけ付けてやるが、あまり期待するなよ」と、店主は低い声で釘を刺す。
桐山は金を支払い、拳銃を受け取った。冷たい金属が掌に伝わり、思わず無意識に握りしめてしまう。
この瞬間、桐山は少しだけ、この地の物騒さを再認識することになる。
取引を終えてその場を離れようとしたとき、不意に背後から冷たい声が耳に届いた。
「お兄さん、そいつは護身用にしちゃ、随分と物騒じゃないか?」
振り返ると、目の前には密輸業者か何かだろう、若い男が腕を組んで高いところから桐山を見下ろしていた。目の奥には薄笑いと警戒心が見え隠れし、その視線が刺すようにこちらを探っている。
「護身用だ。ここじゃ詮索は御法度じゃないのか?」と桐山は短く返した。
男は桐山をしばらく見つめた後、ニヤリと笑みを浮かべた。
その笑いは、まるで何もかもを見透かすかのように薄ら寒いものだった。彼が何者であろうと、この場で深入りするのは得策ではない。
桐山は拳銃を懐にしまいながら、その場を立ち去った。まさにこの場で得たのは「護身用」だが、彼が本当に護られる保証など一切ない。
それでも、与えられた任務を遂行するためには、工夫と準備が必要なのだ。
一応、一般市民の体裁を整えた桐山は、闇市の古着屋に置いてある姿見で自分の姿を確認した。
無地のシャツに緩めのズボン、防寒用のコートを羽織って見れば、青年実業家に見えなくもない。
桐山はわずかに満足げに微笑み、浅くうなずいた。この姿なら街中を歩いてもさほど目立たないだろう。
潜入任務の基本は目立たず、周囲に溶け込むことだ。
コートの内側に新たに入手したルガーP08忍ばせ、清麿の打刀をサーベルのように腰にぶら下げる。
桐山は深呼吸をした。
「これは、目立つな」
清麿は兵舎に置いて行こうと思った。